第3話

 帰還したクリフォードは愛艦インヴィンシブル89号を工廠に引き渡すと、すぐに愛する家族の下に向かった。


 既に連絡が入っており、妻であるヴィヴィアンと五歳になる一人息子のフランシスは、首都チャリスの宇宙港のロビーで彼を待っていた。


 クリフォードは二人の姿を認めると、駆けるように近づき、二人を抱き締める。


「ただいま、ヴィヴィアン」


 そう言って妻と口づけを交わす。


「おかえりなさい、あなた」


 そう言ってクリフォードの肩に額を付ける。

 もう一度抱き締めると、我が子を抱き上げた。


「ただいま、フランシス。いい子にしていたか?」


「はい、父上!」


 そのはっきりとした答えに、クリフォードはフランシスの成長を感じ、離れていた期間の長さを実感する。


「年末までゆっくりできそうだ。落ち着いたら旅行にでも行こうか」


「それがいいですわ。義父様おとうさまもお誘いして、ゆっくり話をしたいですね」


 クリフォードの父、リチャード・コリングウッドはチャリスに住んでいる。以前は人に会うのが嫌で田舎に引き籠っていたが、フランシスが生まれた後は留守が多いクリフォードに代わり、二人の様子を見るため、頻繁に官舎を訪れていた。


「ファビアンも一緒に戻ってきたし、第六艦隊も休暇がもらえるはずだから、一緒に行ってもいいな。でも、まずは家族三人でゆっくり話をしたい」


 クリフォードはフランシスを抱え上げたまま、ヴィヴィアンを抱くように身を引き寄せながら我が家に向かった。



 数日後、ファビアンと彼の妻であるアンジェリカ、そしてリチャードがクリフォードの官舎を訪れた。

 久しぶりにコリングウッド家の全員が集まり、和やかな雰囲気のまま、夕食を摂った。


 夕食後、ブランデーを傾けながらリチャードが話し始める。


「そろそろ家督を譲ろうかと思っている」


 その言葉にクリフォードとファビアンが居住まいを正す。


「二人のうち、どちらに家督を譲るかで悩んでいる。二人とも自らの力で大きな功績を挙げている。クリフはもちろん、ファビアンが家督を継いだとしても子爵家に陞爵することは間違いない」


 クリフォードは二度の殊勲十字勲章DSCと一度の武功勲章MC、他国ではあるが、自由星系国家連合フリースターズユニオン(FSU)の最も権威のある勲章、自由戦士勲章を受勲し、更に三度目の殊勲十字勲章は確実と言われている。


 このままコリングウッド男爵家を相続すればすぐに子爵に陞爵し、更に数年程度で伯爵位を授けられる可能性が高い。また、男爵位を相続しなければ騎士爵になるが、これだけの功績を上げているため、即座に男爵に陞爵することは確実であり、子爵になる可能性すらあった。


 一方のファビアンも青銅星勲章BSと殊勲十字勲章を受勲し、今回の戦いでも殊勲十字勲章を受勲することは確実と言われている。僅か一年の間に二度の殊勲十字勲章の受勲は戦死者以外では珍しく、男爵位を相続すれば数年以内に子爵に、相続しなくとも准男爵になる可能性が高い。


 ちなみに爵位に伴って年金が増額され、税などでも優遇されるが、陞爵しても領地が増えることはない。


 これは頻繁に爵位が変わる制度であることと、特権は次の世代までという考え方に則っている。


 領地は国王から権利を買うことで得ることができるため、伯爵以上は大きな領地を持つことは可能だが、爵位が下がると優遇が小さくなることで負担が多くなり、手放すことになる。そのため、侯爵クラスでも小さな領地しか有していないことは珍しくなかった。


 コリングウッド男爵家も第三惑星ランスロットに小さな領地を持っているが、別荘と変わらない程度のものでしかなかった。


「私としては長男であるクリフに譲りたいと思っている」


 リチャードの言葉にファビアンが賛同する。


「私は賛成です。長男が相続する方が自然ですし、コリングウッド家の伝統は兄さんが継ぐべきです」


 それに対し、クリフォードが反論する。


「私としてはファビアンに継いでもらいたいんだが」


「それはなぜだ?」


 リチャードの問いにクリフォードはゆっくりとした口調で答えていく。


「私が男爵家を継げば、近い将来、伯爵にまで陞爵する可能性が高いと思っています。そうなると、政治絡みの話が増えて面倒なことになります。ヴィヴィアンの前で言うべきではないかもしれませんが、義父であるノースブルック首相は私を利用しようとするでしょうから」


 ウーサー・ノースブルック伯爵は二年ほど前の宇宙暦四五二二年一月に首相に就任した。その後、スヴァローグ帝国、ゾンファ共和国と連戦して大勝利を収め、アルビオン王国の長い歴史の中でもとりわけ大きな功績を残している。


