第六章 美少女アンドロイドはさよならを言いませんでした

「雅樹! 唯那!」

 ガン鉄から飛び降りて、驚きと喜びがない混ざった笑顔で駆けてくる薫。

 俺が声を発するより早く、彼女は飛びついてきた。

「お、おい!」

 物凄い勢いで飛び込んできた薫を、俺は抱きとめるような形になった。今までの毅然とした薫とは雰囲気が随分違う。と、そう思ったのもつかの間、顔をあげた薫の表情はいつもの物だった。

「よく来てくれた。それに、唯那、ちゃんと目覚めたんだな、良かった」

 薫は俺から身を離し、唯那の頭を撫でる。いや、もうちょっと抱きとめてても良かったよ? やーらかいし。俺の胸に薫の薄い胸がちょっと当たってていい感じだったよ?

「それにしても、よく覚醒できたな。どうやった? 自然に目覚めたのか?」

 薫は唯那の覚醒を喜びながらも、その過程に興味を示す。言えるか! 

 俺と唯那がもじもじしていると、薫はふん、と鼻を鳴らす。

「なるほど、そういうことか。まあ、それでもよかったじゃないか。想いは遂げられ、唯那は目覚める。それはめでたいことだ」

 薫は独りで納得して踵を返し、ガン鉄の方へと戻っていく。俺たちもその後を追う。

「あーまあ、遂げてねえんだけどな。それより、今、何してたんだ? ガン鉄の上にまたがって」

 俺はさっきまで見ていた薫の奇異な行動について尋ねる。

「ん? ああ、何か突破口ないかと思ってな。新宿で奴らと一戦交えてみたが、どうにも決着がつかん。それに、自衛隊にまで完全に敵として認定され、報道までされたとなれば、なかなかに難しい。故に、一旦退いてここへ来たんだが……」

 薫はそれまでの経緯を話し始めた。だいたいはニュースでも知っていることだが、そこに当事者の薫の想いも交じって伝わってくる話には、凄味がある。

「あたしは、あの瞬間たった独りだ、と思った。物心ついたときから、あたしはずっと独りだった。誰も、あたしのそばにはいなかったんだ。ガン鉄があたしに語りかけてきたとき、どれほど嬉しく思ったか、わかるか?」

 薫は熱っぽい瞳で語る。こんな時、やはりこいつは絶世の美少女に見える。後ろを守るようにうずくまっているガン鉄の胴を撫でながら、愛おしそうにその黒い巨体を見上げる。

「ここで奴らを倒せば、少しは独りじゃなくなるかとも思った。でも、やっばり独りだ。自衛隊はあたしたちを敵とみなした。まあ、第一師団で暴れたからな。当然と言えば当然だ」

 薫は寂しそうだ。

 両親が特殊な環境であることも相まって、薫はずっと独りで生きてきたんだろう。学校や級友にもなじめず、平和な社会にもなじめず、ただ、悶々と。

「だから言っただろう? あたしのことを薫と呼ぶ栄誉は、父以外、お前しかいない、と。あたしは、お前と唯那が現れた時に、正直嬉しかった。なにより雅樹、お前は人間だ。あたしを対等の存在として見てくれる人間だ。だから、嬉しかった」

 薫の独白は続く。まるで、今話しておかなければ、もう話す機会がなくなるから、とでもいうように。 

「ああ、アンドロイドがダメだってわけじゃない。ガン鉄も唯那も、充分あたしや雅樹を癒してくれる存在だ。だが、なんというかな、やはり、その好意はインプットされた物なのかもしれない、とあたしは心のどこかで思っていた。唯那、お前のあの行動を見るまではな」

 薫は唯那を優しいまなざしで見る。あの行動、それは、プログラムに抗って俺を守って死のうとしたこと、だろう。

「唯那も……」

 三角座りをして、ひざのうえに顎を乗せた格好で唯那が口を開いた。

「唯那も、唯那の心がつくりものなのかなあ、って思ってました。だって、唯那、作り物だから。どんなに頑張っても、唯那は雅樹さんと同じ人間にはなれないんです。もし、雅樹さんが人間の女の子を好きになったら、唯那はお払い箱ですよね。そう思ってました。そして、それが唯那のようなアンドロイドの宿命、って」

 ガン鉄の端末には、唯那のネットワークを通じてテレビのニュース映像が流れている。ガン鉄も映っている。アシモフ・ナイトとの死闘がこれだけ流されているのに、世論は『仲間割れ』と誘導され、ガン鉄も社会の敵になってしまっている。

 唯那は続ける。

「でも、あの時、唯那は思ったんです。どうせ、いずれは愛されなくなるとしても、今愛している雅樹さんを、愛してくれている雅樹さんを殺すなんてできない。だったら、今消えよう。どうせ、いつか消えるんだから、って思いました」

「それが、唯那の心なら、唯那は作りものなんかじゃない。立派な女の子だ」

 薫がまた唯那に手を伸ばして頭を撫でる。

「それで? ガン鉄を調べて何かわかったのか? 勝機はありそうなのか?」

 俺は話を戻した。

「無粋な奴だな、お前は」

 そう言いながらも、薫は怒っている様子はない。いつもの、不敵な笑みを浮かべるだけだ。

 メンテナンスハッチがないかどうか、そこが弱点になるのではないか、など、薫の見解を聞く。だが、結局ガン鉄の表面には継ぎ目らしいものが見当たらない。関節部分には動かすための隙間はあるものの、がっちりと中身はガードされているようだし、組み立て前も、こういった主要なパーツは完成品を取り付けるだけだったらしい。

「突破口なし、か」

「うむ、今のところはな。だが、無敵の兵器など存在しない。必ずどこかに弱点があるはずだ。それは、構造なのか、補給なのか、状況なのか、いろいろな案件の中に、必ず奴らを攻略するヒントがあるはずだ」

 それはそうだろう。ただ、問題はあまり時間がないということだ。

 何か、何かを見落としてはいないだろうか。

 薫の言ったとおり、無敵の兵器などない。ならば、どういった状況や条件で、ガン鉄タイプのアンドロイドを倒せるのだろう?

 唯那タイプは人間に近い。成分まで調べてはいないが、血も通っているようだし痛みもある。おそらく、人間と同じ方法で『殺せる』だろう。

 アンドロイドが死ぬ、消滅する。ん? 待てよ?

