不帰来路花(4)

 サリクスは、全弾を撃ち切ったスライド式散弾銃に、弾を込めるため攻撃の手を止めた。放った鉛の雨は、盾のように重ねられた〈枯木〉に阻まれ、効果はなかった。リヒャルトは結界内に枯れた枝や幹を自由に呼び出し、操れた。


 もう一挺、散弾銃を〈影〉から取り出した。二つの銃口が、リヒャルトを睨む。

 そのとき、何かが銃に触れた。

 サリクスは、とっさに両手に握った散弾銃を手放した。


 手から離れたにもかかわらず、散弾銃は空中に留まっていた。見せつけるように、ゆらゆらと揺れ動いたあと、銃は捻じ切れ、バラバラになった。

 リヒャルトの仕業であることは、明らかだった。


 不可視の腕――リヒャルトの得意とする術で、一族に伝わる血継術の一部。この場ではサリクスの武器を破壊したが、本来は祭壇術の生贄を殺すための術だった。視えざる腕を用いて生贄を裂き、その血肉を捧げる。工程を経ることで贄は祭壇術の鍵として機能する。


 サリクスが牢屋の奥で見た損壊の激しい死体の山は、この術でだった。


「やってくれましたね」


 サリクスが言った。〈影〉から新しいライフルと術符を引き出した。

 リヒャルトは無言で頷く。次はお前がこうなる、と目で告げていた。


「勝った気になるには早いですよ」


「そうかもな。だが、できれば怖がって降参してくれると助かる」


「殺し合いがしたいんでしょう? 少しは付き合ってあげますよ――っと」


 言い、サリクスはライフルを撃った。

 弾は〈枯木〉に防がれた。

 続けて、術符を投げる。爆炎術式の記された術符は、俄かに光を放ったが、期待された事象は引き起こさずに、術符自身を焦がすのみだった。術の発動にとって理想的な量と密度の魔力が空間にないために、術符は不発に終わった。


(やはりか――)


 原理結界内に引き込まれた時点で察してはいたが、術師にとっては厳しい空間だ。幸い、体内の魔力にまでは干渉してこないようだった。精気まで吸われていたら、これほど悠長に争ってなどいられない。



 サリクスへ〈不可視の腕〉が迫る。空間の僅かな揺らぎと、微妙な温度差を見極め、サリクスはすんでで避けた。


 走りながら、フォーリングブロック式ライフルの前部トリガーを操作し、排莢する。新しい弾を取り出し、薬室に送り、ハンマーを起こす。狙いもそこそこに、撃つ。


 防がれる。

 自動で防御しているのではないかと思えるほどの反応速度と正確さ。

 〈不可視の腕〉と〈枯木〉の枝が繰り出される。


 サリクスは攻撃を躱し、リヒャルトの周りを走りながら、銃撃を続ける。

 ライフルが〈不可視の腕〉に捕まり、圧し折られる。

 新しいライフルを取り出す。

 銃を撃っては放り投げ、別の銃を〈影〉から引き抜いては撃つ。


 取り出したライフルたちは、どれも旧式ではあるものの軍用。中れば致命傷たりうる威力はある。そう、中ればの話。

 狙いは外れていないが、〈枯木〉と〈不可視の腕〉に防がれ、リヒャルトには届かずじまいだった。むしろ、待ち構える側からすれば、そこそこ狙いが正確であるゆえに防ぎ易くなっていた。


「手品師かよ、お前はよぉ」手を叩く。「――だが、逃げ回っているだけでは、いつまでも終わらないぞ」


「それはそっちもですよ」


 お互い、決定打が出せずにいた。

 サリクスは動き続けたことと、〈影〉の収納を使い続けたことで、消耗していた。呼吸は荒く、汗が肌を伝い、地面に落ちている。

 膠着状態とはいえ、優位なのは明らかにリヒャルトだ。

 それでも、絶えず攻撃に晒され続け、リヒャルトも疲弊しつつある。有利な条件下だが、うるさく飛び回られては堪ったものではない。


 ――、

 〈枯木〉の間隙を縫い、サリクスが飛び出した。

 すかさず〈不可視の腕〉がサリクスへ迫る。


 ライフルをわざと〈不可視の腕〉に掴ませ、その隙にサリクスは懐の〈影〉からピストルを抜いた。

 装飾と彫金の施されたホイールロック式ピストル。黄鉄の取り付けられたアームを下げ、鋼輪と触れさせる。


「魔弾か――」


 サリクスの手に握られた煌びやかな前装式銃を一目見るなり、リヒャルトは術式の付与された銃撃が来ることを察知した。わざわざ古い銃を扱う狩人や術師は、その銃を〝魔法の杖〟として使うことは知られている。

