フリー・ガイ ー2021.10.20.

監督:ショーン・レビ



「そうか、ラブストリーだったのか。」

こういう物だろう、と想像していた内容の斜め上を行っていた。

「レディープレイヤー1」をひねって、ひとつ足したような、

ナルホド、な設定がまず面白い。

そんな物語はリアル世界のサスペンス進行と、ゲームとして存在するバーチャル世界での主人公の自我の目覚めが交互に描かれている。

この双方、ごっちゃになりそうだがならず、むしろ絡みがみごとだ。

終盤になればなるほど双方の駆け引きにハラハラさせられる。

ありがちなのがリアルとバーチャルがシームレスな面白味なるも、

そういう意味で本作ははっきり分かれてこそ面白味が増すのだから、

斜め上をゆくそれが理由と、意外で目新しさを感じた。


ゲーム世界を仮想と片付けてしまわず、仮想だけれど日々成長し、

詰め込まれたいわゆるモブキャラクターたちだろうと、生活があるひとつの世界なのだ、という設定の優しさがいい。

そんな優しい世界は守りたくなるし、

住まうキャラクターたちを背景でなく個人と知れば、

なんだか他人事に思えず、がぜん応援したくなる。


けれどその優しさこそリアル世界でゲームがプログラムされた時の名残なら、

さらにどんでん返しと、意外にもこれは遠回りなラブストーリーなのだと知れて、

とんでもない温かさを覚えた。

ゲームは悪だと言われがちだけど、やっぱり物事は何事もとらえ方次第。

その不意打ちが心地よい一本だった。



SFにおける仮想世界は、当然ながら「現実ではない」ところがキモだ。

だがそれは誰にとっての「現実」なのかということで、

仮想世界のナチュラルボーンから見れば、誰が何と言おうと

己が世界が「現実」となるほかない。

ということでニセモノと本物の対決についてふとディックの

「電気羊はアンドロイドの夢をみるか」を思い出した。

そして本作の視点から見てみれば、たとえ電気羊と言われようと人間の夢をみるとしか言いようがない。


自身も、どちらも夢であり、どちらも現実である、という長編を書いたことがある。

なぜその必要があったのかといえば、

全ては夢であり全ては現実だと感じているからだ。

状況は現実だと言い含めるが、その外から見た時を誰も知らない。

そして知る手段を持たぬまま死ぬ。

ならそのあいまいな世界で何が唯一、確かといえるのか。

出せた答えはおそらく本作と同じだと感じている。

その軌跡でしか、これは「現実」だったと言うことができない。


選択と挑戦。

たとえ一生、コンプリートすることができなくとも。

その軌跡でしか。

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