第五章 美少女アンドロイドは王子様とキスをしました

 都心は混乱していた。突如現れた三体のアンドロイドが、新宿副都心を席巻している。

 一体は黒く細身で、身長は三メートルほどあるだろうか。そのアンドロイドは自衛隊の度重なる砲撃にもびくともせず、悠々と破壊活動を楽しんでいた。ところどころ角ばった先鋭的なシルエットが禍々しさを助長している。

 もう一体は、同じく黒い丸みを帯びた胴体と手足を持ち、ある場所に陣取ったまま動かない。こちらも一切の攻撃を受け付けず、ただそこに在りつづける。

 そして最後の一体。

 ここに来て初めて確認された個体は、少女然とした外見をしたヒューマノイド型だった。眼にもとまらないスピードで攻撃隊に切り込み、一人ずつ朱に染めていく。

 手にした小さなナイフで即死しない程度の、だが、致命傷を的確に与えていく様は、死の女神と言ってもいい振る舞いだった。その顔には残忍な笑みが浮かんでいるようにも、恍惚の極みが浮かんでいるようにも見えた。

「くっくっく。みな良い働きだ。一〇八体からここまで絞り込んだ奴らじゃ。良い仕上がりになっておる」

 間土露美は戦場から少し離れたところで、アンドロイドたちの活躍をご満悦な表情で眺めていた。

 配布した一〇八体のアンドロイドに設定された様々な仕様、性格、取ってきた行動、それらは全て間土露美の手元に揃っていた。そして、それをより濃い物として抽出し、悪意に満ちた少女型アンドロイドは次々と、華麗な舞を踊るように敵を殺傷していく。

 少女が舞うたび、赤い血煙が上がる。

「アシモフ・ナイトよ。貴様は都庁舎の破壊に移れ。もういらぬよ、その建物は」

 間土露美は手元の端末に向かって命令する。アシモフ・ナイト、と呼ばれた破壊行動を続けているアンドロイドは、ぐるりと方向を変え、そびえたつ新宿副都心の象徴、東京都庁舎に標的を変えた。

「ケディスよ、銀行ネットワークの侵入はどうか? 速やかに海外口座への送金をはじめよ」

 戦場の中で鎮座したまま動かないもう一体の黒いアンドロイドは、ただ黙々と見えない電子の世界で略奪を繰り返していた。莫大な金額が表から闇へと移動されている。

「青蘭(チーラン)よ、殺戮の限りを尽くせ。弱い防衛など不要じゃ。これからは我らアンドロイド軍が諸国を圧倒するのじゃ! 行け、我が子らよ!」

 ひゃひゃひゃ、と狂気じみた笑いを浮かべ、手には祝杯なのか、ウイスキーのボトルが握られている。間土露美はそれを無造作にあおって飲んでいた。

「新しい物を作るには、一度壊さねばな。壊れろすべて壊れてしまえばいいんじゃ。力を配れば、おのずとその使い方を誤る奴がいる。今度こそ、我が悲願を成就してやる! ひゃひゃひゃひゃ!」

 破壊は続く。それは、物理的、経済的、人的破壊の全てを同時進行していく、世界でもいまだかつてない恐ろしい破壊だった。

「じゃが、あの二人を逃がしたのはまずかったかの? 人類はまた未来に抗うつもりか? まあ、それも一興じゃがな」

 老人は狂気の笑いを収め、ふと、空を見やった。

「まあ、今回、わしの役目はここまでじゃ。後は、見せてもらおうかの」



 蓮杖雅樹と東條薫は逃げた。

 咄嗟にアンドロイドの少女、唯那の身体を抱きとめ、脇目も振らず逃げたのだ。老人一人、脚で振り切るのは難しくはなかった。二、三発、銃声が聞こえたが、防弾チョッキのおかげで難を逃れていた。

 唯那が銃口をこめかみに当て、まさに撃とうとした直前に、薫が雅樹を蹴り飛ばし、横合いから飛びかかってスタンガンを唯那の首にあてたのだ。

 そのまま唯那をかっさらい、何とか姿をくらまし、ほとんど人のこないうらぶれたガード下にたどり着いていた。

「おい! 唯那! 目を覚ませよ!」

「すまん、とっさにやったが、アンドロイドにどんな影響が出るかまではわからん。だが、あそこで撃っていれば間違いなく唯那は『死んで』いただろう」

 薫は雅樹に対して謝罪する。だが、雅樹とてあの状況下では薫が最善を尽くしたことが理解できる。

 小さな胸が呼吸で上下している。完全な機能停止には至っていないようだ。そうだ唯那は呼吸をしている。アンドロイドなのに。

 本来は必要ないのに、人と見せるために偽装されているのか、それとも、本当に呼吸をしているのか。

 雅樹には、唯那がアンドロイドにはもう見えない。一個の人格と意思、そして、自己犠牲の精神まで持つ人間だ。

「唯那が目を覚まさない限り、ネットワークからの情報は使えん。こいつはまずい」

 ガン鉄の機能だけでは今までのような豊富な情報網を駆使できない。ガン鉄と唯那、二人ワンセットでこそ強力な布陣を展開できるのだ。

「ちきしょう! 情報が欲しい! 唯那を治せる情報が!」

 雅樹は歯噛みする。だが、そんな情報はネットワークや、世界中の研究機関の蔵書を調べても載っていないだろう。唯一、あの狂える老人の頭の中にのみ、それは存在しているのかも知れなかった。

