第四章 美少女アンドロイドが自殺しました……

 攻防は熾烈を極めた。

 取りあえず当面の目的は、全力で戦っても周囲に被害を及ぼさない場所。唯那の掲示板での情報操作で、上手く目的の場所に誘導できるか、だが。

 薫が調達してきたサイドカー付きのモンスターバイクのエンジンがうなる。ちょっとアレな業者から、登録とかすっ飛ばして買ってきたらしい。やはり、世の中金だ。無理が通っちまうのな。ブラックカード万歳!

 俺はサイドカーに。唯那は薫の後ろに乗っている。うむ、どうせなら俺が後ろに乗って、その細腰にしっかりとつかまりたかったぜ。

「どこでやるんだ?」

 俺は薫に問う。走行中も会話ができるよう、インカム装備だ。

「唯那、かわいいお部屋がいいです」

「おい、何の話をしている?」

「え? だって、雅樹さん、どこでヤるんだって……」

 頬を染めつつ、答える唯那。手が届かないからどつくのは許してやる。

「ちげーよ! 戦闘だよ! 戦闘!」

「ええっ! 銭湯でするんですか! 公開羞恥プレイですか! ゆ、唯那、恥ずかしくて死んじゃいます!」

「おい雅樹、貴様を振り落していいか?」

 ギャギャギャ! とバイクが急旋回をする。うおおおっ! ベルトしてなかったら吹っ飛んでたよ!

「なんで俺だよ!」

「唯那の教育係りはお前だろう? お前の教育が悪いんだろうが」

 ニタリ、と笑う薫。楽しんでやがるな。

「んで、もう一度聞くが、どこでやるんだ?」

「くふふふ、できるだけ広いところがいい。このまま海沿いまで走る。港湾地帯の埋め立て地があっただろう?」

「ああ、東京ポートアイランド建設予定の埋め立て地か?」

「そうだ。あそこなら広大な更地だ。少々やってもよかろう」

「あとあと面倒はごめんだぜ?」

「生き残れば何とでも切り抜けられるさ。それに、派手にやればまた自衛隊もテレビも来るだろう。あたしらの目的を堂々と告げるいい機会じゃないか」

 確かに、生中継でもしてくれれば、よりメッセージの発信はしやすくなる。だが、話はどんどん大きくなっていくような気がするのだが。まあ、いいか、もうあきらめよう。

「唯那、聞いたな? テレビ局にも事前リークしつつ、奴らをうまくおびき寄せろ!」

「はい! お任せマンボ!」

 また変な言葉を覚えているな……

 俺はGPSを切ったスマホを唯那経由で接続し、現在の状況を確認する。ニュースサイトは他の記事が埋もれてしまうほど、この実況であふれている。

 まとめ記事を見ると、今この瞬間でも全国で八件の事件が現在進行中で、近所の奴はせっせと実況中継をかきこんでいる。

 全てが警官隊や自衛隊との交戦を展開している模様で、一部では手薄な地域も出始めている。その間隙を縫われれば、対応できないような状況が現実的になってきた。

「なあ薫、もし、アンドロイドの連中が組織的行動に出たら、どうなると思う?」

「終わり、だろうな」

 終わり、か。そうだよな。いろんなものが終わっちまうだろうな。この数日でも相当の混乱が起こり、社会不安も頂点に達してきている。

 国会では対策が進まないどころか、むしろこれを政治の取引材料に使って、足を引っ張り合っている。こんなことをしていたらマジで終わるな。

「くふふふふ、だが、それでいい。奴らが無能なほど、この先のあたしらの存在理由が増すのだからな」

「おめえ、一体何を考えてる?」

「とても、楽しいことだよ!」

 言ってアクセルをふかす。

「ひゃああああ!」

 後ろに乗っている唯那が悲鳴を上げつつ、薫にがっしりとつかまっている。バイクは一路、広大な埋め立て地へと疾走していくのだった。



 あれから三時間ほどたった。俺たちは工事用の資材置き場に身を隠している。埋立地には掲示板から導かれた自称愛国主義者やアンドロイド排斥主義者の皆様がご集合なさっている。だが、肝心のアンドロイドが現れないので、そろそろしびれを切らしているようだ。掲示板に書き込まれる内容がそのイライラの度合いを面白いようにあらわしている。上空にヘリが現れた。おそらくテレビ局だ。

「おい、そろそろ」

「ああ、ころあいだな」

 役者はそろった。唯那も見事に役割を果たした。ここからが本番だ。

「よし、ガン鉄! 貴様の出番だ! 男を見せてこい!」

「御意! わが殿!」

 端末が勢いよく返事をする。あ、すまん、またお前の飛び立つ雄姿を見ることができないな。

 一〇分後、東の空からようやくその姿が見える。おお、あの黒光りする巨体が炎を噴射して飛んでる様は絵になるなあ。

 ガン鉄はゆっくりと足から着地する。その無機質な仮面のような顔の造詣に、目だけが光っている様は、見かけだけならちょっと悪役っぽい?

 ガン鉄が接地した瞬間、周囲のご高説を掲げる皆様から歓迎の火炎瓶やら火炎瓶やら火炎瓶が投げられた。火炎瓶しか武器ねえのか! さすが日本だ。平和なもんだ。

 だが、火炎瓶ごときではガン鉄はびくともしない。鷹揚に立ち尽くしていたが、やがて一歩、前に出る。

 ズン、と、重い音がする。

 じり、と、取り巻きが一歩後退する。

 やはりこの重厚なアンドロイドが迫ってくると、どんなにかっこいいことを口走ってようが、腰が引けるらしい。まあ、火炎瓶が見事に効かないので無理もないが。

「よし、あたしの出番だな」

 程よく攻撃をさせ、効果がないことを知らしめた上で、薫はマイクに向かってしゃべり出す。

「あー、諸君、聞こえるか」

 武骨なアンドロイドから突然流れ出した女の声に、周囲はざわざわと騒然になる。

「あたしはこのアンドロイドのテスターだ。諸君、攻撃してみて分かっただろうが、こいつはその程度ではびくともしない。そして、あたしたちはこのアンドロイドを犯罪に使うつもりはない」

 ここでいったん言葉を切る。ひとしきりざわめかしておいてから、おもむろに続ける。

「テレビ報道を見て、このアンドロイドを有効に使おうと思うテスターは、あたしのもとへ来い。犯罪組アンドロイドと一戦交えようではないか。また、その度胸はなくとも、アンドロイドと平和に過ごしたいと思う物は、取りあえずもめ事を起こさずじっとしていろ。そして、排斥主義、愛国主義の諸君」

 名指しされた連中は、ぴたりとざわめきをやめ、水を打ったように静まり返る。

「どうかこの争乱が収まるまで、貴官らはむやみな襲撃をやめてくれたまえ。それが結果的に双方のためになるだろう。また、それでも襲撃をやめない、というのであれば、まずはあたしを倒してから行け。いいな」

 そう言い終わるや否や、ガン鉄が近くの鉄骨柱に向けて目から怪光線を出す。って! ええ! そんなキャッチ―な武器まで付いてんのか!

