第12話
目を開けると暗闇が広がっている。
ただただ暗い。漆桶(しっつう)のような暗闇だった。
視線を落とせば狩り衣を纏っていた。流石に着替えて眠ったはずだ。
陰光は首を捻り、唸ってみる。
世界は暗闇だ。振り仰ぐ天に星の煌めきも月の存在もない。足元を見ても床はなく、草もない。土だろうか。何分暗くてよくわからない。
夢だろうか。
そう思うと腑に落ちた。確かに茵に入って眠った。
直前まですごく情けない姿を晒していて、水に浸した布で顔を拭いた。
彼はまるで母のように苦笑を浮かべてなお優しげにそこにいたのを覚えている。それが恥ずかしいものだから寝る!と勢い付けて茵に入り込もうとしたら、着替えるようにとだけ告げて部屋を出ていった。
思い出すだけで情けなさに自身を笑うしかない。
そんな自分は昨日の自分。と頭を振って忘れる。それよりもこの奇妙な夢はなんだろうか。
暗闇ばかりで何もない。そう思った。思っていた。
しかし、よくよく遠くを見れば赤い灯りが見えた。遠いせいなのか不明瞭でよく分からない。ただ、ぽつりと赤いものがある。
赤い光。だが、心がそれを否と唱えた。では何か。
花だろうか。最近思い浮かぶ赤いものと言えば花だ。
暗闇に映える赤。赤い花。
本当に花だろうか?ふとした疑念が胸を掠める。よく見ようと目を凝らす。しかし、遠くて輪郭が覚束無い。しかも何か聞こえるような気がする。あれはなんだろうか。
赤い花らしきものはぽつり、ぽつりといくつか咲いている。以前見た時は一つだったような気がする。それから、落ちた。花がぽとりと落ちてしまった。
ああ、あれは花から落ちるのか。花びら一枚一枚を散らさない。まるで――。
ふと赤い光に影が掛かる。思わず影に焦点を合わせた。
人影だった。陰光と花の間に人が現れた。
誰だろうか。暗闇と影でよく分からない。なんとなく影の形で、直衣を着ているようだと分かる。烏帽子もあることから自身と同じか、それ以上の官位の男だろう。
「おーい」
声を掛ける。反響もしない声はすぅと暗闇に吸い込まれていく。本当に発したのかすら不安になるほどだ。
だが、影はぴくり揺れた。それから僅かに振り返る。
その横顔は影で見えない。見えないはずだった。なのに、何故か明確にそれが誰か分かった。
親友、穂積泰高だ。
ぱちりと目を開いた。
見慣れた天井と梁が暗い中でも分かる。視線をそろりと横に滑らせるとやはりこちらも見慣れた几帳が茵を囲んでいた。陰光の部屋だ。
身体を起こし、何度も目を瞬かせる。
夢を見た。赤い花の夢。それは以前一度だけ見ていた。その続きだろうか。
だが、何故そこに泰高が現れたのだろうか。
泰高は赤い花に関わりないはずだ。話こそしたが、あの夜にいなかった。直接的に関わりがないのに何故現れたのか。
いや、全く関わりがなかったわけではない。最初の警告を発した蛇と会っている。 星が爆ぜた翌朝に他の陰陽師たちと一緒に現場に検分に向かっている。祓えの儀に参列している。陰光に同行していなくとも事が起きた現場には関わりがある。
力あるものの夢には意味がある。そうだとしたら、泰高も同じような夢を見ているのか。
それと。以前の夢と違う。
赤い花の夢。それは同じだ。だが、あんなにも遠くだっただろうか。曖昧だったがそうではなかったように思う。なんだか一線向こうにあるような、不思議な距離感がある。
それと何かが聞こえた気がする。何だっただろうか。音なのか声なのか。それも分からない。
「うーん……」
小さく唸る。
恐怖はなかった。なかったと思う。断定はできない。何もかもが曖昧だ。
ぐるりと首を回す。こきりと小さく音が鳴った。
「明日聞くか」
悩むより当人に聞いた方が早い。泰高も陰陽師だ。この夢を不審に思っているはず。
そう決めてもう一度寝ようかと袿を持つ。
外から雀の可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。
動きを止める。まさかと思い、外の気配を探る。よくよく見ると室内は暗いが、深更のような暗闇ではないと察してしまった。聞こえてくる鳴き声も忙しない。
