第9話 イギリス到着
メガフロートを抜ければイギリスは目と鼻の先だ。それはあくまで比喩ではあるのだが、丁度、中間位置に配置された西暦派メガフロートはイギリスの新暦派とアメリカの新暦派を分断していた。どうやって兵站を確保していたかと言えば、その実態はそのほとんどを旧型AIに管理されたハリボテだった訳だが。しかし死神は居た。『ベリアル』都合三人程の地上部隊の命を奪った敵兵士、指揮官と言っていた。前線に出て彼は何をしようとしていたのか。極光に飲まれた今となってはもう分からない。あれから数日後。イギリスへとたどり着く。プリンセスの回収場所はロンドンのグリニッジとなっていた。
そこは、新暦派の駐屯地になっており、IM運の拠点の一つだった。通称『標準時基地』、グリニッジとは新暦前から世界標準時の基準となる天文台が建っており、それに由来してそう呼ばれるようになった。オウジはプリンセスの言葉を思い出していた。
『調印式が終われば、きっと』
つまり、それまで対面する事は叶わないという事だ。まあ一兵卒のオウジと貴賓であるプリンセスが会えるはずもない。溜め息を吐くオウジ、それは暗い個室によく響いた。
そして到着のアナウンス、着いたのだイギリス、グリニッジ、標準時基地に。
外の空気を吸いに甲板に出るオウジ、そこにはケンの姿もあった。
「下船しないのか?」
「まだな、少し涼みたかった」
「IMの中って無駄に熱いよな!」
「言えてる」
そんな軽口を叩き合う二人。そこに一人の少女が現れる。
「あのー」
「おっ、エメラダちゃん」
「ん? エメラダ? どうした?」
「艦長がお二人を連れて来るようにと」
「ん、分かった行く、どこにだ?」
「おいケン、先に行先を聞けよ」
「ははっ悪い!」
そうしてエメラダが示したのは標準時基地の管制塔だった。
早速、向かう二人。艦を降りて、基地を進む。途中、道に迷った。
「ちょっとそこの人」
「はい?」
「管制塔へ向かう道はどこだろう」
「ああ、丁度行くとこなんで一緒に行きますか?」
「ああ、頼む」
金髪の少年と共に歩む、ちなみにケンが赤みがかった茶髪でオウジが黒髪だ。アジア系の色だった。特にオウジの黒髪は、ゼンノウ家がジャパニーズである事を踏まえてとても喜ばれた、そう産まれた時だけは。
つい髪の毛の事を思い出してイラつくオウジ、少し少年を睨みつけながら。
「綺麗な金髪じゃないか、君は管制塔になんの用だ?」
「ありがとうございます。俺は緊急招集に従っただけですよ」
「階級は?」
「少尉」
「俺らと一緒だな!」
ケンは朗らかに笑ってみせる。オウジは表面を取り繕いながら。
「という事は君もパイロット?」
「ええ、『も』という事は貴方がたも」
「ああ、今日来た、マザーに配置されてる」
「……あのマザーに? って事は――」
「着いたみたいだな」
管制塔の足元までたどり着く三人。押し黙る金髪。何故かオウジを睨んでくる。さっき睨んだのが今更バレたのか? そんな馬鹿な。あほらしい考えを捨て目の前の事に集中するオウジ。ここ招集されたという事は、今後の作戦会議だ。長旅で疲れたのでゆっくり休みたかった所だが、急を要するのであれば軍人なので仕方がない。
ドアを三回ノックする。
『入れ』
と声がしたのでスイッチを押す。するとドアがスライドする。開く扉、そこに居たのは。
艦長ともう一人の男、そして――
「プリンセス……」
「こら! S級の貴賓を呼び捨てにするな!」
「――はっ! 申し訳ありません!」
すぐさま敬礼するオウジ、自分を叱ったのは、艦長じゃないもう一人の男、おそらくこの標準時基地の指揮官。
オウジには名前も検討が付いていた。ズバリ、グリニッジだ。此処の地名性でもあるが、新暦以来、代々この基地はグリニッジ家が守って来たという話をオウジは聞いた事があった。
グリニッジ指揮官は続ける。
「その黒髪、君が」
「はっ、ゼンノウ・オウジ少尉であります!」
「そっちの茶髪は」
「ユメノ・ケンであります!」
「あとノーリッド・ゼンノウ、入れ」
「はっ!」
――ゼンノウ? 今、ゼンノウと言ったか?