 鉄骨は見る見るうちに赤く溶解し、その形をなくしてしまった。

 さすがにこれを目の当たりにした皆様は、現実を直視することに成功した。軽薄な愛国精神や時流に乗って暴れたいだけの排斥主義者様たちは、すごすごと包囲の輪を崩していく。

「雅樹さん、薫さん、概ねいい感じです。テレビでも報道されましたし、こちらの言い分もしっかり電波に乗りましたよ」

 これでテロリスト的集団の方はまずよし。さてあとは……と、考えかけた瞬間に、空にかなりの数のヘリが近づいてくる音が聞こえた。明らかに報道のヘリではない機影だ。

「ほう、AH‐64D アパッチか。本格的な攻撃ヘリじゃないか。何かあればやるぞ、という事か? くふふふ」

「おいおいマジかよ。一体どうなってんだ」

「くふふふ、面白いじゃないか。あたしのかわいいガン鉄の性能、今こそ試してくれん」

「おいマジでやめろ。戦争でもする気か」

 なんかものすごく楽しそうに笑う薫。ちょっと止めておいたほうがよさそうだ。

「くふふふ、こいつ一人でどの程度の戦力と戦えるか、興味はないのか?」

「ねえよ!」

「そうか、そうだったな。いや、すまない。お前の興味はあの貧乳アンドロイドの身体だったな。いや、これはすまない」

「てっめえ! ぶち殺す!」

『わが殿に危害を加えるならば、そこもとを解体せしめる所存だが、いかに?』

「うわごめんなさい!」

 ガン鉄の野郎、薫に手を出そうものなら抹殺する気満々だな。

「雅樹さん、テレビ……まずいことになってます」

「どうした?」

 常に報道情報をモニタリングしている唯那が、表情を曇らせる。

『政府がアンドロイド製作者、及びまだ回収されていないアンドロイドのテスターに対して、内乱罪を適用する旨の審議に入りました』

 ニュースではそんなことが報道されていた。

「ほほう、これは思い切った検討に入ったな。この罪で起訴された事例は戦前か戦中。しかも、結局刑法としての内乱罪の適用は一件もない。くふふふふ、さて、弱腰政府はどう出るかな?」

 笑ってる場合じゃねえよ。内乱罪適用になれば首謀者は死刑とか無期とか言ってるよ? 

 どこからを首謀者と定義するかは難しいとしても、こいつはかなり揺さぶりがかかる。

「そっちの情報も気になる。けど、あの上のやつも気になるな」

 俺は空を仰ぐ。この空域を三六〇度包囲する攻撃ヘリの群れ。あまり穏やかな感じはしない。

 薫は双眼鏡でヘリを観察する。

「ふむ、実戦装備だな。部隊マークは第一師団。昨日あたしらを捕まえた連中だ。どうやら、意趣返しにでも来たか」

 あー。つまり、アンドロイド討伐を口実に、昨日の仕返しに来た、と。まずいじゃんか!

「政府の方も混乱の極致だろうな。今のところ、防衛省などがまともに機能していない。文民統制など絵空事になり、部隊は現場独自の判断をしている、という所か」

「落ち着いてんじゃねえよ。どうすんだ?」

 すでにテロリストどもは姿をくらまし、埋立地にはガン鉄だけがぽつんと立っている。ヘリは六機。ガン鉄から上空に鉛直に線を引いた一点を中心に、制空権を確保している模様だ。

 そして、しばらくすると、地響きが聞こえてくる。戦車隊だよ……

「くふふふふ、一〇(ひとまる)式が一〇数輌か、なかなか物々しいな」

「大丈夫なのかよ?」

「えーと、一〇式戦車、日本が誇る第四世代戦車。世界の最新鋭戦車と肩を並べる高性能機、ですって、雅樹さん! すごいです!」

「いや、唯那、すごいけど敵な? あれ」

 天然ボケ成分は治らないってか。

 さてどうするのか。再び投降という手はないだろう。上が混乱していることをいいことに、このまま葬り去ろうって魂胆じゃないか?

 ガン鉄や薫がどういう想いであろうと、あいつらには関係ない、って事か。腐ってやがるな。

「なあ薫、突破するとなると……」

「ん? ああ、そりゃ犠牲が出る。主に向こうにな」

 あっさりと言い放つ。さすがに軍人家系、というべきか。

「その、何とかならないもんか?」

「そうだな、だったらお前が死ね。相手を殺すのが嫌なら、それで丸く収まる。あたしは生きる。その為なら相手を殺せる」

 澄んだ眼をしていた。吸い込まれそうなくらい、恐ろしく澄んだ眼だ。薫の言葉は辛らつだが、飾りのない真実の言葉だった。

 だが、だからと言ってついこの前まで日常の世界にいた俺が、受け入れるには難しい価値観だ。こんな状態にあっても。

「あたしの目的はこのアンドロイドの有効利用だ。別に戦争がしたいわけじゃないが、さりとて、平和一辺倒で国が繁栄すると考えている奴らは、頭がおかしい。今の日本の状況、雅樹は理解しているのか?」

 そう言われてみて、考える。

 欧米はもとより、アジア周辺国の顔色をうかがいながら、日本のための決断を先送りにし続け、自分たちの国の繁栄を置いてけぼりにして外国にお金をばらまく。

 ゆがんだ形の繁栄を続けてきた国だ。

 だが、一方で第二次大戦後大きな戦争を経験するでもなく、国民は安定的な平和を享受しているのも事実だ。これは実はすごいことだ、と俺は思っている。

「つまるところ、今のこの事態は戦後初の本格的な戦争、それも内乱、って事か」

「そう言うことだ。どちらに転ぶかは、誰が勝つかによって変わる。そして、あたしは負けるつもりはない」

 その決意は潔しだ。だが、ここでガン鉄が自分を守るためとはいえ、自衛隊に被害を与えてしまえば、それこそ申し開きが出来なくなるんじゃないだろうか。

 俺は薫にそれを訊ねる。

「雅樹、お前の言うことはもっともだ。だが、死ねばどの道申し開きは出来ぬ。生きている方が道があると思わんか?」

「俺はそこまで達観できねえよ」

 だが、選択肢はもうすぐそこまで来ている。

「? 攻撃がこないな」

 薫が周囲を見渡す。すでにいつ攻撃されてもおかしくない状況であるのに、向こうからの声明や攻撃に先立つ殺気までもがない。どういうことかと訝しんでいると、唯那が沈黙していることに気付いた。

 珠のような汗を浮かべながら、目を閉じて何やら必死に唸っている。

「唯那」

 返事がない。

 調子が悪いのか?

「おい、唯那」

 もう一度呼ぶが、反応はない。俺は体をゆすろうと手を伸ばしたが、それを薫が制する。

「まて、どうやら唯那はジャミングをしているようだ」

 言って双眼鏡で戦車隊の方を見る。

「砲塔の照準が定まらんようだな。右往左往している。おそらく、コンピューター制御の一部に対して、妨害を仕掛けているようだな。こいつはすごい兵器だ」

 唯那が兵器。そうだよな。多分、そういう目的のために作られているはずだ。

 だが、俺にとって唯那は守るべき女の子だ。早くこんな世界からは抜け出したい。

「薫、とにかくここを抜けよう。出来るか?」

「もちろんだ。だが、全て無事にとはいかんぞ?」

 俺はもう一度考える。俺はもう受け身にはならない、と心に決めたのだ。ここでむざむざと捕まったり、いわんや死んじまったりしちゃあ意味がない。

「行こう」

「よし」

 短いやり取りだが、俺たちの行動指針は決まった。

 自衛隊の包囲網を抜け、反国家的アンドロイドを止める。もちろん、俺たちは国家に反するつもりはない。だが、今は分かりあえない。ただ、それだけのことだと割り切ろう。

 とはいえ、無為に怪我人は出したくない。出来ればあまり構ってほしくはないところだが。

「ガン鉄。空から逃げろ。またどこかに隠れていろ。いいな」

「御意。攻撃された場合の応戦はどういたしますか?」

「お前の機能維持に支障をきたすと判断すれば迎撃しろ。問題なければひたすら逃げろ」

「御意」

 言うやいなや、ガン鉄の背中からにゅっと翼が生える。ロケットブースターの閃光もまぶしく、ガン鉄はまっすぐに上昇していく。それに合わせて攻撃ヘリ・アパッチが陣形を再編していく。あくまでも標的はガン鉄であり、彼が飛んでいけば上空の脅威はなくなる。

