第5話

 宇宙暦SE四五二三年二月一日。


 クリフォードは短い休暇を終え、旗艦インヴィンシブル89に戻っていた。

 副長のアンソニー・ブルーイット中佐の着任後、航法長マスターであるサビーナ・ロジャース中佐が着任した。


 ロジャースはスラリと背の高い金髪の美女で、クリフォードを前にしても緊張した様子もなく、微笑を浮かべている。

 真面目な表情に変えると、教科書通りのきれいな敬礼の後、着任の報告を行った。


「サビーナ・ロジャース中佐です。着任の承認をお願いします。艦長サー


「着任を承認する」とクリフォードは真面目に答えるが、すぐに笑顔を見せ、


「歓迎するよ、中佐。知っていると思うが、私には航法の才能がないんだ。君には期待している」


「過分なお言葉、ありがとうございます。ですが、艦長が航法を苦手にしておられるというのは、ただの笑い話と聞いておりますわ。特に作戦を考える上で人工知能AIを使うことなく、的確な航路を選択されると航法関係の士官の中で知れ渡っております」


 そう言ってロジャースは再び笑みを浮かべている。


「そんなことはないよ」と笑い返し、


「戦術士と航法士の経験を持つ君には本当に期待しているんだ」


 ロジャースは航法長として配属されたが、戦術士の経験もある優秀な士官だった。そのことをクリフォードも知っており、戦闘時の機動に関し、的確な助言を期待していた。


了解しました、艦長アイアイサー。全力を尽くします」


 他にも大尉クラスの士官の多くが着任し、クリフォードは士官たちを早く馴染ませ、艦を一つのチームとして機能させようと努力していった。



 司令部にも新たな要員として、副参謀長としてオーソン・スプリングス少将と首席参謀のヒラリー・カートライト大佐が着任している。

 二人とも司令官のアデル・ハース大将が引き抜いてきた人材だ。


 スプリングスはがっしりとした体格の壮年の男性士官で、強面の風貌から参謀というより宙兵隊の将官という印象を与えることが多い。


 ハースは司令官室にクリフォードを呼び、彼らを引き合わせた。

 挨拶を交わした後、ハースがいたずらっぽい表情でスプリングスを紹介する。


「オーソンはこんな見た目なんだけど、視野の広い戦略家であり、緻密な作戦を立案できる戦術家なのよ」


 その言葉にスプリングスが苦笑交じりに反論する。


「こんな見た目はないでしょう。まあ、ブラスターライフルを担いでいた方が似合うとは自分でも思っていますが」


 そんな気やすい感じのやり取りを見てクリフォードが驚いていると、ハースが事情を説明する。


「オーソンは私が総参謀長の時に参謀本部の作戦班にいたの。第一次ジュンツェン星系会戦の作戦の骨子は彼が立案したものなのよ」


 クリフォードは尊敬の眼差しをスプリングスに向ける。


「あれは見事な作戦でした。お時間がある時にいろいろと教えていただきたいものです」


 その言葉と視線にスプリングスは頭を掻く。


「いやいや、あれは大佐の発案した運用を使わせてもらっただけだぞ。こっちの方が教えてもらいたいくらいだ」


 第一次ジュンツェン星系会戦ではクリフォードが発案した、戦艦と砲艦のバディシステムによる超遠距離砲撃を採用し、敵に大混乱を与えて勝利を得ている。


 そんな話をしていると、カートライトが話に加わってきた。

 カートライトは三十六歳になる女性士官で、有能な弁護士のような怜悧な雰囲気を持つ。クリフォードは最初、その雰囲気に僅かに気後れしていた。


「小官も聞きたいですわ。我らが賢者ドルイダス殿が手放しで褒める“崖っぷちクリフエッジ”殿の戦略を」


 真面目で冷徹な雰囲気の彼女が“ドルイダス”や“クリフエッジ”といったあだ名を使ったことに、クリフォードは驚き、僅かに目を見開く。


「ヒラリーはよく誤解されるのよ。本当は明るい子なんだけど、ストレートな表現が多すぎるの」


 カートライトは統合作戦本部の作戦部にいたが、作戦部長のルシアンナ・ゴールドスミス少将から冷遇されていた。その理由にライバルであるハースの下に一時期いたことがあったが、正論を遠慮なくぶつける性格も嫌われた大きな要因だった。


「提督のように笑顔で相手を叩きのめすほどの心臓ハートは持っていません。精々、正論をぶつけるくらいしかできませんから」


「あら、あなたも言うようになったわね」とハースは笑顔で言い、クリフォードに視線を向ける。


「こんな子だけど、戦略・戦術研究部にもいたことがあるから、あなたのように面白いことを提案してくれるはずよ」


 戦略・戦術研究部は統合作戦本部の研究部門で、長期的な戦略の立案や新戦術の評価などを行っている部署だ。


「艦長ほど提案できませんよ。戦略と戦術の両方の論文を何度も上げてくる人なんて、ほとんどいないんですから」


 クリフォードはそんなやり取りを見て、以前より司令部の参謀と上手くやっていけそうだと安堵する。


 顔合わせが終わった後、ハースは参謀長のセオドア・ロックウェル中将、副官のアビゲイル・ジェファーソン中佐を含めて、今後の方針について話し合った。


「ゾンファ共和国が動き出しました。まだ、どんな思惑で接触してきたのかは分かりませんが、何の目的もなく、状況を変えることはないでしょう。情報は少ないですが、皆さんの意見を聞かせていただきたいわ」


 ハースがそう切り出すと、ロックウェルが最初に発言する。


「政変が終わって孤立状態から脱却したいだけではないのでしょうか? ジュンツェン星系会戦から四年半経っているとはいえ、あれだけの損害を受けたのですから、戦争を仕掛ける余裕はないのではありませんか」


