第16話

 宇宙暦SE四五一九年(帝国暦GC三七一九年)九月十日。


 スヴァローグ帝国の特使、セルゲイ・アルダーノフ少将は軽巡航艦二隻、駆逐艦五隻、スループ艦三隻の小規模な戦隊を率い、ストリボーグ星系からシャーリア法国に向けて出発した。


 彼の任務はシャーリア法国を自由星系国家連合フリースターズユニオン(FSU)から離脱させ、帝国との同盟を締結させることだった。


 十二月二十一日、アルダーノフはシャーリア法国に到着した。

 彼らを出迎えたのは直径三十キロ級の要塞一基と五キロ級軍事衛星三基に加え、膨大な数のステルス機雷だった。


 事前に連絡が入っているため、ステルス機雷はロックされ、要塞からの攻撃がないことが分かっていても、その威圧感からアルダーノフの背中に冷たいものが流れる。


 星系内を何事もなく進み、唯一の居住惑星である第四惑星ジャンナの衛星軌道上に到着する。


 そこにはジャンプポイントJPの要塞よりさらに巨大な、直径六十キロ、質量二百五十兆トンの小惑星を改造した要塞、ハディス要塞がその存在を主張していた。


 更にジャンナの衛星軌道には五キロ級の軍事衛星が十基配置されており、アルダーノフには攻略の糸口すら思い付かない。


(機雷の数は分からんが、あの要塞群を突破するには十個艦隊でも難しいかも知れん。やはり、シャーリアは外交交渉で切り崩すしかないな。逆にいえば、今回の任務を成功させれば十個艦隊に勝る戦果を上げたことになる……)


 彼は不敵な笑みを浮かべて、首都アルジャンナに降り立った。



 シャーリア法国は一神教を国教とする宗教国家である。


 人口は十五億人とFSUの中では小国だが、居住可能惑星ジャンナは農業に適しており、自給自足が可能な豊かな星系である。


 しかし、特筆すべき産業はなく、スヴァローグ帝国からの侵略を防ぐため止む得ず連合に加盟しただけで、その宗教的な特殊性も相まって、外交には消極的だ。


 政教一致の政治体制であるため、宗教指導者である導師イマームを頂点とし、法官カーディーと呼ばれる閣僚、知識階層ウラマーと呼ばれる官僚が行政・立法・司法を仕切っている。


 政治に宗教観が反映されているものの、近代的な法律が整備されていることと、経典でもある“シャーリア法”が合理性を認めているため、宗教国家にありがちな不合理さはない。


 また、国民のほぼ百パーセントがシャーリア教信者ということで、自国の防衛戦では“聖戦”と称して、損害を顧みない果敢な戦い方をする。


 その一方で他国の存亡には興味を示さず、ヤシマ奪還作戦では消極的な動きが目立った。シャーリア軍の消極さがタカマガハラ会戦の敗因の一つと言われているほどだ。



 首都に降り立ったアルダーノフはシャーリアの指導者たちと交渉の場を得ていた。

 そして、彼はその冒頭、以下のように切り出した。


「偉大なる銀河帝国皇帝、アレクサンドル二十二世陛下の名代である小職は貴国に対し、帝国の庇護下に入るよう勧告するものである」


 その傍若無人ともいえる言葉にシャーリアの指導者たちは嘲笑をもって応えた。

 導師イマームであるハキーム・ウスマーンは宗教指導者らしい法衣を身に纏った落ち着いた雰囲気の壮年の男で、アルダーノフを頭の弱い男と決めつけ、諭すように話し始めた。


「特使殿も見たであろう? 我が国のJPは無数のステルス機雷と要塞群で鉄壁の守りを誇っておる。更に防衛艦隊の精鋭が加われば、貴国の全兵力をもってしても突破はできぬ。その程度のことも理解できぬのか」


 その小馬鹿にしたような言い方に対し、アルダーノフは冷笑を浮かべて反論する。


「確かに貴国の防御は鉄壁である。しかし、隣国ロンバルディアはどうか。ロンバルディアが降伏すれば、我が国に六個艦隊が加わるのだ。使い潰しても苦にならぬ艦隊がだ。いかに鉄壁の防御を誇ろうとも、死を覚悟した兵を食い止められると思っているのか?」


 そこでシャーリアの指導者たちは互いに顔を見合わせ始めた。

 更にアルダーノフは大きな身振りを加えて話を続けていく。


「貴国も見たであろう。金にうるさいだけの惰弱な国民と言われたヤシマの民ですら、十倍以上の敵に突撃していったことを。タカマガハラで梃子摺ったことすら忘れたのか? あの時は四千隻ほどだったが、その死兵が三万隻となるのだ。それでも守り切れると断言できるのか?」


 当初は余裕の表情を浮かべていたシャーリアの指導者たちだったが、死兵になったロンバルディア艦隊を想像し、俄かに顔が青ざめていく。

 アルダーノフは更に追い討ちを掛ける。


「この星系はストリボーグとロンバルディアにしか接続していない。その両方を我が国が抑えれば貴国は袋のネズミだ。いかに強力な要塞があろうとも滅亡の時を先延ばしにすることしかできぬ」


 彼の言葉の意味をウスマーンたちは正確に理解した。


 現状では星系を封鎖されても自給自足が可能であり、問題はないように見える。

 しかし、JPの要塞を突破され、星系内の制宙権を奪われた瞬間、滅亡しかなくなるのだ。制宙権を失えば、要塞への補給が困難になる。その状況で持久戦をし掛けられたならば勝利はあり得ない。


