ザ・ファブル 殺さない殺し屋 ー21.6.29.

監督:江口カン



「アクションは明るい場所で」

原作未読。前作に続き、鑑賞。

なるほど1年、人を殺さず過ごせと言われていたわけで、

まだ民間に紛れている本作、前作からさほど時間は立っていない設定だ。

おなじみの面々に変わらぬ毎日。

そこへ割り込んでくる本作のカタキ役は、前作とちょいと毛色が違ってイイ。

おかげで前作では抗争繰り広げる組織の間に立つファブルも

いわば一対一の構図をとる。


そもそも1年間、コロスナ、と言われているのにゴタゴタに巻き込まれてしまう、

その理由を観客に納得、感情移入させるべく用立てるのがまず大変だ。

だが本作もうまく機能しているのではなかろうかと感じた。


アクションは言うまでもなく、一見の価値あり。

それを見ずして、どこを見る、である。

しかも前作では最後、大詰めが薄暗がりで見づらかったが、

今回はいずれも真昼間でやってくれるので、なんとも明らか。

迫力もろとも、キレとスピード感がマシマシ、

アンビリバボーの連続である。


あっけなくお亡くなりになった準レギュラーを含む、本作も死人多め。

その中でも埋もれぬ車椅子ヒロインの迫力もまた見どころだった。

むしろ主役は彼女だな、と感じている。


しかしながら前作同様、血みどろ、ゲスいはずも

なにか、どこか、浸りきれずに漂う清潔感は堤さんでさえそうなのか、

と、不思議でならない。

そして「ちょっとひょうきんなおじさん」」のイメージがあった堤さんは今後、

その芝居をすればするほど私の中でサイコパス化すること間違いなしとなった。



モノカキでもアクションシーンはハイライトのひとつで、

しかしながら組み立てるのは至難の業。

何しろ書けるということは動きが頭に入っているということで、

自身が動けないというのにどうやって把握するのだ、というわけである。

こうなるともう数見て、サンプルを増やすほかない。

そういう時こうしたアクション作品の、どうすれば人間はそんな動きが出来ると分かる、のようなアクションシーンには舌を巻く。

ただし映像として仕入れたところで、息継ぎの間合いやボディバランスまで把握できるかといえばそれはまた別のハナシで、

映画の迫力を前にするとしなる肉体、ぶつかる肉弾戦の生々しさを文字に起こすことはやはり難しいなぁと思うばかりなのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る