二度寝は許されないか。
肩を落とし、大人しく袿を捲った。
頼まれていた暦の配布を終えてようやく陰陽寮に帰って来た。
終業の鐘鼓は随分前になっただろうか。傾いた陽は仄かに色味を変えているように感じられる。
即位礼と月終わりという二つが迫ってきた。何処の寮も忙しくなく走り回る姿をよく見掛けるようになった。陰光もその一人で、本来は関係のない暦の配布を頼まれてしまった。
月末、特に年末やら儀やらある時などは部署関係なく仕事が配られることがある。
さらに陰光は足が早かった。勿論廊も渡殿も走っていけない。だが、外ならばそれに限らない。
大内裏は一繋ぎの建物ではない。塀の中を更に区画割りされ、その中に建物が点在する。普段なら建物一つで済むが、他に用事があれば外に出なければならない。そうなると多少走っても許される。勿論、殿上人など官位が遥かに上のものと正面切って行き交う場合はその限りではない。
だからか、急ぎで真反対の寮にまで行かなければならない場合はよく陰光にお役が回る。それが時々解せないこともある。
暦の配布は普段一番下かつ新人の直丁の仕事であるならなおさらだ。
「一応陰陽生なんだけどなー」
唇を尖らせて不満をそっと口にする。
沓を脱ぎ、所定の位置に置いて廊を歩く。定刻は過ぎているので帰れる者はもう帰っているだろう。朝からの人の賑わいはだいぶ減っている。
陰光も暦部に配り終えた旨だけ伝えればもう帰っていいはずだ。何も押し付けられなければ。そうならないように颯爽と現れて颯爽と消え去ろう。そう心に固く誓う。
「あ、橘殿!」
誓った傍から声が掛かる。肩を落としたくなるが、その声の主が誰か察して振り返った。
背後の廊を早足にやってくるのは刀岐川人だった。川人も忙しかったのだろう、衣が少し乱れている。それでも髪の方に乱れは見られない。対して陰光の前髪はひょこりと一房落ちているのを無理矢理戻した後がある。
「刀岐殿。どうしました?」
陰陽寮に関する仕事は暦配布前に全て終わらせているはず。と自身の過失か何かと考えてみる。
「いや、穂積殿のことなんだが。何か知っているかなと」
泰高の名に目を丸くする。
不思議がるほどに川人と縁がないわけではないが、天文部の泰高に何の用事があったのか。
そう考えてから今日は一日泰高の姿を見ていない事を思い出す。
「知っていると、言いますと?」
「え……ああ、そういえば部が違っていたね。よく二人でいるから忘れていたよ」
少し驚いた様子を見せるのはそれだけ二人が一緒にいるのを見ているからだろう。
自身の思い込みに気が抜けた様子を見せたが直ぐに顔つきを少々固くさせた。
「体調が芳しくないからと出仕を控えたそうなんだ」
「え!?」
幾らか大きくなった声で驚きを顕にする。
泰高は真面目だ。多少体調が優れなくても出仕してくる。本格的に拗らせると察すればいくらなんでも休むが、それでも一日二日は多少の不調で休むことなどはなかった。
それが昨日は不調の様子など全く見せなかったのに急に休んだ。
「橘殿なら何か知っているかと思ったのだが」
「い、いえ。昨日は退出後直ぐに帰ったので泰高のことは……」
昨日の事を思い出せば、猿の木彫りを切欠に翡翠の事が分かって、それでいっぱいになった。結局は新たな疑問が生まれてしまい、挙げ句には男が人間としての道を断たれていたという事実に打ちのめされ。更には赤い花の夢を見て……。
どくり、と鼓動が跳ねた。
「夢……」
「え?」
小さく呟いたそれを聞き取れなかった川人は一音を漏らす。
「夢で、泰高を見ました……」
赤い花の夢のおわりに。泰高がいた。
「それは……赤い花の夢?」
目を見開き、川人を見つめる。そこにいる川人の表情も神妙なものに変わっていた。
「昨日、彼から赤い花の夢を見たと相談されたんだ。毎晩見ているのだとか」
「俺、今から行きます!」
「橘殿!」
弾かれたように駆け出した影光に川人は手を伸ばした。しかしその手は届くことはなく、見る間に壁の奥へと消えたのを見送ることしかできなかった。