「唯那、いくぞ、取りあえず戻ってこい!」

 集中するあまり周りから精神を隔絶させているかに見える唯那を、俺は揺り起こす。

「あ、は、はい! 雅樹さん! ご奉仕の時間ですか!」

「そんな時間は設定してねええええ!」

 今度しとこう。

 俺たちは資材置き場から慎重に身を隠しつつ逃走ルートを探す。

 唯那の偵察カメラを上げ、包囲網の状況を確認する。広い埋め立て地の周辺道路はかなりの数の自衛隊車輌で埋まっていた。

「ほほう、なかなか物々しいな」

「だから、喜ぶなって」

 この状況を眺めながら、薫は笑みを浮かべている。なかなかに救いようのない軍オタだ。

「北側には一〇式を含めて戦車二〇輌ほど。東と西は高機動車か装甲車ばかりだな。北に逃げるか」

「おいおい、戦車群の中に突っ込むのか?」

 一番武装の強力な方面へ逃げるって、正気か?

「通常なら愚行だが、こちらには唯那がいる。ジャミングが効くのは高度な処理をコンピューターに任せている兵器だ。高機動車や装甲車に搭載されている機銃にはあまり効かんだろう。だが、戦車の砲塔には充分な脅威になるはず」

 ああなるほど。だが、さっきの状態だと唯那はジャミングしながら動けるんだろうか?

「唯那、どうだ? 行けるか? ジャミングしたまま逃げられるか?」

「ちょっと難しいです」

 唯那は申し訳なさそうに言う。

「あれだけの戦車、ジャミングするには相当神経を使います。移動しながらだと、もし漏れがあったら雅樹さんたち撃たれちゃいます。だから唯那、ここに残ってジャミングします」

「おい、それじゃお前が……」

「大丈夫です。唯那一人なら突破できると思います。だから、雅樹さんと薫さん、先逃げてください」

「だけどよ!」

 俺がさらに言いかけた時、薫が俺の肩をつかんで制した。

「逃げるぞ」

「て、てめえ! 唯那を見捨てるってのか!」

「頭を冷やせ。これが全員生き残る、最も確率の高いミッションだ。あたしらと唯那では身体能力が違う」

 わかっているさ、そんなことは。だが、男として女の子をこんな場所に残してなんか行けねえんだっつの。

「雅樹さん、唯那大丈夫です。必ず戻りますから、今は行ってください」

「おまえ……」

 唯那はけなげな笑顔で俺に離脱を奨める。俺が逡巡していると、唯那はむっとふくれっ面をし、

「いかないんですか? 雅樹さん。だったら唯那が無理やりイカせちゃうぞ?」

「いや! それ意味がちがうだろ!」

 ボケに突っ込みつつ、俺たちは場違いな笑いにこらえきれず、ひとしきり笑った。

「わかった、唯那。俺たちの命預ける。あとでな」

「はい! あとでお会いします!」

 俺は薫のバイクのサイドカーに乗り込み、ベルトを締める。

「これを着ておけ。防弾チョッキだ。ないよりましだろ」

 薫から投げられたチョッキを着こみ、ヘルメットをかぶる。急場しのぎだが、資材置き場にあった鉄板などで若干の弾除けも施されたバイクは、一種異様な鉄の塊に化けていた。

「よし、行くぜ薫!」

「おう!」

 俺たちはフルスロットルで戦車隊の抑える北側の道へと猛進する。当然気づかれたが、戦車の砲塔はまともに照準を合わすことが出来ないようだ。しかも、もともとガン鉄用に配備されていたためか、バイク単体が斬りこんできても対応が遅い。

「行けるな。さすが薫の見立てはすげえ」

「ふん、褒めても何も出んぞ」

 鮮やかな運転技術で戦車隊の合間を縫っていく薫。いくつかの機銃掃射もあったが、味方に当たることを危惧してか、すぐにやんだ。

 わずか十分ほどの活劇は、俺たちの逃走完了で幕を閉じる。本来なら何重にも規制線が張られていてもおかしくないが、日本各地で起こるアンドロイド事件に、さすがに手薄感がぬぐえない。この先一体どうなっていくのか、当事者の俺たちはもとより、世界中が注目してるんだろうな、きっと。



 何とか場末のビジネスホテルへと隠遁成功した俺たちは、唯那の帰りを待っていた。遅い。一体あれからどうなったのか心配だ。

 報道では俺たちの件は一切流れていなかった。自衛隊の一部隊の恣意的な行動であったこともあり、報道規制が入っている可能性もあるな。

 俺たちの居所はガン鉄の端末から発生する電波によって唯那にはわかるはずだ。迷っているという事はあり得ない。

 不安だ。だが連絡のつけようもない。居ても立っても居られない気持ちが続く中、報道は相変わらずヒートアップしている。

 内乱罪適用は現在保留されているが、いつ決議されてもおかしくない状況で与野党の調整が続いている。

「ガン鉄、唯那と連絡は取れないか?」

 薫も心配しているようで、再三ガン鉄にコンタクトを確認するが、今のところ難しいようだ。ガン鉄はネットワーク系の機能が弱く、こちらから唯那に接続するのは無理なようだった。

 ずうん、と重い空気が流れる中、部屋の扉がノックされた。

 俺は飛び起き、のぞき窓で確認する。

「ゆ、唯那!」

 俺は慌てて扉を開けた。

 そこに立っていたのは、脂汗を浮かべて憔悴し切った表情の少女。唯那のブラウスの左袖が鮮血に染まり、右手で肩のあたりを押さえていた。

「お、遅くなってごめんなさい、雅樹さん……誰にも見られずに、何とかここまで来れました……えへ……」

 言うなり、ふらり、とバランスを崩した唯那を、俺は慌てて受け止める。

「おい! 唯那! しっかりしろ!」

「雅樹! とりあえずここへ寝かせろ!」

 ベッドに唯那を寝かせる。今抱きとめただけでもわかる。すごい熱だった。

「く、肩を撃たれたのか。ちょっと診るぞ!」

 薫はブラウスを引き裂き、傷口を露出させた。一発の銃創がそこにあった。血はもう止まっているようだったが、染められた服の状態でその出血量は推し量れる。

「触るぞ唯那、がまんしろ!」

「はううっ!」

 薫は傷口の周囲を揉むように触診する。こいつ、軍オタだけあって応急処置の技術も持っているのか? 俺は、俺は何もできない……ちきしょう……

「む、弾が止まっているな。これはまずい。普通なら貫通銃創なんだろうが、アンドロイドの強度が仇になったか」

 薫は一旦傷口から手を放し、腰にぶら下げているよくわからないケース類からナイフを取り出す。

「お、おい! 薫! 何する気だ!」

「弾を取る。ここでやっておかないとあとあと厄介だ。唯那の口にタオルをかませろ」

「お、おい」

「早くしろ! 一刻を争う!」

「く……わかった!」

 俺はバスルームからタオルを取り、唯那の口にあてがう。

「唯那、しっかり噛んでろ。すぐすむ」

「は、はい、雅樹さん……唯那頑張ります……」

 うわ言のように、だが、はっきりと唯那は言う。

「いくぞ。雅樹、足元を抑(おさ)えておけ」

「あ、ああ」

 上半身を薫、下半身を俺が抑(おさ)え、準備完了と見るや、薫は傷口にナイフを突き立てる

「ああああああうっ!」

 唯那の全身が硬直し、暴れる。アンドロイドでありながら痛みを知る唯那。なぜ、製作者はこんな人間のようなアンドロイドを作ったのか。戦いの場に身を置く定めであるならば、これはいっそ残酷だろうに。

「あと少しだ。こらえろ!」

「はあああああっ! うううっ!」

 見てる方が痛い。早く終わってやってくれ!

