第3話 『炎と氷~Fire and Ice』
「んふぁあ~……おふぁよう、スザク♪」
部屋のドアを何度もノックして、ようやくケイトは扉から顔を出して眠そうなあくびした。
身につけているものは薄いピンクのシャツ一枚というあられもない姿だが、雌雄同体であるスザクにとってはただのいち光景にしかすぎない。
「もうすぐ昼だぞ」
「うん……でもおはよう」
「…………おはよう」
「はい、よくできましたぁ」
といーこいーことスザクの頭を撫でるケイト。完全に寝惚けているようだ。
「朝まで一体何をしていたんだ?」
「ん~っとねぇ……スザクのぉ、バイクをぉ、いじってたのよぉ……」
「そ、そうなのか? それで? 直ったのか?」
「ん~ん……まぁ……なんとか……あとはジョーイが……仕上げると……思うんだけどぉ……」
むにゅむにゅと目を擦りながらケイトは言った。
「そ、そうか……それは済まなかった。今はゆっくり休め」
「うん~、そーする~」
バタン、とドアが閉まると、はぁ~っと息を吐き出すスザク。
「意外だったな……」
まさか早速直してくれるとは思ってもみなかったので少しケイトを見直した。
と少し感心しているスザクの前で再び扉が開いた。
「スザクもぉ~……一緒に寝よ~」
と部屋に引きずり込まれる。
「んふふ~おねーさんマクラだよ~」
とスザクを胸に抱きしめたまま眠ってしまったのだった。
「もが……ふぐぅ……」
抱き枕状態となったスザクの独り言はケイトの胸で塞がれてしまう。
「ええい、何をやっているのだ、俺は……」
スザクはケイトの身体を引き剥がして部屋を出た。
ケイトがのそのそと起きだしたのはすっかり昼も過ぎた頃だった。
「んっっふああああっ! よく寝たぁ……さぁて、ジョーイのヤツもいい加減起こさないと……」
とそこでにわかに表が騒がしくなった。
「運び屋ケイトーッ! 出てきやがれーっ!!」
拡声器を使ってまで呼ばれては、さすがに目が覚めた。
ケイトは脱ぎ捨ててあったピンクのツナギを引っ掴むと一瞬ですっぽりと着込んで、準備をしっかりとしてから部屋を出る。
「起きたか?」
廊下に出ると待ち構えていたようにスザクが並んだ。
「なんの騒ぎかしらね、あれ?」
「まぁわかってはいたことだが、ガスパー一味の追っ手だろうな……トレーラーは?」
「街の周囲をぐるりと自動運行中よ。あとでこの街道の先にある岩場で合流するようにプログラムをかけてる」
ジョーイは朝まで付き合わされたのでしばらく休眠すると街を離れたのだ。無論、こういう事態を想定しての配慮であるが、あと数時間は戻らない予定だし喚び出そうにもジョーイのことだ。おそらくは絶対に起きない。
「ま、最悪の場合はスザクがなんとかしてくれるでしょ?」
「簡単に言ってくれる……何とかするつもりではいるが……」
そう言ってスザクは背中の長剣を背負い直す。
「行きましょ? せっかくのご指名だもの。顔くらい出さないとね♪」
ケイトはウィンクして見せ、スザクは黙って頷く。
街はやけにヒンヤリとした空気に包まれていた。
「よお! 運び屋ケイト! 出てきゃがったな!」
ケイトの宿泊していた宿屋の前はガスパー一味に占領されていた。百台近くのエアバイクに数機のエアモビル。
よくもまぁこれだけ狭いところに集まったものだ。
その向こうにはおそらくはビルの乗機と思われるエアバトラーの影が見える。ガスパー一味の総戦力集結だった。
「こっちは完全に包囲してるんだ! 逃げられると思うなよ!」
エアモビルの拡声器を最大にして声を荒げているのは昨日、トレーラーを襲った連中の一人だろう。身体のそこかしこに火傷の痕が見え、頭に包帯を巻いている。
街の者たちは遠巻きにして固唾を飲んで見守っているだけだ。
「揉め事に、要らぬ口出し、手出し無用」
それがこの世界の人々の生き方だ。昨晩酒場でケイトに声を掛けていた男連中だって同じだった。ケイトはそれを悪いとも酷いとも思わない。皆最後は自分の身が大事だ。それでいい。そうしないと生き残れない世界なのだ。
「さあ、俺たちから奪ったものを返してもらおうか?」
だがそんな武力を見せつけただけでケイトは怯んだりしない。盗賊団の前に出て堂々と声を張った。
「返せですって? 冗談じゃないわ! 誰がアンタなんかに渡すもんですか!」
伊達や酔狂で女一人トレジャーハンターをやっているわけではない。これまでも多くの男の無法者を相手に渡り合って来たのだ。
度胸のない女に『運び屋ケイト』と異名が通るような甘い世界ではないのだ、このハンターズ・ワールドは。
「なんだと? 他人の獲物をかっぱらっておいてその言いぐさはなんだ!」
