第4話

 西の橙は深くなり、東の藍も深く沈みながら広がっていた。天を見上げればいくつかの星が煌めき出している。

 二条大路を西へと歩く。互いに邸は右京なのだ。

「とりあえずは、明確な当てが見つかってよかったな」

 泰高は隣を歩く陰光を見る。

 辺りにはもはや誰もいない。理由がなければ黄昏刻も過ぎた今を歩く者はそうはいない。

「そうだけど……今日には名前見つけたかったのが本音だなぁ」

 深く溜め息を吐き出す。両手を後頭部に回して、軽い体裁で歩く姿は大内裏ならば叱責待ったなしだろう。

「急ぐこと、ではあるか」

 愚問と泰高も小さく溜め息を吐く。

「人間を襲う可能性があるからな。まぁ、気が急いても仕方ないから今日はあの男のことを考えるか。あ、で、今この時間だけど、流石に帰った方がいいだろ」

 もともとはその剣の男の様子を見るという話だったのだが、書物探しでこの時間である。

 陰光ならばいいのだが、泰高には家族が待っている。

 妻がいる。子も。可愛い盛りの姫だ。

 陰光もいてもいいのだが、そうこうしているうちにこの歳になってしまった。

 泰高もそうだなと返す。

「悪いが後日にしてくれ」

「いやいや、こっちこそ悪かった。書物探しも、当てがついたから俺一人で頑張るし」

「少しくらいは手伝うが……もう忙しくなるからどうなるか」

「何かあったか?」

 不思議そうな声に泰高はなんとなく察していたが溜め息を吐いた。

「即位礼。来月だぞ」

「……………………へ?」

 たっぷり間を空けてからの間抜けな一音に闇は頭痛を覚える。

 確かに数日前までは月末の忙しさにてんやわんやだった。が、帝の即位を忘れるのは如何なものか。確かに中心になるのは神祇官だ。だが国の大事である。雑務など前から回っていたはずなのだが、その詳細までは気にしなかったのか。

 泰高の頭痛を他所に陰光は顔を強張らせていた。

 もしこれで何か起きた日には大問題ではないか。しかも一因が自身にあると知れたら都を追い出されかねない。

 それはまずい。

「いや、いっそ新天地でまったり」

「何をどこまで想定したかは知らないが斜め上に前向きにならないでくれないか」

 脈絡のない発言に呆れたような視線を向けられる。

 冗談だと短く返す。流石にまだ隠居には早すぎる。そうなるわけにはいかない。

 はっとなり、空を見上げる。煌めく星の中に動かぬ星が一つ。

 北辰だ。あれは帝の星でもある。あれに何かあるようならば本当に急がねばならない。が

「…………わからん」

 陰光は星読みが苦手だった。

 いや、作暦も苦手だ。さらには占もあまり自信がない。陰陽師ならば得手不得手があろうと一通りできなくてはならないが、どうにも上手くいかずにいる。そのせいで退魔の力が特段に秀でていてもいまだに陰陽生から上がれないでいる。

 退魔だけならば間違いなく陰陽師を名乗っていいだろうが、官人である以上はそうではいられない。

 目を凝らし、どうにか見ようと努力はする。努力はするが、やはり分からない。

「……泰高」

 専門に任せよう。

 隣の天文得業生を呼ぶ。

「どうだろうなこれは。今は変わり目の時期だから余計に判然としないし、政も含むと……」

 睨むように泰高は北辰とその周りの星たちを見上げる。

 状況が状況とあり、泰高でもとても読みにくい。

 そもそも近年はなにかと政が忙しない。帝に臣下であるはずのものが地位を狙い、謀略を巡らせ、その側近くに寄ろうとしている。それが色濃いのだ。

 それでも御身に何かある。などといった不穏極まりない陰りはなさそうに見受けられる。

「大丈夫、ではあるか」

 そう判断をつけると陰光は盛大に安堵の息を吐き出した。

 とりあえず最悪の可能性はない。と思っていいだろう。勿論、この先に陰りが生じる可能性もある。安心はできない。

 とにもかくにも早期解決は確定だ。

 明日には必ず正体を掴まなければならない。

 剣の男から何かしら情報が聞き出せればなおよいのだが。

「一つ気になっていたが」

 道祖大路を曲がったところで、ふいに泰高が聞いてきた。

「剣の男がいるってことは、家は片付いているんだろうな」

 返答はなく、代わりに沈黙が返る。顔を見れば目が泳いでいる。

 もはやそれが答えだった。

 陰光はお世辞にも片付けや掃除が得意とは言えなかった。

 流石に寮内はなんとかしている。個人のものでないのだから当たり前ではある。だが、自邸となれば関係ない。しかも邸には陰光一人しか住んでいない。男の独り暮らし。少々あれな惨状である。