「よし取れた! あとは、縫うか? 唯那どうする?」

「はあっ……はあっ……だ、大丈夫です。弾さえ取っていただければ、唯那は普通の人より治りの早い自己修復可能です。あ、ありがとうございました、薫さん……」

 全身脱力し、目もあける気力もないまま、それでも唯那は答える。

「よし、消毒と止血をして包帯は巻いておこう。それから抗生物質のアンプルを打っておいてやるから、あとは寝ろ。痛みがどうしようもなければ鎮痛剤もあるが?」

「はい……大丈夫です……唯那……」

 何か言いかけて、唯那は落ちた。眠ったというよりは失神したという方がしっくりする。

 それにしても、この薫という女、どこまで軍オタなのか得体がしれない。

「おまえ、よくそんな技術持ってんな。すげえ度胸だし」

「戦場では生きるか死ぬかだ。助かる可能性があるのならば、どのような痛み苦しみでも耐えねばならん。ましてや、処方する側は痛くもない。やらんでどうする」

「いや、それでもおまえ……だいたい、鎮痛剤あったら痛みなく取れたんじゃねえのか!」

「鎮痛剤と麻酔薬は違う。勘違いするな。だがそうだな、有事に備えて麻酔薬アンプルも欲しいな。キシロカインをどこかで手に入れておこう」

 いや、だから、どこで売ってるんですかそんなの。医者じゃないと手に入らないんではないの?

「くふふふふ、蛇の道は蛇だ。金さえあれば調達は出来るさ」

 俺の表情から読み取ったらしく、薫姐さんはは怖いことを言う。ぶっ飛んでやがるな、こいつ。

 ともあれ、無事とはいかなくとも唯那と合流を果たして一安心だ。あとはこれからの身の振り方だが……

 さてどうするか、と思案し始めた時、同じようなニュースを流すテレビから緊急速報の音が流れる。

 今度はなんだ、と視線を走らせると、パッと場面が変わり、スタジオから現場中継らしき画像になった。

『こちら、現場です。一一〇番通報を受けて警察が現場に駆け付けたところ、すでに通報者は殺害され、犯人はアンドロイド。そして、被害者はそのアンドロイドのテスターである、という衝撃的な事件が発生いたしました』

 なんだと! 

 俺は凍りつく。そして、薫も驚愕の面持ちでニュースを食い入るように見ている。

「アンドロイドはその後逃走するでもなく、その場で完全に焼失したという事で、現在警察では現場の状況を……」

 なんだこの不気味なニュースは。アンドロイドがテスターを殺し、自らも焼失? 一方で、相変わらず派手に暴れているアンドロイドもいる。

 点と線が結びつかないどころか、まったく理解不能な事象が生じている。一方で、俺たちのような行動をとっている奴も他にもいるのだろうか?

 報道でわかるのは起こっていることの断片的側面だ。その深いところまでは知る由もない。ネット上での書き込みは無責任極まりなく、その中に本物の情報が含まれているとしても、なかなかに見つけにくい。

 混沌とした情報の錯綜が、よりこの事件の暗部を見えにくくしているような気がする。

「どう思う、薫」

「むう、アンドロイドはテスターに対して従順である、という前提が崩れたな。これはどう判断すべきか。ガン鉄」

「御意」

「今の事件報道、聞いていたな? お前の見解はどうだ?」

 この場合、もしガン鉄が反旗を翻せば、タダでは済まない。俺たちの方は完全に詰んでしまう。

「恐れながら、拙者には謀反の意思はござらぬ。設定にミスがあったのか、それとも、ある一定の条件下で我らの中の何かが動き出すのかもしれませぬ。申し訳ござらぬ。そこまではわかりかねまする」

「そうか」

 薫は短く答えて、それ以上は突っ込まなかった。

 だが、人間ですら狂うことはある。機械とは言え、ここまでの感情を持つアンドロイドもテスターとの間で何かしらのもつれがあれば、心中くらいはするのかもしれない。

 一件くらいはこんな事件も発生するかもな、で終わるところだったのだが。

『速報です。同様の事件が再び起こりました。全国で起こっています。すでに二三件に上っています。これはどういうことなのか、非常に不気味です』

 俺の希望的観測は一瞬にして打ち砕かれた。同時に発生しているという事は、この時期までにある一定ラインをクリアしていないと発動する、という、条件タイマーなのかもしれない。こいつは恐ろしい心理的揺さぶりになるな。いま出頭してない奴らも、こぞって出頭してアンドロイドを差し出すかもしれない。自分の命に比べればそれくらいは安いだろう。

「なんか、見えない黒幕に全部コントロールされているような気がするぜ」

「そうだな。こいつはちょっと面白くないぞ」

 ここに来て突然のアンドロイドの反駁が報道されること。それは、全てのテスターたちが地雷を抱えていることを意味する。地雷の発動条件がわからない以上、アンドロイドの教育や運用の状態に関わらず、全てのテスターがプレッシャーを与えられることになる。

 そして、予想通り当局は、これを機に一斉に投降を呼びかけ始める。問題を起こしていなければ、今投降すれば罪には問わない。起こしていたとしても、酌量を検討する、と。

 法治国家日本ではいまだ大っぴらにこういった司法取引のようなことが行なわれたことはない。それだけ、今回の事態が深刻、かつ早急に収束すべきもの、という事だ。

 だが、それでも俺は何か違和感が付きまとっているのを払拭できない。

 そう、一連の事件や顛末に、このアンドロイドを配布した製作者の意図やうま味が見えないのだ。どうしてこんなことをしているのか。どうしてこうなっているのか。

「まあどちらにしろ」

 薫が腕を組み、ソファーの背もたれに身を沈める。

「今のところ我々は受け身にならざるを得ない、という事だ。とにかく今日は休もう。唯那もこんな状態だし、当面大きな動きは出来ん。テロリストも最初の頃ほど活発には動かんだろう。じゃあな、あたしは部屋へ戻る」

 言って立ち上がり、薫は部屋を出て行った。「起きないからと言って、唯那に変なことするなよ」と、余計なひと言を置いて。

 いくら俺でも負傷した女の子にイタズラはせんよ。まあでも、普通に寝てたら、起きるかどうかのハラハラドキドキも捨てがたいがな。いや、何を言わせるんだホントに。



 起きた。

 事態はかなり進んでいた。

 昨日のテスター殺し事件で、多くのテスターが予想通りアンドロイドを伴って出頭した。一〇八体のうち、焼失したものも含めて九七体を確保あるいは同定した、と当局が鼻息も荒く発表していた。あと一一体。そのうち二体はここに在るので、危険な物は九体か。

 各地で暴れまわっていたアンドロイドは投降していないようだ。それらが合計八体あったはず。未知数の一体をのぞいて、かなり全貌が見えてきた。

 唯那はまだ眠っているが、昨日より呼吸も落ち着き、熱も下がったようだ。一安心と言っていいだろう。

 さて、人数が絞られてきたことで、俺たちを含めて残りのアンドロイドに対するマークは厳しくなるだろう。

「ううん……」

 唯那が呻いた。眼をごしごしこすっている。起きそうだ。

「唯那、大丈夫か? 痛くないか?」

「ん……まさきしゃん? 唯那、帰ってきたですか?」

 寝ぼけ眼でにへら、とする唯那。どうやら昨日の記憶がちょっと混乱しているようだ。ちょっとかわいい。

「おい、昨日のこと、ちゃんと覚えてんのか?」

「覚えてましゅよ? 雅樹しゃんがびりびりって服破いて……ああ、それ以上は痛くて覚えてないでしゅよ? 初めては優しくしてほしいって言ったのに……」

 いや、そんな話聞いてねえし、だいたいどこで記憶がおかしなことになってんだこいつは。それに服を破ったのは薫だし。相当朦朧としてたんだな。

「おい、取りあえず覚醒しろ。顔洗え。いろいろ起こってるんだよ」

「ううん……いい子いい子してくださあい……」

 早く起きろと言うのに、こいつは。そして、どうして俺は言われた通りに頭をなでているんだ? 