 さきまでの銃撃よりも、厚く防御を重ねて待ち受ける。



 サリクスは引き金を引いた。

 鈍い銃声とともに六発の小弾が撃ち出される。

 散弾は、〈枯木〉にぶつかるなり、爆ぜた。


 しかし、爆発散弾の破壊は、〈枯木〉の壁を何層か剥がすに止まった。


 硝煙に視界が煙る。

 サリクスは、爆発と発砲によって発生した煙を即席の煙幕として、次の攻撃を仕掛けた。

 束ねられた術符を放り、続けて小振りの鉱石ナイフを投げる。

 ナイフは術符の束を刺し、〈枯木〉に射止めた。刃先が堅い幹に中り、キィンと高い音を鳴らし、光が零れた。ナイフは魔鉱石を削って作られたものだった。その魔鉱石の魔力を利用し、術符に記された爆炎術式が起動した。

 激しい爆発が起こった。空気が揺らぎ、熱とともに領域を駆け抜ける。〈枯木〉の壁は焼かれ、吹き飛ばされた。爆風と炎の下に、魔鉱石の粉塵が煌めく。


 重ね、サリクスは、呪文を唱え始めた。


「告げる――《番えるは鉄溶かしの叢火――」


 残炎と煙を突き破り、〈枯木〉が槍の群れとなってサリクスへ殺到する。


「ようやく術を使ったかと思えば、そんな教本に載ってるような術で焼けるわけが――」


「――視線を以って放ち、我が敵を焼け》」


 一瞬、空気が揺らいだあと、

 〈枯木〉の波が凍り、動きが止まった。


「あ? なん、だと――」


 リヒャルトは疑問に思った。

 魔力不足は、爆発によって散らされた魔鉱石製ナイフの粉塵で補ったのはわかった。

 しかし、あの呪文で投射されるのは火や熱の術になるはずだ。詠唱は成立しない空の呪文で、その後ろで別の手段で術を行使したか。あるいは呪文偽装か。


 実際のところ、呪文の内容と発動される術に相関性はない。

 理論上は、火を出す術ならば、火に関する文言を入れた呪文のほうが安定するというだけにすぎない。

 しかし、火の術の呪文に、火に関する文言を交ぜなければ、不安定どころか不発になることも少なくない。

 裏を返せば、呪文の内容とそれに付随するイメージに術が引き摺られるということでもある。呪文が単純であればあるほど、その傾向は強くなる。

 それゆえに呪文偽装は、理屈の上では簡単な技術だが、実用的な術としては成立しない曲芸、という位置づけがされている。

 サリクスの実力を考えうる最強の術師だと見積もっても、実戦で呪文内容に反した術を軽々と使えるとは考えにくい。


 そうなると可能性は――、


「これがお前の奥の手か――」


 ブラフの呪文で隠した原理術か血継術。

 それが、リヒャルトの出した最も納得のいく結論だった。


(どちらだ)


 あるいは、「枯森の結界」と同じく原理と血継、両方の合わせ技か。


「奥の手、ですか」


 サリクスは、リヒャルトの疑問への明確な回答を躱すように、首を傾げてみせた。微笑みながら、言葉を続ける。


「さあ、どうでしょう。ですが、たまには力を出さなければ鈍ってしまいますからね。ここにはあなたとわたししかいないですし……」


 少しははしゃいでしまってもいいか、と枷を緩める。

 サリクスは、戦いが楽しくなってきていた。サリクス自身、自覚できるほどに顔がほころみ、声も弾んでいる。


「例文に使われるような呪文を使ったのは、あなたへのヒントです」


「氷雪系か、あるいは反転か。わからんな、ますます手品師じみている」


 リヒャルトは顎を触ったあと、手を広げ、おどけてみせた。その間にも、ゆったりと歩くサリクスを目で追い続ける。


「だが、いまさらそうした謎かけは無意味だ。押し潰したあとで、その身体に聞かせてもらう」


 これ以上の時間稼ぎはお互い必要ないだろう、と言い添えた。

 ですね、とサリクスは小さく首を振った。


 ――、

 数拍の見合いののち、二人は動いた。

 サリクスが右手をリヒャルトへと掲げた。

 リヒャルトも腕を振り、〈枯木〉と〈不可視の腕〉を放った。サリクスを取り囲むように四方から迫る。サリクスを閉じ込めるもう一つの結界が作られようとしていた。


 サリクスは、その場から動かず、


「我が血、我が源に告げる――」


 言葉を放つと、その響きと同時に周囲の温度が急激に下がった。サリクスの足下から、氷霜がさざめきながら広がっていく。


 〈枯木〉と〈不可視の腕〉は瞬く間に凍りつき、動きを止めた。

 冷気はリヒャルトにも達し、肌を刺し、息を白くした。先触れでこの威力か、とリヒャルトの顔に焦りと絶望感が滲む。


 サリクスが、両の手をにじるように合わせ、告げた。


「《鎖せ――氷棺カルニフォルス》」


 酷寒が見えない檻となって、リヒャルトを囲む。収束し、そのあぎとが閉じようというとき、


「ゴホッ――」


 サリクスが咳き込み、膝を突いた。咳と吐息に混じり、血が零れる。吐き出した血はたちまち凍り、肌には薄く霜が張っている。


「魔力切れか、それとも不完全な術式の跳ね返りか」


 冷汗を浮かべたリヒャルトが言った。警戒を完全には解かず、伏せるサリクスの様子を窺っている。


「どちらも、です。だから、あまり、使いたく、なか、た」


「ああ、そうかい。奥の手を使って負けたのさ。しかも、使いたくもなかったものを出さざるを得なくなってだ。無様だな」リヒャルトは苦い顔をし、告げた。一歩だけサリクスへ近づく。「……だが、お前は顔は好みじゃないが美人だからな、役に立てさせてもらう。抵抗されないよう、舌と喉……それと指を潰してな」