盗賊の言葉にスザクは慌てた。
「おい、ちょっと待て……例の物を掘り出したのはお前
じゃないのか?」
「発掘したのはアタシじゃないけど、アタシが発掘する予定の場所を、先にアイツ等が発掘しちゃってたのよ!」
「……盗掘屋から横取りしたのか?!」
「そうよ! 悪い?!」
ケイトはその大きな胸を張って堂々と開き直った。
世界はワルで満ちていた。
この世界は何が悪い、誰が悪いなどというルールはない。
ただ悪くて強くてズル賢いヤツらが勝ち残ることが出来る世界だった。
スザクはその事を今一度思い出していた。
「悪いが……悪くは……ない……」
「でしょ?」
「おいおい、お前らだけかよ? あのでかいトレーラーはどこへやった?」
「さぁ? 峠にドライブにでも出掛けたんじゃないかしら?」
「ふざけんなっ! さっさと出しやがれっ!」
「ねえ、いつまでくだらない押し問答やってるの? 兄さんが痺れを切らさないうちにあの人捕まえちゃお」
と待ちくたびれたように、それでいてどことなく楽し気にエアモビルのサブシートに座っている人物が言った。
その背後でグルルルルと猛獣のような低い声がする。
「ええい! おいてめえら、いいからあの女を捕まえるんだ!」
「あ、乱暴はほどほどにね。顔に傷でもつけたら、ボクが許さないんだから!」
「へいへい、わかってますって! よし、いけえてめえらっ!」
「おおおっ!!」
ガスパー一味の数十人あまりが声を上げてケイトに向かって突進してくる。
「スザク! 私が前に出るわ! フォローはお願いするわね!」
「あ? アンタが前に?」
「ダテに女一人でハンターやってる訳じゃなくてよ!」
と美少年を前にするとクセでついウィンクを飛ばすケイト。
「このアマァッ! 手間かけさせんじゃねえぞっ!」
自分たちがようやく発掘した獲物を横取りされては、盗掘団も形無しだ。
怒り憤まんになってケイトに襲いかかる。
「あら残念、手間のかからない女なんていないのよ。覚えておきなっさいっ!!」
と言いつつ部屋を出る時に準備していた超特大スパナを身体ごとぶん回して男の土手っ腹をぶっ叩いた。
ケイトの身長はあろうかというスパナの重さと回転による遠心力で、男の身体は地面と水平に吹き飛んだ。
女の細腕で飛ばせる距離ではない。
さしもの荒くれ男たちも、そんなモノでぶっ叩かれては命の保証はないと尻込みする。
一流のトレジャーハンター足るもの、そのお宝を死守する為にはそれなりの武術を身につけて居るものである。
ケイトの乗るエアトレーラーにそれなりの武装が備え付けてあるのも、そういった荒事に対処するためのものだ。
当然、トレーラーから離れているときにもそういった荒事に巻き込まれることもある。
いや、得てして、トレーラーから離れているときこそ、揉め事に遭遇する割合は極めて高い。
そんな彼女が身に付けているのは、その商売道具である工具を武器にして戦う格闘術、通称『ツールアーツ』である。
かつて伝説のエンジニアが、自身の発明品を悪用されるのを防ぐために自らの工具を武器にして戦ったのがその発祥とされる。
そのツールアーツで、ケイトは荒くれ者にも引くことなく戦うのである。
「このトレジャーハンターのケイトさんをただの女だと思わないことね!」
「ただの変態女だと思っていたぞ」
意外そうにスザクは言った。
「変態に変態と言われたくないわよ!」
「誰が変態だ! 雌雄同体は個体生物としては進化の最終形なんだぞ!」
「ああもうっ! その話はいいから、とにかく今よ! やっちゃって!」
ケイトの予想外の抵抗に、盗掘団が遠巻きにしているところだった。
「ふんっ……まあいい。バイクの修理代くらいは働いてやる」
スザクは荒くれの無法者たちを見回した。
「言っても無駄だろうが言っておいてやる。逃げるなら今の内だ」
そう言ってから片手を前にかざして唱える。
「我が身に纏いし灼熱の炎よ、眼前の敵を薙ぎ払え!」
スザクが命じると轟っ! と唸るような音と同時に激しく燃えさかる炎が現れる。
一瞬にして現れた大量の炎。
その眩さにケイトは思わず目を伏せる。
恐るべきはその炎の火力だ。
ケイトはかつて火炎放射器という兵器を見たことがあるが、その炎とは範囲、熱、威力、全てがその比にならないほどの猛火だ。
まるで、超古代の伝説に出てくるドラゴンのブレスのような猛烈な火焔が盗賊たちを襲う。
ほんの一瞬の間に飛び込んできた男たちはたちまち十人あまりが火だるまになった。
それでも。
手加減をしているのだと思う。
おそらく。
本気になればこの場に居る全員を消し炭に変えることも可能なのではないか?