 ネックとなるのはエネルギー源である水素だ。

 食糧は要塞の兵士だけなら環境循環システムによって自給が可能だが、エネルギー源となる水素は外部からの補給が必須だ。


 現状では星系内のガス惑星から補給を行っているが、制宙権を失った状態では補給できない。


 要塞内にある備蓄量は期間にして一年分程度であり、敵は包囲するだけで勝利が転がり込んでくるため、あえて要塞を攻撃するようなことはしないだろう。



 ウスマーンは額に汗を浮かべ、激しく視線を彷徨わせる。

 彼の視線の先にいるのは、彼と同じように汗を拭いている法官カーディーたちと、余裕の笑みを浮かべるアルダーノフだった。


 ウスマーンたちはシャーリア法学院という最高学府を優秀な成績で卒業したエリートだが、宗教と法による秩序が前提の平和な国内での経験しかなく、アルダーノフの秩序を無視した恫喝に動揺していた。


「特使殿は我が国を恫喝しておられるのか?」


 アルダーノフはウスマーンの上擦った声に傲慢とも取れる口調で答えていく。


「そのようなことはない。我ら銀河帝国に従わねば、貴国の貴重な文化、伝統が失われると言っているだけだ」


 ウスマーンらは伝統が失われるという言葉に、彼らの精神でもあるシャーリア教を禁止すると受け取った。


「我らから教えを奪うというのであればやってみるがいい! 帝国がいかに強力であろうとも、我らの心は縛れぬ!」


 一人の法官が立ち上がってアルダーノフを糾弾する。しかし、彼は全く動じることはなかった。


「我が帝国はシャーリアの人民に興味はない。興味があるのは豊かなこの星系だけなのだ。民がいなければ、入植させればよい。何も元からいる者でなければならんという道理はないのだからな」


 その言葉で帝国がシャーリアの民を全滅させ、自国民を入植させる計画だと思い込んだ。もし、この場に冷静な者がいたならば、慢性的に人的資源が不足している帝国に入植という方法は採れないと気づいただろう。

 ウスマーンを始め、法官たちはアルダーノフの言葉に恐怖し、思考を停止してしまった。


「大人しく我が国に従えば、一定の自治権と信教の自由を認めよう。これは皇帝陛下より全権を任されている小職が保証する」


 彼の言葉にウスマーンたちは見事にだまされた。

 全権特使とはいえ、所詮はアルダーノフ個人の口約束であり、降伏しても自治権や信教の自由が認められる保証はない。


 しかし、恫喝された後に一見すると有利な条件を提示されたことで、彼らの心は大きく揺れる。


「今日はこのくらいにして、結論は明日聞かせてもらおう」


 そう言って会議場を出ていった。

 残されたウスマーンたちは頭を抱えるようにして困惑の表情を浮かべていた。


「どうすればいいのだ。外交部の意見は」


 外交担当の法官が震えるような声で答えていく。


「ロンバルディアが帝国に併合される可能性は非常に高いと見ています。アルビオンの動向次第ですが、彼の国もヤシマとロンバルディアの両国に艦隊を派遣する余裕はありません」


 ウスマーンはアルビオンという言葉であることを思い出した。


「そう言えば、アルビオンの王太子が我が国を訪問すると聞いたが、近々ではなかったか?」


「はい。十二月二十七日に到着の予定です……これはいささか不味い状況かと……」


 ウスマーンは愕然とし、「いささかどころではない!」と思わず声を荒げてしまう。普段の彼からは想像できない行動であり、法官たちは皆、目を見開いていた。


「既に超空間に入る頃だろう。今からでは入国を拒否することもできん。彼奴きゃつらに気づかれたら大変なことになる……」


 アルダーノフの性格から見て、アルビオンの王太子がこの星系に到着したら、殺害若しくは拉致しようとするだろう。


 そして、それを防ごうとすれば、実力をもって帝国の使節戦隊を止めなければならず、帝国との交渉は決裂する。


 しかし、アルビオンの使節を帝国に引き渡すことは、信頼している相手を裏切る不当な行為である。これは彼らの信ずるシャーリア法に反する行為だ。

 そのため、宗教指導者であるウスマーンはその板ばさみに悩んだ。


 ウスマーンは打つ手を見いだせないまま、情報統制をするだけで何も手を打たなかった。否、打てなかった。彼らはアルダーノフが気づかないよう神に祈ったが、それは叶うことはなかった。アルダーノフが情報を入手してしまったのだ。


「これは貴国が我が帝国の庇護下に入る気があるかを見る試金石となる。もし、アルビオンの王太子を皇帝陛下に献上できれば、陛下の覚えはめでたくなり、貴国が望む条件で協定を結ぶことができるかもしれぬ。誠意ある行動を望む」


 その言葉にウスマーンらは決断した。


「アルビオンの王太子がJPに現れたら、帝国の使節がいることを悟られぬようにラスール軍港に誘導せよ。入港後は各艦を占拠し、王太子を帝国に引き渡すのだ」


 このことは極秘事項とされ、ごく一部の者にしか伝えられなかった。

 このような騙し討ちは戒律に触れる行為であるとウスマーンたちも分かっており、この事実が熱心な信者たちに知られれば、反発することは明らかで、最悪の場合、暴動に至る可能性があるためだ。


 そして、十二月二十六日、ウスマーンはアルダーノフの提案を呑むと伝えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る