第4話
「もっと自由にぶつかってきてよ。このままでは二人で演奏する意味がない」
曲と共に穏やかな空気も止まった。ベーシストが声を荒げている。ピアニストが反論する。
「いつものことだが、君の言っていることがわからない。楽譜どおりに弾いているじゃないか」
「それだけじゃダメだ。二人の演奏家が自己を表現し、それをぶつけあいーーそして僕たちの音楽にならないと意味がない」
「確かにそうかも知れないね。しかし――しかしね、僕は本来クラシックの人だ。君のように毎回違った演奏をされると、こっちはピアノが弾きづらいよ」
「それがジャズの本質でしょ」
「僕だってジャズくらいはわかるが、君の演奏は――はたしてジャズなのか?」
その問いにベーシストは応えなかった――問答はここで終わったようだ。
「騒がしくてゴメンなさいね」
水を注ぎに来てくれたミストレスが、半ば呆れたように話しかけてくれた。
「いつもこうなの。彼――ベースの方なんだけど、ちょっと独創的で我が強くてさ。私もよくわからないのけど、いつもピアノと反りが合わなくて」
「はあ――」
曖昧に返事をするが、ピアニストの気持ちはわかった――あのベースはちょっと独特だ。
ポピュラー音楽の作法に詳しくはないが、少なくともオーケストラでのコントラバスとは全く別物だった。低音を受け持つベースという楽器は楽曲全体を支える裏方のような役割で、メロディを奏でる楽器を"主"とするならば、ベースは"従"になるはずだ。しかし、彼のベースはあくまでも対等の立場で、ピアノとの対話を望んでいた。
「前川さん、すまない。彼とはやっていけないよ」と、ピアニストは帰ってしまった。
「前川さん、コーヒー頂戴。それと灰皿も」と、ベーシストは少し離れた席につく。
ちらりと顔を見ると、カギ鼻が高く、目が青みかかっていた。長い指で乱暴にタバコを取り出していた。
「昼間は禁煙よ。それに他のお客さんもいるし」
私のことだろう。長い指にタバコを挟んだまま、視線がこちらに移動した。
「ああ、ごめんね。タバコは嫌い?」――話しかけられた。
こっくりと頷く。この返事をもって、彼はタバコをしまい、店内にはクラシックの音楽が再開する――はずだった。
「君、確かこないだ音楽練習棟にいたよね?」
思わぬ質問だった。いつのことを言っているかわからないけど、当然いたことはある。肯定的な返事をする。
「楽器はなに?ピアノ弾けたりしない?」
「ええ、ピアノです」
「本当!クラシック?ジャズは?」
「ジャズはちょっとわからなくて」
「いやそんなに難しく考えなくてもいいよ。何か弾ける曲はない?」
人の話を聞かない人だ。
「そうだな。前川さん、なにかジャズのCDをかけられる?」
「ジャズはそんなにないわよ。えーと、ちょっとまってね。これとかは?」
まだジャズに馴染んでいないスピーカーから音楽が流れる。
[PlayList No.04 Beautiful Love](https://www.youtube.com/watch?v=Bt29IoW_l9k&list=PLf_zekypDG5rmEze1PbqCh3dDwop0KTCo&index=4)
「そうそうこんな感じ。分かる?」
リリカルで繊細なピアノだった。聴いたことがある。有名な演奏だ。
「ビル・エヴァンスですか?」
「そう!何だジャズ分かるじゃん」
青みがかった瞳がじっとこちらを見つめる――しまった、と思った。
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