 唯那は寝返りを打って、気持ちよさそうにまた寝てしまった。撫でるのをやめると「もっとお……」と、口だけは起きている。厄介だ。

 しばらく頭を撫でつつ、自分なりに情報を整理する。

 そもそも、このアンドロイドは何のために配られたんだろう?

 どう考えても一体数億、もしかすると数十億するかもしれない精巧なアンドロイドを、あれだけの数バラまけるものだろうか?

 経済的な感覚でいうと、これは商売ではない。テスター募集、という名目からもわかるけど、『実験』だ。

 じゃあ、それは何の実験だ?

 製作者サイドではできない実験だったのだろうか?

 アンドロイドを世に放てばどうなるか、という社会実験の可能性はある。事実、それによって社会は大きく混乱し、いまだ収束していない。

 でもそれなら、どうしてアンドロイドはテスターを殺し、自らも焼失するのか?

 そして、これによって結果的に大量に投降、捕獲されたアンドロイドは、製作者の方から見た時有意なのだろうか?

 考える。考え続ける。

 だが答えは出ない。どう考えても不経済だし非効率的だ。

 結果、八体の怒れるアンドロイドと、二体の俺たちのような立場のアンドロイド、そして一体の詳細不明が残ったのみだ。

 やはり考えられるのは一つ。あまり肯定したくないし、この日本ではかなり非常識な部類に入るが、これなら納得は行く。

 つまり、軍事用開発。

 配られた理由とうまくリンクはしないけど、唯那にしろ、ガン鉄にしろ、暴れているアンドロイドにしろ、使い方としては『兵器』『武力』としてのアンドロイドだ。

 そして、もしこれが何らかの機関によって極秘裏に開発された軍事用アンドロイドだとすれば、潤沢な資金がそこに流れ込んでいる可能性もある。 

 だが真相はわからない。それに、気にはなるがそれを知ってしまうことで何か取り返しのつかないことになりそうな気がして仕方がない。二度と日常が戻ってこないんじゃないか、という、な。



 ふと、目が覚めると、俺は唯那の隣に寝ていた。撫でながら睡魔に襲われてしまったようだ。時計を見ると昼前一一時。薫もこちらへ来る様子もなく。今のところ時間は穏やかに流れている。

 今はこの穏やかさが怖いくらいだけどな。

「唯那起きろ。もう昼だ」

 俺はもう一度唯那をゆすってみる。うーん、と背伸びをして顔をウニャウニャやっている。

 そして唐突にムクリ、と起き上った。 

「おはようございまふ、雅樹さん」

「ああ、もう痛みはないか?」

「?」

 小首を傾げて怪訝な様子だ。俺は包帯の巻かれている左肩を指差す。

「ああ、これですか。多分もう治ってると思いますよ。唯那丈夫な子ですから」

 そう言ってシュルシュルと包帯を取る。

「ほらね」

 にっこりほほ笑む唯那。確かに傷跡がなくなっていた。恐るべき治癒力、いや、自己修復能力というべきか?

「昨日のこと、思い出したか?」

「うーん、うっすらとしか。もう、ここにたどり着くまで必死だったんですよ。不覚にも一発撃たれてから、ちょっときつかったです。でも、唯那、約束通り戻ってきましたよ!」

 がばっと布団をはねのけ、俺に抱きついてくる唯那。ギュッと俺の背中に手を回して抱きしめてくる。

「お、おい、唯那」

「雅樹さん、唯那怖いです。これからどうなるのか怖いです。唯那、やっぱり人じゃありません。アンドロイドです。唯那が危険な存在だったら、雅樹さんと一緒にいられなくなるかもしれません。唯那、それ、怖いです」

 いつも明るい声音の唯那が、トーンを落として噛みしめるように言う。そして、俺もそのことはずっと頭をよぎっているのだ。

 平和な社会に唯那たちの安住の地はない。だが、だからと言って戦乱の世を好むのもばかげている。

 唯那は生まれた時からそんな因果を背負っているのだ。なにゆえに、そして、誰がそれを望んだのか。

「唯那、悪いことしません。でも、もし誰も唯那のことを信じてくれなかったら、唯那、雅樹さんと引き離されるかもしれません」

「大丈夫だ」

「あ」

 俺は唯那を抱き返す。

「お前が俺を守ってくれるように、俺はお前を守る。世界の全てがお前を信じなくても、俺はお前を信じてやる。大丈夫だ」

 言葉はない、唯那はさらに俺を抱く力を強める。そして。

「うえ……うえええええん…………」

 たまっていた思いのたけが崩壊したのか、俺の胸に顔をうずめながら唯那は泣いた。自分の存在の不確実性に、その意義に、そして、得ることのできない幸せな時間を思って。泣いていた。

 


 昼も過ぎ、昼食がてら薫を誘いに部屋へ行ってみる。だがノックしても気配がない。

「いませんか?」

「ああ、先に一人で食いに行ったのかな?」

 とりあえずあまり外をうろつくのもまずいので、今日はホテルの食堂で食べるとするか。二階にある食堂に行くと、案の定、薫はそこで一人で飯を食っている。

「よう、おはよう」

「ああ、おはよう」

「昼飯、誘ってくれりゃいいのによ」

「いや、誘おうと思って部屋の前まで行ったんだがな。いいところだったようなんで、邪魔しちゃ悪いと思ってな。くふふふふふ」

 人の悪い笑みを浮かべる薫。げ、聞かれていたのかよ。俺と唯那は思わず赤面する。

「扉が薄いから気をつけろ。丸聴こえになるぞ。情事もほどほどにな」

「じょ、じょ、お前、その言い方やらしいぞ! それに、俺たちはまだ何にもしちゃいねえ!」

「まだ、か。いずれはするつもりだろう、この変態め」

 毒舌だが、特に俺を変な目で見ている様子はない。からかって楽しんでいるのだろうが、やはりムカつくぞこの野郎。

「唯那はいつでもいいですよ? 聞こえないようにガマンするのも、なんだかエッチでいいですよね! 『フフフ、声出してもいいんだぞ?』とか言うんですよね雅樹さん! いにゃいお!」

 頬染めながらくねくねするな。取りあえず脳天チョップしておく。いや、俺も好きだけどなそう言うの。

「まあ、唯那の不安はわからんでもない」

「おま、どこまで聞いてたんだよ」

「おはようございまふ、から、うえええええん、までだ」

「全部じゃねえか! お前、気を利かせるなら立ち聞きすんなよ!」

「すまんな、あたしも女だからちょっと聞いてみたかったんだよ、くふふふふ」

 女ってよりも女狐か雌豹だな、こいつ。んで、ホテルの中でも迷彩服でうろつくのやめろ。目立つから。

「状況はあまり動いてないようだな?」

 俺も一応食堂に来る前にチェックをしたが、昨日の事件以降、大きな動きはないようだった。

「そうだな、事件的には動きはない。だが、あたしら的には、たった今動きがあった様だぞ?」 

「あん?」

 何のことかわからない俺に、薫は箸でテレビの方をさす。お行儀が悪い。

『政府、及び警視庁は残りの一一体のアンドロイドの特徴、及びテスターの年齢と性別を発表しました。これより特別報道としてお伝えしていきます』

 なん……だと?