 あるいは、それなりの設備を持つところへ連れて行けば、何か打開策が浮かぶかもしれない、と雅樹は考える。だが、それは病院なのか、研究所なのか。

 研究所だとすれば、どこへ行くのが妥当なのか。そもそも、自分たちは追われる身だ。受け入れてもらえる場所などあろうはずもない。

 薫は静かに雅樹と唯那を見つめる。何か、何かできることはないか、と必死に考えを巡らせる。

 間土露美のもとから逃げ出してもう数時間は経っている。あの後、招集に応じたテスターはどうしただろうか。アンドロイドたちはどうなっただろうか。

 気になることはたくさんある。だが、まずは唯那を救いたい、という気持ちは薫も同じだ。

「ガン鉄」

「御意、わが殿」

 待機しているガン鉄の端末が返事をする。

「お前の機能で、どこまで情報を収集できる? 唯那を救いたい」

「薫、お前……」

「そんな顔をするな。我らは同志だ。唯那を救いたいと思うのはあたしも同じだ」

「拙者もでござる。ですが、拙者の機能はネットワークに特化されておりませぬ。受信機能としては、唯那殿のような強力なネットワーク機能を持つ相手からの受信か、あとはせいぜいラジオ程度でござる」

「うむ、ラジオでいい。少し聞かせろ」

「御意」

 しばらくすると、端末から国営放送のニュースラジオが流れる。

『……新宿副都心に突如集結したアンドロイド三体は、現在機動隊や自衛隊と激しい戦闘に突入しています。周囲五〇キロは完全避難区域となり、交戦の中避難が進められていますが、現場では情報の交錯もあり、パニックになっている模様です』

 恐れていたことが起こっていた。間土露美のもとに集結したアンドロイドは、本格的に首都を落としにかかっている。

 この状況下でできること。あまり多くの選択肢はない。

「雅樹、あたしは戦場へ行く」

「薫!」

「事ここに至って、あたしやガン鉄にできることは、あの戦場へ赴くことだ。結果がどうなるかはわからない。だが、三体ものアンドロイドを相手に、日本の戦力がどの程度対抗できるかなど、予想するのもあほらしい。ぐずぐずしているとアメリカや他国の軍隊の介入を招くことになる。少なくとも、アンドロイドのうち一体は日本という国側に立っている、と証明するだけでも意味はある」

「だけど、俺たちゃ追われてるんだぜ?」

「承知の上だ」

 薫はすっと立ち上がる。ガードの上を電車が通過し、ひとしきり騒音をまき散らして去っていく。

 ほぼ同時に、ガン鉄から流れるラジオの放送にノイズが入り、プツン、と放送が途切れる。

「うん?」 

 薫は怪訝な顔でスピーカーに耳を近づけるが、何も聞こえない。

「ガン鉄、どうした?」

「わかりませぬ、突然電波が途絶え……む、また入ってきましたぞ」

 ザザザ……と再びノイズ音がしたかと思うと、突然しゃがれた男の声で放送が再開される。

『日本国民の諸君、おはよう。平和な国を堪能しているかね?』

「おい、この声」

「うむ、奴だな。さては電波ジャックをしているな」

 予想外の放送が入ったことで、薫は再び雅樹の隣に腰を下ろした。

『諸君らの平和は仮初である。周辺諸国には多くの危機がはらみ、防衛の抑止力として外国の軍隊に頼っている。日本の防衛組織がいかに無力であるか、この間土露美が証明して見せよう』

 狂気だった。この男の演説には狂気がはらんでいる、と二人は感じた。つい数時間前、実際に相対した時にも、平然と狂った思想を話す様子に違和感を持ってはいたが、今の演説の口調には、より明確な狂気がデコレーションされている。

『そして、その無力を証明した後、わしは要求する。わしのアンドロイドを国防のために採用せよ。さすれば戦闘は終結し、日本は世界でも最強クラスの機動兵器を手にすることになる。政府はより迅速な判断を行ないたまえ。犠牲が拡大せぬうちにな。それでは、しばし戦闘を楽しもうではないか。我がアンドロイドの性能試験と思ってくれたまえ』

 そして再びノイズが走ったかと思うと、通常の放送に戻った。だが、各局は大混乱しているようだ。

「やりやがったな」

 雅樹は呟く。自分たちの前で語っていたことを、実行に移されたのだ。それも、雅樹や薫が想像するよりはるかに最悪な方法で。

「だが、これであたしとガン鉄が参入する理由も増えた。ガン鉄が奴らを殲滅できれば、奴の思惑は潰える」

「三体一だぜ? ガン鉄、勝てんのか?」

「武士たるもの、勝てるか勝てないを考える前に戦いに全力を尽くしまする。たとえこの身が果てようとも」

 古風な野武士のような性格のガン鉄には、当然の事だった。重要なのは戦闘アンドロイドとしての矜持であり、勝敗ではなかった。

「いや、ガン鉄。あたしはお前の玉砕は認めぬ。おまえは、あたしに今の雅樹のような悲しみを与えたいのか?」

「わ、わが殿! もったいないお言葉を……」

「それに、最も重要なミッションは唯那の治療だ。その選択肢を得るためにお前を戦場に投入する。それを忘れるな」

「御意! して、どのタイミングで拙者は赴けばよろしいか?」

「うむ、それはあたしが見極めよう。少し待て」

「御意」

 薫は再び端末を手にして立ち上がる。

「雅樹、あたしは新宿方面へ向かう。お前はどうする?」

 雅樹は返答に躊躇する。

 唯那が動けない今、彼女を抱えて動くのは難しい。

「すまん、薫。俺は……」

「みなまで言うな。それでいい。唯那のそばにいてやれ。あとで何とか連絡を取り合おう。それまで見つかるな」

「わかった……すまない」

 雅樹は立ち上がった薫を見上げ、謝罪する。だが、薫は目をつむって静かに首を振る。

「気にするな。もし、お前がそのままの唯那を担いでついてくるなどと言っていたら、あたしは迷わず当身をくらわせてどこぞの廃屋にでも放り込んでやるつもりだった。お前の選択肢は正解だ」

