不帰来路花(3)
一〇を数える程度の間の攻防ののち、エルラは全身に赤い結晶状の杭を受け、宙に晒されていた。両手両足は、重力に従い、宙を撫でている。その状態でも剣は手放さずにいた。
消え入りそうな吐息が零れる。
針山の頂点で微動だにしないエルラ、その身体に体重で杭がより深く刺さり込む。夥しい量の血が杭を伝い、原理結界の領域を満たす血の海に注がれていく。
エレナは、己の身にかかったエルラの血を舐め、冷ややかな視線をエルラの〝死体〟に向けた。
「大口叩いてたクセに、とんだ雑魚ね」
エレナは、ダグマルの方へ向き直り、「次はお前だ」と言うように口元を歪めた。
ダグマルは、エレナを睨んだあと、微笑み返した。彼女の言う〝次〟はまだ来ないことを知っていた。自らの置かれた状況は、あまりよくないが、本当の危機はまだ少し遠くにある。
獲物を前に嗜虐的な表情を浮かべるエレナ。その足を一歩ダグマルへ近づけたとき、
パキン――、と何かが割れる音が響いた。
エレナは、振り返る。
串刺しにされ、息絶えたはずのエルラが、剣を振り、血の杭を払っていた。黒い光を湛える大剣に折り切られた杭が朽ち落ちていく。
「は? どうやって――」目を見開く。「その剣か――」
局所的に術式が崩されている。
エレナの作り出した〈杭〉は、鋼並みの堅さがある。剣を腕一本で振り回した程度の膂力で壊せるものではない。それができるとしたら、術剣や魔剣の類だ。術を付与された剣を持っていることは、想定の範囲内。むしろ狩人なら普通の装備だろう。予想していなかったのは、術式を壊す術が付与されていることだった。
しかし、エレナの関心はそこではない。
「それより――」
血の杭は、精気と魔力を吸う。それに身を貫かれていながら生きているうえに、術剣で反撃するなどありえない。
この女は、何かがおかしい。カラクリがある。この狩人は、さきほど「生きたまま心臓から血を啜られたことがある」などと世迷言を言っていた。その意味がわかった。
「――おかしいでしょ、なんで生きてるんだよ。だいたい、あんたなんなの?」
エレナは疑問を投げた。
血の海に降り立ったエルラは、髪を軽く整えながら、言った。
「そう? 普通の吸血種よ」
「嘘吐け。あんた、吸血種でも幽種でもない味がするんだよ。何者?」
エレナは、血肉の味でイラカシュの何種か判別できる。それくらい摂食の経験がある。しかし彼女の記憶には、エルラにぴたりと当てはまる味覚はなかった。エルラの血の味は、エルラが自称する吸血種のものと一致しない。
角のないイラカシュといえば、吸血種と幽種の二種が主な種だった。吸血種や幽種は高い生命力を有するというのが通説で、そのことはエルラの再生力に対外的な説得力を持たせることができた。しかし、エルラが典型的な吸血種でないことが感覚的に理解できるエレナにしてみれば謎を深めるだけだった。
「何者かと言われても……そんなのわたしが知りたいわ」エルラが溜息交じりに言った。それから、くすくすと笑い、尋ねる。「それで、わたしの血は美味しいの?」
ボロボロの格好ながらに、余裕な態度どころか挑発するエルラ。
その様子に、エレナは焦りと怒りを募らせた。これ以上、心を揺さぶられてはいけないと思いつつも、目の前のふざけた女がどうしても癪に障る。
「ああ、もう! こいつッ」
エレナは、足を踏み鳴らした。
血海が荒れる。波に合わせて、赤黒い結晶の棘がエルラへ押し寄せる。
エルラは静かに息を吐いた。〈リリ〉を振るうと、黒い閃光が走った。血棘の波動は一薙ぎに溶断された。
溶け崩れた血の結晶の飛沫を払い、エレナへと踏み込む。
肉薄せんとするエルラに、焦るエレナ。
エレナはしゃがみ、右手を血海に叩きつけた。巨大な赤黒い結晶の塊が、エルラ目掛けて、血海から飛び出した。
エルラに躱す間はなく、剣腹で防ぐ。
「その剣がなければッ!」
エレナが、勝った、というふうに笑った。剣がなければ、無力だと考えた。
しかし、エルラにはまだ武器があった。
エルラは、左腰に差した回転式拳銃を引き抜きざまに撃った。五発すべてを撃ち切る。
中ったのは一発だけで、他はエレナが盾代わりに生やした血杭に防がれた。命中した一発も右腕を掠めたにすぎなかった。しかし、それで十分だった。
銃撃にエレナは俄かに怯んだ。被弾のショックと、至近距離での発砲音に気を取られた。
その隙にエルラは、エレナの懐に潜り込んだ。エルラの右腕は再生を始めている。
「――ふッ」
息を吐き、エルラは骨が剥き出しのままの右腕をエレナの胸へと突き出した。
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