そうしないのは賞金首を相手に人相がわからなくなった場合に面倒があるからだろうか。
そう思えたのだが、スザクは怪訝な表情をしている。
「火炎弾!」
続けざまにスザクが命じると紅いに燃える炎の球が無数に現れる。
スザクはまるでそれらに号令でもかけるかのように腕を払い人差し指を前にまっすぐ出した。
火の弾は最前列のすぐ後ろへと放物線を描いて放たれた。
最前列の者達が火だるまになっているのを目の当たりにして、迂闊に近付けずにいる後列の連中に火球が投げ込まれてくるのだ。
火の玉は敵の群れの中に飛び込むと、破裂し四散する。
そこでまたスザクは微妙な表情。
もう一度スザクは火の玉出現させる。
今度はその火炎弾をざっと三十は下らない数で出現させた。
彼の炎術師としての能力の高さを示すには充分な数だ。
並の人間ならその様子を目にするだけで戦意を喪失しきってしまうだろう。
そして再び放つ、火炎弾。今度はエアバイクやエアモビルを標的に放つ。十数体のエアバイクが次々に炎に包まれる。
「ああっ、なんて勿体ない!」
と背後でピンクのツナギのケイトがエンジニアらしく嘆いている。
「依頼があれば直してやればいい」
「とんだマッチポンプね……もちろん、商売が繁盛するのは嫌いじゃないけど……」
このまま炎が燃え広がって、連中が適当に混乱してくれれば、その隙に逃げ出すことも出来るはず……。
スザクもケイトもそう考えていた。
「とにかく連中の後方を攪乱させる」
「わかった。それじゃあアタシは連中をもう少し牽制するわね」
特大スパナを振り回して隙あらば近づこうとする荒くれ者を後ろに退がらせる。
そこを狙って、スザクが放つ。
火炎の砲弾を……。
スザクの手が後方に向けて払われた時――。
「凍てつく槍よ、氷の刃よ……」
どこかで呪文めいた声が響いた。
「出よ! 氷の槍・アイスランス!!」
ひゅんひゅんと、空を切り裂いて氷柱が飛んできた。
氷柱は狙いを外すことなく、スザクの放った火の球が氷の槍によって迎撃されてジュッと氷が気化した音と共に掻き消されてしまう。
その内の一本の氷の尖端がケイトの足下に突き立つ。
動くな、という警告の意図を込められたその威嚇攻撃にケイトはスパナを構えつつ静観する。
「なっ全弾だと?!」
「キミが炎術師なのかな?」
そう言って荒くれ者の男たちの間から姿を現したのは小柄な人物だった。
フード付きの防塵マントは手配書に映し出されていた、この盗掘団の頭目ビル・ガスパーの弟、レイ・ガスパーのものと同じ容姿。
その人物の傍らには白銀の毛並みのオオカミがすっと寄り添った。
むさ苦しい荒くれ者が集まる中を、涼しげに悠々と歩いてくる姿に、何か言い知れぬ感覚がその場を支配していた
「なんだ? ガキか?」
「失礼な……キミだって同じようなものだろ?」
その人物がはらり、とフードを下ろした。
美しい金髪が流れ出た。その髪の下からアイスブルーの瞳が、勝ち誇ったようにスザクを見据えて微笑っている。スザクと見た目の年齢は変わらない美少年の登場に、あろうことかケイトが色めき立った。
「きゃーーーっ! ウソ?! すっごい美少年♪」
「やあ、お姉さん強いね」
そんなケイトの前に氷の狼を連れた少年が近づく。
「ボク、強い女の人って好きだよ」
きゅんっ。
ケイトの胸が乙女な音を立てて揺れた。
「おい! そいつは敵だぞ!」
「わかってるわよ、そんなことっ!」
無論、そんなことはケイトだって百も承知だ。
しかし色白銀髪の微笑みの美少年に特大スパナをくれてやるわけにもいかず動きが止まってしまう。
「まさか本当にスピリット・マスターとはな……しかもよりにもよってフェンリルか……」
「ボクも炎術師を相手にするのは初めてなんだ。お手柔らかに頼みたいね」
「言ってろ! 出でよ! 火炎弾!」
スザクは今一度、無数の火の球を出現させて、放つ!