「……ありがとよ」

 薫らしい言い回しが、彼女一流の照れ隠しのような気がした。雅樹は素直に礼を言っておく。

「それじゃな。運があったらまた会おう」

 それだけ言って、薫は踵を返した。そのまま振り返らず、しっかりとした足取りで歩いていく。

 その姿が見えなくなるまで、雅樹はそこに立ち尽くしていた。


 雅樹と唯那を取り巻く環境は次第に厳しくなっている。顔写真こそ公開されていないとはいえ、年齢やアンドロイドの性別、おぼろげながらの情報は報道で手配されている。

 平日の昼日中、しかも、気を失っているように見える女の子を背負っている雅樹は目立つ。

 できるだけ人目につかないように唯那を運びたい。

 雅樹は財布を見る。

 逃亡時に引き出した金額はそこそこの物だ。さらには、唯那の持つブラックカードでここぞとばかりにキャッシングをしておいた。誰が払うのかは知らないが、出てきたお金は有効に使いたい。

 車の運転ができるのであれば、レンタカーでも使いたいところだが、あいにくと免許を持てる年齢ではない。

 タクシーを使うにも、この状態の唯那と一緒は怪しまれる。考えに考えた挙句、雅樹は唯那をしばし隠して、彼女の身体が収まる大きなトランクを買おうと決める。

 どこに隠すのが一番安全か。

 雅樹が選んだのは、人けのない公衆男子トイレの個室だ。洋式の個室を探し、そこに座らせ鍵をかけた。そして、誰にも見られないように壁をよじ登ってそこを出たのだ。これなら、短時間は安全だろう。

 ものの三〇分で唯那はトランクの中の住人となっていた。まだ目を覚まさないとはいえ、ちょっと気の引ける運搬方法ではあるが、状況を考えると致し方なかった。おかげで特に怪しまれることもなく、うらぶれたビジネスホテルに宿を取ることができた。

 雅樹は部屋に入るなり、唯那をトランクから取り出し、ダブルベッドの上にそっと寝かせる。

 呼吸は小さいが穏やかだ。だが、意識は戻らない。トランクに入れて運ぶようなことをしても、目を覚まさない。外界からの反応に鈍くなっているのか、それとも、もう反応することはないのだろうか。

 雅樹は不安を押さえてテレビをつける。

 薫は新宿に向かった。そろそろ何か起こっているかもしれない。情報は常に取っておきたかった。案の定、速報が入っていた。


『第三の勢力? 新宿に新たなアンドロイド』


 今のところそれだけだった。だが、雅樹にはわかる。薫とガン鉄が戦場に身を投じたのだと。

 ガン鉄の全ての性能を、雅樹は知らない。だが、薫が正気のない戦場に赴くことはない、と信じたかった。それが、いかに己の願望とわかっていても、そう信じることでしか、今、雅樹は平静でいられない。

 そして、薫と離れた今、彼女の存在がどれほど自分たちにとって、心強い救いになっていたか、思い知らされた。

 もともとは唯那と二人の逃避行だった。途中で薫と出会った。ただそれだけなのに、今や、その存在は大きい。彼女がそばから離れた今、ぽっかりと空洞が開いたような気持になっていた。

 それは恋とか言ったものではない。同志を失ったような寂寥感だった。

『続報が入りました!』

 ニュースから興奮した声が告げる。映像は現場付近にいると思われるリポーターへと切り替わる。

 その背後に移る映像は、かつて雅樹が知っていた新宿の物ではなかった。

 瓦礫の散乱する廃墟。リポーターの後ろには規制線がはられ、そのずっと奥に戦車や物々しい兵器と思われる車両が見える。

 画面後方を多くの自衛隊員たちが横ぎり、怒声が交錯している。戦場はかなり錯綜していそうだ。そんな中で、耳を押さえながらリポーターが続報を読み上げる。

『新宿に新たに表れた身長三メートルほどの新たな黒いアンドロイドは、どういう事か犯行声明を出した『アシモフ・ナイト』と戦闘を開始しました。両者激しい殴り合いを展開しており、自衛隊も一時戦場への戦力投入を中止しています!』

 雅樹は食い入るように画面を見る。

 ひとまず、自衛隊は様子見の模様だ。それだけでも、ガン鉄が戦場に姿を現した意味がある。ここで、彼が味方である、という認識をしてもらえれば、今後の話は少し期待が持てる。

『現場の山田さん、そのアンドロイドは我々の味方、ということなのでしょうか?』

 そう思った時、スタジオの司会者がリポーターにそんな疑問を投げかけた。

「よし、いいぞ!」

 雅樹はぐっと拳を握りしめた。それこそ、雅樹が期待する答えが導き出される質問のはずだ。

 だが、その期待は一瞬で裏切られる。

『自衛隊の作戦本部は双方を敵性体として認識しています。情報によりますと、この新たに現れたアンドロイドは、先日自衛隊第一師団に対して敵対行動をとっている、とのことです』

