レディ・プレイヤー1 ー19.7.3.
監督:スティーブン・スピルバーグ
「最先端で懐古する」
仮想現実のゲーム世界を創り出したプログラマーが、そのゲームの中に莫大な財産を隠した。求めてプレイヤーたちは謎解きを始める。はたしてそれは誰の手に、という物語。
最先端のゲーム世界で謎を解くため過去を追わせ、
最後に仕掛けたプログラマーが「私のゲームで遊んでくれてありがとう」だなんて、
「私の映画(人生かもしれない)を楽しんで、讃えてくれてありがとう」と、
スピルバーグが言っているかのようでぐっときた。
なんだか風貌も似ていなくもなく。
そう思えばゲーム世界の今後を「5人の若手」に託す、というのも
今後の映画業界を若手に託す、と言っているようにもとれて感慨深く思ったり。
仮想現実のゲーム世界ではみな、アバターの姿で闊歩しているわけだが、
仮想ゆえなんでもありと、日本製キャラクター多めのサブカル入り乱れた画面に、
クリエイティビティのリスペクトを感じもする。
ゆえに、ただの娯楽エンタメにとどまらないモノづくり賛歌を感じ取ることもできた。
どことなく筒井康隆のドタバタスラップスティックを連想させるような混沌さを感じたり。
もちろん潜む有名キャラをアバターに探すのも楽しい。
全くもってメッセージ性、大衆性、ベストバランスの
さすがスピルバーグレーベル、と言わんばかりサービス満点の一作だった。
あと、何気に音楽がいい。
バキバキのCG画面ながら少しノスタルジーを感じさせる楽曲が、ツクリモノな画面に有機的な息遣い、温もりを与えているようで親しめた。
実は本作、公開当時はあまりに日本製キャラが出しゃばっていたため、
製作側が動員を呼び込むため、忖度してのことではなかろうか、と
イヤらしく感じたことから観なかったのである。
だが、だとしてもそれはほんの一部に過ぎず、そんな心配をきれいさっぱり吹き飛ばすほど内容は、前述したとおりとても良かった。
そしてこれがオリジナリティなのだなぁと感じもしたり。
どれだけ流用しようとも、ある意味、手あかのついたモノを用いようとも、
伝えたいメッセージまでもが借り物でない限り、
そう、目的が借り物でない限り、手段が借り物だとして押し負けはしないのだなぁ、と。
だからモノカキでも、伝えたいことがあるなら手段として、手あか、借り物、どんとこいだとここでも言いたい。
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