ハート・ロッカー ー19.7.15.

監督:キャスリン・ビグロー



「人対人ではない戦争映画」

画面を見ていて何かこれまでの戦争映画とは違うな、と思っていたら気が付いた。

あまりマッチョがいない。

それもそのはずとイラクに派遣された爆弾処理班が主人公のこの映画は、

対人ではなく対トラップだ。

ゆえに戦闘部隊が散開するダイナミックさよりも、いつドカンと来るかもしれない閉塞感とジワジワ感がたまらない。


主人公のクレイジーさは映画ならではとして、彼らの仕事の不毛さにはやはり戦争の無意味さを痛感せずにはおれない。


ふともするとドキュメンタリーかと思えてしまう映像も秀逸な1本は、

その他シールズが出てくる戦争ものと合わせてみると相乗効果でなお奥行がでてくるのでは、と感じた。



戦争映画といえばやはり男臭さ、筋肉万歳、が全面に押し出される。

だが監督はアカデミー賞、初の女性監督賞受賞者のとおり、

世界は女性監督の目を通して描かれている。

といえば何か印象がこれまでと全く違っているのではないか、と予感してしまうだろう。だが正直、言われなければ分からないと思うし、どっちでもいいや、と感じる仕上がりだった。

ほどに、ワタクシがぼーっと鑑賞しているだけか。


人様のものを読んでいると、明らかに文体で書き手の男女が判別できることがある。

特にアマチュアは不思議なほど、なかなか隠しきれない。

(男性は状況、情報を伝えたがるが、女性は心境、雰囲気を伝えたがるように感じている。例えば男性なら何メートルどう動いたかを細かく書く傾向にあるが、女性ならどうして誰と動いたかを細かく書くように)

しかしながら本作の監督を見ていると、そうした傾向は当人の本質を反映しているのではなく、何か外的な傾向に迎合した日々の生活からくるせいではないのか、とさえ思えてくる。

次作の「ゼロダークサーティ」もアメリカのシールズによる、ビンラディン暗殺にまつわる作品なのだが、

関心を持ち、注力できる自由というか、しても差し支えない男女問わずのシームレスな雰囲気は才能にとってありがたいものなのだろうな、と思う。

なぜならやあり日本で若い女性が紛争地に関心を持ち、積極的にかかわったとして、

「変わり者」にしか映らないような気がするからだ。



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