 ここにきて、あの時の出来事が裏目に出た。雅樹は舌打ちする。

 これでは薫とガン鉄の捨身ともいえる参戦の意味がなくなってしまう。だが、雅樹にできることはない。

 歯噛みしつつ、唯那の横たわるベッドの方を見る。相変わらず小さな呼吸をしているだけだ。

 雅樹はゆっくりとベッドサイドに歩み寄り、ベッドの縁に腰掛ける。

 唯那の顔を覗き込みながら、そっと頭を撫でる。

「おい、唯那。目を覚ませよ。おまえ、強い子だろ? 俺とエッチするんじゃなかったのかよ……」

 そっと、髪を撫でる。つややかで手触りのいい、柔らかい髪。唯那はなでると喜んでいた。雅樹も、いつしかこの手ざわりの虜になっていた。

だが、今唯那は喜んでくれない。

撫でながら、雅樹の眼に涙がこみ上げてくる。それはあっという間にあふれ、雅樹の視界をにじませながら、唯那の顔に滴り落ちた。

唯那の頬を雅樹の涙が伝っていく。幾筋も、幾筋も。

雅樹は両手で唯那の髪をすくように、額から指でかき分けた。そして、頭の後ろにまで手を回していく。形のいい耳に沿って髪の毛をすいていく。

そのとき、ピクリ、と唯那の身体が動いた。

「え?」 

 雅樹は驚いて手を止める。

「唯那? 気付いたのか? 唯那?」

 呼びかけるが応答はない。だが、確かに今、体が反応した。

 雅樹は考える。今、何をしただろうか。

 髪の毛を指ですき、耳に沿って撫でていった。

「耳……?」

 雅樹はもう一度耳に触れてみる。そっと、愛撫するように。

「……ん」

 唯那が小さくうめいて身をよじった。外界からの刺激に一切反応しないと思えた唯那が、これには反応する。

「おい、まさか……」 

 雅樹は思い当たる。

 唯那が来た時に行なった初期設定。

 恥ずかしくて言えないエッチの感度。

 どういう理屈で発動するのかはわからないが、触れ方によって、それが通常のスキンシップであるか、愛撫に類する物か、というセンサーが働くのかもしれない。

 雅樹はそう考えた。

 試しにほっぺをつねってみる。反応はない。

 普通に頭を撫でる。

 軽く小突いてみる。

 勢いよく抱き起してみる。

 全て反応はない。

 雅樹はゴクリ、と生唾を飲み込む。そして、そっと唯那の耳に触れる。雅樹自身が意識し、愛撫するように触れてみた。

「……う……ん」

 ピクリ、と唯那の腰のあたりが動く。そして、短く、艶やかな吐息が口をついて出た。今、唯那が唯一外界との刺激に反応するのは、愛されている、という感覚だけなのかもしれない。

 自身の創造主たる間土露美に逆らい、仕込まれたプログラムに抗いながらも、愛する雅樹にすら銃口を向けた。

その瞬間にスタンガンで意識を失ったのだ。唯那の魂は、愛を失ったまま眠っている。その渇望が唯那を眠りから目覚めるのを妨げているのだろうか。

テレビでは、続報が流れている。自衛隊が、アンドロイド両方を敵認定した、と。ガン鉄はみんなのために戦っている。薫のために戦っている。世の中に害をなそうなどとは思っていない。

それなのに、社会は彼女たちを敵と判断する。そして、薫たちもその報道は耳にしただろう。それでも、彼女たちは戦いをやめない。

雅樹も、ここにはいられない。一刻も早く、薫のもとに駆け付けたい。お前の味方はここにいる。そう伝えたい。

その為には、唯那の覚醒は必須条件だ。

雅樹は覚悟を決める。本当なら、全て解決して、唯那と合意の上でしたかった。だが、そうも言っていられない。可能性があるのなら、やるべきだ。

 雅樹はそっと耳に触れる。唯那の反応はあるが小さい。ベッドの上に添い寝するように体を横たえ、髪をかき分けて唯那の小さな耳たぶを食(は)んだ。

「はう……ん!」

 唯那が全身をビクン、とのけぞらせる。さっきより大きな反応に、雅樹は耳たぶを口中の舌で転がす。

「ん!……あん!」

 快楽に堪えるかのように、唯那は体をくの字に折り曲げている。雅樹は一旦、耳たぶを解放した。

「唯那? おい、起きたか?」

 だが、やはり返事はない。しかし、息も荒く、明らかにさっきよりは体全体の反応が活性化しているように思えた。

「も、もう一歩先に踏み出さなきゃならんのか?」

 正直な話、唯那が来るついこの前まで女の子に触れた事さえなかった雅樹にとって、この先は未知のゾーンだ。耳たぶを舐める行為さえ、ウブで多感な少年には刺激が強すぎる。唯那が目覚める前に、自分が賢者モードに入ってしまいそうな勢いだ。