「唯那、警察、公安辺りのデータベースにハッキングできるか?」

「えっ……と、はい、できると思いますけど?」

「何をする気だ? 雅樹」

 唯那と薫は気づいていないようだ。一連の事件の中で、アンドロイドが『死んだ』事件があったことに。

 そりゃそうだ。俺たちにとってはテスターが殺された、って事の方が重要なんだ。そして、唯那やガン鉄にとっても、アンドロイドの取った行動自体が衝撃的で、そのアンドロイドが『跡形もなく焼失した』ということに気づいていない。そうだ、俺も情報としては知っていた。だが、気づいてなかった、それが突破口になるかもしれないってことを。

 俺は調べたいことを説明する。

「つまり、こういうことだ……」

 二人はゴクリ、とつばを飲み込んだ。ガン鉄だけが、いつも通り無表情だった。


「防壁の展開をかくにーん。突破しまあーす」

 目をつむったまま、公安データベースへのハッキングを続けること約三〇分。電子の世界でどういう情景が展開されているのはわからないが、唯那は何重にも仕掛けられているセキュリティを順調に突破していく。

「やはり、この子は相当恐ろしい兵器だな。今の時代、この子の力が公になれば、各国の情報部がどれほどの金額を用意してくるか」

 確かにそうだ。今の社会でネットワークの侵犯は企業や国家が最も恐れるものだ。しかも、唯那は足跡を残さない。間土露美のおっさんが作ったとすれば、あれこそ狂気の天才といっていいだろう。

 だが、あれほどの天才であれば、この展開すら予測しているんじゃないだろうか? アンドロイドたちがどんな連中の手に渡るかまではわからないだろう。中にはこうやって、自分に抗う連中が出る、ということは考えなかったのだろうか? そうとは思えない。

 だからこそ、妙なプログラムを仕込んでテスターを殺したり、動かなくなる仕掛けを入れていたんだろう。そして、唯那はそれに唯一抗った。

 唯那は、もしかして進化したのかもしれない。新しい人類とでもいうべき存在に。

「防壁突破しましたあ。データをコピーしてガン鉄さんの端末に送りますね」

 物凄い勢いでデータが映し出されていく。取りあえずコピーが終わってから精査になるが、相当な情報量だ。

「焼失したアンドロイドは全部で一五体ですな。その中には、拙者と同じようなタイプのアンドロイドが五体いる模様ですぞ」

 突然ガン鉄がそんなことを言いだす。

「このデータ、もう読めたのか?」

 俺はガン鉄に尋ねた。なんとなく、申し訳ないがこういう類の仕事が得意そうには見えない。

「拙者もそれなりの電子頭脳を積んでおりますゆえ、ネットワーク機能は乏しいですが、データ処理ならば」

 そう言われればそうか。こいつら、かなり高度な処理能力を持つCPUを積んでいるのは容易に想像できる。唯那がデータのコピーに集中しているため、精査はガン鉄が行なうことにした。

「焼失時の詳細なデータはさすがにありませんが、現場の状況や溶けた残骸から推測できる焼失温度は全て計算されておりますな。誤差を含みますが、平均五〇〇〇度、ということでござる」

『五〇〇〇……』

 俺と薫は息を呑む。

「確か、最も沸点の高い物質でも五五〇〇度くらいだ。この温度なら大抵のものは一瞬で溶けてなくなるだろうが……」

 薫の表情に影が差す。なんだろう。だが、俺はもうひとつ気になることがあった。

「それだけの温度だ。周囲にも相当被害が出るんじゃないのか?」

 五〇〇〇度といえば太陽の表面温度に迫ろうかという勢いだ。突如そんな高温体が現れれば、短い時間でも何らかの被害が出そうなものだが、報道ではほとんど触れられていない。

「たしかに、家屋火災は全てのケースで起こっておりますな。かなりの短時間で焼失したようですので、その程度で済んではおりますが」

 だろうな。

「んー! おっわりー! はあ、唯那疲れました。データは全部唯那とガン鉄さんの端末にコピーしました。唯那、全部ソラで言えますよ? あれ? 薫さん怖い顔……どうしたんですか?」

 唯那の声に、俺もふっと薫の方を見た。色を失っている、と表現するのがぴったりの表情だった。

「おい、薫……」

「ガン鉄……」

 俺の呼びかけを遮り、絞り出すような声を出す。

「お前のアレ、もしかするとそういうことなのか?」

「……拙者も、今そう思いましたでござる」

 なんだ? 二人だけで何かわかりあってるぞ?

「おい、薫、説明しろよ。なんか思い当たったのか?」

 薫はうなずく。そして、一度つい、と視線を外し逡巡したようなそぶりを見せた後、俺の眼を見て話し始めた。

「第一師団に投降する前に、アシモフ・ナイトと交戦しただろう? あの時のことを覚えているか?」

 そう、今思えばあの時の交戦相手はアシモフ・ナイトだ。そして、あの時たしか……

「ガン鉄が言っていたな? 『アレを使わせろ』と」

 俺もその後特に詮索する気もなかったが、何やら秘密兵器めいた『アレ』というものが存在していたのだ。それが今回の件とどう関係があるのか?

「このデータを見て思い当った。ガン鉄の体内にはハイパーテルミットが仕込まれている。こいつは打ち出すこともできるので、あたしは武器だと思ったんだが……」

「ハイパーテルミットってなんだ?」

 聞き慣れない単語だ。俺は軍オタじゃないからよくわからない。

「ああ、そいつは超高温の炎をまき散らす爆弾みたいなもんだ。仕様書では、まさにその五〇〇〇度をクリアできると書いていたが、どうやらこいつは単純な武器ではなかったようだな」

「つまり、拙者を内部から焼き尽くすことも可能、ということでござるな。その燃え尽きたアンドロイドはあらかじめそういうプログラムが仕込まれていたようでござるが、拙者たちの体内テルミットも、もしかすると遠隔操作で、あるいはもう少し先のタイミングで自動発火する危険があるとすれば……」