 年前に一度片付けてはいるのを泰高は知っているが、あれから訪ねていない。

 見も知らぬ男にそっと同情する。

「まだ、まだ、範囲はある」

 目を泳がせたままに言うが、普通邸の話で範囲があるという説明はまずしない。

 じと目で見られて陰光はそっと視線を反らした。

 どこかで片付けに行こう。泰高はそう予定を一つ立てた。

 橙がいつの間にか山の端で微かに見えるくらいに辺りは暗くなってきていた。空は藍より深く、群青も過ぎ去るだろうか。

 いくつかの小路過ぎれば穂積邸だ。それより南西に降りると橘の自邸になる。

 四辻を通りかかる。

 二人は足を止めた。

 何かがいる。

 人ではない。直感が告げる。

 暗闇にぼんやりと浮かぶ姿は細い。本当に細く、手足らしきものが見られない。

 蛇だ。通常より幾分も大きな蛇である。

 夜にも関わらず一対の輝きが二人をひたりと見据えていた。

 押し黙り、静寂が降る。

 ようよう口を開いたのは蛇だった。

「何を解き放った」

 不思議な声色が放つそれに抑揚はない。

 ごくりと生唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。

「あれは災いと争いをもたらす」

「あれが何か知っているのか!」

 陰光は声を荒げる。

 蛇は不快そうに睨み付けてきた。さしもの陰光も口を押さえた。

 蛇が何者であるか。そこらに巣食う無害な妖たちとはまた違う。纏うのはそれよりも霊性が高い水の気だ。だが、決して格段に強くもない。

 陰光の様子を見ていた蛇は再び口を開く。

「宿したものを喰らい合う。魂も無きあれが喰らった力は穢れだ」

 淡々と蛇は続けていく。

「あれが、妖たちが、喰らい合う。争いを呼び、穢れが広がればただではすまぬ。解き放ったならばそれを収めるもお前の役目」

 瞬きさえもしない一対の瞳は陰光をひたりと見据える。

「収めよ。稀なる力の人の子よ」

 雫が落ちる音が響いた。見えない波紋が広がり、水に沈むように蛇は地に沈んで消えた。

 数拍の沈黙の後に泰高はその場に座り込んだ。

 見えざるものを視る目は確かにある。だからといって忽然と現れたものに対して対等に立つ程の度胸はない。

 息が無くなるまで深く吐き出す。少し落ち着くと隣の陰光を見る。顔を俯かせていた。その手は震えている。

 何かあったか不安になり、口を開けようとした。瞬間。

「わあぁかってるんだよおぉぉ!!」

 怒声が響き渡った。

「分かってるんだよ!俺が触んなきゃ出てこなかったって!不用意だったって!だからってわざわざ言うなよ!やろうとしてるし探してる真っ最中!俺は出仕してる一介の官人なんだよ!そこまで暇じゃねぇんだよ!急かすな待ってろやる気が削がれるだろう!!」

 盛大な愚痴がぼろぼろ零れていく。

 どうやら気にしていた上に刺されて余計に腹が立ったらしい。

 言いたいことを吐き出し終わると肩で息をつき、呆然と見上げる泰高に手を伸ばした。

「帰るぞ」

「あ、ああ…………もう、いいのか?」

 手を取り、立ち上がる。

「とりあえず。たくっ、言いたいことだけ言って何も情報ないとかなんなんだよあいつらは」

 とりあえずと言った割にはこれだけ出てくる。本当はまだまだ言いたい愚痴はありそうだ。

「……そんなに言っていいのか?そこらの妖たちよりはありそうだが」

「いいんだよ。あんな態度のやつなんか知るか」

 不機嫌を露に吐き捨てる。

 実際、陰光が予測するに一番可能性が高いのはこの右京に点在する名もない川か池の主だ。都の右京は特に水の気が強い。それは整備する前から各所に点在した数多の川たちにも由来するだろう。多くは都の創建に辺り整えられている。それでも今もなお流れており、時にはその水で人々を脅かすことさえもある。

 その存在は神にもなり得る。泰高としてはあまり口を開きたくないところだ。

 はたはたと土を払い落とす。

「どうして妖とかはあーも説明できなかったり横柄だったりなんだ」

横でまだぶつぶつと愚痴を呟く陰光にそっと肩を叩いてやる。

 似たようなことが過去にもあったのだろう。力があり、見えるというのは難儀なもので、時には妖たちからも何かを言われてしまうのだ。

 友人からの労いにちらりと視線をやってから陰光は息を吐いた。

 いつまで言っていても仕方がない。

「帰ろう」

「ああ、頑張らなきゃいけないしな」

 肩を落とし、二人は歩き始めた。

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