「しかたない……」

 雅樹は今まで読んだエロい本の知識を総動員させるべく、走馬灯のごとく記憶を検索した。そして、選択したのは、オーソドックスな手順。

 くの字に横を向いている唯那を仰向けに戻し、その右側に添い寝しつつ、左手を唯那の頭の下に通した。

 そして、しばしの逡巡の後、唯那の唇に優しく、そっと口づけをする。命の息吹を吹き込むかのような、思いを込めたキスを。

 そして、そのまま右手でブラウスのボタンを外していく。ピンクの可愛らしいブラジャーが露わになった。雅樹はその布きれと、肌の間に手をさしこもうとした。小さいがふっくらとした感触が指を刺激した。そして、次の愛撫に移ろうと唇を離す。

「ふや……?」

 まさにその瞬間、唯那が今までと趣の違う声を発した。

 思わず雅樹はドキリ、とする。そして、唯那の表情を見た。

 うっすらと眼を開けている。まだ焦点の合わない寝ぼけているような眼だが、確かに開いている。

「唯那、おい唯那! 俺がわかるか!」

 雅樹は唯那を抱き起して、顔をゆすった。焦点の合わない瞳に、次第に光が戻ってくる。

「雅樹……しゃん?」

 小さく。だが、はっきりとそう聞こえた。

「唯那!」

 雅樹は少女を抱きしめる。雅樹にとって唯那はもうアンドロイドではない。一人の大切な人間だ。

「唯那! よかった! 戻ってきたんだ!」

 意図せず涙があふれる。その胸に唯那の頭を抱いて、子供のように泣きじゃくった。

「雅樹さん……く、苦しいですよ……」

 唯那がくぐもった声で訴える。あまりの嬉しさに強く抱きすぎてしまったようだ。

「す、すまん……」

 雅樹は慌てて抱いていた手を緩める。唯那はようやく顔を起こし、雅樹を正面から見つめる。

「えへへ……ただいまです。眠り姫は、王子様のキスで目覚めるように、神様がちゃあんと設定してくれてるんですよ?」

「おかえり、唯那。今日ばっかりは神様を信じてみたいな……」

「雅樹さん、ひどい顔」

 涙と鼻水でくしゃくしゃになった雅樹を見て、唯那は微笑んだ。嬉しくて涙が流れていた。自分のためにそこまで泣いてくれる雅樹を見て、唯那は幸せな気分になっていた。

 そして、唯那は改めて自分の姿を見る。上半身ブラウスのボタンは全て外れていて、ブラジャーも少しずれていた。小さな胸はかろうじて守られていたが。

「……続き、しますか?」

 唯那は恥ずかしそうに赤面しながら、雅樹を上目づかいで見る。少年が自分のために頑張ってくれたことを、唯那のセンサーは記憶していた。無意識でも、それはデータとして唯那に確認することができた。とても幸せな感触。唯那にとって、それは不快でもなければ拒むものでもなかった。

 しかし、雅樹は首を振る。

「お前が戻ってきたことで充分今日の目的は果たした。続きは、みんなで帰ってくることができてから、だ」

 雅樹はテレビの方を見るように促した。それを見る唯那の表情が引き締まる。

「薫さん……ガン鉄さん……」

 唯那にとっても大事な友人の名を、小さくつぶやいた。  

「いかなきゃ、ですね。雅樹さん、もう一度、唯那にキスしてください」

「え? いや、その……」

「唯那が寝ている間のキスはノーカウントです! ちゃんと、起きてる唯那を愛してください」

 唯那は目をつぶる。それは、『アンドロイドとしての唯那』ではなく、『雅樹の大切な人としての唯那』、を確認したい、という唯那の想いだった。

 雅樹は唯那の肩を抱き、口づけをする。今度は、雅樹の想いを唯那の人格プログラムに上書きするかのように、長く、濃厚な口づけだった。

「……唯那、きっと壊れちゃったんです……」

 キスを終え、唯那は雅樹の胸の中にしなだれかかる。

「あの時、博士の仕組んだプログラムに逆らった時、きっと唯那の人格プログラムは壊れたんです。そして、これからも壊れていくんですよ。雅樹さんの物になるために、ね」

 夢見るように独語する。雅樹はその髪を優しくなでながら言った。

「行こう、唯那。俺たちの戦友の元へ」

「はい、雅樹さん! 唯那、もう何も怖くありません! きっと、きっとみんなで笑って帰りましょう!」

 二人は手を取りあい、駆け出す。

 自らの運命を切り開くべき戦場へと。



 轟音と土煙、男達の怒声が飛び交う戦場に、ひと房にまとめられた長い黒髪が風に揺れている。

 少女は小さな端末に向かって話しかける。

「あたしだ。何とか戦場に紛れ込んだ。敵性体のケディスについては今のところ動かない。アシモフ・ナイトを先にやる。来い! ガン鉄!」

『御意! わが殿!』

 威勢のいいガン鉄の返事に頷き、薫は周囲を見渡す。。常時迷彩服、それも自衛隊仕様の物を着ているおかげで、ここにいて全く違和感なく溶け込んでいた。

 偽造の階級章をつけ、手近に見える部隊の車両へと歩み寄る。

「おい、ちょっと聞くが」

「あん?」

 薫はことさらに尊大に振る舞う。自分の階級が上であることを相手に刷り込むためだ。声をかけてきたのが外見上どう見ても年端もいかない少女に見えたため、怪訝に思いつつも、その隊員はぞんざいな返事を返した。