穂積邸に着いたのはもう空が橙に染まりきった頃。それも直ぐ様藍に染まり、夜を迎える。もうすぐ水無月に入ることを考えれば酉の刻も差し変わる時分だ。
大内裏からずっと走り通しで、息も絶え絶えな影光に家人は大層驚いたが直ぐ様邸に招き入れてくれた。
付き合いはもう五年になる。何度も邸に出入りしたこともあるせいで顔馴染みだ。
玄関で一度呼吸を整えようと座り込んでいるとひたひたと足音が聞こえてきた。
「影光殿、こちらを」
声に視線を向ければ、水の入った椀が一つ。四十を過ぎただろう女性がそこにいた。泰高の母清子(さやこ)だ。
「すみ、ません」
まだ整えきれず、一継ぎではない礼をしながら椀を受け取り、一度深呼吸してから水を含む。冷たさが身体に染み渡っていく。
「泰高のことですね」
清子は戸惑いを見せることなく断定する。
清子も多少の力を持っていた。泰高の血は清子の血筋だったからだ。だからとて陰陽師の家柄と言えばそうではない。それでも、経験は一般とは違うせいか肝は座っていた。
「体調は?」
「動くのが大層億劫で、今日はほとんど茵で過ごしていました。……私は引き摺られているのではないかと」
「引き摺られている」
清子の見解に反芻すれば頷かれた。
そうして椀を受け取り、立ち上がる。
「私は貴方様とは違います故、信憑性は御座いません。どうか、直にお話を聞いてください」
強い眼差しに陰光に強く首肯して、立ち上がる。
その姿に清子は一礼する。
案内はいらない。行き慣れた邸なのだから。
清子に軽く会釈して廊を歩く。橘邸よりは少し広い。足音がひたりひたりと進む。廊の突き当たりの角部屋。そこが泰高の自室だ。
妻戸は閉じられている。その目の前に立つ。
「泰高。俺だ。陰光だ」
声を掛ける。
少し間を置いてから返事があった。
「入ってきてくれ」
聞こえてきた穏やかな声は常よりも幾分と力がない。
微かに眉間に皺を寄せて妻戸を開ける。
すっきりと整理整頓された部屋だ。ただし、暗い。半蔀は閉じられている上に時刻も時刻。臥せっていたのであれば灯りをつけることもなかったのだろう。
視線を端に向ければ几帳で遮られた空間がある。
妻戸を後ろ手に閉めて、そちらに足を進める。几帳の隙間を縫ってその中を見やる。
畳が敷かれ一段上がった茵に泰高はいた。臥せっているかと思えば座っている。単姿で傍らには脇息があり、それを支えにしていた。陰光が来たから身体を起こしたのだと伺える。
顔色は青白く、生気が失われていた。
その様に微かに眉間に皺を刻む。
几帳を越えて傍らに座る。いつもならどかりと雑に荒く座るのだが、流石に静かに衣を払うようにした。
瞳がかち合う。
「刀岐殿から聞いた。夢を見たと」
泰高の瞳が細まる。やはりと言った体だ。
「何があった」
鋭く。誤魔化すような真似はするなと脅すような口調で問う。
視線が外され微かに唇が開き、息をほぅと吐き出す。
数呼吸の沈黙が降りる。陰光が焦れたように体重を前に移動させる。
「赤い、花の夢」
ぽつりと泰高は呟いた。
「赤い花がぽつりぽつりと咲いている。私は、それを見ていた」
そうして泰高は語りだした。
最初は一輪だけ。それが日毎に数を増やして、昨晩は数十の数だろう花になっていた。どんな花かは分からない。ただ視線は下ではないから木なのだろうとは思った。
そこで陰光も俯いた記憶がない事に気付いた。
「それから……声がしたんだ」
「声?」
「最初は私もわからなかったんだ。ただ淋しそうで悲しそうで……泣いているのだろうなとは」
微かな声は不明瞭だった。それでも切々と聞こえるそれに泰高までも心苦しくなっていた。
なんと言っているのだろう。何故こんな切ない声で泣いているのだろう。
興味が引かれた。
だが、他者に影響を与えるほど強い何かである。ただの悲しみの思いではない何かがそこにあるはずだ。ましてそれが祓えの儀の日からとあればなおのこと。
「だから、刀岐殿にお話した。本当はお前にも聞こうと思ったんだが……」
「祓えの儀からのならなんでもっと早く聞かなかったんだ?俺の邸に来ただろ」