 〈不可視の腕〉がサリクスを捕らえようとゆっくりと近づいていく。獲物を前に舌なめずり、というよりは、つい数分前に被害を与えてきた得体の知れない存在への警戒心からの慎重さだった。

 見えざる手の群れがサリクスに触れる――、

 その瞬間――、


 突として、サリクスが動いた。


 〈不可視の腕〉が、わっとサリクスから離れる。


 サリクスは伏したまま、リヒャルトへ短銃を向けた。伸ばした手と袖から霜が剥がれ落ちる。

 手にしているのは、ホイールロック式のピストル。控えめな装飾、彫金の施された六角形の多角形施条銃身。さきに散弾を撃った短銃とは別の銃だった。


「まだ足掻くか!」


 リヒャルトは後ろへ跳びながら、〈枯木〉を自身の正面へ重ねた。この戦いで銃撃に対する防御の経験を積んだゆえの手慣れた動作。


 サリクスは、〈枯木〉の壁の向こうにいるリヒャルトを見越した位置へ狙いを置き――、

 引き金を引いた。

 鋼輪が回転、アームの黄鉄を擦り、火花が散る。火花は火皿の火薬を燃やし、銃身内に伝火し、発射薬に火を点けた。装飾と彫金が耀う。


 銃声。

 発砲炎が地とサリクスの身体に張りついた氷霜を吹き融かす。

 撃ち出された六角形の弾丸が、〈枯木〉の壁に突き刺さった。そして、弾丸を起点に術が発動した。


 サリクスの魔弾――サリクス本人の幼角を材にした弾丸。より純粋な形で原理術を発現する、真の奥の手。


 空間が歪み、虚無が広がっていく。魔弾は、被弾した対象の魔力を喰らうことでその術式を展開し、結界ごとすべてを飲み込もうとしていた。


「なんだこれは――」


 ただの魔弾ではない――。

 リヒャルトに戦慄が走った。身が竦み、感覚が遠のいていく。身の内から貪り食われるような不快感と恐怖が蠢く。


(マズい。このままでは、持っていかれる)


 とっさに原理結界を解いた。

 魔弾は結界の魔力を燃料にしていた。原理結界は外部からの魔力供給で長い時間維持できるようにしてあった。それゆえ、魔弾の効果から逃れるには結界を開くしかなかった。結界を解除することは有利な場を捨てることになるが、解除しなければ魔弾による破壊的な結果は免れない。

 切り札を捨てるか、切り札ごと圧殺されるか。どう転んでも、リヒャルトの負けだった。


「クソ……」


 リヒャルトは膝を折り、肩を落とした。



「術を解かなければ、楽に死ねたのに……。つくづく詰めの甘いお方ですね」


 リヒャルトを見下ろし、サリクスは言った。

 原理結界は解かれ、空間は地下通路の一角に戻っていた。サリクスは、一仕事終えたというふうに、小さく息を吐き、ピストルを上着の〈影〉へ収めた。


 すでに勝敗は決していた。しかし、リヒャルトの気力はまだ挫けていない。膝を突きながらも吼えた。


「なに勝った気になってやがる。こっちにはまだ妹がいる。お前のツレは今頃――」


「……自分の心配をしたらどうです?」


 サリクスはそう言いながら、自身のスカートを下ろした。淡々と、次から次へと身に着けたものを剥いでいく。

 本当は破り捨ててしまいたいのを抑え、ギリギリの平静さを保ちながら。


「おい、待て、なんだ。どういうつもりだ」


 服を脱ぎ始めたサリクスの行動の理由が読めず、リヒャルトは動揺した。

 しかしそれも、サリクスの裸体を見たことで恐怖へと変わっていった。悍ましいものを見、数秒後に己の身に起こることを想像した。

 身を震わせ、リヒャルトはサリクスから逃れようと床を這った。しかし、空しく、リヒャルトはすぐに捕らえられた。


 強烈な腕力で、リヒャルトの両腕を押さえつけるサリクス。その目は、飢えた獣のそれだった。口からは熱い息が零れ、涎が溢れる。牙がいまにもリヒャルトに突き立てられようとしている。

 サリクスが、苦痛と飢餓に湿った、艶っぽくもある声で囁く。


「少し消耗しすぎて、もう我慢の限界なので……」


「――やめ――――」


 リヒャルトの叫びが響き、後には獣の饗宴が続いた。

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