「貴様、部隊と所属、氏名階級を述べろ! 有事の戦場において上官に取るべき態度を教えてやろうか!」

 薫は階級章がよく見えるよう、男に向き直る。

「し、失礼いたしました! 一佐殿!」

 それを見た男は、色を失って最敬礼をする。

 薫の外見年齢など、この場合は無意味だった。そこにある階級章が全てだ。

「応援の第一二旅団、特務編成隊の指揮を受け持つ東條薫一佐だ。貴官は第一師団のこの部隊の長か?」

 薫が選んだ車両は指揮車だ。必然的に現場指揮官が乗っていると踏んでのことだ。

「左様でありますが、なぜ、応援隊の一佐がここに?」

 応援隊はまだ進軍中のはずだった。少なくとも男の持つ情報ではそうだった。

「先行で入ったのだ。それより、よく聞け。我々の情報では、もうすぐもう一体のアンドロイドが現れる。この戦場のさらなる混乱が予想される。貴官らは一旦退き、司令本部の指示を仰げ。場合によってはこの戦線を放棄しても良い」

 薫は表所を引き締め、耳打ちする。

「で、ですが、我々は一佐の指揮下ではありません。恐れながら……」

「では、死ぬか?」

 男の言葉を薫はさえぎる。その声のトーンは大の男の心胆を寒からしめた。

「確認は後からでもできるだろう、生きていればな。今は至急にこの場を去れ。小官もすぐに後退する。頼んだぞ」

 言って、薫は踵を返す。

「ああそうだ、装備を借りるぞ」

 そして、唖然とする男を尻目に、機関小銃を一丁拝借して走り出した。

 男が声をかけようとした瞬間、空を影がよぎった。

「いいぞガン鉄。ナイスタイミングだ」

 駆けながら薫はほくそ笑む。案の定、それを見た指揮官は慌てて全体に発報したようだった。背後で車が走り去る音が聞こえる。

「ガン鉄、しばらく飛び回れ。自衛隊の連中が戦線後退したと見たら仕掛けろ」

『御意』

 薫としては、たとえ自分たちを邪険に扱った第一師団とて、犠牲に加えたくはないと考えていた。

 この戦場を、二体の敵アンドロイドと自分たちだけのために使いたかった。

「すまんな、雅樹、唯那」

 立ち止まり、空を仰いで少女は呟く。もう会えないかもしれない戦友の名を。


 かくして、無人の荒野となった新宿に、ガン鉄とアシモフ・ナイトの死闘が繰り広げられていた。

 薫はそれを確認できる場所でガン鉄の戦いを見守りつつ、時に指示を出す。

 アシモフ・ナイトは、自らの最も強力な武器である、高熱線のレーザーナイフを時折照射してくる。ガン鉄はシールドを駆使し、短時間の直撃はあってもダメージは防いでいた。

 効果がないと知ると、アシモフ・ナイトは肉弾戦を挑んでくる。

 ガン鉄と拳による殴り合いが始まった。

 硬質の物体がぶつかり合う鈍い音が響く。メディアはこぞって上空からこの模様を中継していた。薫はそれに映らないよう慎重に場所を選ばなくてはならなかった。

「ガン鉄、決着はつきそうか?」

 廃墟となったビルの一つに身を隠しながら、薫は端末に語りかける。

『難しそうでござるな。拙者も向こうもほぼ同じ材質、硬度のようです。こちらはもとより、あちらもダメージは受けてないでござろう』

「ちっ。千日手だな」

 何かいい方法はないか。薫は考える。

 だが、自衛隊の持つ最新の兵器ですら、アシモフ・ナイトに傷一つつけていない。

 周囲を見渡す。ガン鉄たちはここから数百メートル先で戦闘を続けている。そして、薫から、同じく数百メートル先には、ずっとうずくまったまま動かないケディスがいる。金融機関にハッキングを仕掛け、資金流出を行なっている、と報道では言っていた。多くのネットワーク・スペシャリストが対応しているにもかかわらず、そのハッキングを止められないようだ。

 だが、ケディス自身も処理能力をそちらに大幅に割いているのだろうか、全く動かない。もとより、これもあらゆる攻撃を受けつけないので、防御すらする必要がない、というだけの事かも知れないが。

 戦場は膠着している。だが、今なら薫の策略もあって自衛隊の邪魔も入らない。ケディスに近づくにはチャンスだった。

「やってみるか」

 薫は意を決して動き出す。ヘリからのカメラは気にしないといけないが、瓦礫の影をうまく使いながら、ケディスの側面へと回り込んだ。 

 黒光りする表面の様子はガン鉄たちと似ている。うずくまっているので身長はわかりにくいが、手足の長さから判断するに、ガン鉄よりは小さいと思えた。

 顔に当たる部分にはのっぺりした丸い頭のような物があるだけで、眼鼻のような造形はない。ガン鉄も無骨だが、このケディスは、より能力に特化したアンドロイドなのかもしれない。

 薫がかなり近寄っても、ケディスは反応している様子はない。

「よし、いいぞ」

 薫は懐から記録用のカメラを取り出し、至近距離からケディスを撮影する。何かの役に立つかもしれないと、特に場所を限定せず、いろんな角度いろんな部位を撮る。

 ケディスの周囲をぐるりと回って撮影しても、なんの動きも見せない。

「むう……試してみるか」

 薫は腰から下げているいくつかのパッケージから、小さなドリルを取り出す。ガン鉄たちと同じ硬度なら、これでどうにかなるとは思えないが、実際に自分でその硬さを確かめてみたかったのだ。