しかし、同じように氷柱によってその攻撃を無効化されてしまう。
「君は既にボクの領域内だよ」
「黙れ! いかに氷を操ろうと、たかが獣ごときにこの俺が遅れを取るものかよ!」
そう言うと大量の火炎がまるで炎のカーテンのように目の前に現れ、レイとフェンリルごと焼いた。
「だから無駄だって」
その炎の幕が消えてもまだ少年と狼は何事もなかったようにその場に立っていた。
「そんな!」
その光景にケイトは声をあげた。
信じられない光景。
彼の周辺の地面は真っ黒に焦げているのに彼の周りだけ全く火の気配がないのだ。
スザクの背後からかなり離れているケイトの位置でさえその熱風が頬に当たって『温かさ』を感じたというのに。
「ウォール・オブ・コールド……冷気の壁か……」
「すごいや……それを見抜いた人は君が初めてだよ」
「長く炎術師なんてものをやっているとな……炎の弱点についていろいろと考えるもんなんだよ」
「そうなんだ? でも克服できてないんなら、考えた時間は無駄だったね」
「ぬかせ! 今までのは小手調べだ。今度は本物の炎というものがどういうものか思い知れ!」
負け惜しみのようなセリフを吐くスザクに、ケイトは不安を禁じ得なかった。
「その冷気の壁ごと貫いてやる!」
スザクの腕が勢い良く前へと突き出される。差し出した人差し指から魔法のごとくに怒濤の炎が少年に向けて放たれた。
刹那、少年の前に氷の銀狼が躍り出る。
冷気に閉ざされた狼の領域に、スザクの放つ炎の刃は届くことなく、やがて消される。
「ちぃっ! ならば!」
今度は炎を錐の様に鋭く冷気の壁に一点に集中し、孔を穿とうとする。
だが狙いが一点なら、相手もそこに防御を集中し、氷の楯をそこに出現させる。
通常、炎対氷という対決を、単純に物理的に考えるなら、氷には下限があり、炎には上限がない。
全てを凝固させる絶対零度でも摂氏二百七十三度であるのに対し、炎は物質の融解度、沸点を超えてなお温度というものは存在する。
故にフェンリルの氷を融解させるほどの温度の炎が出せるならばスザクの勝ちとなるである、と考えられる。
当然、その程度の法則なら氷を操るレイ・ガスパーは熟知しているはずだ。現に術師の対決など初めて見るケイトですらそのくらいは考えた。
……だが。
もしも、ほんの少しでも炎の上限を下げることが出来れば、スザクはたちまち窮地に立たされる。
自らの想像に、ケイトは背筋が薄ら寒くなるのを感じた。がくがくと足が震え、手がかじかみ、歯の根があわなくなる。
「寒い……」
自分のその状態を初めて口に出してケイトは愕然とした。
なぜ、今までそんなことに気がつかなかったのだろう?
いや、気がついていた。
夜でもツナギ一枚で汗ばむはずのこの土地の気候で、外に出た時に感じた寒気を思い出した。
スザクが炎を出して攻撃した時に、あれほどの高熱の炎を目の当たりにして「熱い」と思わなかったことはなぜだ?
再びケイトの背筋が震える。
その事実に気がついた恐怖による震え。
足下から全身を覆うかのような冷気による震え。
もしも、だ。
もしもこのエリア全体が強烈な冷気に覆われているとしたら、どうなるのだろうか?
