第4話

 エレツの人々は「原子単位」でシミュレートされているため、実際に現実と変わらない代謝・生命活動により「生きている」。意識自体もシミュレートされた「肉体の脳」に依存している。


 そのためエレツでは、『自分の肉体そのもの』をいじることは原則禁止されている。別の体で活動したい場合は、


①VRシステムを起動し、義体に意識をつなげる。VRシステム起動時、肉体は別空間に転送され、安全な環境でシステムにより生命活動が維持される。


②高額なフェザーを支払って【物理脳量子化】のシステム操作を行い、別途用意した義体を自らの肉体にする。


 おおよそこの2つの方法がある。


 また、ディアスポラで使うアバターはゲームシステム上の強化がなされているため、ゲームの仮想環境外には持ち出すことができない。


 しかし、徹は…


「ま…マジで出来ちゃったぞ…」


 ディアスポラのアバターである「ミリアム」を受肉したのである。その事実に驚いた徹の声は青年の物ではなく、紛れもない美少女のものであった。


「これは…素晴らしいのう!」

「おわっ!?」


 アナナキは徹に駆け寄り飛び付いた。そして背に手を回し、顔を押し付けてスリスリし始めた。


「自分のアバターだってのに、何がそんなに嬉しいんだお前?」

「普段は自分のアバターが動くところなぞ、せいぜい録画ぐらいでしか見れんじゃろう?まして、こうやって抱きつくことは…」


 アナナキが小さいせいか、徹の目からは揺れ動く頭と猫耳だけが見えていた。ただの飾りではないのか、時折猫耳がピクピクと動いている。


「おお!そうじゃ!お主、これを持っていくが良い」


 そう言ってアナナキは徹から少し離れ、宙から何か機械のようなものを取り出した。それの見た目は、アンテナのついた大きな箱のようだった。

 エレツにおいて、アンテナなどの無線技術は懐古趣味の1つでしかなかった。システムを介して全ての機器が互いに接続できるからだ。


「アンテナ…?。レア物の骨董品か?」

「これは無線通信機じゃ。…そう古臭そうに見るでない。ただの無線機ではないぞ、【シオン】の中から通信ができる無線機じゃ!。…まぁわしの研究が当たっていればの話じゃがの」


 アナナキはそれをもう一つ取り出し、2つの無線通信機をケーブルでつないだ。


「この片方を【シオン】の入り口前に、ケーブルでつないだもう一つを、入り口をまたいで【シオン】の中に設置するのじゃ。あとは、【シオン】の中で一定距離ごとに中継器をおいていけばよい。」


 これが中継器じゃ、と言ってさっきのものよりアンテナが少し小さい機械を取り出した。


「システムからでは中の様子が見れんし、お主の声も聞けんからの。これがあればお主は【シオン】の中からでもわしと話ができるわけじゃ」


「そこまでしないと通信できないって…【シオン】の中ってどんだけ過酷なんだ?」


 徹がそう聞くとアナナキは、何か表のようなものを見せてきた。表の右側はバツで埋め尽くされていた。


「掲示板の有志が体を張って調べたデータじゃ。システム操作は全くできんようじゃのぅ。」


「システム操作ができない…か。じゃあ、その無線機の電力源はどうするんだ?システムから干渉できないんだったら物理的な電力が必要になるんじゃないか?」


「それは大丈夫じゃ。NFAが稼働しておる環境であれば、そのNFA効果を動力源にできるというように設計したからのう。【シオン】が想像の産物なせいか、内部は高出力のNFA環境になっておるらしいから、ちょうどいいのじゃ」


 もはや永久機関を搭載しているのと同じなのでは?と思ったが、危険だという【シオン】の中からアナナキと通信できるのは心強い。


「そうなると…このパワーアームは、電源がないと使えないはずなのに…」


 さっきから右腕を動かすたびにウィーンウィーン、という音が聞こえる。右腕に装着している外骨格「パワーアーム」の駆動音である。

 このパワーアームは、軽量化のためにバッテリーを入れず、エレツのシステム操作によって回路に直接電気を流して駆動させるという方式を取っている。そのため、システム上の設定をしていないと動かないはずなのである。


「それは先程お主が変身する時、一緒に出現させた代物じゃ。

 言い換えれば、『そういう動作をするお主の装備品』としてNFAによって出現したわけじゃ。電力なしでも動かすことができるんじゃよ。


 といっても、想像の産物であるお主ぐらいの適正がないとできないことじゃろうが…」


「うーん…分かったような分からないような。じゃあ、もしかしてこのメガネも…!」


 徹はメガネのツルにあるボタンを押した。ピッという電子音とともにレンズが一瞬真っ白になったかと思うと、徐々に視界が開けていき、画面の端に多様な情報が現れ始めた。


『バトルグラス起動。お帰りなさい、ミリアム様』


 そう、このミリアムが掛けているメガネ『バトルグラス』は、多数の支援機能を搭載した万能ヘッドセットになっているのだ。支援機能の例を挙げると、矢を放つときの弾道予測などがある。