 そっと近づき、ドリルを突き立てた。

 電池式のそれは、ボタン一つで勢いよく回りだす。だが、いつまでたってもドリルは埋まっていかない。

「なるほど硬いな。だが、こいつらメンテナンスはどうするんだ? ガン鉄もそうだが、組み上げる時に一切工具を使わなかった。組み上がってしまえば、バラせない構造だ。ふむ」

 薫はガン鉄を組み立てた時のことを思い出す。

ガン鉄がしゃべったことが柄にもなく嬉しくて、つい、メンテナンスについてしっかり調べずに家を出たのは失策だった。もっとも、ガン鉄の詳細を全て把握している、といいつつ、そこが抜け落ちていることを、薫は今の今まで失念していた。

「メンテナンス……メンテナンスか!」

 何かが閃いた気がした。どれほど高性能であっても、いや、むしろ高性能であるからこそメンテナンスは不可欠のはずだ。必ずどこかにメンテナンスを施すための方法があるはずだ。そしてそれは、あの頑強な装甲の脆弱点になるかもしれない。

「ガン鉄! 退けるか? ちょっと確認しておきたいことがある!」

『わ、わが殿、それよりもこちらを!』

 妙に慌てた様子のガン鉄の声に、薫は怪訝な表情をする。その直後、端末にテレビからの音声が入ってきた。ガン鉄の能力では映像まで受信できない。

『政府、及び自衛隊は、先ほど現れた新たなアンドロイドも敵性体と認識しました。これで、攻略すべきアンドロイドは三体となります。今のところ具体的な攻略法は発表されておりませんが……』

 そのニュース音声を聞いて、薫はしばらく立ちすくむ。

 敵アンドロイドのすぐ側面にいることも忘れて、ただ、静かに端末の画面を眺めていた。そこに映像が映るわけでもないのに。

「敵……か。結局、あたしは独りか……」  

『……わが殿。いかがされますか?』

 主君の心の機微を察し、ガン鉄はためらいがちに問う。誰のために、なんのために戦うのか。ガン鉄の機械の心とて、それは欲しい。薫の落胆と失望がガン鉄の胸を締め付ける。

『拙者は薫殿のために戦います。……独りでは、ありませんぞ』

「……ありがとう、ガン鉄。あたしは過ぎた部下を、いや、仲間を持った」

 そう言って手のひらをじっと見つめる。分の悪い、だが、自身の矜持をもって決行した逃避行の中、ただ一人少女の手を取ってくれた温かい触れ合いがあった。

 だが、結果として、薫は彼の大事なものを奪ってしまったのかも知れなかった。

 そして、今、二人は別れて行動をしている。社会の敵と認定された以上、もはや、薫のもとに彼が戻ってくる意味もなくなった。

(お前たちは、自らのいるべき場所にたどり着けよ。あたしは、一緒に行けないかもしれないが……)

 ガン鉄にすら聞かれないよう、心の中で独白する。そして、薫は空を見た。

「撤退だ! すぐさまここを退く!」

『御意!』

 新宿での最初の戦いは、負けに近い引き分けで終わった。突破口がない。攻め側と守り側で言えば、守り側である薫たちの敗色が濃いのだ。

「見ていろ。このままでは終わらさん」

 決意のもと、薫は戦場に背を向けた。次にここに戻るときは、死を覚悟しているだろう、と思いながら。


 雅樹と唯那は極力人目につかないよう、新宿へと向かっていた。

 新宿方面へ行く交通機関の一部は規制され、あまり不用意に近づくと職務質問されかねない。公になっていないとはいえ、捜査機関には二人の顔は割れていると思っていいのだから、慎重に行動しなければならなかった。

「唯那、どうだ?」

 人通りのない路地ともいえないような狭いビルの間。そこで二人は息をひそめている。

「ガン鉄さん、移動したみたいですね。速いです。空飛んでるみたいですね」

「てことは、戦場から撤退した、か。とにかく、ガン鉄が止まってから場所を特定するか」

 唯那の通信機能はガン鉄の発する電波をとらえ、追跡していた。二人は、薫たちとの合流を目指して、新宿に向かっている。

「こりゃ、新宿に向かうのはやめた方がいいな。腹も減ったし、ガン鉄が降りるまでに飯でも食うか」

「そうですね。唯那もおなかすきました。『ふぁみれす』行きます?」

「そうしたいところだが、それで通報でもされたらおしまいだ。昼時だし、移動販売の弁当屋がいるから、そこで買うか。ちょっと待ってろ」

 雅樹は唯那をそこに残して、買い物に出かける。二人セットの方がより同定される危険が大きくなる。

 昼食を求めて多くの人が行き交う中、雅樹は特段目立つような風体でもない。難なく食料をゲットして、唯那の元へと戻る。

「唯那、もっとおしゃれなところで食べたいです」

「お前、最近文句が多いぞ。それも、ある意味博士のプログラム拘束からの脱却を意味するんかね」

「唯那じゃなくても、女の子はみんなそうでしょう?」

 二人はビルの壁に沿って置かれているエアコンの室外機の上に座って弁当をかき込んでいた。

「全部終わったら、薫連れていいもん食いに行こうぜ。それまでは、当面燃料補給としての食事だな」

「はあい。じゃあ、早く、やっつけないとですね!」

 ふん、と鼻息も荒く、唯那はファイティングポーズを決めてみた。


 新宿の戦場から南に三キロほど下った廃工場の後に、ガン鉄と薫は潜んでいた。工場跡だけに、いろいろな工具がそのまま捨て置かれている。最近つぶれたようで、機材はまだ使えそうだった。