 ガン鉄の声が沈痛だ。本体の表情こそないが、こいつは充分に人間臭い。

 そして、このテルミットが仕込まれている、という現実は、もう一つの重い事実を確認しなくてはいけない。

「唯那にも、あるですか?」

 震える声。そうだ。唯那も同じ製作過程において作られたアンドロイド。その体内になにが仕込まれているかなど、今となってはわからない。

「唯那にもあるんですか! だったら! 唯那、雅樹さんと一緒になんていられない! いつ燃えるかわかんない! 一緒にいる雅樹さんや薫さんまで巻き込んじゃうかも! そんなの嫌です!」

 立ち上がって、感情をほとばしらせる唯那。大粒の涙が頬を伝っている。唯那はぐしぐしと涙をぬぐい、くるり、と俺たちに背を向けた。

「おい、唯那、どこへ行く!」

 嫌な気配を感じて、俺はすぐさま唯那を制止した。少々乱暴に肩を掴んで、こちらを向かせる。唯那の顔は泣きぬれていた。その心の痛みがダイレクトに俺にも伝わる。

「唯那、もう嫌です! 唯那のせいで雅樹さんが危険なの、嫌です! 唯那の中にもし、そのテルミットがあるなら、唯那、あいつらの所で燃えます! そしたら、そしたら……!」

「もういい」

 俺は唯那を強く抱きしめた。

「雅樹……しゃん……」

 唯那は俺の腕の中で涙声だ。

 俺を傷つけることを避けるために死のうとした娘だ。放っておけば、勝手に戦場に行ってしまいそうだ。

「唯那、俺が危険な目に合うより、お前がいなくなることの方が俺は悲しいし辛い。勝手な行動はするな。生きるも死ぬも、一緒だ」

 ぴゅう、と、後ろから口笛が聞こえる。薫だ。

「でも……でも……」

「大丈夫だ。俺たちを信じろ」

「おい、あたしも入ってるのか」

 後ろから薫が割り込んできた。

「当たり前だ。不服か?」

 俺は首だけで振り返り、ニヤリ、と笑ってやる。

「ふん、上等だ」

 薫もニヤリ、と笑った。


 泣きじゃくる唯那をとりあえずなだめ、俺たち三人は円陣を組む。ガン鉄はいつも通り薫の後ろだ。

 ガン鉄に仕込まれているテルミットは、拳大の物二つだ。胸部に格納されていて、射出可能。射程距離は約三キロ。着弾時に一定の衝撃を受ければその時点で発火する。もし万が一、何らかの緩衝剤によって衝撃が和らいだ場合も、タイマーで発火する。その場合のタイマーは五分だ」

 薫は紙にざっくりとした数字を書きながら説明していく。

「これで間違いないか? ガン鉄」

「御意。兵器のヘルプの通りです」

 ガン鉄はもとより戦闘用だ。テルミットが万が一自爆用であったとしても、兵器としても転用できるようになっていてもおかしくない。

 だが、唯那は?

 この小さな体のどこに、そんな物騒な物があるというのだろう。

 しかし、焼失したアンドロイドの中には唯那のような少女タイプもあった。つまり、例外はないと考えておいた方がいいのだ。

 その動作の条件もわからない。間土露美のやつがリモートコントロールできるのか、一定の条件下で発動するのか。だが、唯那は外的要因で意識を失っても、それは作動しなかった。

「俺の覚悟は出来ている。もし、戦場で何らかの要素が働いて唯那やガン鉄が発火し、それに巻き込まれたとしても、構わない。それよりも、そうなる前にあいつらを倒してしまいたい」

「ふむ、男前だな。あたしも同じ気持ちだ」

 お前も男前だよ、薫ちゃん。

「反対です! それなら、唯那たちだけで戦場に……もがっ!」

「言いっこなしだ」

 俺は唯那の口をふさいだ。あ、手でね。薫たちがいなきゃ唇でふさぐのもカッコいいんだが。

「おいへぼ雅樹、そこはキスでふさぐのが定石だろう?」

 うるせーよ。わかってんだよ。うるせーよ。

「それより、ひとつ気になるのは、こいつだ」   

 俺は報道でずっと流されている情報を目線で示す。

 青蘭と呼ばれる、唯那サイズのアンドロイドだ。こいつが相当な数の『殺し』をやっている。前線で相当死んでいるようだった。

 殺し方にいいも悪いもないとは思うが、こいつは胸糞悪い。すべて直接手を下し、返り血を浴びたその姿をカメラがとらえても、モザイクがかかるほどの物だ。

「薫もこいつに会わなかったのはラッキーだな」

「うむ、そうだな。さすがにこの速さで動かれてはなす術もない。獲物はナイフだけとはいえ、こいつは脅威だ」

 どこからでも姿が見えるアシモフ・ナイトや、動かないケディスよりも、物陰に潜んだり、いきなり現れてナイフを一閃するこいつの方が怖い。こいつをまず仕留めたいところだ。

「あまり気分のいい話じゃないが、こいつを仕留めてバラせば……もしかすると、唯那に仕込まれているテルミットの位置のヒントになるかもしれない」

 仕留める、とは言ったが、これはアンドロイドを殺す、と同義だ。同じタイプのアンドロイドとしての唯那の気持ちは、あまり良いものではないかもしれない。

「作戦を決めよう。あまり、時間はない」

 薫がつぶやいた。そう、新宿はもう陥落寸前だった。


 翌日の午後。

 俺たちは新宿という戦場に立っていた。

 いろいろと準備もあり、この時間になったのだが……

「おい薫、よくこんなもの手に入れたな」

「蛇の道は蛇だ。金さえあればどうにでもなる」

「でも、なんか、すっごく悪者みたいです」

 俺たちは全身を防刃生地に身を包み、特に喉元にはしっかりと防御を決めた。青蘭の殺しの基本が、喉笛を掻き切る、という物だからだ。

 頭からもすっぽりと防刃マスクをかぶり、眼には防弾ガラスを使用した分厚いゴーグルをはめる。

 どう見ても怪しい。

 そして、手には『本物』の機関小銃と狙撃用ライフル。服を含めてすべて自衛隊の正式装備の物だ。一体どこからどうやって手に入れたのか、あまり詮索しない方がよさそうだ。

 何はともあれ、おかげさまでどうやらここに潜入することができている、というのもある。薫の階級章は一佐だ。現場レベルだと結構高いらしい。かなりの犠牲も出し、指揮系統も若干混乱しているため、薫のはったりで見とがめられても何とか切り抜け、ここまで来ることができた。それもこれも、こいつの軍事的知識とこの態度があってこそだが。

