冒険者の少女 3


 歩く予定が馬車に乗れたため、予定は大幅に早まっている。

 軽く携帯食料(固いビスケットのようなもの)を食べたサクとリリィは、さっそく歌の練習をすることにした。


「今日は野宿かと思ったが、村長さんが良い人で助かったな」


「そうですね」


「あんま時間ないが、しないよりはマシだろ」


 サクの言葉に頷いたリリィは、持ってきた歌の教本をパラパラとめくる。祭りで歌う『始まりの歌』は、最初のほうに載っていた。


「男女で歌うようにってことだけど……ひゃぁっ!?」


「あん?」


 思わず教本を地面に落としたリリィは、両手で自分の目を塞ぐ。振り向いたサクは、耳まで真っ赤になった彼女を見て不機嫌そうに首をかしげる。


「何やってんだ。早く準備しろよ」


「な、ななな何やってるのか聞きたいのはこっちですよ!! なんで、服を脱いでいるんですか!!」


「歌の練習は、なるべく薄着になるのが普通だろう。別にお前に脱げとは言ってない」


「当たり前です!!」


「下は脱いでねーぞ?」


「そういう問題じゃないでしょう!?」


 叫びながらも指の隙間からそっと覗いてみる。

 少し大きめのヨレヨレな服を着ていたから気づかなかったが、上半身裸になったサクは均整のとれた逞しい体をしていた。見かけによらず鍛えているのか、しっかりと割れた腹筋をリリィはじっと見てしまう。


「見惚れててもいいから、さっさと走るぞ」


「み、見惚れてなんか……。え? 走る?」


「まずは体全体をほぐすために走る。そこから腹筋と背筋を鍛える。体幹を安定させたいから下半身も重点的に鍛えるぞ。それから体を伸ばす運動だ」


「歌の練習?」


「そうだ。それ以外に何をするってんだよ」


「体を鍛える?」


「良い歌声は、良い筋肉から。基本だろ」


 そんな基本を知らないリリィは、元来とても素直な心根をしている。サクに対しては反抗的な態度をとってしまうが、それは彼女が思春期というのもあるのだろう。

 しかしサクの言う「歌の練習」について、素直であるはずのリリィはさっぱり事態を飲み込めずにいた。


「あの……教本……」


「いい加減にしろ! さっさと走るぞ!」


「ひぇぇ!?」


 訳も分からないまま走らされ、筋肉を鍛えられていくリリィ。

 憐れな彼女の悲鳴は、村長が夕食を招待してくれるまで続くのだった。







「うう……からだじゅうがいたい……」


 腕立て伏せをしすぎて、手が震えてせっかくの夕食をほとんど残してしまった。

 幸いにも来客用の部屋がいくつかあり、サクとリリィには個室が用意されている。一人部屋なのをいいことに、裸になったリリィは震える手でなんとか体を拭いたが、シャツ一枚羽織ってベッドに倒れこんでしまった。

 そしてそのまま力尽き、動けなくなっている。


「あの人……なんなの……」


 ギルド職員のマルタが「悪い人間じゃない」と言っていたが、アレは悪いとかそういうくくりで表現するものではない。あれはただの変人だ。

 夕食もろくに食べてないため、腹が乙女らしからぬ音で高らかに鳴っている。

 うんうん唸るリリィの耳に、ドアをノックする音が聞こえてきた。


「おい、入るぞー」


「はぁー……いっ!?」


 返事をしかけて、はたと気付く。

 下着も身につけておらず、シャツ一枚という己の姿。


「ま、待って!!」


 なんとかシャツのボタンをとめ、パンツをはいたリリィは慌てて布団に潜り込む。


「な、なんですか!!」


「夜食持ってきた。入るぞー」


 やはりヨレヨレした部屋着を着ているサクは、トレーに軽くつまめるものを持ってきていた。

 嬉しくて笑顔になりかけたリリィだが、そもそもこうなった原因は彼にあると思い出し、ぷいっとそっぽを向いてみせた。


「あー、まぁ、ちょっと熱が入った。悪かったよ」


「体が痛くて動かないです。こんなんじゃ何もできないです」


「だから謝ってんだろ。ほら、これ食えよ」


 差し出されたのは小さく切ってあるハムとチーズを挟んだパンだ。皿から取ろうとする手が震えているのを見て、サクはひょいとつまんでリリィの口元へ持っていく。


「な、なにを」


「食わしてやる。ほら、この村のハムは美味いぞ」


「……ぐぬぬ」


 こんな男にアーンされるなぞ一生の不覚!と思いながらも、空腹には勝てずに差し出されるがままに食べていく。

 食べ物に罪はない。ハムの塩気とチーズのクリーミーさを、リリィはしっかりと味わうことにする。







 サクは混乱していた。

 つい、熱を入れて歌の指導をしてしまったため、まだあどけない少女に無理をさせたと反省し、夜食を持っていったところまでは良かった。

 そこからがおかしい、そう気づいたのは少女に夜食を手ずから食べさせたその瞬間だった。


「お、おいひいれす……」


 頬を膨らませ、一生懸命に口を動かす小動物のようなリリィに、サクは何やら今までに感じたことのない何かが湧き上がる。

 彼は今まで自分より弱い生き物と近距離で接する経験が無かった。

 庇護されることはあっても、その逆は有り得ない生活をおくっていた。


「美味いか?」


「んく、んま、もっとくらさい」


「たくさん食え」


 有り得ないことだとは分かっている。それでもサクは「父親の気持ちとはこういうものなのか……」と、なぜか父性本能のような何かが生まれていた。はたから見ればただの危険人物である。


「ああ、そうだ。急に体を動かしたから痛みが出ると思う。揉んでやるから横になれよ」


「……は?」


「体をほぐせば、明日も動けるぞ」


「……何を言ってるんですか」


「遠慮するなって、ほら、布団から出て……」


「この!! スケベやろぉぉぉぉぉぉおおおおお!!」


 体が動かないはずのリリィのどこからそんな力が出たのか、ばちこーんと肉を叩く音と共に部屋から転がり出たサクは勢いよく壁に頭をぶつけてしまう。

 廊下で伸びてしまったサクは、そのままひと晩を過ごすこととなる。


 ちなみに、この一連の流れでリリィの体はしっかりとほぐれたのだった。

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