スザクが通常、攻撃している温度で炎を出した場合、この冷気の中では確実に威力は落ちるはずだ。
いや、気づいたとしても、それはすなわち通常の力以上に炎を出さなければいけないことになりはしないだろうか?
そう。
つまりは。
最初から計算されていたのだ。
全て。
誰によって?
ケイトは見る。
レイ・ガスパーと思われる少年を。
………………。
美少年だった。
いや、違う! そうじゃない! と内心で自分の考えにツッコミを入れつつ、彼女はもう一度少年を見た。
とても純粋な瞳をしていた。
これは彼女がショタコンだからそう見えるのではない。
一般的に霊獣使いとなる人間は、純心無垢なほど霊獣に好かれやすいとされている。
もっとも、そうでない場合もあるようだが、扱う霊獣の性質に左右される。
それでも狭量小心の者がたやすく操れるようなものではないのだ。霊獣というものは。
「じゃあ、この作戦を……一体誰が……」
「くっ! おい、アンタはトレーラーと合流するんだ」
「わかったわ!」
どうやら旗色が悪いと踏んだのか、スザクはケイトは逃がそうとする。
「おっと……そうはさせねえって」
「きゃあっ!」
「ケイト!」
「兄さん!」
スザクとレイが同時に叫ぶ。
長い銃身のライアットガンを手に黒いツバ広のテンガロンハットをかぶるその男は、指名手配データで見たままのビル・ガスパーだった。
ケイトの間近にその男は立っていた。
ケイトはその視線に不快なものを感じた。
ケイトを見るほとんどの男がそうであるように、彼もまたそこに視線を送ってきた。
当然。
彼女の胸にだ。
ちらりと見てしまうのは男の、生物として雄の性として仕方がないことだと理解しているし、そこに隙の一つでも生じさせる意味で武器として見せている自覚もある。
だが、彼の、ビル・ガスパーのそれは違った。
ねめつくような、まとわりつくような、不快な、非常に不快な視線だった。
その証拠に、彼の口許にはいやらしい、下卑た微笑が浮かんでいた。
その瞬間、ケイトは全てを理解した。
ガスパー一味を総動員してこの人数を集め、炎術師にどんどんと炎を使わせて疲弊させる。疲れたところで氷の霊獣使いをぶつけてくる。さらには初めからこの周囲を霊獣の力で強烈な冷気で冷やしておく。そうすればスザクの疲弊は早くなる。
見事な、というよりも単純な策である。むしろその策を見抜けなかった自分とスザクが間抜けだったといえる。
スザク自身、自分の炎術に絶対の自信があるのだろう。
それが完全に裏目に出てしまった。
「っと……別嬪だがお転婆が過ぎるようだな」
いきなり側に立った男にキツイ一発をお見舞いするつもりでスパナを振り下ろすが、ふわりと躱されてしまう。
なるほど、さすがは高額の賞金首。生半可な攻撃は軽くいなされてしまう。
ケイトはスザクと背中合わせにガスパー兄弟とそれぞれ対峙する。
ケイトはビルと。
スザクはレイと銀狼のフェンリルと。
「やられたわね、スザク」
「まだやられたわけでは……」
「まだ気づかない? 既にこいつらの手の内よ」
「なんだと?……!」
不意に、自分が肩で呼吸しているのに気付いた。
そして自らが吐いた息が目の前で白く立ち上るのを見た。
「この冷気……そうか……」
スザクもどうやら気付いた様子だった。
実際のところケイトもスザクの炎をあてにし過ぎていたのだった。
「ならどうする? 泣いて謝って投降するのか? それとも尻尾を巻いて逃げるのか?」
「どっちもただではすまないでしょうね……」
前者ならば、盗賊どもに囲まれてケイトは男たちの気が済むまで嬲られ続け、スザクは氷付けにでもされて、銃か投げナイフの標的にでもされるだろう。
そして後者ならば、仮に運良くケイトとスザクは逃げ仰せてジョーイのトレーラーと合流できたとしても、この街はただではすまないだろう。百人を越える盗賊たちに街の全てが蹂躙されるだろう。
「なら、戦うしかないだろう」
「そのようね……でもスザク、貴方の炎はその威力を弱められて、勝つ見込みはあるの?」
「舐めてもらっては困る……と言いたいところだが、正直分が悪い。本来の力を出せばあのような四つ足にしてやられることはないのだが……」
一瞬、何かを逡巡するスザクの瞳。