 ガン鉄は今のところ潜んでいる。ここにいると目立つうえに、対青蘭としてはあまり役に立たない。あいつの出番は青蘭を始末してからだ。

 俺たちは戦場を見渡せる高台にいる。その眼下に広がる舞台は、まさに地獄絵図、だった。

「ひでえ……」

「う……ぷ……雅樹さん、唯那、気分悪いです……」

 俺の隣で唯那が口元を押さえている。無理もない。この死臭、この情景、俺だって吐きそうだ。

 見渡せる一帯は朱に染まっている。それは言うまでもなく、犠牲者たちの血だ。

 いたるところに遺体が転がり、それらを搬送することもままならない状況だということがよくわかる。報道のカメラには絶対に映らない現実が、ここにあった。

 そして、ひときわうずたかく積み上がった遺体の山。そこに、楽しげに舞を踊りながら、落ちている遺体を拾い集めてデコレーションするかのようにその山に加えていく一人の女。

 それが青蘭。俺たちが今から倒すべき相手だ。

 現在この戦場は封鎖されている。これ以上犠牲を出さないため、というのもあるが、正直この青蘭を攻略できないのだ。

 おそらく青蘭は唯那と同じタイプだ。ガン鉄のように厚い装甲に守られていない分、通常兵器でも殺せるだろう。絨毯爆撃でもすれば言い。だが、問題はその速さと、

「この遺体の山、だな」

 薫は呟く。こいつはこの光景を見ても微動だにしない。防刃マスクの上からではわかりにくいが、むしろ薄く微笑みさえ浮かべていた。

「お前、よく平気だな」

「言ったろう? あたしが始めて戦場を知ったのは一三歳の時だ、と」

 ちら、と俺の方を振り向いて、薫は少し悲しそうな眼をした。だが、それも一瞬だ。

「よし、行くぞ。インカムはつけたな?」

 俺は作戦開始の合図をする。唯那が高台から勢いよく飛び降りた。俺と薫は身を隠しながら、数十メートルの間隔をあけて狙撃ポジションにつく。ま、ライフルなんか撃ったことねえけど、祭りの射的は上手かった口だ。一応薫に教えてはもらったけど。

「おや? お客様かえ?」

 インカムからぞっとするような響きを含む声が聞こえる。青蘭だ。唯那に装備しているインカムのマイクが鮮明に拾っている。

「お客様違います。唯那、あなたを倒しに来ました」

 唯那が啖呵をきる。二人の戦場の上空には、唯那の偵察カメラが上げられており、ガン鉄の端末で様子を見ることが出来る。

 唯那は機関小銃を青蘭に向け、一〇メートルほど距離を取って立っていた。青蘭は、そこらで拾ってきた腕を楽しそうにその山に飾りつけてから、唯那に向き直った。

「面白いじゃなあい? じゃあ、止めてごらんなさいな!」

「あっ!」

 青蘭は恐ろしいスピードで唯那に迫る。だが、唯那とてアンドロイドだ。その反応速度は人間よりはるかに速い。

 唯那はとっさに体をかわし、青蘭の突進を避ける。唯那の位置をはるかに通り過ぎた青蘭は、ギラリと光る短刀を構えたまま、唯那を見返る。

「おや、あんたアンドロイドかい?」

 青蘭はいまさらというように尋ねる。同属を感じ取る力がないのか、そもそもそんなことはお構いなしの殺人衝動があるのか、わからない。

「そうです! 唯那、あなたの姉妹です! でも、あなたを許せません! あなたはどうして、どうしてこんなにむごく人を殺せるのですか!」 

「惨い? なんだいそれは? 見てごらんよ、美しいじゃないか。この赤一色に染め上げられた大地。恐怖にゆがんで倒れ伏した男たち。ゾクゾクしないかえ?」

 青蘭はさも楽しそうに恐ろしい事を言う。唯那はキッとにらみつけ、銃の照準を青蘭に向けている。

「おい薫、撃てそうじゃないか?」

「焦るな。一発外したらもうゲームオーバーだ。チャンスを待て」

 インカム越しにも、俺と薫はひそひそと会話をする。青蘭の聴力がどの程度かはわからないし、もしかすると既に気づかれているかもしれない。

 それでも、ワンチャンスに賭けるのだ。照準サイトには青蘭の姿を捕えている。俺の腕でも、仕留められそうだ。

 だが、唯那が自衛隊の戦闘データから得た情報では、照準に捉えて撃ったとしても、避けられて当たらない、ということらしい。なにかよほどの足止めか不意打ちでなければ難しいのだろう。

 そういう意味で、俺たちは無策かもしれない。唯一、自衛隊にない切り札が、同じアンドロイドの唯那である、というだけだ。

「青蘭さん、今からでも改心しませんか! 唯那、できれば撃ちたくないです!」

「おやおや。優しいお嬢ちゃんだ事。お礼に、最も美しい死に花を咲かせてあげようかねえ? そう言えば、アンドロイドをばらすとどうなるのか、あたしも興味津々だよ?」

「くっ!」

 刹那、照準から青蘭が消え、唯那の短い叫びと銃声が響く。俺は照準から目を離して戦場を見渡す。

 青蘭は何とか動きを終えるという速さで、唯那に攻勢を仕掛けていた。唯那もそのスピードに負けず劣らず、後ろに左右に身体を跳躍させて避けつつ、時折機関小銃を撃っているが、やはり当たらない。小銃のおかげでかなり牽制は出来ているようだが、それもいつまで持つか。

「あ」

 俺がそう思った時、唯那の小銃の弾が切れた。青蘭がすかさず間合いに入り、その手に持つナイフを閃かせた。

 ぢん。

 マイクが鈍い金属がぶつかり合う音を拾う。

「おや、よく受けたねえ」

「ゆ、唯那だって、戦闘用アンドロイドです!」

 唯那は腰に差していたアーミーナイフでかろうじて受け止める。だが青蘭の勢いを殺すことは出来なかった。そのまま押し切られ、思い切りよく弾き飛ばされる。

「あうっ!」

「きゃははは! 終わりだよお嬢ちゃん!」

「唯那!」

 俺はとっさに立ち上がり、照準もそこそこに引き金を引いた。その銃声に驚いたのか、青蘭は唯那のそばから飛びすさった。

 助かった。そう汗を拭おうとした時だった。

「雅樹!」

 え?