 報道では淡々とアンドロイドとテスターの組み合わせ、特徴を流している。

『……の女の子タイプのアンドロイドには、一六歳の男性、身長一七三センチ、少し細身、黒髪。次のロボットタイプのアンドロイドには、一七歳女性、身長一五三センチ、細見、黒髪長髪、迷彩服を好む傾向。次の……』

「おいこら、さっさと着替えてこい!」

 ゆうゆうとコーヒーを飲む迷彩服少女に、周囲の視線が集まってるんですけど。これ、もうすぐあれだよね。『通報すますた』ってなるよね?

「おい、か……!」

 まずい、ここで名前までばらすわけにはいかん。

 それにしても、何でこいつはここまで落ち着いている? 

「落ち着いてるわけじゃない。楽しんでいるんだよ。くふふふふふ」

 うわ! 心読まれた!

「まあ、そう焦るな。取りあえずのんびり出立の準備でもしておこうじゃないか」

 ポン、と俺の肩を叩いて、薫は去っていく。

 俺と唯那はただ茫然とその後ろ姿を見送るだけだった。

「雅樹さん、ほんとにほんとに大丈夫でしょうか?」

「俺に聞くな……」

 とりあえず、昼飯を食べた。あんまり味がしなかったなあ。



 昨日までにほとんどのテスターは投降した。つまり、今残っている一一人は要注意人物としてマークされていることになる。未成年なので指名手配こそされていないが、当局には顔写真他、全てのデータがそろっているとみて間違いない。親にも連絡行ってるんだろうなあ。携帯はずっと切ってるから、電話あってもわかんねえけど。

 ほどなくここにも警察が来るんじゃないだろうか。そうびくびくしていたが、意外にもそういった動きはなかった。誰も薫の出で立ちを見て通報しなかったんだろうか?

 まあ、確信は持てないし、厄介ごとには首を突っ込まない方がいいだろう的な心境で二の足を踏んだ可能性は充分にあるけど。

 俺たちはこれからどこへ行けばいいんだろうか。

 成り行きでアンドロイドを手にし、テロリストに襲われて逃走、偶然薫とガン鉄にあった。あいつらの真の目的はわからないが、暴れまくってる犯罪アンドロイドとテスターたちとは一線を画しているとは思う。だが、ガン鉄が自衛隊を守って戦った件は一切評価されず、その後の報道でも触れられることはない。いまや、出頭していない俺たちを含めた一一体は、いつの間にか社会の敵とされてしまった。

 これがリアルな社会の現実だ。正義の味方はいない。偏向報道でも何でも、テレビが報じてしまえばそれは『事実』として浸透してしまう。

 だが『真実』ではない。いまだかつてすべての歴史において、権力側が流す情報のすべてが正しいというとはなかったし、マスメディアが必ずしも正義であったこともない。一定の誤った情報が故意過失に関わらず流れている。

 俺たちは、その情報の海の中におぼれているようなものだった。

「唯那退屈です。お料理もお掃除もできないし、早く普通の生活に戻りたいです」

 横では唯那がぶーたれていた。この子と普通の生活をしたのはほんの一日ほどなわけで、あとはバイオレンスな日々を送っているのだから無理もない。だが、普通の日常を希望する戦闘仕様アンドロイドが心安らかに暮らせる日が来るのだろうか。

 もしかすると、薫の目的はそこなのだろうか。

 という事は、あいつはガン鉄と日常を……いや、有り得ない。戦場ならわかるが。

 今日は結局ここから出ることもなく、日が暮れようとしていた。せめて何らかの行動指針でも決まれば少しは気が楽なんだけどな。

 そんなことを思っていると、不意に唯那がそわそわしだした。

「どうした? トイレか?」

「ち、ちがいますもん!」

「そう言えばお前、トイレ行くの?」

 ぼっ、と唯那の顔が真っ赤になる。

「ま、雅樹さん変態! そんなの確認してどうするんですか! あ! も、もしかしてそう言うプレイがお好きなんですか? ゆ、唯那恥ずかしくて死んじゃいますよ?」

「ちげーよ! なんですぐにそんな話になるんだいや俺が設定したんだよなごめんなさい!」

 一気にまくし立てて話を終わらす。つまり、唯那はトイレに行くんだな。メモメモ。

 メモしてどうする。そこじゃないだろう俺。

「じゃあ何そわそわしてんだよ?」

「ええっと、何か電波が来てる感じなんです。頭の中がモゾモゾします。なんだかくすぐったいような、かゆいような。とにかくモゾモゾするんです」 

 なんだろう? しかも今迄みたいに唯那が自主的に受信してきた電波とは違うようだ。それなら、唯那の方から接続に入るだろう。嫌な予感がする。

「じゅっしーん! え? なに? なにこれ?」

 唯那がアワアワしだす。ほぼ同時に、部屋の扉がノックされる。覗いてみると、薫だ。

「おい、ガン鉄が今、妙な文言を受信した。唯那、お前もか?」

「はい! 東京の住所と、テスターはここへ来い。ただそれだけです」

「むう、同じだ。雅樹、どう見る?」

「どう見るって、薫の中では予測ついてんだろ?」

「まあな、だが、男の意見を立ててやる。言ってみろ」

「ふん、こいつは製作サイドからの連絡じゃないのか?」

 この状況下で考えられるのはこれしかない。一〇八体のアンドロイドの中から淘汰された一一体を集めて、何かをしようとしているんだろう。

 この一文が来たことで、いろんな点が線になる。

 つまり、こうだ。


一〇八体のアンドロイドを手にした何人かが、犯罪に手を染める。

 国や警察が取り締まりに動き出す。

 ほとんどの個体は捕まるだろうが、中には更なる抵抗や逃走をし、捕まらないペアが出てくる。

 それらを一気に招集して、何かを企んでいる。

 

 と、まあこんなところだろう。まだ腑に落ちない点もあるが、このアンドロイドたちが同等のクオリティでいろんな性能を持っているとして、一一体もあれば一国を落とせる脅威にすらなるんじゃないだろうか。

 もちろん俺たちにそんな気はない。だが、手掛かりもない、行動指針も決まらない、ましてや、こちらの意見や思惑などお構いなしに一方的に追われる身だ。

「行ってみようじゃねえか。どうせこのままだと捕まるだけだ。相手の思惑もわからねえが、うじうじしているよりいい」

「ほう」

 薫が妙に感心したような面持ちでつぶやく。

「いいのか? これだけの大規模な計画をやる連中だ。しかも、明らかにまともじゃない。死ぬかもしれんぞ?」

「もちろん、危険は承知の上だ。だが、じゃあお前は素直に当局につかまって、こちらの言い分も通らないまま十把一絡げに処断されてもいいのか?」

「くふふふふ、断る。あたしには目的がある」

「だったら、行こうじゃねえか。大丈夫だ。俺たちは一人じゃない。四人も仲間がいる。愛と勇気と友情の先には勝利しかねえんだよ!」

 うわ、恥ずかしいこと言った。でも、ここまで来たなら真実を知りたい。その好奇心に抗うのも難しいことだった。ここで捕まれば、都合のいい事実しか報道されずに終わるだろうから。

「雅樹さん、かっこいい!」

「うむ、そこもとの心意気や良し。拙者、感じ入りましたぞ」 

「くふふふふ、会ったときはどうかと思ったが、なかなか男気があるじゃないか。惚れるぞ? くふふふふふ」

 いや、惚れないでくれ。お前は危険だ。俺、危険物取扱の資格とか持ってないから。

 方針は決まった。夜に動くことも考えたが、東京都内は既に戒厳令状態だ。俺たちみたいなのがうろついていると真っ先に職質にあう。朝を待って行動開始という事で話はついた。

