第3話
土曜日は――やることがない。日曜日もだけど。
昨晩は大学生協で買った小説を遅くまで読んでいたので、起きたのは10時に近かった。まごうごとなき寝坊である。インスタントのコーヒーを煎れ、ふぅふぅと冷ましながら、テーブルに置かれた単行本の表紙をぼんやりと見つめた。
同じくテーブルにあったビラの束をなんの気なしに手に取る。校庭や食堂でもらった部活やサークル勧誘ビラだった。パラパラとめくり見てみる。
テニスサークルに、弓道部、映像研究会、ラクロス部、そして、またテニスサークル。その中で、見慣れたト音記号と五線譜の模様が目に留まった。
『アコースティック音楽サークル "カプリス"――ピアノ、ギター、サックス、ヴァイオリンにアコーディオンなどなど。どんな楽器でも大丈夫!いろいろな音楽を一緒に演奏しましょう』
吹奏楽かと思ったが、どうやら違うようだ。そんな楽器編成で、どんなコンサートを行なうつもりなのか不思議に思った。
ビラをもとに戻し、椅子にもたれかかる――アルバイトでもしようかなと思った。しかし、もらっている仕送りは私の一人暮らしには十分すぎるものだった。両親へ感謝しながら、その仕送りで買った単行本に手をのばす。
***
昼過ぎにアパートを出た。最寄り駅の線路沿いにある喫茶店を目指す。その店は道路に面して家庭菜園となっており、入り口は奥まっている。『音楽喫茶 クレッシェンド』という小さな看板を見逃すと、一見ではカフェとはわからない。入学早々にこの場所を見つけられたのは幸運と言っていいだろう。菜園脇の小道を抜けて店にはいる。
スパイスとコーヒーの香りと、クラシックのBGMが私を迎えてくれる。バロック音楽が多い――店の人の好みだろう。木目調の店内と、おしゃれな小物の調和もいい。
[PlayList No.03 イタリア組曲](https://www.youtube.com/watch?v=vWMw4V6GgCo&list=PLf_zekypDG5rmEze1PbqCh3dDwop0KTCo&index=3)
菜園を臨めるいつもの席についた。ミストレスが「いらっしゃい」の声とともに、水とメニューを渡してくれた。
「今日は昼過ぎから音楽スペースを貸しているから。少しうるさくなるかもだけど、勘弁してね」
奥にあるスペースを目線で示された。ヤマハのアップライトピアノがある。
「次の音楽イベントのリハーサルですか?」
音楽喫茶ということで不定期に催し物が開催されていることは知っていた。
「いえ、イベントに出てもらうかは決めていないんだけど――練習場所として貸し出しているのよ。学生さんはお金がないからね。まあボランティアみたいなもの」
「構いませんよ。私も音楽は好き――な方ですから」
「あら、そうだったの?」
言ってから少しバツが悪く感じる。音楽が好きと言いきれない自分がもどかしい。話を逸らすように注文をした。いつもと同じ、野菜カレーにコーヒーのセット。
「コーヒーは食後で?」
「ええ――」
メニューを下げながら、「野菜カレーにアフターホット」と、アルトな声で厨房に伝えられた。
***
カレーの美味しさに満たされたあとで、持ち込んだ小説をめくりながら、コーヒーを味わう。次は心が満たされる番だ。芳ばしさの中にある独特の味わいがたまらない。この店のコーヒーは、私の人生の中で――と言ってもたかだか20年にも満たないが――最高だと思っている。しかし、このあいだ開店時間を確認しようとスマートフォンで調べたときに『変な癖があって合わなかった』という口コミ見て驚いた。人の好みというのは多様なんだな、とあらためて思った。
カップのコーヒーが半分くらいになったところで、二人組の男性が入店してきた。私の横を通り過ぎ、お店の人と一言二言挨拶したあとに、音楽スペースに向かっていった。一人はピアノに座り、もうひとりは担いできた大きな楽器――コントラバスをケースから取り出した。
BGMが止まり、コントラバスはヴォンヴォンとチューニングを初めた。どうやらデュオ演奏のようだ。第一弦の”ソ”の音がピアノの周波数と揃ったところで、私は再び小説に目を落とした――練習の様子を他人にジロジロ見られるのは、気持ちのいいものではないだろうから。
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