 俺は突き飛ばされた。

 尻餅をついた俺は驚いて振り返る。まるでスローモーションのように俺を突き飛ばした薫が迫り来る青蘭の前に立ちふさがり、青蘭の手にするナイフが薫の喉笛を掻き切った。薫は喉から鮮血を吹き出し、その勢いで俺の方まで倒れ込んできた。

「か、薫!」

 咄嗟に彼女を抱きとめる。ぬるり、とした赤いものが俺の手や体に勢いよく降りかかる。それは、すぐに勢いを失い、コポリ、という音を立てて止まった。

 なんだこれは?

 背中を嫌な感覚が走り抜けていく。薫は微動だにしない。ぐったりとその身体を俺に預けたまま。

「う、うわあああああ!」

 俺は機関小銃を乱射した。

「ちっ」

 それによって、青蘭は一旦俺から距離を取る。唯那と戦っていた場所から直線距離でも数百メートル。高低差二〇メートル以上あるというのに、まさに一瞬の襲撃だった。

「ま、雅樹さん! 薫さん!」 

 ほんのわずか遅れて、唯那が俺と青蘭の間に立った。丁度、俺と青蘭の間、二〇メートルほどの距離の中間地点だ。

「薫! おい薫!」

「か、薫さん! く……青蘭! 許しませんよ!」

 唯那は俺と青蘭の間を動かない。

 俺は何もできなかった。一瞬で、薫を失ってしまった。

「ちきしょう……ちきしょうこの野郎!」

 俺の中で何かが外れた。恐怖も理性も何もかもがなくなった。

「うわあああああ!」

 俺が銃を持って駆け出すのと、一気に加速した青蘭が立ちはだかる唯那を突き飛ばして俺の眼前に迫るのはほぼ同時だった。やはりスローモーションのように鮮明に、何もかもが見える。突き飛ばされた唯那は何かを叫びながら、高台から落ちて行った。青蘭はおおきく振りかぶったナイフをまさに俺の喉笛めがけて振り下ろそうとしている。

 本当に鮮明に映像が見えているのに、身体が全く動かない。思考だけが冴えていて青蘭の動きについていっているようだ。

 引き金を引け! 今なら当たる!

 そう身体を叱咤するものの、指先はピクリとも動かない。

 そして、真っ赤な鮮血が目の前を覆う。やられたのか。意外と痛くないもんだな。薫、俺もそっちへ行くぜ。唯那を置いていくのは心残りだが、俺たちが死ねば逃げろ、という打ち合わせだ。何とかやってくれるだろう。

 視界から青蘭の身体が傾いていく。俺はもう体の感覚がわからない。倒れていってるんだろうか? そして、倒れきった時、俺の命は終わるのかな……

 漠然とそんなことを考えていた時、突如後ろから数発の銃声。

「雅樹、撃て! いまだ!」

 はっと意識が覚醒する。体も動く。

 俺は、目の前で体をくの字に折り曲げ、今まさに後ろに倒れ込もうとしている青蘭に向けて掃射する。

「うあああああああ!」

 引き金を引けた。秒間数十発という弾が青蘭を雨のように叩く。その度に鮮血がほとばしり、身体は奇妙なダンスを踊っているかのように弾け、バランスを崩して高台の縁からさっきまでの戦場へと落ちて行った。直後、激しい閃光とともに火柱が上がる。

「ちっ、作戦は上手くいったが、サンプルを得ることはかなわんか」

「え?」

 後ろから聞き慣れた声。そうだ、後ろから青蘭を撃ったのは……

「か、薫! お、お前、生きて!」

「生きてちゃ悪いか」

 薫は喉元の防刃マスクをめくる。すると、分厚いゴムのような塊と、血糊の入った袋がポトリと落ちる。

「あいつの手法はほぼ一〇〇パーセント喉を斬る。わかっていればトリックを仕込むのは造作もない」

「そですよー。唯那上手くお芝居しました」

 なに?

 いつの間にか、落ちたフィールドからこちらへ戻っていた唯那が悪戯っぽく微笑んでいる。

「おい、説明しろ」

 俺は怒りとも安堵ともつかない、何とも言えない表情をしていると思う。この感情をうまく表現できる言葉を、俺は知らない。


「なるほど、いっぱい食わされたって事か。俺にも一言教えとけよ」

「男は顔に出るからな。信用できん」

 また、ニタリ、と薫は笑う。この笑みは全く悪魔の笑みだ。

「雅樹さんごめんなさい。薫さんが絶対言うなって。唯那、雅樹さんに初めて嘘つきました。ごめんなさい」

 唯那はえらく反省顔だ。もともと主人に絶対服従のアンドロイドが、嘘をつく。そこまで唯那の人格プログラムは成長しているのだろう。

「まずはひとつ脅威が消えた。これは喜ぶべきことだが、サンプル回収が出来なかったのは痛いな」

 薫は顎に手を当てて神妙な顔だ。彼女にとっては作戦完全成功、とはいかなかったようだ。

 俺たちは戦場を見渡す高台から移動し、新宿の主戦場に近いビル群の一角に身をひそめていた。あの遺体の山と死臭漂う地に長くいるのは耐えられなかったから。

 アシモフ・ナイトへの対抗策を検討中の自衛隊は攻撃をストップしている。交戦相手がいない今、アシモフ・ナイトもただ新宿中心地へ屹立しているだけだ。周囲は静かで、ここが戦場とは思えない。 

「唯那見ました。青蘭さん、お腹の当たりから発火しました。録画見ますか?」

 ガン鉄の端末にその時の映像が映る。唯那、録画機能まであるのね……

「なるほどな。まあ、人型であるならこの位置が妥当だな」

 動画を見ながら、薫は呟く。発火から焼失まで一秒もかかっていなかった。

 唯那はそれを見ながら、お腹をさすっている。

「唯那、大丈夫か」

「あ、はい……怖いけど、大丈夫です……でも、青蘭さんの場合を見ても、一定のダメージを受けると発火するみたいですね。もし、唯那がダメそうなら、お二人とも離れてくださいね。巻き込んじゃうから」

