20話 彼女は泣いている
僕は酒屋でアッシュさんに食事をご馳走になった。
流石にアッシュさんが勧める店なだけあって、どの料理も美味しかった。
味のわりに値段も良心的で、何より頼んでから出てくるのが早い。店主の綺麗なお姉さんが魔法で料理しているとアッシュさんが教えてくれた。
最初は遠慮したけど、結局お腹一杯になるまで食べてしまった。
食事中、アッシュさんは他愛のない話をしていた。
僕の事情とか、以前のパーティーのこととか、全く触れなかった。
優しい人だ。こういう人を大人っていうんだろうか。
店を出ると外はすっかり暗闇だった。
だいぶ話し込んだみたいだ。
僕はアッシュさんに向き、頭を下げる。
「あの、今日はありがとうございました」
「気にすんな。飯は誰かと食った方が美味い」
「それもありますけど。さっきのことも」
「さっき?」
「僕のこと、強くなるって言ってくれたことです。アッシュさんにそう言ってもらえて、とても励みになりました」
「ああ……まあ思ったことを正直に言っただけだ」
頭をかいて言うアッシュさん。
大した意味はないのかもしれない。
本当になんとく、思ったことを口にしただけかもしれない。
それでもAランク冒険者からの受容の言葉は、僕にとっては大きな意味を持つ。
認められたんだ。思い上がりだっていい。
愚かでも無様でも、僕を見ていてくれる人がいる。僕を評価してくれる人がいる。それが無性に嬉しかった。
「それはそれとしてだ。パーティー加入の話、考えといてくれよな」
「あ、はい。……でも、本当に僕でいいんですか? Bランクパーティーに入っても、仲間の足を引っ張っちゃうかもしれません」
「なに言ってんだ」
アッシュさんは真剣な顔で言う。
「俺のパーティーは次の昇級試験でAランクになる。絶対とは言えないが、自信はある。
しかしだ。その先を見据える身としてはパーティーに新しい風を運んでくる必要があると俺は考えている。
SランクパーティーになるにはAランク冒険者五人以上の在籍が条件の一つ。仲間の成長を手助けするのも重要だが、Aランク足り得る器を見抜き、勧誘するのもリーダーの仕事ってわけだ」
腕を組んでつらつらと説明したアッシュさんは、試すような目で僕を見る。
「なにが言いたいかわかるか?」
「えと……僕には、Aランク冒険者になる可能性があるってこと、ですか?」
「その通り。数と質が伴ってこその最高位。俺は俺の眼を信じるし、それだけお前には本気ってわけだ」
僕は息を呑む。
Sランクパーティーを目標にする冒険者は多い。
わかりやすいし、何より夢があるから。誰もがその頂を目印に努力する。
ハルトさん達だってそうだ。いつかはSランクパーティーに。毎日のように酒屋でそんな話をしていた。
でもアッシュさんは、そんな冒険者たちとは違う。
空に浮かぶ星を掴むような壮大な理想。
口にするのは簡単だけど、果ての見えない道に誰もが苦悩する。
Sランクパーティーになれる冒険者は一握りだ。現在のリーンベルグ王国にもたったの二組だけ。世界規模で見たって、百は超えない。
そんな理想に手を伸ばし、背伸びをすれば届くかもしれない場所にこの人は立っている。
アッシュさんは僕が知り合った人の中で最も頂に近い冒険者だ。
そんな人が、僕の力を求めている。星を掴むには僕が必要だと言っている。
「……アッシュさん」
「なんだ?」
「その、僕はアッシュさんに黙っていたことがまだ一つあるんです」
僕は自分の目に手をかざす。
僕の恩恵。
魔物を支配する力『レッドアイズ』。
この力があれば、きっとアッシュさんのパーティーに貢献できる。
無能と笑われた以前とは違う。僕の本当の力であれば、きっとみんなに認められる冒険者になれる。
でも……。
「僕は……」
ポタリ、と僕の掌に水滴が落ちる。
空を見上げる。雨雲だ。
途端、堰を切ったようように雨が降り始める。
「あーあ、こりゃ早く帰った方がいいな。話は次に会った時にしよう」
「あ、はい」
ホッと胸を撫で下ろす自分が憎らしい。
僕はまだ恐れているんだ。
パーティーに所属してまた捨てられたらどうしようか。
僕の力が思っていたよりも使えなくて、Aランクに通用するような器じゃなかったら……。
「じゃあまたな、アストラ。気が向いたらいつでも受付に言ってくれ。なるべく優先して駆けつける」
「はい、ありがとうございます」
手を振って立ち去るアッシュさんを見送って、僕も帰路につく。
僕は弱い自分を乗り越えなくちゃいけない。
誤魔化して縋る相手はもういないんだ。一人でやっていくなんて、そんな取って付けたような言い訳でいつまでも自分を慰めているわけにはいかない。
「僕は強くなるよ」
誰に宣言するわけでもなく、僕は自分の心に刻み込んだ。
雨がそれなりに強くて、僕はずぶ濡れになりながら道を歩く。
走って帰る気分でもなかった。
靴の中まで水浸しになって、ようやく部屋を借りている宿の近くまでくる。
瞼に水が滴って視界を邪魔する。
そんな中でもなんとなくわかる、人の影。
宿の扉の前。こんな雨の中でポツンと立っている人がいる。
僕は足を止めて目を眇める。見覚えのあるシルエットだった。
ほとんど確信しながらもゆっくり近づいて、僕はその人の名前を呼ぶ。
「……エルファさん?」
俯いて立ち尽くしていたその人は静かに顔を上げて、こちらに目を向ける。
アメジストのように煌めく綺麗な瞳。間違いなくエルファさんだった。
エルファさんは全身水浸しで、僕と同じように長時間雨風に晒されていることがうかがえた。
「エルファさん、こんな場所で何をしてるんですか? 早く部屋に入って着替えないと風邪ひいちゃいますよ」
「……アストラ」
エルファさんが小さな声で僕を呼んだ。
どこか空虚な瞳は見開かれて、口元は震えている。
何かあったんだ。
すぐに気づいた僕は黙ってエルファさんの言葉を待つ。
「私もパーティークビになっちゃった」
「……え?」
エルファさんが無理矢理つくったような笑顔を浮かべて言った。
言葉を理解して、僕は頭の中が真っ白になる。
どしゃ降りの雨。
視界は不良。前髪が目元に張り付いて邪魔をする。
自分も相手も絶えず雨に晒されて、頬に水が流れている。
それでも僕にはわかってしまった。
今、彼女は泣いている。
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