祓えの儀の四日後。確かに泰高は陰光を訪ねて橘邸に来ていた。だが、その時にはそんな話など一切なかった。
泰高は渋面を作る。
「……思い出せなかった」
「は?」
「確かに夢は見ていたんだ……だが、最初はそれを忘れてしまっていたんだ。最近になってその夢をずっと見続けているとようやく昼間でも思い出せるようになった」
ささやかな夢ならば直ぐに忘れることはある。
夢を見ていた。その事実だけが残ることもある。だがそういったものは大抵思い出すことはない。
しかし、それが思い出せるようになった。
否。本当はそうではない。
「忘却よりも、夢の方が強くなったんだ」
青白い顔のまま険しい表情で泰高は呟く。
忘却させるものがあった。だがそれを上回る力で夢が訴える。そして急速にこうした変調を来す程にまでなった。
「……声が聞こえた」
少し硬い声が呟く。
無言で先を促せば、乾いた声が紡いだ。
――咲いてみせましょう。
陰光は瞠目した。
「意味は分からない。だが声はそう呟いた……前後にまだ何か言っていた気はするが」
明確に聞き取れたのはそこまでだった。他はまだ聞き取るに至らない。強く願ったそこだけが泰高に届いた。
陰光はそっと口元を覆った。
咲いてみせましょう。
声はそう言った。だが、赤い花は既に咲いているではないか。一輪だったものが既にたくさんの花を咲かせていた。桜のようなものではないが、それでもたくさんの花が咲いて……。
「落ちた」
不意に言葉が漏れた。
陰光の見た夢では花はぽとり、と落ちていた。花弁が一枚ずつ散るのではなく、花そのものが落下した。
それは本当に花だったのか?
瞬間、ぞわりと背筋を冷たいものが駆け上がる。
「陰光?」
泰高が呼ぶ。心配そうな顔をしている。
数度瞬いて一度深呼吸する。嫌な汗がじんわりと背中を伝う。
「なぁ、泰高。その夢、嫌な感じはするか?」
それには考える素振りもなく首を横に振って否定された。
深い茶の瞳に映るのは寂しげな色だ。
「恐怖はないんだ。ただ、物悲しくて寂しくて……なんとかしてやれないかと思ってしまう」
引き摺られている。清子はそう言った。それはきっとこの事だろう。
夢に囚われている。その思いに引き摺られていく。陰光は恐怖を覚えた。だが、泰高は同情的だ。このままでは花を咲かせることを願う主に引き込まれてしまう。
同じ夢を見たのに何故このような差異が生まれたのか。
はっと、する。
陰光は翡翠を見つけたあの時から種類こそ変えているが強めに結界を張っている。今張っているものは特に悪意などに反応しやすい。それに阻まれたのだ。だから夢こそ見られたが近寄れなかったのだ。
ならば最初の夢は?
簡単だ。そこまでの力と悪意を抱いていなかった。結界が反応できないほどに。泰高が今になってこうなったのもそれまで力が足りていなかったからだ。
陰光は一度居ずまいを正した。
「ちょっと待てよ」
陰光は呟く。
すっと息を吐き、呼吸を整え、やおら両手を広げると柏手を打つ。
「掛(か)けまくも かしこき 伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)」
そして紡ぎだしたのは祓詞。凛とした清冽な声と詞が部屋に籠る空気を浄めていく。
泰高は止めることもなくただそれを静かに聞いていた。
「恐(かしこ)み恐みも白(もう)す」
祓詞(はらえことば)を唱え終わる。瞬間ふわりと風が吹く。清らかな風は邪気を室内の僅かな隙間から外へと吹き払った。
おもむろに陰光は立ち上がり、何処かに向かう。
風の中。微かに何かが割れるような音がした。
それが何処からか。室内の真ん中に立ち、ぐるりと見回すと視線がある一点で止まる。唐櫃だ。
迷いなく近付くとそれの蓋を開けた。衣が仕舞われている。綺麗に畳まれた衣の中に手を突っ込み、何着かを取り出す。その中から一着。それが何故か気になった。
黒い直衣だ。あまり泰高が好む色ではない。儀礼用だろう。
それを無造作に広げる。瞬間、何かがぱらぱらと落ちた。見逃すことなく床に落ちたそれを追い掛ける。足下に割れた石が落ちていた。
まさかと思い膝を折り、直ぐ様それを拾い上げる。