 俺は唯那の肩を抱いて引き寄せる。

「そんなことにはならない。なっても、俺はお前のそばを離れない」

「え」

 これは本音だ。唯那にあって数日だ。だが、俺は、彼女のために命を懸けていいと思っている。実際懸けてるが。

 唯那は真っ赤になって俺を見上げている。ダメだ、超絶かわいい。

「ん」

 唯那は目をつむる。少し上向き加減に唇を差し出して。俺は彼女に口づけする。甘い香りと幸福感に支配される。ここが戦場だというのに、そんなことは関係なくなりそうだ。

「あー」

 刹那、薫の声が聞こえた。あ、忘れていたわ。思わず俺は赤面する。

「キスで塞ぐのは定石といったが、まあなんだ、いいものを見せてもらった」

 またもや薫は嫌な笑みを浮かべていた。まずった。だが、唯那はご機嫌でゴロゴロしている。まあいいか。

 俺は気を取り直す。

「で、どうする? ここからアシモフ・ナイトまではすぐだ。昨日の作戦通りでいいのか?」

「ああ、それで行こう。自衛隊のいない今しかやれない。ガン鉄の到着を待って作戦を開始しよう」

 薫は端末に向かって宣言する。

「ガン鉄、発進だ。最終決戦、お前に預ける」

『御意!』

 威勢のいい返事が返ってきた。ガン鉄からすれば武士冥利に尽きるだろう。

 そしてすまない。またお前の飛び立つ雄姿を(以下略)。 


 アシモフ・ナイトは新宿都庁舎を人質にとるように、そのたもとに立っている。

 ニュースは新宿の戦闘が一時休止になっているため、こちらにはあまり報道陣がいない。それでも、ガン鉄との戦いになれば、すぐに気づかれるだろう。

 なんとしても、自衛隊が来る前にカタをつけねばならなかった。

 故に、俺たちはガン鉄をここには投入しない。

 薫のサイドカー付きバイクに乗って、戦場を移動する。目的地はここから二キロ先だ。

 薫は現状を確認する。

「ガン鉄、聞こえるか? 合流地点まで五分だ。そちらは?」

『こちらはあと三分で到着です』

「よし。到着後すぐに作戦を開始する」

『御意』

 いよいよ終わる。この戦いが終われば、俺たちは再び平和を得ることができるのだろうか? あいつらを倒したところで、俺たちの身元は当局にばれている。その後どうなるかなんてわからない。

 それでも、俺たちは奴らを止める。止めなければならない。後の事は後で考えるさ。

「唯那、各方面の動き、変化ないか?」

 俺は確認をする。唯那は常にネットワークと電波を監視しているのだ。

「はい、変化ありません。報道関係は待機中。自衛隊も動きなしです。リアルタイムのレーダー検索も……」

 唯那が言葉を切った。

「おい? どうした?」

「ケディスさんがいません。ついさっきまでいたんですけど……」

『なんだと?』

 俺と薫の声がユニゾンした。

 今まで微動だにしなかったケディスが動いた?

「おい薫……」

「むう、これは予測していない不確定要素だな。戦闘能力も不明だ。まずい」

「唯那、ケディスの行方わかるか?」

「え、ええと……」

 唯那は集中する。レーダー索敵範囲を広げているようだ。薫は一旦バイクを止めた。

「……いました! 前方二キロ地点。ガン鉄さんとの合流地点です!」

「まずいぞ!」

 唯那の報告を聞くや否や、薫はアクセルを全開で発進した。

「ガン鉄! 聞こえるか! 合流地点にケディスだ! 注意しろ!」

『薫殿! すみませぬ! 交戦状態に入りました!』

 最悪の展開だ。戦闘が始まればマスコミや自衛隊が動くかもしれない。そうなるとテルミットによる殲滅はやりにくくなる。

「ちっ」

 薫は短く舌打ちをする。

 そうこうしている内にも合流地点に近づいてきた。すでに金属が打ちあう音が聞こえてくる。そして、二体の戦場が視界に入った瞬間。

『逃げてくだされ! 近寄ってはなりませぬ!』

 端末からガン鉄の絶叫。即座に薫はバイクを止め、接近をやめる。直後、組み合う二体の間から火柱が上がった。

「ケディス! やりやがった!」

 今までの状況から、全てのアンドロイドにこのテルミットが内蔵されていることは予測できる。だが、ほとんどの場合は自爆用と思えた。だが、ガン鉄には射出能力がある。つまり、同タイプと思われるケディスとアシモフ・ナイトもその可能性があった。だが、この局面でケディスが動いてこれを使うことは予測できなかった。

「ガン鉄! 離脱できるか!」

『ぎょ、御意! いったん離脱いたしま……ぬうお!』

「なんだ! どうした!」

 薫が叫ぶ。だが、ガン鉄から応答はない。

「唯那、現場の温度どれくらいだ? どこまで近づける?」

「えっと……少し落ち着いてるようですが、それでも三〇〇〇度はありますよ? ギリギリ、ガン鉄さんを視認できるかってところです」

「薫、行くぞ。ガン鉄を失うわけにゃいかん」

「雅樹……」

「ぼーっとすんない! 行け、薫!」

 あっけにとられたような顔をしていた薫は、きゅっと口元を結び、頷いた。バイクはフルスロットルで駆けていく。

 高温のテルミット弾を射出した現場は、幸いほとんどが瓦礫のため、燃え移るような物はなかった。

 それでも、鉄筋などは溶解し、コンクリートすら溶岩のように赤くゆらめいている。灼熱地獄の中で、二体のアンドロイドはまだ打ちあっていた。だが、少々様子が異なる。

「おい、ガン鉄もケディスも、ダメージひどいぞ」

「う……」

 薫は眉をしかめる。

「ガン鉄さん! 右腕が!」

 そう、ガン鉄の右腕はもぎ取られたかのようになくなっていた。だが、たった今、ケディスも頭を潰され、今やほぼ沈黙しているようにビルにもたれかかって動きを止めていた。

「ガン鉄!」

『か、薫殿! このような危険な場所に来てはなりませぬ。すぐ、離脱しますゆえ……』

 ガン鉄の声はまだしっかりしていた。右腕をなくしたダメージはあるだろうが、機能的に問題はないようだ。

「あ! ガン鉄さん! は、早く! アシモフ・ナイトがこっちに!」

「何! おい、ガン鉄! 即時離脱だ!」

『御意、わが殿』

 だめだ、奴らもさすがにこの一連のアンドロイド群だ。ガン鉄や唯那が素晴らしい能力を持つのと同じく、奴らも異常に高性能だ。

 こちらの手の内をいち早くキャッチして動いている。考えてみればケディスはネットワークの浸食をしていた。唯那と同程度の機能を持ち、こちらの動きを知ることは可能だったのだ。

