第5話
徹が降り立ったその場所は、淡路のある山のふもとだった。すでに【シオン】ができて一ヶ月経っているというのに、山を登っていく集団が多く見られる。
チームなのかギルドなのかは分からないが、和気あいあいとした集団から、ウィンドウを共有して話し合っている集団まで色々居る。
「はぇ〜盛り上がってんなぁ〜」
オープンヤードとフェザーヤードの出品者たちが、道端にスペースをとって宣伝をしている。それらの中に、宣伝する必要もない出品者が一人居た。アルテミスの作者、ヘパイストスである。
彼の作る武器、メカ、道具はどれも一級品であり、そして非常に高額である。
「見つかる前にさっさと行かないとな…」
一ヶ月前の事とはいえ、掲示板で炎上した身である。しかも、ディアスポラのアバターをゲーム環境外で使用するという、システム上不可能な状態で動き回っているのだ。事の顛末を知っている人物に見つかればただでは済まないだろう。
「おっ…おい、あれ見ろよ」
「ん、なんだ?チアキ」
「あれって…ミリアムじゃないか?」
(まずい…チアキだ!面倒なことになる前に逃げねぇと)
徹はフードを目深に被り、早足で人混みに突っ込んでいった。
なんとか人混みに紛れ、その流れにまかせて山を登っていると、【シオン】の入り口らしき『時空の歪み』のような物が見えてきた。アナナキに見せてもらったものと同じ物だ。
人混みの中をここまで歩いてきて、一つ気づいたことがあった。銃を持っている人が少ないのだ。出品者たちが宣伝していた物の中にも銃はなかった。
ディアスポラでは弓よりも銃という人のほうが圧倒的に多い。なにより手数が段違いだからだ。
アナナキは、【シオン】を探検するヤツの大半はイェフディだと言っていたが、それならディアスポラで使い慣れているであろう「銃」を使うはずなのだ。
銃の代わりに持っている得物は、見渡す限りどれもこれもファンタジーなものばかりだった。剣や槍、弓など、さらには「杖」にいたるまで多様な装備が見られる。一体、一ヶ月の間に何があったのだろうか。
観察を続けながら人混みに流されていると、シオンの入り口がすぐ目の前、というところまでたどり着いた。なにやら入り口で入場整理をしているのが見える。
(これのせいで遅かったのか…)
【シオン】に入る届けを出させることで、行方不明者を管理するのが目的だろう。理にかなってはいるのだが、面倒くさいと感じてしまう。しばらく待っていると、自分の順番が回ってきた。グルグルと渦巻いている【シオン】の入り口、その横に机とテーブルが設置してあり、『受付係』のネームプレートを付けた男が座っていた。
「【シオン】に入るんだな?」
「ああ、そうだ」
「じゃあこれに名前と個人IDを書いてくれ」
男は名簿らしき紙とペンを差し出してきた。
(まてよ…?俺って想像で出来上がったんだよな?だったら、個人IDがないんじゃ…)
ふと頭によぎった懸念を払拭するべく、ウィンドウを開いてプロフィール画面を表示した。
個人IDとは、エレツ内の個人に割り振られる番号である。普通は出生時にシステムから自動的に割り振られるが、徹の場合はどうなっているかわからない。
恐る恐る、顔写真の横にある個人IDの欄を見てみると、そこにはちゃんとIDが記載されていた。
(アナナキがやってくれたんだろうな…)
自分は確実にシステムから認知されていると安心した徹は、プロフィール画面を見ながら書き慣れない文字列を記入した。
「二見徹、だな。よし、いっていいぞ」
入場届をすませた徹は、【シオン】入り口の前でカバンをおろした。そしてカバンの中から例の無線機を取り出し、設置した。
背中に視線を感じ、振り返ってみると、さっきの受付係が怪訝そうな目でこちらを見ている。気に止めることもなく、徹はもう一つの無線機を取り出し、ケーブルでつないだ。
そして無線機を持ったまま、垂れ下がるケーブルを引きずりながら【シオン】の入り口を通り抜けた。
「うわぁ…!」
渦巻く入り口の向こうには、大草原が広がっていた。火山だろうか、遠くに赤い山が見える。左手には巨大な廃城が、右手にはうっそうとした森が見えた。
そして、入り口を通り抜けてすぐに気づいた変化が一つあった。NFA環境特有の気分の高揚だ。やはり【シオン】の中は強力なNFA環境になっているようだ。
試しにウィンドウをひらいてみると、ほぼ全てのメニューが灰色になっていた。本当に何も使えないようだ。使えるのはプロフィールの確認か動画・音楽の再生くらいだ。
近くに目をやると、緑の絨毯に顔を埋め、草を食べている「生き物」たちが居た。それは、色がおかしいだけの身近な動物から、ファンタジーの世界にしかないであろう、羽やツノの生えた羊、馬、ウサギなどなど…。
この景色にはまさしく、異世界という言葉がピッタリだろう。
「おい、邪魔だ。さっさと道を開けろ」
VRのゲームとは違う、本物といえる異世界の光景に見とれていると、一つ後ろの順番で待っていた人に押された。
我に返り、手に持っていた無線機に目をやる。すると、ケーブルはちゃんと繋がっていた。【シオン】の入り口を通しても大丈夫だったようだ。ケーブルの長さを考慮しつつ、【シオン】の入口から少し離れた場所に座った。ふぅとため息を付き、手に持った無線機を設置する。