 このメガネもパワーアームと同じく、小型化・軽量化するために電力はシステムによる給電に頼っている。本来は起動しないはずなのだ。


「バトルグラスが有るか無いかで全然違うからなぁ。そういえば、確かこいつに通信機能があったような」

「…そうなると話が変わってくるのう。そのメガネにこれを接続してみるんじゃ」


 アナナキはそう言って小型のドローンを渡してきた。カメラ付きの標準的なタイプである。徹が実際にメガネとペアリングしてみると、フィーンと音を立てながらプロペラが回り、浮遊し始めた。そしてスーッと横方向に回転し、カメラをこちらに向けて止まった。そして、ポコッとメガネの画面端にウィンドウが現れ、カメラを通した自分の姿が映しだされた。

 なんだ、普通のドローンじゃないかと思っていると、その画面に違和感を覚えた。バッテリー残量の表示がないのだ。


「もしかしてこいつも…?」

「そうじゃ。さっきの無線機と同じように、NFA環境なら稼働し続ける機構が仕込んであるのじゃよ。これでわしは【シオン】内部の様子と、ミリアムちゃんの勇姿を見ることができるわけじゃ」

「ここまでして俺を見る必要があるのか?」

「正確にはお主の操るミリアムちゃんじゃがの」


 このとき徹は、ある計画を思いついていた。【シオン】探検の配信である。

 エレツにおいて、『配信』もフェザー獲得方法の一つとなっている。視聴者数と反応に応じてシステムからフェザーが配給されるという、非常にシンプルな仕組みである。それ故に配信者も大勢いるのだが。

 アナナキが言っていることが正しいなら、今のところ【シオン】の中から配信している者は誰もいないはずなため、独占配信が可能になる。一攫千金のチャンスである。


 しかしその前に、さっきからいくつか頭に引っかかっていることを聞かなければならない。


「いくつか質問いいか?【シオン】の中で死んだらどうなるんだ?」

「システムからのアクセスはできんから、身体データのバックアップができん事になるのう…」


 エレツでは肉体のデータが1分おきにバックアップされる。寿命や病以外で死んだ場合には、バックアップを元に1万フェザーで蘇生できる。蘇生するかどうかを生きている間に設定し、蘇生するように設定していた場合は、借金を負ってでも自動的に蘇生されるようになっている。

 これが、【シオン】の中では不可能になるということである。システムが死を感知できなくなるため自動的な蘇生はされず、誰かの報告によって、それも【シオン】に入る前のバックアップを元にした蘇生しかできないようになる。


「今のところ死者は出ておらんみたいじゃがの。それ以前に、調査はそこまで進んでおらんみたいじゃからな」

「調査はまだそんなに進んでない、と。じゃあ今のところ、モンスターとか怪物とかは見つかってるのか?」

「【シオン】は想像の産物じゃ、居るに決まっておろう?危ないヤツらがはびこる世界なんじゃよ、【シオン】はの」


 それを聞いた徹は目を輝かせながらアナナキにずいと近づいた。


「本当か!?」

「掲示板の報告ではそうなっておるぞ。それ目当てでたくさんの命知らずどもが【シオン】に押し寄せておるからのう。大体はイェフディどもじゃが」


 イェフディとは、ディアスポラのプレイヤーを指すゲーム内容語である。そこから転じて、ディアスポラに熱中している者はイェフディと呼ばれている。


「そうか!そうと分かればこうしちゃいられねぇぞ。」

「お主も立派なイェフディじゃのぅ…」

 

 そわそわし始めた徹に対し、アナナキは冷静に荷支度をはじめた。




「ほれ、カバンに全部詰めたぞ。まぁ、無線機と中継器、それとドローンくらいじゃが」

「アルテミスは?」

「おぉ、そうじゃったの」


 さっきと同じようにアナナキはそれを虚空から取り出し、徹に差し出した。長く、大きく、メカメカしいコンパウンドボウである。徹が手に持ってみると、ディアスポラで使っているいつものアルテミスよりも遥かに軽かった。


「その弓はシステム操作なしで仕舞うことができるはずじゃ、わしがやっておるようにの」

「それは【シオン】の中でも、ってことか?」

「そういうことじゃ」


 そう言われた徹は、手に持ったアルテミスが宙に消えるイメージをしてみる。するとアルテミスは、スーッと宙に消えていった。出現させるイメージをすると、フッと宙から現れ手の中に収まった。


「便利じゃろう?NFAによる産物なせいか、その弓自体に僅かに意志があっての。消えたあとは、思念体のようなものになって付いて来るようじゃ。」

「すげぇなぁ、これは…便利だな。」


 徹はアルテミスを宙に仕舞うと、カバンを背負い上げてウィンドウを開き、転送画面から【オリジン】の淡路を選択した。


「じゃあ俺、ちょっくら【シオン】行ってくるわ」

「おう、映像待っとるからの」

「お前個人に対してじゃないぞ。配信にする予定だから」

「おっ!そうきたか…。わしのミリアムちゃんで荒稼ぎするつもりか〜!」


 アナナキが何か騒いでいるのを横目に、徹は転送ボタンを押した。

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