第2話 推しの家
「ここがこれから私たち二人の家になる場所だよ!」
「おぉ……」
その家は俺が想定していたよりも大きな一軒家だった。
よく考えてみれば当たり前なのかもしれない。彼女――三嶋千冬は登録者140万人以上を誇る大人気アイドルVtuberの兎野ウサだ。
配信で得たスーパーチャット(投げ銭)の額は、年間1億を超えると言われている。
それを知っていても、やはり実際目にすると呆気に取られてしまう。
「さあ、入ろっ」
「は、はい」
三嶋千冬は呆気に取られている俺の手を取って、その立派な一軒家に入った。
*****
「さて、ここからが本題だね。この機材は私が以前使っていたものだけど、スペックもかなり良いし問題なく使えると思う。あとは配信部屋だけど――」
「ちょ、ちょっとまって、ください!」
「ん? どうしたの?」
俺はあまりの情報量の多さに少しばかり混乱してしまって、話を中断させた。
確かに俺が彼女についてきたということはVtuberになるということを承諾したことになるのだが、俺の脳はまだその事実を処理できておらず、夢を見ているような気分になっていた。
「み、三嶋さんは見ず知らずの俺と同居して、さらにはVtuberにまでするって……本当にいいんですか?」
「もちろんっ! 私が決めたことだしね。あと、苗字じゃなくて下の名前で呼んでほしいな」
「あ、わかりました、ち、千冬さん……」
「それでよし!」
「でも、本当にいいん……ですか?」
「ふふ、葵くんは本当に心配性なんだね。安心していいんだよ。急に出て行けなんて言わないから」
俺は千冬さんの言葉を聞いて、また泣きそうになってしまった。
『急に出て行けなんて言わない』
その言葉が俺にとってどんな言葉よりも安心感を与えてくれる温かい言葉だった。
俺はぐっと涙をこらえて、千冬さんの話を聞くことにした。
「それじゃあ、部屋とかの説明を続けるね」
「はいっ」
「よかった。さっきよりも元気が出たみたいで」
俺はその後、一言も聞き逃さないように真剣に千冬さんの話を聞いた。
その広い家のすべてを把握するには少しばかり時間が掛かるだろうが、これからは俺の家でもあるんだ。
同居をさせてもらう身で文句を言うつもりはない。
ない……けど、一つだけ問題があった。
寝室が一つだけしかなく、ベッドも一つだけ。
千冬さんは同じベッドで一緒に寝ることになると言っていた。
俺の心臓、持ち堪えられるだろうか?
これでも俺は今日、高校の卒業式を迎えたばかりの年頃の男子だ。
まあ、同意もなしに手を出すようなクズではないからそこは安心してほしいけど、これは確実に不眠コース一直線だな。
俺は同居させてもらう身なので何も言わずにそこは耐えることにした。
何日耐えれるかわからないけど……。
「私の配信部屋の隣の部屋を葵くんの配信部屋にしようと思うけどいいよね?」
「は、はい。というか、まだ実感湧かないですね。俺がVtuberの世界に足を踏み込むことになるなんて」
「ふふ、最初は誰でもそんなものだよ。じきに慣れるよ。でも、Vtuberになる前に私の所属事務所『バーチャライブ』に葵くんを推薦しに行くから明日にでも一緒に行こうか」
「は、はいっ」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
こうして俺は明日、大手Vtuber事務所『バーチャライブ』に出向くことになった。
くれぐれも失礼のないようにしなければ。
千冬さんがここまでしてくれているんだ。さすが千冬さんが連れてきた人だ、くらいは思わせられるようにしたい。
部屋の紹介や事務所のことなどを一通り聞き終えると、千冬さんは夕飯を準備してくると言ってキッチンに向かった。
俺も手伝うと言ったのだが、ゆっくりしてていいよ、とだけ言ってその場を去って行った。
うーん。
ゆっくりしてていいとは言われたものの何をしよう。
俺は結局、何もすることが見つからなかったのでもう一度部屋を見てまわることにした。
やはり、一番気になるのは千冬さんの配信部屋だ。
この部屋から兎野ウサが活躍しているのかと思うと、どうしても気持ちが高ぶってしまう。
なにせ俺は兎野ウサのファンだからね。
ファンなら気持ちが高ぶって当然。
そうだろう?
千冬さんの配信部屋の中に入り、見回すと、至るところに兎野ウサのタペストリーが飾られていて、机の上には配信に使っているであろう見るからに高価そうなゲーミングパソコンと兎野ウサのフィギュアが置かれていた。
自然と笑みがこぼれてしまう。
千冬さんはきっと、兎野ウサというVtuberとして活動することを楽しんでいるんだろうなぁ。
俺もこれからVtuberとして生きていくことになりそうだから千冬さんを見習って行こう!
彼女ほど参考にできるVtuberも中々いないだろう。
彼女といれば嫌なことを忘れることができるような気がした。
そんなことを考えているとキッチンの方から俺のことを呼ぶ声が聞こえてくる。
「葵く~ん、夕飯の準備できたよ~」
嫌な思い出を完全に忘れ去ることはできないかもしれないけど、彼女について行けば何かが変わるかもしれない。
俺はそんなことを考えながら俺を呼ぶ声の元へと向かった。
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