 瓦礫を踏み砕きながら走ってくる地響きが聞こえる。アシモフ・ナイトだ。だが、ガン鉄のいる戦場の手前まで来て、それは止まった。その間にガン鉄は無事戦場を離脱する。ちょうどそのころ、上空には騒ぎを聞きつけた報道のヘリが展開されていた。

「おい薫、映るな」

「もうなりふり構ってられん。ガン鉄を回収後、速攻に出るぞ。アシモフ・ナイトもやはり高温には弱いのだろう。あそこの温度が下がらなければ、こちらへは来ない。ガン鉄と違って移動手段は徒歩のみのようだからな」

 ガン鉄とはその後、さらに数キロ離れた所で合流を果たす。だが、すでに報道のヘリも引っ付いてくる有様だ。何とか場所を特定されないように隠れながら、瓦礫の山に身をひそめる。

「唯那たち、映ってますよ」

 唯那がガン鉄の端末に映像を飛ばす。鮮明に、俺たちは撮られていた。

 テロップのあおりは『最後に残った凶悪なアンドロイドとそのテスターがついに映像に!』と来たもんだ。さすがに俺たちにはモザイクがかかってはいるが、報道機関によっては外すかもしれんな。

「ガン鉄さん、大丈夫ですか?」

 唯那が心配げに切断面をさすっている。ガン鉄の言によると、ケディスにもぎ取られた、ということだ。今までどんな攻撃にもびくともしなかったガン鉄なのに。

「温度の影響は思ったよりありますな。あの高温化では強度が下がり申した。不覚を取り、情けない限りでござる」    

 ガン鉄は少ししょげているようだ。声のトーンが小さい。

「ガン鉄、作戦続行だ。行けるか?」

「無論でござる。拙者、薫殿のために命を懸けまする」

 ガン鉄は気丈に返事をする。だが、薫の声は厳しい。

「勘違いするな。あたしはお前を失いたくない。必ず、帰ってこい」

 その声は力強い。絶対的な命令としてガン鉄に響いたようだ。表情のないはずのガン鉄が、少し微笑んだような気がした。

「御意。わが殿」

 短く、いつものように答えた。

「唯那、切断面の様子はどうだ?」

 俺もその場所によじ登って、見てみる。もぎ取られた、というだけあってメチャメチャだ。だが、内部構造が露出しているようにも見えない。

 肩からもぎ取られたんだ。関節や配線など、見えてもよさそうなんだが。

「傷口は塞いだのか?」

 俺はガン鉄に聞いてみた。

「拙者たちアンドロイドには自己修復機能がござる。機能中枢さえ生きていれば、この腕も再構築可能なのでござるよ。まあ、日数はかかりますが」

「つまり、その過程としてここは塞がってると」

「そうでござる」

 なるほど。そう言えば、唯那もそんなこと言ってたな。

「合点がいった。お前、組み上がってからも自己修復機能が働いていたな? それで継ぎ目が完全に消えたんだ」

 薫がはたと手を打って納得する。

 そうか、つまり、継ぎ目も傷と認識され、起動すると全てつながるってことだな。

「拙者の傷は構わないでくだされ。それよりも、戦況は」

 武士だな、こいつ。本当に根っから。

「薫」

「ああ」

 短い言葉、それで俺たちは通じ合える。なんだよ、十年来の恋人みたいじゃねえか。過ごした時間の密度が濃すぎるんだな。

「作戦を確認する。戦場が移動したが、対象は一体に減った。だが、報道に気づかれる前に、という部分は失敗だ。もう、逃げも隠れもせずにやるしかない。後の事は、後の事だ」

 俺たちはうなずく。もう覚悟は出来ている。

「アシモフ・ナイトまでは約二キロ。唯那のレーダーを照準器としてガン鉄に情報を転送。テルミットを射出。アシモフ・ナイトの沈黙を確認次第、我々は……投降する」

 投降。そうだ、これは俺たちが考えに考え、たどり着いた結果だ。

 敵性アンドロイドの全てが沈黙すれば、俺たちが投降して騒動は終了だ。唯那たちの保護を含めて、『お願い』するしかない。その為には『社会を守った』という客観的事実が欲しい。アシモフ・ナイトの沈黙、それが、最後の課題だ。

 もちろん、それが受け入れられない場合もあるだろう。その時は、俺たちは逃げる。そう決めていた。

 俺は先頭切って立ち上がり、号令をかける。

「じゃあ行こう。唯那、アシモフ・ナイトは捉えてるか?」

「はい! 問題ないです。現在地より二二三四メートルと一二センチ八ミリです!」

「ガン鉄、確認できてるか?」

「御意。問題ありませぬ」

 薫の言葉にガン鉄はしっかりと答え、ゆっくりと体を起こす。右腕がないのはやはり痛々しい。 

 そして俺たちは瓦礫の山を抜ける。アシモフ・ナイトを狙撃するに必要な視界の開けた場所。

 最後の決戦場。ヘリが飛び交う中、俺たちは堂々登場した。


 時として、残酷な問題はすぐに発生する。

「わが殿……射出機能に故障が……う、撃てませぬ……」

 ガン鉄の声が震えた。彼の中ではここ一番での失態、ということになるのかもしれない。胸の部分はフルオープンになり、テルミット弾が露出している。だが、撃ちだすことが出来なければ、作戦がそもそも成り立たない。

「さっきの戦闘で不具合起きたんじゃねえのか? 直りそうか?」

「雅樹殿、面目ござらぬ。時間をかければ修復するでござろうが、右腕の方もありますれば、数日では……」

「むう……」

 薫は爪を噛む。だが、すぐに打開策が出ようはずもない。報道は面白おかしく俺たちの行動をあおり、これからの展開を予想する無責任なコメンテーターがひどいコメントを垂れ流す。