 明日は布団で眠れるのかな? なんだかますますバイオレンスな日々になってきたが、人生明日はどっちだ、ってのを実感する今日この頃だ。



 早朝。俺たちは指定された住所へと向かう。あまり派手な行動はとりたくないので、電車やバスなどの公共機関を使いつつ、穏便に行動する。

 俺たちが宿を取ったホテルから、約二時間で到着した。一応周囲を確認するが、特に見張りや警察がいる様子もない。

 ここはマンションのようだった。何の変哲もない、一般のマンションで、入り口がオートロックになっているでもない、古い建物だ。

 人は結構入っているようで、ベランダには洗濯物もなびいている。

「おい、本当にここか?」

「唯那のGPSは正確ですよ? 間違いなくここです。五階の三号室ですね」

 もしほかのアンドロイドにもこの怪文が届いているのなら、鉢合わせしてもよさそうだ。だが、ガン鉄タイプのアンドロイドなら、端末を持ったテスターだけが来る、というパターンだろうな。薫のように。

 あまり周囲をうろついていても怪しいだけなので、一旦距離を取り、情報を確認する。いま、どうなっているのか、を。

 唯那の受信する報道をガン鉄の端末が映し出す。

 やはり動きはあった。

 各地で暴れていた八体のアンドロイドのうち、二体が東京方面へ向かいだした。あとの六体は不思議なことに、突然動きを止め、その場に崩れ落ちたという。テスターの確保には至っていないが、少なくとも破壊者としての脅威はなくなったらしい。これで表向きの脅威は二体のみ。俺たちと未知の一体を合わせて五体になった。

「どういうことだ……」

 考える。なぜ六体は動かなくなったのか。

 だが、わからない。

「ここはひとつ、先にご対面と行くか。向かっているアンドロイドは東京の東側と大阪の物だ。あたしらが一番乗りだという事らしいし、今なら余計なやつがこないうちに形勢をコントロールできるかもしれん」

「だな」

 意を決して俺たちは階段を上る。エレベーターがないんだよな、ここ。

 五階はこの建物の最上階。不思議とこの階には人の気配がない。他の階より活気がないというか、なんか廃墟めいた寂れ具合だ。昭和の廃墟写真集なんかで見たことのある、ちょっと風情のある古い光景。

 その三号室の前に立ち、俺たちは緊張の頂点に達する。

「おい何をしている。早くチャイムを押せ」

「か、簡単に言うな。何だったらお前が押せ」

「か弱い女にそのような大役をやらせるのか? 男を見せて見ろ、雅樹」

 大役も何もチャイム押すだけじゃねえかよ。

「大丈夫です。唯那、雅樹さん守りますから」

「おい! 物騒なもんはしまっとけ!」

 左手のひらから銃身をのぞかせ待機する唯那をたしなめ、俺は生唾を飲みつつチャイムを押す。

 チン。

 短い音が鳴る。インターホンのないシンプルな呼び鈴は、音もシンプルだ。

 中から反応はない。もう一度押す。

 チン。

 やはり反応はない。さらに押そうとした時、中から「開いとるよ」としゃがれた声が帰ってきた。

 俺は恐る恐るドアノブを回し、扉を引く。開いた。

 中は暗い。昼間だというのに日も差し込まず、うっそうとした雰囲気を醸し出す。

 怪しい機械でもあるのかと思っていたが、入り口から見える通路からまっすぐ奥のベランダの窓まで、特に怪しげな物はない。

「お邪魔します」

 毒気を抜かれ、俺は先頭を切って部屋に入る。

「奥まで入ってこい」

 さっきのしゃがれた声がそう言うので、俺たちはおっかなびっくりそれに従う。

 奥の部屋はリビングになっていて、そこには一人の白衣を着た老人がソファーに座っていた。かなりの高齢と見えるが、かくしゃくとしたじいさんだ。

「よく来た。まあかけたまえ」

 老人は自分の向かいのソファーを進める。意外なほどおかしくもなければ敵意もない。もっと物々しい雰囲気を予想していただけに、拍子抜けだ。

「ふむ、一〇五号か? 随分と雰囲気が変わったな」

「お爺さん、唯那のこと知ってるですか?」

 突然シリアルナンバーで呼ばれ、きょとんとする唯那。

「無論だ、そうか、今は唯那というのか。彼女のテスターは……少年じゃったな。君か?」

「あ、ああ、はい」

 やはり、発送した相手を把握しているようだ。この老人はアンドロイド事件の、少なくとも関係者らしい。

「そちらのお嬢さんは……」

「こいつだ」

 言って、懐から端末を出す。すると、老人はうなずく。

「ふむ、三三号じゃな。一度自衛隊と四五号の戦いに割って入ったのを見た。なによりじゃ」

 一人相好を崩しじいさんは、今見る限り、こんな大それたことを起こすような人物には見えない。

「あの……」

「何かな、蓮杖雅樹君」

「あれ? えっと、俺まだ名前……」

「テスターとアンドロイドの組み合わせは全部覚えとるよ。そっちが東條薫君じゃろう」

 一〇八組全部覚えてるのかよ。

「それで、質問は何かな?」

「ああ、えっと、あなたは何者で、このアンドロイドたちをどうしてばらまいたんですか?」

 まず当然の質問だ。じいさんは鷹揚にうなずきながら、口を開く。

「復讐じゃよ」

 短い。簡潔な答え。それを聞いた俺の背筋に寒気が走る。

「ご老人、それでは答えにならん。あなたは何者だ? と尋ねている」

 薫が相変わらずの口調で尋ねる。じいさんは「ふむ」、と頭を書いてソファーに深く座りなおす。

「わしは間土(まど)露(ろ)美(み)という、老いぼれ研究者じゃ。君らの年齢では知らんじゃろうがな」

「間土露美?」

 薫が眉間にしわを寄せる。

「第二次大戦中に兵器のオートメーション化を研究していたが、その後消息不明になったという、あの間土露美博士か?」

 知ってるよこいつ。さすが軍オタだな。

「ほう! 君は若いのに博学じゃな。その通りじゃ。わしは当時まだ大学生じゃったが、自分でいうのもなんじゃが天才でな。当時としては画期的な自動操縦装置などの開発に成功しておったんじゃよ。もっとも、基礎理論と試作品までじゃったがな」

 えーっと、それってすごいことなんじゃ?

「ちょっと待ってください。その技術は恐ろしく最先端な上に、戦争の意味や是非の価値観すら変わってきませんか?」

 この現代でも無人の兵器はまだ数えるほどしかない。偵察機などでは実用化されているが、本格的な兵器ではまだいろいろ問題があるらしい。それを一世紀近く前に完成させていたって?