 薫は電力ブレーカーを探し、あげてみる。運よく、電気はまだ通っていた。勝手に使うのは忍びないが、緊急時だからよかろう、と都合よく納得する。

「ガン鉄、さっきの話だが。どうだ? 心当たりはあるか?」

 メンテナンスについて、薫はガン鉄とディスカッションをしていた。だが、ガン鉄自身も自分の成り立ちについて明確なスペックや構造を知っているわけでもなかった。

「面目ござらん、わが殿。拙者単純な戦闘用で、ヘルプもあまり充実しておりませぬ」

「うむ、仕方あるまいな。あたしもうっかりしていた。書類は全て家に置いてきたから、もう押収されているだろうな。そこにその情報が載っていたかもわからんが」

 薫は腕を組む。そして、しばらく逡巡した後ガン鉄に向き直る。

「お前としては不本意かもしれんが、全身の表面を一度チェックしよう。何かあるかもしれん。あたしに身を任せてくれるか?」

「身、身を? いや、い、一応拙者日本男児であり、そ、そのようなお戯れを……」

「なんだ、お前、アンドロイドで鋼の身体を持ちながら、そういうことを気にするのか?」

 薫は意外そうに目を丸めた。

「拙者にもよくわかりませぬが、そこはかとなく照れくさいような気持が湧き上がってまいりますぞ」

 全く良く出来ている、と薫は感心する。

「まあそう恥ずかしがるな。今やあたしとおまえは一心同体だ。生きるも死ぬも、運命共同体といっていい。さあ、いいから横になれ」

「ぎょ、御意」

 ガン鉄はその巨体を横たわらせる。薫の倍はある身長だ。胴回りはもっと大きいため、その身長差以上に大きさの違いを感じる。

 ざっと周囲を回り、手で撫でながら何かないかを確認していく。だが、つるりとした硬質な表面は、まるで削り出したかのように滑らかで、継ぎ目がない。

「組み上げる前はバラバラだったんだ。それなのに、今見ると継ぎ目がない。これはどういうことだ」

 薫は今一度組み立てた時の記憶をたどる。

「確か、この辺だ」

 そして、継いだはずの場所を見る。

「ガン鉄、少し削っていいか?」

「御意。痛みは感じませぬゆえ、存分に」

 薫は工場に落ちている工具を手に取る。切削用のグラインダだ。

 スイッチを入れると、それは勢いよく回転を始める。ガン鉄の継ぎ目と思われる部分にゆっくりと当てていく。火花が散る。一〇秒ほど押し付けてから、スイッチを切って切削面を見てみるが、傷一つついていない。

「むう。やはりダメか」

 薫は一旦そこをあきらめ、ガン鉄の腹によじ登る。

「か、薫殿!」

「ん? どうした?」

「い、いや、なんでもござらぬ」

「? おかしな奴だな」

 薫は思わず微笑みながら、丸みを帯びたガン鉄の腹の上にうつぶせになって表面を検査していく。ガン鉄は、痛みは感じない。だが、触覚センサーはある。薫の柔らかな身体の感触を感じながら、声にならぬ悶絶をしていることを薫に知られるわけにはいかなかった。


「やっと見つけたと思ったら、あいつ、何やってんだ?」

 廃工場に薫とガン鉄の姿を確認したものの、なにやらお取込み中にも見えたので、雅樹と唯那は少し離れた機械の陰から事の次第を見守っていた。 

「サーモセンサー、オーン! ガン鉄さんの表面温度が少し上がってますよ? 興奮してますね? やーらしい」

「おいおい、あいつもそういうのあるのか?」

「だって、ガン鉄さんも男の子ですよ? 男の子はみんなやーらしいんでしょう?」

「あー、まあ、否定はせんけどな」

 雅樹は薫の動きをよく見てみた。何かを調べているようにも見える。戦闘でガン鉄に不具合でも出たのだろうか。

「唯那、マイクで会話拾えるか?」

「ガン鉄さんの電波を通して会話は聞けますよ? 唯那さっきから聞いてます。はい、どうぞ」

「この野郎、それならさっさと出せっつの」

 唯那の身体から伸びたイヤホンを渡され、雅樹は耳に詰める。

 そこから聞こえる会話は、色っぽいものではなかった。当然と言えば当然だが、なんだかアダルトゲームのハズレを引いたのに似た失望が雅樹の心に沸きあがる。

「気を利かせる必要はなかったって事か」

「んー、でも、ガン鉄さんはかなりドキドキしてるみたいですよ? 唯那と違って心臓はないんでしょうけど」 

「そういえば、お前呼吸もしてるし脈拍もあるよな? どういう構造になってんだ?」

「ぶー。唯那だって知りませんよ。いくら雅樹さんでも、脱がすのは服までですよ? 皮まで剥がないで下さいよ?」

「おまえ、ほんとに成長してきてるな。どんどん人間っぽくなってんぞ?」

「ん……そ、そうですか? ゆ、唯那、頑張ってるんです」

 なにをだ、と雅樹は思ったが、それよりはまず合流を優先したい。

「よし、行くぞ、唯那」

「は、はいです!」

 二人は陰から飛び出す。足音ですぐに気づいた薫は、二人の方を見た。

 そこには、驚きと、続いてすぐに満面の笑みが浮かんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る