オウジはギョロリと金髪を睨む。すると金髪。いや、ノーリッドもこちらを睨む。ばちばちと音が鳴る。そんな気がした。
そこで
それはプリンセスだった。
「今はわたくしの話に集中してもらいましょう」
「はっ! 全員、整列!」
パイロット三人が、部屋の中央少し手前に整列した。椅子に座るグリニッジ指揮官とマザー艦長。そういえばスレイヤー大佐はどこだろう。あの人もマザーⅡの指揮官だろうに。それとも宇宙までは来ないつもりだろうか。そりゃそうか、彼らはあくまで地上部隊だ。オウジは思考をプリンセスから外そうと必死だった。
「改めまして、ローレンツ・グリニッジであります」
「どうも、カナダ・タケシであります」
「ええ、わたくしからも改めて、アリア・プリンセスです。どうぞ月までの旅をよろしくお願いします」
「で、今回はドーバー海峡のマスドライバーを使いたいというお話でしたな?」
「ええ」
「それでしたら我が基地の戦力だけでも十分でしょうに、何故わざわざマザーを呼び寄せたのです?」
コホン、と息を吐くプリンセス。彼女はそっと立ち上がると指さした。
「彼、ゼンノウ・オウジ少尉が『不死身の撃墜王』だからです」
「!」
「それは……おい君、君の部下だろ」
「ははは、いえ、もうこの件に関してはきっぱり言い切られてしまいまして」
カナダ艦長が苦笑いをする。ローレンツ指揮官は苦虫を噛み潰したような顔をしながら。プリンセスに挑みかかるように立ち上がる。
「我が基地が誇るエースパイロット、ノーリッド・ゼンノウでは足らないと仰せになられますか」
「ええ、足りません」
「何故!」
「詳しい事情は、ごく最近まで知りませんでした。ただ家の都合で最前線で殺されようとしている兵士が居ると。そして、それでも生き残っていると。そう聞きました。そんな人物ならばと、命を預けられるとそう思いました。何かご不満でも?」
「ぐっ……!」
そこで金髪が前に出た。
「よほど、お姫様は兄上にお熱のようだ、しかしね、コイツはゼンノウ家を追い出された落ちこぼれですよッ!」
やはり、ゼンノウ家の人間、しかし兄上? 自分に弟が居た記憶などない。しかも髪の色の違い、明らかに遠縁だろう。
そう思ったのだが――
「ゼンノウ家のデザイナーチャイルド。そんなにオリジナルに目立たれるのが嫌ですか?」
「なんだとっ!」
デザイナーチャイルド。遺伝子操作された子供。つまり――
「本当に弟……?」
「チィ! 一生会う事も無いだろうと思ってたのによォ! 俺の経歴に泥塗りやがって!」
「お前、年齢は……?」
「十歳だよ!! 強制成長薬も投与された! 急いで実戦配備できるようにな!」
そんな人権を無視した事が行われていいのか? 許されるのか? いややりかねない。あの家なら。ゼンノウ家なら。
「実践配備ってどういう事だよ」
「……ゼンノウ家のデザイナーチャイルドは今に始まった事じゃない、それのIM試験運用モデル……それがオウジ型、その失敗作が俺だ」
己の金髪を撫でるノーリッド。憎むように数本、髪の毛を引き抜いて見せた。
「これが失敗の証だよ……! それに俺はアンタ程IMを操縦出来もしなければ
ガンッ! と椅子を蹴るノーリッド。狂犬。そんな言葉が似あう粗暴さ。自らをオウジ自身より落ちこぼれだという人間に初めて出会った黒髪の少年は動揺していた。慰めればいいのか、同情すればいいのか。今、金髪の少年にかける言葉が見つからない。プリンセスはなんて残酷な事をしているのだろう。いや知らなかったのか、オウジが此処に来る事は。なら仕方ない……のか? オウジは戸惑いで言葉が出ない。
そこでまた一つ、柏手が打たれる。
「もうこの話はここでお終い、少し講義の時間に致しましょう?」
またもプリンセスだった。
――ゼンノウ・ゼンチが発見した偽原子。その作用は様々で、ソレは彼の造り出したナノマシンなのではないかとも噂された。というのも、それが発見されたのは『月』であるというからだ。その発見源が怪しすぎるというのもあったし、そのころはまだゼンノウという研究者は無名だった。しかし、偽原子の様々な作用(濃縮、崩壊、凝固)を応用した機械を作り出すと途端に学会の評価はくるりと変わった。その実績に憧れた。我が物にしようとした。そして秘密裏に月へと偽原子を採取しに行こうという部隊が発足した。それが西暦派の発端だと言う。今もなお月に住み続ける一族、それが西暦派の指揮系統を担っているのだと――
プリンセスの語る月へ行く理由の講義はどこか陰謀論じみていて。オウジにはピンと来なかった。しかしノーリッドは震えていた。
「馬鹿な事を! そんな事、世に出してみろ! 西暦派も新暦派も大混乱になる! 俺の昇進もパーだ!」
「いいえ、そこは安心してくださいノーリッド少尉。世界は平和になります」
「どうして!」
「これは和平調停だからです。全ては法に則って決まり遵守されます」
「民衆がそんな詭弁で納得するとでも!?」
「納得してもらわなくては困ります」
「そんな態度でぇ!」
「――いい加減にしろ」
オウジがノーリッドを羽交い締めにする。プリンセスに掴みかかろうとしたからだ。そのまま組み伏せる。
「貴賓に手を出すな」
「テメェ! オリジナルだからって調子乗りやがって! すぐに他のオウジ型がお前より優秀な弟が生まれてくるぞ! ハハッ! いい気味だ!」
「満足したか? ちょっと寝てろ」
「グェ」
組み伏せたまま喉を絞めて意識をオトす。これで大人しくなったと手をはらうオウジ。
ヒューっと口笛を吹くケン。プリンセスは口に手を当てて驚いている。指揮官達は頭を抱えていた。
前途多難の宇宙旅行第一歩は波乱万丈に始まりを告げるのだった。
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