 ロックウェルの常識的な見解にハースは小さく頷く。


「参謀長のおっしゃる可能性は充分にあります。ですが、あの国は常に警戒すべきです。特に彼の国の戦力の回復能力は我が国の数倍。既にヤシマ侵攻前の水準に戻っていると考えた方がいいでしょう」


 スプリングスがハースの言葉に答える形で発言する。


「提督の懸念はもっともですな。ゾンファ本国のインフラは何らダメージを受けていません。ですから民需を無視すれば、四年で五個艦隊くらいは簡単に補充できます。艦隊の再編が終わったので、再びヤシマに目を向けたというところでしょうな」


「妥当なところね」とハースは言い、「ヒラリー、あなたの意見は?」と言って、カートライトに視線を向ける。


「確かに戦力は回復しているでしょうが、誰が政権を握ったかで戦略が変わるのではないでしょうか? そうなると今の段階では情報不足で結論は出せません」


 ハースは「そうね」と言って頷き、クリフォードに視線を向けた。


「では、クリフ。あなたの意見を聞かせてほしいわ」


 その言葉で他の三人も注目する。


「首席参謀のご意見と同じです。情報不足で早計に結論を出せば、間違った方向に向かう可能性がありますから」


「それは分かっているわ。でも、現段階でのあなたの意見が聞きたいの。確度は気にしないし、思ったことを言ってくれるだけでいいわ」


 クリフォードは少し悩んだ後、「思い付きですが」と断った上で話し始めた。


「首席参謀がおっしゃる通り、指導者がどの派閥に属するかでゾンファの方針は大きく変わります。ですが、変わらないこともあります」


「それは何かしら?」とハースが尋ねる。


「ゾンファ共和国には居住可能星系が一つしかありません。そこに八十億の人口が集中しているのです。つまり、彼の国にとって新たな居住可能星系を得ることは至上命題と言っていいでしょう。そして、ゾンファの勢力圏から現実的に移動が可能な居住可能星系はヤシマ星系とキャメロット星系です。そのいずれかに向かうことは、政権が変わろうとも不変であると考えます」


 カートライトがクリフォードの意見に疑問を呈した。


「確かにそうですけど、ヤシマはともかく、キャメロットへの侵攻は考え難いのでは?」


「必ずしもそうでないと思います。ヤシマを手に入れたとしても、キャメロットを放置すれば、ジュンツェン星系という連絡路を遮断されてしまいます。それを恐れ、艦隊を分散すると今度はヤシマを奪い返されてしまいます。彼らも四年前の教訓は身に染みているでしょうから、単純にヤシマに向かうと考えていいのかと不安が残ります」


 その意見に対し、ハースが大きく頷く。


「同じことが我が国にも言えるわね」


「どういうことでしょうか?」とロックウェルが質問する。


「ヤシマを守ろうとすれば、キャメロットとヤシマに戦力が分散します。キャメロットに牽制を加えておいてヤシマを攻略する、もしくはヤシマを牽制してからキャメロットに艦隊を進めるというのは充分にあり得るということです」


 ハースの言葉に全員が頷く。


「そうなると、敵より少数で迎え撃たなければならなくなるということですか……」


 スプリングスの言葉にその場の空気が重くなった。


「ゾンファが侵略を諦めていない場合、そうなりますね」


「それよりも懸念していることがあります」とクリフォードが発言する。


「それは何?」とハースが水を向けると、クリフォードはゆっくりとした口調で話し始めた。


「ゾンファが教訓を得たのならば、単に星系の確保を狙ってこないのではないかと思うのです」


「星系を欲していると言ったのはあなたよ」とハースが首を傾げる。


はい、提督イエスマム。ですが、それは最終的な目的で、その準備段階としては別のこと、具体的にはアルビオン艦隊に損害を与えることを目指すのではないかと」


「我々に損害を? 確かに我が軍を減らせば楽にはなるが、我々も無抵抗ではない。反撃を受け、相応のダメージを被れば、侵攻作戦自体が失敗に終わると思うのだが」


 ロックウェルの問いにクリフォードは「はい、中将イエッサー」と答えるが、更に言葉を続けた。


「先ほども話に出ましたが、ゾンファ軍の回復速度は我が軍を凌駕しています。それに加え、我が国では戦死傷者に対する補償が大きく、戦うほどに財政負担が厳しくなっていきます。大量に戦死者が出れば、国民に厭戦気分が蔓延し、他国に干渉しようとしなくなるのではないでしょうか」


「充分考えられるわね。そうなると対応のしようがないけど」


 ハースの言葉に全員が難しい顔をする。これ以上の議論は不要と思ったのか、ハースが話をまとめた。


「いずれにしても、我が艦隊がカギを握ることになります。今から艦隊の再編が本格化しますが、危機感を持って訓練計画を立てるように」


 そこで全員が立ち上がり、「了解しました、提督アイアイマム」と答えて敬礼し、打合せは終わった。


 司令官室に残ったハースは副官のジェファーソンに話しかけた。

 元々寡黙なジェファーソンは打合せの間、一言も話さず聞くだけに留めていたためだ。


「アビー、あなたはどう思ったかしら?」


 ジェファーソンも今回の人事異動で副官になったばかりで、切れ者として有名なハースにまだ慣れていない。しかし、ハースの副官に任命されるほど優秀で、すぐに答えを返す。


「ゾンファの思惑が分からない以上、備える必要があるというのは理解できます。それにしてもコリングウッド大佐は素晴らしいですね。私には想像もできませんでした」


 ハースは「そうね」と言った後、


「彼の言った通りになるかは分からないわ。でも、準備だけは怠らないようにしましょう」


 ジェファーソンは「了解しました、提督アイアイマム」と答え、次の予定を確認し始めた。

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