「これでよし、と」
スイッチをオンにすると、アンテナがバッとひらき、Powerのランプがついた。アナナキの言っていた通り、電源は問題ないようだ。
メガネを起動させてワイヤレス回線の画面を開くと、無線機はしっかり認識されていた。回線が繋がっているか確かめるべく、掲示板にアクセスしてみる。すると、きっちりディアケーが表示された。ちらっと覗いてみるかぎり、ディアケーの住民たちは【シオン】の話題でもちきりのようだ。すこし覗くつもりが、いつもの癖でしばらく見続けてしまっていた。
「こんな所まで来て何を見てるんだ俺は…」
ハッ、と本来の目的を思い出し、掲示板のウィンドウを閉じる。徹は自嘲気味に笑って、メガネのメニューから配信を選んだ。すると、どのジャンルの配信かを選ぶ画面が出てきた。
もちろん、本来は【シオン】からの通信ができないため、【シオン】探検、というようなジャンルはない。
「ゲーム実況、かなぁ…?」
そうつぶやきつつ、カバンからドローンを取り出す。ペアリングは済んでいるため、スイッチを点けると、すぐにフィーン…と浮遊し始めた。
少し考え、ジャンル分けをゲーム実況に設定した。すると、ゲームタイトルを選ぶ画面が出た。
「えっ、困るなぁこんなの…」
とりあえず「その他」を選び、次の画面に進んだ。配信タイトルを決める画面だった。
「どうすっかなぁ…適当でいいか」
自虐的に、想像から生まれたことから自らを『夢想少女』とすることにした。
「夢想少女のシオン配信!」
タイトル欄にそう打ち込み、配信開始ボタンを押した。
10人くらい視聴者が入れば自己紹介を始めようか、と思っていたが、一瞬でカウンターの表示は20人になった。そのほとんどは恐らく、サムネイルでミリアムの姿を見つけたイェフディ達だろう。
(はやっ…まだ心の準備ができてねぇよ…)
少し不安な目で、フヨフヨと浮かぶドローンのカメラを見つめる。
〈配信初めてか〜トオル〜〉
〈トオルここ初めてか?力抜けよ〉
〈カマ兄貴オッスオッス!〉
(やっぱこうなるのか…仕方ないな…)
「イェフディのみんな、こんにちは!ディアスポラやってない人は初めまして!イェフディのアイドル、ミリアムちゃんでーす!」
ミリアムとしての自分に気持ちを切り替え、仕草も交えながら挨拶をした。
〈見苦しいぞ〜トオルくん〉
〈トオルくんお人形遊び楽しいか〜〉
〈どうやってそのアバター持ち出したんだよ〉
〈シオンからどうやって配信してんだお前〉
挨拶には反応せず、ミリアムではなく広まってしまった本名「徹」だけがコメント欄に書き込まれていく。
(ついこの間までの姫様扱いとは雲泥の差だな…)
誰かがSNSで広めたのか、視聴者数がどんどん増えていく。100人を超えたかと思うと、150人になっている。そしてまだまだ上昇していく。
「わぁっ!200人超えたよ!ミリアムちゃん大人気〜!」
やけくそ気味に女子を演じ続ける。そしてそれに呼応してコメント欄が燃え上がる。カウンターが500を示し、それを知らせる通知音が鳴り響く。張り付いた笑顔をカメラに向け、続くセリフを頭の中で書き起こしていく。
(なんなんだ?シオン目的か?それともミリアム目的か?)
「わ〜すっごい!もう500人超えちゃってるよ!みんなありがとー」
コメント欄に流れる怒涛の「トオル」。それが胃をキリキリと締め上げる。徹は冷静さを失いつつあった。1000人突破の通知音が鳴るも、徹の耳には聞こえない。
(俺はミリアムなんだ!誰がなんと言おうとミリアムなんだ!)
「それじゃあ、まずはアタシの装備を紹介していくよー」
徹はセリフを作るのが精一杯で、カメラに向けた偽の笑顔は引きつり始めていた。この状況は自分が求めていたものではない。その結論に達した徹は、
「ああ、はいはい!!!アタシじゃなくて俺だよ徹だよ!!!あのファイルにあったネカマゲーマーだよ!!これでいいか!!??」
仕草も口調も一切作らずにぶちまけた。大声を出した徹は、ハァハァと肩で息をしながらも、落ち着きを取り戻しつつあった。
〈逆ギレかよ〉
〈女ボイスで叫ぶな、耳がキンキンするんじゃ〉
〈流れ変わったな〉
〈二見徹くん19歳で〜す!〉
〈ディアスポラでは散々いたぶってくれたな…〉
〈どうやって回線確保してるの?〉
〈その身体は義体なのか?〉
〈義体だと回線つながらないシオンの中じゃ動けないだろ〉
〈いま回線使って配信してる件について〉
「…で?ネカマってわかった上でこの視聴者数なのか?」
ぶちまけたから視聴者数は減ってしまうだろう、と考えていたが、逆に視聴者数はグングン伸びていく。
〈当たり前だよなぁ?〉
〈変に演じるよりこっちのがええわ〉
〈シオンの配信してくれるなら誰でもいいかな〉
〈失望しました…ミリアムちゃんのファンやめます〉
賛否両論あったが、それでも好奇心から見に来る人が多いようで、視聴者数はついに3000人を超えた。徹はこれはこれで面白いかもしれない、と思い始めていた。
「そうかそうか……。じゃあ改めて自己紹介するぞ〜。俺はミリアム…の皮をかぶった二見徹だ。どっちで呼んでもいいぞ!」
ゲーム仲間に言うような口調でカメラに言い放った。
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