竜とそばかすの姫  ー21.7.28.

監督:細田守



「虚構の力と、現実の力」

とある心理関係のワークショップにおいて「仮面のワーク」というものがあった。

自身で仮面を創作し、最後はそれを着けて舞台でフリーダンスを踊るというワークだ。

目的は、仮面を作る段階で己と対峙し、素では表現できないことを、

思いを込めて作った仮面を通し開放するというものだ。

考えるとインターネットは、アバター操る「U」の世界は、

そんな「仮面のワーク」とよく似ている。

だからして現実では得られない癒しが行われたり、力を発揮できたりするのだろう。

しかし一方でそれは素、現実世界では発揮が難しい弱さを打破することはできず、

ただ現実へ漕ぎだすための糸口でしかない。


本作は設定等、少々粗くて荒いと感じている。

その点から見てもファミリー向けというより、子供向けという印象が強い。

だが虚構と現実が混然一体とした日常を送るデジタルネイティブ世代をターゲットに創られたためだからだ、と思えば納得できなくもなかった。

なぜなら最後、主人公が決断して現地へ向かったように

虚構が癒し、能力を拡張したとしても、

本当の勝負は現実にあり、

本作の打ち出したかったメッセージはそこではないか、と感じたためだ。

両の世界を平等に行き来するデジタルネイティブへこそ伝えたかったのであれば、小難しい理屈合わせより興味を持ってもらえるような分かりやすさを優先しても間違いではないだろう。


虚構と現実の強みに弱み。

今後ももっとインターネットとの付き合い方をテーマにした

このような作品が多く創られていってもいいんじゃないか。

本作にふと思った。


色々オマージュ探しも面白いし、楽曲も良い。

近頃、目につくクジラはアイコンなのか、ブームなのか。ちょっと知りたい。



同監督作品はほかに「サマーウォーズ」「バケモノの子」「おおかみこどもの雨と雪」を観た。

一番評価が高いのは「バケモノの子」だったか。

いつも思うが主人公の周りに群衆ができる。

モブだが、モブと片付けられぬ個性や登場シーンがあり、ご近所さん的近さが独特だ。

本作も例外なくラスト、学友にコーラスのおばさまたちへ、あの人たちはいるのか? と思いながら観た。

だがおそらくこの他者との距離の「ご近所さん感」が、細田監督にある心地よいナニカなのではなかろうかと思う。

モノカキもそうだが、登場人物たちの距離感や、描写する視点の距離感は、個々によって微妙に違う。それは実際とある程度、符合しているだろうなと思わずにはおれないし、実は注目している場所でもある。



追記(2012.08.12.

ラスボスはネット空間における悪意を記号化したものであり、吐き出させることとなった現実の「わずらわしさ」「ストレス」のメタファだと思う。

逃げ、怯え、ネット空間へ逃げ込み続けていた(ド頭の楽曲の歌詞が語っている)主人公が対決するシーンはだから、

もう逃げず、正面からこれからも取り組めるようになった、

その姿勢を表していて、

のみならず現実の「わずらわしさ」や「ストレス」は一生付きまとうものだから、きれいさっぱり解決しきることのない終わり方をしているのだと思った。

ネット空間で顔を晒すシーンが必要で重要なのも、

もう逃げ場はない、逃げない、という主人公の一大決心を表すためで、

虚構と現実が地続きになる(逆転させる)キッカケでもあると感じている。

そう思って見ると後の展開が「ありえない」設定をちらつかせていても、

現実こそ虚構化した「主人公の内面世界」だと納得して見られた。






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