「かくなる上は」 

 ガン鉄が決意めいた抑揚で言った。

「拙者がアシモフ・ナイトの元へ赴き、このテルミットを直接ブチ込んでまいります」

「ダメだ」

 即座に薫が却下する。

「『言っただろう、お前を失いたいくないと』」 

 薫が言う前に俺が行ってやった。薫は憮然としつつも、少し顔を赤らめて俺を睨む。

「茶化すな、バカ」

 とはいえ、冗談を言ってる場合ではない。どうすべきか、妙案も浮かばない。

「あの」

 唯那が手を挙げた。

「ちょっとガン鉄さん診ていいですか」

 唯那はそういい置いて、オープンになったガン鉄の胸のハッチを覗き込む。報道の動向も気になるが、もう構ってられない。

 唯那はガン鉄に向かって手のひらをあてている。

「何してんだ、唯那」

「超音波診断してます。唯那の能力の応用です。ガン鉄さんの内部のどこが壊れてるのか、調べてます。自分の診断には使えませんけど」

 唯那は少しばつが悪そうにはにかんだ。そうか、これが自分にも使えれば、自分のテルミットの有無や位置もはっきりわかるのだろう。

「どうだ?」

「電気系統の接触故障のようですね。テルミットの射出装置の手前で断線してます」

 俺たちにはよくわからないが、優秀な演算装置を積むアンドロイドである唯那にはわかるようだ。天然系と思っていたが、やはり彼女はアンドロイドなのだ。

「では、撃てそうか?」

 薫も不安げに覗いてくる。こうしている内にも戦況は変化していく。三体のアンドロイドとテスターが姿を現したことで、自衛隊も再始動を始めた。アンドロイドの制圧と、俺たちの確保に。

「撃てます、けど……」

「けど、なんだ」

 唯那は俺の顔を見て、少し悲しそうな顔をした。

「撃てますけど、唯那の身体を通して線をつなぎます。暴発の危険もあります。ここでは撃てません。だから」

 唯那がにっこりとほほ笑んだ。

「ここでお別れしますね、雅樹さん、薫さん」

『え?』

 俺と薫は同時にそう言った。

「おい、何言ってんだ、唯那」

「だって、万が一上手くいかなかったら、アシモフ・ナイトを倒すこともできないまま、みんな燃えちゃうんですよ? それなら、失敗することも考えたうえで、できるだけ至近距離で、他に被害が出ないところで撃つべきです。唯那、もうそういう事わかります」

 満面の笑顔。そこには、心の底からの笑顔が浮かんでいた。

「唯那、だけど、それは」

「雅樹さん、神様信じてみてもいいって、言いましたよね?」

 俺の言葉をさえぎって、唯那がそんなことを言いだした。それは、意識を失った唯那が目覚めた時に、俺が言った言葉だ。

「きっと神様はいます。だから、唯那は生まれた。だからガン鉄さんは生まれた。そして雅樹さんと、薫さんに会ったんです。だから……」

 つい、と、唯那の頬を涙が伝う。

「だから、きっと次も会えると思うんです。きっと、神様は、だって、唯那は――」

 笑顔が泣き顔に変わる。もう、見ていられない。きっとおれの顔もぐちゃぐちゃだ。薫は軍用ベレーを深くかぶって、表情を隠している。

「唯那は、雅樹さんを愛しています。薫さんのこと大好きです。だから、さよならは言いません。また、会いましょうね。ガン鉄さん!」

「御意、唯那殿!」

 唯那がひょい、とガン鉄の身体につかまると、ガン鉄はそのまま空へと舞いあがった。こんな形でお前の飛び立つ雄姿なんか見たくない!

「ガン鉄! 行くなあああああ!」

 薫が絶叫する。あのクールな薫がなりふり構わず、泣き顔をさらしていた。

「おまえは、お前はまたあたしを一人にするのか! そんなことは許さない! 許さないぞ! 戻ってこい! 唯那! お前もだ! お前はあたしの戦友だ! 友だ!」 

「そうだ唯那! お前、俺の恋人になるんじゃないのか! 一方的にお別れなのかよ! 戻ってきやがれこの野郎!」

 俺も精一杯叫んだ。だが、ガン鉄はあっという間に空に消えた。そして、端末から声がする。

『薫殿、命令違反の咎、帰還してから受けまする。ですから、それまで、どうかご容赦を。雅樹殿、唯那殿は必ず、必ずお守りいたす。不肖ガン鉄、戦いは生き抜いてこそ勝利、と薫殿より教わり申した。消滅など、いたしませぬゆえ』

 ガン鉄はそう言う。だが、分が悪い勝負だ。至近距離からテルミットを撃って、巻き込まれない保証はない。しかも、すぐにアシモフ・ナイトが行動不能になるとは限らないのだ。

「ガン鉄! 戻れ! まだ間に合う!」

「唯那!」

 俺たちは瓦礫の山を走り出す。

 見届けなければ。

 俺たちが出会ったことの結末を。

 もしそれが、不幸な結果になったとしても、俺も薫も後悔はしない。

 俺にとって唯那は天使だった。

 薫にとってガン鉄は戦友だった。

 二人にとって、二人は得難い存在だった。

 足がもつれる。

 焦るばかりで前に進んでる気がしない。

 薫がつんのめった。俺が支える。

 いくら走っても、唯那とガン鉄の姿は見えない。

 もたもたしているうちに、自衛隊のヘリらしきものが上空に滞空している。ロープが降りてくるのが見えた。

 俺たちは走る。走り続ける。

 もう足が言うことを聞かない。肺が悲鳴を上げている。涙で前が見えない。

 それでも、俺も薫も走る。

「くそ! 離せ!」

 気が付けば、後ろから俺たちを拘束しようと手を伸ばし、服の裾を掴んでくるレンジャー隊員がいた。

 一人、二人、そいつらをかわしながら走る。だが、もう限界だ。何の訓練も受けていない人間が、精鋭のレンジャーに追いつかれないわけがない。

 俺と薫がレンジャー隊に確保されたと同時に、はるか前方で爆炎と火柱が上がった。

「唯那あああああ!」

「ガン鉄うううう!」

 地に伏した俺たちの絶叫が空しく響く。

 この日、新宿内戦は終わりを告げた。


 公式報告。

 敵性アンドロイド一〇八体の全ての確保、あるいは消滅を確認――

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