現代病床雨月物語 第五十話「生戦(せいせん)(その十)地球規模での生戦(せいせん)」

秋山 雪舟

第五十話 「生戦(せいせん) (その十) 地球規模での生戦(せいせん)」

私の生戦(せいせん)とは、難病に遭遇したことによる生への戦いです。今、人類は二〇一九年に新型コロナに遭遇し二〇二〇年からは本格的にこの新型コロナウィルスと戦わなければならなくなっています。二〇二一年はワクチン接種を含めて戦いが高度に進化しています。新型コロナウィルスも変異(変異株)が速くなり人類は粘り強い戦を余儀なくされているのが現在の状況だろうと思います。

 私は、人類が産業革命と国民国家を創り出して以来の最大の試練であると考えています。過去のインフルエンザよりも規模と感染のスピードや変異(変異株)のスピードが速いからです。文明の実力が試されているのです。これは、人類史の過程における巨大な世界規模での通過儀礼的な出来事であります。

新型コロナ以前と以後とでは文明がかなり変貌を遂げていると思います。社会の風景も一変していくでしょう。

 こんな時代には、何が正解かが解らないと不安になりがちですが、私は人間の感性、特に日本人の自然に根ざした感性に従うのが正解だろうと思います。感性に従いそろりそろりと行動し光明が観えたら果敢に行動することです。その上で私は日本の歴史の中でどの時代の人の感性が素晴らしいかと自問したとき、真っ先に縄文時代の人が頭に浮かんで来ます。今でも謎が多いのですが、縄文時代は長くみて一万年、短くみて何千年という長さで生活していたと言われています。その後の時代も縄文時代以上に持続した時代はありません。それがなぜなのか不思議です。

 多くの人が歴史的に日本は、中国大陸・朝鮮半島を経由して北九州から文明が進んできたと考えています。それはそれで結構ですが、私はそのルートで来た人達は中国大陸や朝鮮半島に住み続けられない事情があり日本列島に来たのだと推測がつきます。その人達はもう後がなく、持てる能力をフルに活用して是が非でもこの日本列島に住み続けなければならないのです。

 逆に元から日本列島に住み続けていた人達は、日本列島に住み続けられない事情などないのです。火山噴火や地震により日本列島内を移動するだけです。当時の人達は日本列島を脱出するなど夢にも思っていません。またこの時代は、西高東低ではなく西低東高の時代であったのです。縄文時代の人口は東の方が圧倒的に多かったのです。自然の動植物が東北の方が豊かであったからです。日本(JAPAN)を表す「漆」はすでに縄文時代の遺跡から多数の「漆製品」(木製品・布製品等)として出土しています。世界最古です。(「素晴らしい日本文化の起源・岡村道雄が案内する縄文の世界」別冊宝島2337号・二〇一五年六月十四日発行より)

 縄文人は無理なく自然と共生出来たから持続的な生活が送れたのです。それでいて小集団で排他的に生きた様にも想われません。逆に、ヒスイや勾玉でオシャレもしていました。

生活が便利になる石器素材の黒曜石を求め、運ぶために海を越えて他の集団と交流しています。また豊かな自然の恵みを利用して保存・加工技術を発展させ植物の栽培技術も持っていました。まだまだ未知の部分はありますが、縄文時代・縄文人は、現代人が今まで想像した以上に奥が深いのです。

 話が逸れるようですが、私は以前にも歴史的な人物で謎のある人が好きなので役行者(役小角)が好きであると言ってきました。その理由は、中国では道教(神仙思想)が起こり、インドではヒンズー教(多神教・インダス川信仰)が起こり、日本ではそれが修験道(山岳信仰)だと思います。中国・インド・日本では自然が違うため同じにはなりません。各国の人達がその地の自然と折り合いをつけることが出来た考えが中国では道教であり、インドではヒンズー教であり、日本では修験道であったのです。だからこの三つの信仰と三つの国は、いくら権力者が禁止や弾圧をしても消滅させることなど不可能なのです。人間のよって立つ根本の自然と繋がっているからです。日本の修験道は先人である縄文人の自然の価値観とも繋がっています。

 さて話はまた逸れるのですが「現代病床物語」にはなぜ「太陽の塔」が登場するのか感の鋭い人は理解されていると思います。それは製作者である岡本太郎が縄文土器からインスパイアされ創りあげたからです。「太陽の塔」はこの日本列島の自然と結びついた縄文時代・縄文人と繋がっているのです。日本列島の「豊穣の女神」なのです。また私は、太郎を溺愛していた母で歌人・小説家・仏教研究家である岡本かの子に対する鎮魂と恋慕・慈愛の象徴のような観音像でもあると思っています。その「太陽の塔」がパワースポットになった最大の要因は、多くのパビリオンが万博公園から消え去る中、五十年以上も存在し続けていることです。奇岩などがパワースポットになるのとは異なりなんの変哲もない吹田丘陵で人々の思いだけで存在しているからです。私は、同時に「太陽の塔」は大阪を北部から見守る巨大な十字架の様であり、「マリア観音」でもあると感じてしまうのです。皆さんはどう思われるでしょうか。

 「現代病床物語」は、今回の五十話をもって一旦終了します。長らくありがとうございました。皆さんも私も新型コロナウィルスとの生戦に勝利して再開出来ることを信じて……それではまた……

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