一寸にも満たない長細い石が二つ。先ほど聞こえた音から察するに元はこの二つは一つだったのだろう。
部屋は暗い。だが、その石が何か分かった。翡翠だ。
睨むように翡翠を見る。そこには何もない。先ほどの祓詞で残っていたものもなくなったのかもしれない。
翡翠の欠片を握りしめて泰高の元に戻る。座ることはなく片膝をつくだけにして翡翠の欠片を見せる。
「これに見覚えは?」
手の平に乗るそれに泰高は眼を凝らす。
やはり暗い。刻一刻と室内は闇を深くしている。
ちらりと視線を走らせる。燈台がある。
揃えた指先を唇に宛がい、口の中で何かを唱える。終えたと同時に燈台に火が灯った。橙の光が室内を照らし出す。
「……こんなことに術を使わなくても」
泰高が苦言を呈する。
火を扱うことは日常的なことでもそうであるように、術でも扱いが難しく危ない。細やかなことだが、火を灯す。これだけでもそれなりの技量と力が必要なのだ。陰陽師でもそうそうに日常から使うことはない。
「先に知りたい。これを知ってるか?」
陰光は二度問う。固く、真剣な声音だ。
それに泰高は手の平にある翡翠をみた。
「これは……翡翠か?」
呟きながら欠片の一つをつまみ上げる。しげしげと見るそれは細く断面が鋭利だ。砕けたものだろう。
泰高の所持品に翡翠などはない。知っているかという問いには否と答えるべきだ。
しかし、見覚えがある気がした。だが何処で?
泰高は自身に問う。自身のでないのならば渡された?違う。拾った?何処で?
何処で?
三度問いを繰り返す。
その問いに答えるように情景が過ぎ去り、目を見開いた。
「……祓えの儀だ」
「祓えの儀!」
「あの時……見つけた」
あの日、榊を配しに一足先に入った。その折りに大木の近くで見つけたのは、草地の中に落ちていた翡翠の欠片。陽の光に照らされて煌めいたからこそ見つけられたものだ。
今回のことに関係がある。そう直感が告げた。だから拾い上げた。拾い、誰かに報告するつもりだった。そのはずだったのに。
「忘れていた……」
愕然とし、色をなくした泰高は呟く。
報告しなかったことではない。今の今までその事実を、存在を完全に忘れていたからだ。
陰光は一際顔を険しくさせる。
忘れる。事にこの言葉が周りに溢れている。
そして、翡翠。これは星が爆ぜた際に落下したもの。それでいて陰光が見つけた妖を模した封じの翡翠。
確定的にこの翡翠の欠片を持ち帰ったことが要因だ。だが、祓えの儀の前に拾っている。それならばその余波を受けて浄められていてもおかしくない。
何より、翡翠自体に赤い花との関わりなどはない。
赤い花と翡翠を繋げることができるのは大猿だ。その大猿と会っていたからこそ陰光は夢に見たのだと思っている。
泰高は話だけ聞いているが大猿とは会っていない。もしかしたら身体だけは見たかもしれないがそこにはもう中身はない。
それだけ。大猿と泰高を繋ぐものはない。
それでもこの翡翠以外に考えられるものない。
「何か……何かあるはず」
頭を無造作に掻き考える。
翡翠と赤い花。大猿はなんと言っていた?
花があると話していた。赤い花で、朽ちる頃だと話していた。
それから、なんだった。
――爆ぜたあれを拾った。
翡翠を拾った。それを食ったのではないか?食ったから腹を食い破られた。
軋む。思考が軋んで鳴く。否と鳴く。
違う。食った。食ったのは翡翠そのものじゃない。饕餮の形を成したもの。爆ぜる前のものを喰らった。その力に押し負けたが故に食い破られた。
ならば、拾った欠片は何処に?
――あるいはとな
微かに残る猿の声。或いは。或いは?
力を求めるが故に妖たちは喰らい合う。欠片に力があったなら。もし、それを与えたら。
猿が求めていたのは何だ?
――それが、惜しかった
愛しそうに目を細め、悲しそうに笑っていた姿が脳裏を過る。
見開かれた瞳が揺れる。
その願いはあまりに細やかなものだった。
翡翠を握り締めて、陰光は立ち上がった。
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