12話 治療しました
「以前に頭を打ちましたか?」
「え、ええと……覚えてません」
「なるほど。記憶は曖昧と」
医療協会の診察室。
僕は今、白衣を着たお爺さんの先生に側頭部を押さえられている最中だ。
先生は両手からは光が溢れている。魔法で僕の障害を探っているんだ。
「フリートさん。脳にショック症状が見られます。それによって恩恵が絶えず暴発しているのでしょう」
「そうなんですか? ショック症状って……治るんですか?」
「問題ありません。精神を安定させる陰系回復魔法を施します。それで恩恵の暴発は収まるでしょう」
「本当ですか!」
どうやら大事はないらしい。
よかった。手の施しようがないなんて言われたら途方に暮れていたところだ。
頭を打ったのはたぶん『無限階層』に潜った時だろう。記憶が曖昧だけど、それくらいしか思い当たる節がない。
「では治療します」
「お願いします!」
先生は僕の側頭部に手を当てたまま瞳を閉じる。
「『我が手に神の片鱗を』」
声が室内に反響する。
エルファさんやアリアさんの魔法とは違う。
聞いたことがある。これは旧魔法だ。魔法の歴史の起源とされる最古の魔法。
医療協会は歴史が古い。昔から代々受け継がれてきた魔法を後世に繋いで、今もこうして人々の命を助けているんだ。
「『サイレントヒール』」
僕の視界が歪む。何かが作用している。
目眩のような感覚なのに、不思議と落ち着くのはなぜだろう。
何分くらい意識が朦朧としていただろうか。突然目の前でパンッと空気が弾ける音が聞こえ、僕はハッとする。
僕の目の前で両手を合わせた先生が、にこやかに言う。
「はい、終わりましたよ」
「え、もうですか?」
「ええ。症状は軽度でしたので、さほど時間はかかりませんでした」
あまりに簡単すぎて実感がわかない。
これだけで本当に治ったのだろうか。
「鏡で見てみますか?」
「あ、はい」
先生が手鏡を手渡してくる。
僕はそれを受け取って、目の色を確認する。
白い肌。色素の抜けた髪。見慣れた僕の顔だ。そして、肝心の僕の瞳は……。
「……赤くない」
本来の鈍色に戻っている。
治ったんだ。本当に。
僕は感極まり、立ち上がって先生に頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「いえいえ。礼には及びませんよ」
原因不明の症状をすぐに見抜いて治療するなんて、医療協会の先生は凄い。
これで魔力薬に頼る生活も終わりだ。
魔力薬はそれなりに値が張る。エルファさんは優しいから僕に分けてくれたけど、本当は貴重品なんだ。
もらった分はしっかり返さないといけないし、これ以上迷惑もかけられない。
本当に治ってよかった。
「では、違和感が残るようでしたらまたいらしてください」
「はい。本当にありがとうございました!」
僕は再び頭を深々と下げる。
思いのほか早く終わった。帰る前にエルファさんと寄り道できたらいいな。
ガルフにもご褒美をあげないといけないし――
「先生! 大変です!」
医療協会の職員さんがドアを乱暴に開いて入ってきた。
僕と先生は驚いて顔を向ける。
よほど急いでいたのか、職員さんは息を切らして咽せている。
「どうしたんだそんなに急いで。患者の前だぞ」
「魔物が外で暴れているんです! 危険ですので避難してください!」
「なんだと!?」
ガタリと先生が椅子を倒す。
職員さんが目が回るような早口で状況を説明する。
先生はそれを深刻な顔で聞いていて、一人取り残された僕はその場で立ち尽くすことしかできない。
「……わかった。フリートさん、緊急事態です。扉を出て右手側の通路を抜けた先に緊急避難口があります、我々と一緒に向かいましょう。……フリートさん?」
先生が僕に何か話しかけてきている。
しかし僕の耳には内容が入ってこなかった。
それどころか耳鳴りが酷い。胸の動悸が頭に響くようだ。
僕の聞き間違いでなければこの職員さんは今、魔物の話をしていた。
「……あの、その魔物って」
僕は小さな声で聞いた。
勘違いだ。
そんなはずはない。
そう思いながらも、可能性を否定しきれない。
「オーガウルフです。非常に危険な魔物ですので、Cランク以上の冒険者が到着するまで身の安全を――」
聞くや否や、僕は走り出す。
扉の前に立つ職員さんを押し退け、廊下を左に進む。
違う。
そんなはずはない。
だってガルフは僕の言いつけを守って大人しく待っているんだから。
別の個体だ。野生のオーガウルフだ。きっとそうだ。
騒ぐ人の群れには目もくれず、僕は外に飛び出す。
晴天の日差しの中。
一瞬だけ眩む視界はすぐに適応し、僕の前には現実が広がる。
掌に炎を纏わせて身構えるエルファさん。
そして凶暴な顔で今にも飛びかかりそうなガルフの姿があった。
僕はずっと手に持っていた手鏡を地面に落とす。
「……嘘だ」
どうして。
なんで。
頭の中で状況を糾弾する声が渦巻いては消える。
なにより未だに現実を否定したがっている自分が、激しく心を揺さぶってくるんだ。
「なにしてるんですか!!」
睨み合う両者に向かって、僕は張り裂けるような声で叫んだ。
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