「左様。あれが採用されていれば、特攻兵器などで無為に若者を散らすこともなかった。だが、偏屈な上層部は『命を賭けてこそ本物の大和男児』などと、気ちがいじみた精神論でわしの研究を却下したんじゃよ。実用化されていれば、世界の覇者は日本じゃった」

 確かにそうだろう。命を賭けて戦場に挑んだとして、敵が無人の自動操縦機で突っ込んでくるとしたら、気持ちの上でも勝敗は決してしまう。そして、勝った側は貴重な人材を失わなくても済むのだから。

「それと、復讐ってどうつながるんですか? あなたはいったい何に復讐をするんですか?」

 他のテスター、少なくとも東京のやつが来るまであまり時間がないだろう。俺は矢継ぎ早に質問をする。

「もちろん、この国家に対してじゃよ。無用な戦闘を続け、無為に将来有望な若者を死なせ、結果生き残った一部の上層部は上手く戦犯を逃れてこの近代日本の礎となる財閥を率いた。結果としてどうじゃ? 欧米の顔色をうかがい、周辺国の情勢急変による自国の危機にすら対応できるか危うい」

「そこでご老人は、このアンドロイドで国家転覆を図る、という事か?」

 薫がじいさんの言葉を継ぐ。だが、じいさんは首を振る。

「そんなことをするといろいろ面倒だ。わしは、このアンドロイドを国家戦力として正式に採用しろ、と迫るだけじゃ。わかるじゃろ? このアンドロイドの意義が」

 わかる。要は、代替えの効く自動制御の兵士の誕生だ。命令に忠実、柔軟な思考、恐れを知らない。まさに最強の兵士が出来上がり、戦力として一定のアドバンテージを持つようになるだろう。だが、これは同時に無用の戦乱を巻き起こしかねない。

「そんなことに俺たちが協力するとでも?」

「おや、いやかね? 幸運にもアンドロイドを引き当て、ここまでたどり着けたのはすごいことじゃよ? 六体は機能停止したじゃろう? あいつらはここに来ることを拒んだ、というより無視してこなかった。あの文面を受け取って一定時間移動が認められなければ、自動的に停止するように仕組んであったんじゃよ。くっくっくっく。一旦停止すれば、そう簡単に起動は出来んようになっとる」

「なんだって……」

 俺や薫はもとより、唯那も驚愕の表情だ。自分の意思とは無関係に停止する様なギミックが仕組まれているなど、いつ止まるかわからない心臓を持つようなものだ。

「無論、君たちには面倒をかけることになるが、その分莫大な金も入るぞ。これだけの数のアンドロイドを作成する資金、どこから出ていると思うかね? 軍事産業は金になるんじゃよ」

 スポンサーがいるって事か。そして、事が成ればそのスポンサーはさらに大儲けができる仕組みが出来上がっていると見た。結局は、戦争というのは一部の人種にとって、金儲けの手段でしかない。

「なるほど。あたしもこの国の防衛体制には疑問がある。確かにこのアンドロイドたちが戦力の一端を担えば、世界の列強の中でもトップクラスの軍事力を持つことになろう。ご老人の考えには納得できる物はある」

「おい、薫!」

「薫さん!」

「くふふふふ、あたしがガン鉄を得て考えたことも、この国の防衛をどうするか、だ。だからこそ、暴れるアンドロイド相手にガン鉄を投入した。それに関してご老人の考えには一定の理解をしよう。だが、あなたのやり方はどうにも面白くない。それならば最初から防衛省にでも打診すればよかったのではないか? もう時代は変わったのだからな」

「それでは、わしの気が収まらんのじゃよ。今の防衛体制がいかに脆弱か、奴らに思い知らせてからでないとな。もう老い先短い身じゃ。理想や正義や体裁などどうでもよい。それにあの頭の固い無能政府では、そう簡単に受け入れてはくれんじゃろうてな。騒ぎを大きくする方が、得てしてスムーズに進むもんじゃ」

「否定はしない。そして事実、あたしたちも自衛隊の第一師団で結構なもてなしを受け、今や追われる身だ。だが、だからと言ってあなたのプランに乗ろうとは思わない」

「よく言った薫!」

「薫さん、唯那信じてました!」

 だが、それならどうしたらいいのか、というのは俺たちにもわからない。

「では、協力は出来ぬ、と?」

 そして、このじいさんの申し出を蹴った場合、どうなるのかというのもわからない。だが、あえて俺は言う。

「できねえな。唯那をそんな世界に放り込みたくない」

 決まった。俺、今、一生の中で三本の指に入るかっこよさだと思う。

「その上で、あんたの計画、ストップしてもらえねえか?」

 余計な混乱は諸外国にとってもいい印象は与えないだろうし、無用な犠牲も出したくない。俺はもう日常に戻りたいんだよ。

「くっくっくっく」

 だが、やっぱり聞き入れてくれなさそうだ。じいさんは肩を振るわせて忍び笑いをする。

「何がおかしいんだよ」

 俺は精一杯の虚勢を張る。ここで退いたら負けなような気がする。

「君らは忘れたのかね? アンドロイドがテスターを殺すこともある、と」

「え?」

 ゾクリ、と殺気が走った。その瞬間、後ろから強烈な蹴りを見舞われ、俺は数歩前のめりにたたらを踏んだ。その刹那、銃声と弾が、さっきまで俺のいた床に当たって弾ける音がした。

「おい! 唯那! しっかりしろ!」

 薫の叱咤が飛ぶ。俺はとっさに振り向き、唯那の方を見た。

 なんだ……これは……

 うつろな目。左手のひらからは銃身がのぞき、それが俺を狙ったのだと理解するのはすぐだった。今は薫が必死に唯那を羽交い絞めにしているが、アンドロイドの力にかなうはずもない。徐々に銃口は俺の方を向き始める。

 くそ! 人格プログラムに何か仕込まれてやがる!

「くっくっく。アンドロイドたちにはシナリオの経過軸に沿って仕掛けがしてあるのじゃよ。さっきも言ったじゃろう? 移動しなかったアンドロイドは動かなくなるようにしておいた、と。他にも、テスターを殺したアンドロイドは、あらかじめあの段階でそうするように仕組まれたやつじゃ。こいつは世論の誘導とその他のテスターを精神的に追い込むためじゃな。そして、残った諸君らにこの場所を教えたわけじゃが」

 好々爺としていたじいさんの表情がいびつに笑う。

「ここまで来て、わしの意に沿わぬ奴らを殺す、という仕掛けをしていても、何も不思議じゃなかろうて。ひゃっひゃっひゃっひゃ、おう?」

 哄笑していたじいさんが、一転奇妙な声を出した。

 泣いているのだ。

 唯那の大きな瞳から、とめどなく涙が流れていた。だが、その銃口は必死に俺の方を向こうとしている。

「くっ!」

 俺は薫に加勢すべく、銃口の射線軸から体を外し、左手のひらがこちらに向かないように抑え込む。

「どうした一〇五号! お前の人工筋肉なら人間二人くらいに抑え込まれることはないはずじゃ! さっさと始末し、わしのもとへ帰ってこい!」

「……い……や……」

 うつろな目から涙を流し続けながら、唯那は言う。

「雅……樹さん……唯……那の……大切……な人……」

 うわ言のように小さな声で呟きながら、ものすごい力で俺と薫を振り払った。そして、再び銃口を俺たちに向ける。

「唯那!」

「ひうっ!」

 ビクン、と体を震わせて、その場にへたり込む。プログラムに仕込まれた命令と、自己の想いとの矛盾が唯那を動けなくしているのか。だが、もしそうなら……

「唯那! 正気に戻れ!」

「一〇五号! 撃て! そうすればお前はその奇妙な苦しみから解放される!」 

「あああああ……」

 唯那は光のない瞳で俺とじいさんを交互に見やる。そしてゆらり、と立ち上がった。そして、ゆっくりと銃口をこめかみに当てる。

「雅樹……さん、唯……那、雅樹さんの……こと大好き……です。だから、だから、さよ……なら……します。ごめん……なさ……い……」 

「待て! やめろ! 唯那!」

「さよ……なら……、雅樹……さ……ん……」 

 唯那は最期に精一杯の力で抗ったのか、涙にまみれながら朗らかな笑顔を作った。

 衝撃に弾かれて唯那の身体が横に飛ぶ。俺は、俺はいったい今何を見ているんだ?

 視界が涙で揺らぐ。心がざわめく。

 俺はこの瞬間失った。この、俺だけを見つめてくれるかわいい少女との幸せな時間を――

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