天気の子 ー19.8.27.

監督:新海誠



「「主体性」を通して見る世界へ」

気づいたら周りに広がっていた世界。

選ばずとも与えられていた物事のすべて。

それは気づく前から変わらずあったものだとして、果たしてこのまま受け入れていいものなのか。

悩み、あがきながらもう一度自らの手で選別しなおす行為は、

以降の人生の質を大きく変えるはずである。


家出少年の主人公が、特殊な能力を持った少女と共に生活してゆこうと試みる物語において、

家出というかたちで現状に疑問を持ち、自ら選別しなおす主人公はすなわち、

与えられて過ごしてきた幼少期を抜け出し、自ら主体となって取捨選択する大人への変容、を意味しているのだと考える。

それはなんとなく広がっていた世界を自ら吟味しなおすことで、

意味を、様子を変えてゆく過程にも重なる。

本作がファンタジーの体をとるのもそこにあり、「変容者の主観視点」で捉えることで変わるはずもない世界の変容過程がみものでもある。


ゆえにあったひと悶着がまるで夢幻のように処理されてゆく終盤、

主人公が高卒後、訪れた東京での大人たちの冷めた反応、というギャップこそ、

主人公が経て来た変容の大きさの表れでもあると感じた。


これぞ青春。

子供から大人への変化、かと思えば本当に秀逸な物語の運びであり、描写の連続だなと感じた。

また雨の描写もいいけれど、雨音も聞きごたえありでよかった。



主人公の勝手ぶりに共感できない。

という声をレビュー欄に多く見つけている。

それはわたしにとって意外で、

主人公の真実よりも社会的事実が優先されたのか、と感じてしまった。

ならそう感じ取ってしまった人はもしかすると、

与えられたままでまだ自ら自発的に選び、掴み取りなおしていないのかもしれない、と思ってみたり。

そして公言できた人たち、すなわち共感できなかった人たちは

今後も自身の現状に何ら疑問のないまま過ごしてゆくのではなかろうか、

とも考えしまった。

これは案外、怖い。

なぜなら自身の決断の根拠が外部にあるかもしれない、ということだからだ。

いざとなった時に責任転嫁可能な自身の意思は果たして、自身の意志であるのか。

そもそも負えないから外に根拠を置き続けているのだとすれば、

本作の主人公の暴れ、奮闘ぶりへの非難は自身にとって手に負えない事態に対する恐怖の表れとなるのだから、つじつまこそあう。

そう思えば共感できる、本作を楽しめる人はといえば、

そもそも大人、もしくはそうなれるだろう人に絞られていることに今、気付いた次第である。

映像や登場人物に比べて、大人向きな作品ではないのか、と振り返るわけである。


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