なにごとにおいても即断即決で物事を進めていくようなスザクでも迷うことがあるのだ、とケイトはその瞳を見てなぜか安堵を覚えた。
「いや、やってみよう」
「どうするの?」
「この剣を……抜く!」
「えっと……アンタそれ扱えるの?」
「俺は扱えない……だが扱える奴を知っている」
「なにそれどういうこと?」
「説明している暇はない。汝に一つ問う!」
「なによ! こんな時に」
「必要なことだ! 問われたことに答えろ!」
「わ、わかったわよ!」
「ブラッディ・ハンターの名を言え!」
「ブラッディ・ハンターの本当の名前……?」
「そうだ! 早く!」
「やめてよ! ブラッディ・ハンターの名前を口にしたら殺されるのよ」
「そんなことを言っている場合か?! 奴らになぶり殺されるぞ」
「ちょっと待ってよ! 急にそんなこと言われたってすぐには思い出せないのよ!」
「早く思い出せっ!」
「今思い出そうとしているじゃないのっ! なんなのよ、もうっ!」
「早くしてくれ!」
「確か…………そうよ……ブラッディ・ハンターの本当の名前……バーンズ…………そう、確か、紅の狂騎士、ラドリッシュ・バーンズ!」
「我、スザクはその名と共に封印を解く!」
黒鞘からその長剣を抜き放とうとするスザク。
しかし、その動きが止まる。
「なによ?! どうしたのよ? 早く抜かないの?」
「け、剣が……! 抜けない!」
「なんでよ!」
ケイトが剣を見てみると鞘と柄の部分が氷に覆われていた。
「! しまった! 凍らされている!?」
「そんなっ!」
「小癪なっ!」
そこに氷の槍が鋭く冷気を切り裂いて飛来する。
ガキィン! と黒鞘のまま長剣でその攻撃を払う。剣の扱いには不慣れなスザクの闇雲な防御に氷の槍は飛散する。その氷のつぶての一つ一つまでは避けることが出来ずに全身でそれを喰らった。
「スザク!」
「ぐぅっ……!」
「ふふふふ、兄さん、まったく兄さんの言ったとおりだったよ」
「ご苦労さん、レイ」
「兄さん、ご覧の通りさ。ボクとフェンリルの術と兄さんの知恵があれば」
「ということでチェックメイトだよ、姉さん」
とビルはケイトの手をいとも簡単に捻りあげた。
やはり場数を踏んだ賞金首相手にケイトの工具格闘術では荷が重すぎた。
「きゃああっ!」
ガランと巨大なスパナが地面に落ちて、冷気に覆われみるみる色を白く変えていく。
「このっ……!」
「おとなしくしろってんだよっ、このっ、アマァ!」
抵抗するケイトの腹にずどっ、と鈍い音がして、ライアットガンの銃床が深くめり込んだ。彼女は気を失って冷たい地面に崩れ落ちた。
「兄さんっ! あまり乱暴はしないでって言ったじゃないか!」
「コイツがおとなしくしてりゃあ、ここまではしねえって」
「うう……でももう気を失ったからこれ以上は傷つけないでよ」
「ああ、わかってるって……とりあえず縄で手足縛っておけ!」
とビルは部下に命じた。
「ぐっ……」
「さて、と……例のトレーラーと積み荷を持って来い。この女の命と引き換えだ。わかったな?」
「俺が……その取引に応じるとでも?」
「応じなくてもいい。ただこの女の命はない。それだけだ」
ビルの目がいやらしく光る。命があったところで、どんな目に遭わされるかは保証外だと言外に含む。
「わかった…………持って行けばいいんだな?」
「はっはっはぁっ! 物わかりのいいガキは嫌いじゃないぜ……おい、行くぞ野郎共」
あちこちからエアバイクやエアモビルの起動音がする。
「ああ、そうだ。荷物は俺たちのバンディッド・タウンに持って来い。待つのは明日の朝までだ。わかったな」
そう言い捨ててビルは迎えに来たエアモビルに気絶しているケイトの身体を放り込み、自らも乗り込んだ。
「ふふ、それじゃあね、炎術師さん。またボクのフェンリルと遊んであげるよ……あはははっ♪」
レイはそう言うとエアバイクに跨がって一団の後を追った。
ギリッ……。
スザクの口の中で屈辱の音がした。
「とにかく……ジョーイと合流しないと……」
彼はケイトから教えてもらっていたジョーイとの合流地点に向かった。
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