第2楽章

第7話

「どうしたの?ぼぉっとして――寝不足?」


 祥ちゃんに声をかけられた。ロコモコをプレートからパクパクと口に運んでいる。


「そうだよ。さっきの英語の時間もウトウトしてなかった?」


 こちらは愛ちゃん。くるくるとパスタをスプーンにまとめている。その所作が可愛らしい。


 入学時のオリエンテーションで仲良くなって以来、三人で行動することが多い。今日も授業を終えたその足で、学食でのランチタイムとなった。


[PlayList No.07 イパネマの娘](https://www.youtube.com/watch?v=Nim7Xs41UJo&list=PLf_zekypDG5rmEze1PbqCh3dDwop0KTCo&index=7)


「さては男だな。昨晩は夜もすがらイチャイチャしてたんだろう」


 何ということ言うのだ、祥ちゃんのやつ。


「えーうそ。いつの間に彼氏できたの?」


 うん。真に受けなくていいからね、愛ちゃん。


「まあ、華の大学生活。学問だけでは淋しかろうから」


「そうよね。飾ってないけど、かわいい顔してるから、男たちがほっとかないだろうし」


 置いてきぼりで話が膨らむ。どこから訂正したら良いかとぼんやり考えながらお茶を飲む。――まあ、男というのは違いないけど。


 あれから紫苑はひっきりなしに、おすすめの音楽を共有してくる。動画共有サイトや、音楽ストリーミングを使って。さらに、楽譜の電子ファイルも送ってきた。驚いたのは彼の興味範囲がジャズだけじゃないことだ。現代のアーティストから、古楽器を使った演奏、あるいは民族音楽まで幅が広い。昨晩届いたのは、アストル・ピアソラの『ブエノス・アイレスの四季』という音楽だった。『リベルタンゴ』は知っていたが、ピアソラにこんな曲があったなんて知らなかった。思わず全部を聴いてしまった。そして、第四楽章にあたる『冬』の最後の旋律の美しさに心が震えた。


 思わず「気に入った」と、連絡したところ電話がかかってきて、とうとうと音楽の素晴らしさを語られた。――夜中の1時を過ぎていたのに。


「ねえ、二人は『どんな音楽が好きですか?』って尋ねられたらなんて答える?」


 これはその電話で紫苑から聞かれたことだ。


「なんだい?その質問は――あ、わかった。昨晩、合コンに行ったんでしょ。初対面でベートーヴェンなんて答えたらドン引きされるもんね」


 どうも祥ちゃんはそっちの話に持っていきたいようだ。ちなみに彼女は、適当な日本のミュージシャンを上げるらしい。


「私は素直に『クラシック音楽が好きです』と答えるよ」――こちらは愛ちゃん。


 意図した回答ではないが、二人の傾向はわかった。


「それで――その貴女の音楽嗜好に興味津々のその殿方は、どこのどなた様なの?まさか、同じ学校教育の人ではないでしょうね?」


 そういえば紫苑はどこの学部の何年生なのだろうか。あれだけ上手にベースを弾けることから専門的に学んでいるという可能性もある。しかし、音楽科で見かけたことはない。軽音楽部などで腕を磨いているということか――そもそもこの大学の学生かどうかもわからない。


 考えても仕方ないことなので、話題を変えようとした――


「あ、いたいた!」


 彼の声がした。紫苑が顔の横で大げさに手を振りながら近づいてくる。なんとも間が悪い。


「後ろ姿が見えたから、もしかしてね、と思って」


 目を丸くする二人を気にかける様子もなく話しかけてきた。


「うんとね。今晩は暇?暇だよね。10時に音棟の前に来て。うん。今日の夜の10時に。来てくれたら、君だったら――きっと新しい自分になれるよ」


 こちらの都合はお構いなしだ。要件だけを伝えて去っていった。――新しい自分?


 祥ちゃんと愛ちゃんが何かを言いたげにこちらをじっと見る。バツが悪くなり曖昧に微笑む。


「ちょっとまさか今のが彼氏?」


「超絶イケメンじゃん。身長も高いし、彫りも深い――もしかしてハーフ?」


 イケメン――意識したことはなかったかが、たしかにそうかも知れない。


「それで――今夜も夜のお散歩に行くの?」


 祥ちゃんが取調べのような態度で聞いてきた。


「まさか。明日は一限の授業があるでしょう。それに――」


「それに?」


「夜の10時に女の子を誘い出すなんて非常識よ」とピシャリと言った。


 私は長年音楽をやってきたのだ。良くも悪くも積み上げてきたものがある――すぐに変わることなんてできない。あんな言葉に期待するほど私は馬鹿じゃない。

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