 今回の勝利で侯爵に陞爵するという噂もあり、今のところ問題ないように見える。

 しかし、アルビオン王国の財政は非常に苦しく、ゾンファに勝利した直後には八割以上あった支持率は徐々に下がり始め、一年後には五割台にまで低下するという予測があった。


 これは首相就任前に財務省の長である財務卿を長く勤めていたことから、破綻寸前にまで追い込んだのはノースブルックが原因だと野党民主党が糾弾しているためだ。


 そのため、国民に人気が高く、外交にも強いクリフォードを退役させ、政治家に転向させるのではないかという憶測記事がメディアでは多く踊っている。


 伯爵位を持っていれば、政治家の経験がなく三十代前半という若さであっても重要閣僚に就任させることは不自然ではない。また、彼が入閣すれば、内閣の支持率が劇的に向上するとも言われていた。


「私としては軍を離れる気はありませんが、義父が本気になれば、政治家に転向せざるを得ない状況に追い込まれる可能性は否定できません。ですので、男爵家の相続権を放棄し、騎士爵から陞爵して男爵くらいになる方が私にとっては望ましいんです」


「ややこしいものだな」とリチャードは嘆息し、ファビアンに視線を向ける。


「コリングウッド家は今まで政治に関与したことはないから、イメージは湧かないが、クリフがそう言うのならそうなのだろう。ファビアン、お前はどう思う?」


 リチャードに話を振られたファビアンは慌てて考え始めた。


(兄さんを守るためとはいえ、私が相続していいのだろうか……デメリットはほとんどないが、兄さんを押し退けたみたいであまりいい気はしないな……)


 ファビアンはそのことを正直に告げた。


「もっと頑張って、私の代わりに政治家になってくれてもいいんだぞ」


 クリフォードが笑いながらそう言った後、真剣な表情で話を続ける。


「冗談はさておき、お前も考えておいた方がいい。コリングウッドの名は思った以上に大きいことは実感しているだろう」


「そうだね。兄さんのお陰で物凄く実感しているよ」


 ファビアンが軽口で応じるが、クリフォードは真剣な表情を崩さなかった。


「これから私たちを利用しようとする者たちは絶えず現れる。私は既にしがらみがあるから難しいが、お前なら多くの宙軍士官を輩出した伝統あるコリングウッド家の当主であることを盾にすれば防ぐことができる。これは私たち家族全員が幸せに過ごすために必要なことだと思ってほしい」


「分かったよ。“政略の天才”である兄さんがそこまで考えているなら、私から言うことはないよ」


「“戦闘艦指揮の天才”であるファビアンに、天才とは言われたくないよ」


 そう言ってクリフォードは苦笑する。


 結局、ファビアンがコリングウッド家を相続し、クリフォードが新たな家を立ち上げることになった。


 クリフォードは義父であるウーサー・ノースブルックにそのことを報告した。

 ノースブルックはその話を聞き、僅かに苦笑する。


「やはり君は侮れないな。今現在は君を政治の道にとは思っていないが、その選択肢を捨てるつもりはなかった。それを見越して先に手を打ってくるとは」


「いろいろとご配慮いただいている身でありながら申し訳ないとは思っておりますが、私は国を守る軍人であり続けたいと思っております」


「構わんよ。将来、アーサーの右腕になってくれればとは思っていたが、君の性格では政治の世界は辛かろう」


 アーサー・ノースブルックはウーサーの長男で、三年ほど前に財務省を辞めて下院議員になっている。現在は保守党の若手のホープとしてウーサーの補佐をしていた。

 ノースブルックは真剣な目つきでクリフォードを見つめる。


「分かっているだろうが、君が望む望まないにかかわらず、階級が上がれば必ず政治と関わることになる。その時に後手に回らないよう準備は怠らないようにな」


「ありがとうございます」


 クリフォードはノースブルックが自分の身を案じて忠告してくれたことに素直に礼を言った。


「まあいい。それにこのタイミングで家督のことを公表するのは正解だ。私としては今、メディアが君に注目してくれることは非常に助かる」


 十二月に入ると、リチャードはコリングウッド家の家督相続の手続きを行った。そして、クリフォードは新たな騎士爵家を立ち上げた。


 王国政府はクリフォードの功績を鑑み、准男爵を飛ばして一気に男爵の爵位を彼に与える。これにより、兄弟そろって男爵位を得ることになった。


 この家督相続とクリフォードの独立が公表されると、メディアは大きく報道した。様々な憶測が流れ、クリフォードたちはメディアの取材攻勢を受ける。


 その結果、ノースブルックの思惑通り、財政再建や軍縮といった地味な話題は扱いが小さくなり、彼の内閣は野党の追及を余裕でかわしていく。


 更にクリフォードとファビアンの受勲の話が持ち上がり、メディアがその話題に飛びつき、ノースブルックへの追及の手は緩んでいった。

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