召喚戎
『
――それはクロの血族、東方からの文化に依存する言葉だった。
意味はときに「蛮族」を表し、ときに「軍隊」を、ときに「兵器」を指した。『召喚戎のクロヴィス』と呼ばれる所以であり、その真骨頂が草原を埋め尽くした。
クロは、大きく息を吸い、肺を空気で満たす。鼻を通る湿気は先ほどの空っ風とは異なり、異界の空気ごと大軍をこちらに呼び寄せたような感覚を覚える。
すぐ隣に、黒色鎧に身を包んだ悪魔が黒馬を並べてきた。それは珍しく馬に跨ったゴアの姿だ。クロにとって最も頼りとするところの被召喚者であり、同時に今は一軍団を率いる団長の威勢を示している。他四名の軍団長と、彼らが率いる軍団と共に。
すなわち――。
第三軍団長:ゴア
第四軍団長:ダンバード
第五軍団長:ファテーブル
第六軍団長:アーザルガム
第七軍団長:グルグラム
そして、各々彼らが率いる軍団数は単体でおよそ二万。
総数十万の大軍団だ。
ゴアが最も得意とする黒曜石の剣は誰もが腰に履いており、加えて各々、巨斧、ランス、大槌、モーニングスターと得意とする獲物を携え、傍には軍旗がはためいてた。
「……っ‼︎」
敵の大将のみならず敵勢全てがあたかも一個の生き物のように息を呑む空気が伺える。敵から見て倍以上の軍勢が突如として現れ、一様に漆黒の鎧に身を包み、多くが騎兵として馳せ参じている。装備もさることながら、威容は堂々たるもの。兵士の練度も圧倒的に上と認識させることにも成功したようだ。
獅子を前にした兎のように、虚を突かれた敵は立場が一気に逆転していた。
「さすがはエリゴスの軍団。悪魔の中でも戦争の王と言われるだけのことはあるな」
クロはどこか他人事のような賛辞を口にする。
(魔王の魔力も伊達じゃないが、俺の許容量では今はここが限界か――長くはもたせられない)
兵士たる悪魔個々人に必要な魔力は微々たるもののさすがにこれだけの数だ。今はまだクロの中で渦巻く魔力は幾分残されているが、維持すれば空になるのは時間の問題。
一見優勢を勝ち得たこの状況は盆の水と同じ。いつひっくり返ってもおかしくない諸刃の剣だ。
(だからこそ長期戦は不利。叶うことならこの軍勢を見て敵が撤退してくれるのが一番だ。もしくは、ゴアの権能を使うか――)
思案の間、敵の大将が俯き、震えている。恐怖で尻込みしてくれれば万々歳だ。
(頼む! これで引いてくれっ……)
「何を狼狽えるかっ‼︎」
クロの内心での懇願は、さきほどロングフットと名乗った大将の怒声にかき消された。
「まさか敵に尻込む奴は我が軍にはおるまい! 我らは軍人だ! 戦争は数ではない、覇気の問題である! 生きて汚名と恥辱に塗れるぐらいなら、誇りを胸に武人として名誉の戦死を遂げろ!」
それは明らかに大将の立場として弁だ。一方兵士の士気が下がりきっていることは明白。明察な指揮官なら数の不利と萎えた自軍の気勢を判断材料にするものだが、余程の重責を負っているのか引き際を理解しようとはしない。
あるいは大命を帯びた長として止むを得ない立場なのかもしれないが、だからといってクロが同情してやる義理もない。
何より。
「あんなやつが……あんなやつがいるから――」
クロは、敵の大将の立場云々よりも、その言い様に怒りを覚えていた。
「えぇい、怯むな! 引くな! 引く人間はこの俺が自ら斬り伏せてやる! 死にたくなかったら敵の首をひとつでも多くあげろ! 命を惜しむな、武人の精神を全うして死ね!」
クロの中で何かが切れる音がした。
「命を、なんだと思ってやがる! 人の命は数じゃないんだ! 多いとか少ないとか、物差しでしか考えていない奴がどうして上に立つんだ! だからエディスみたいなっ……!」
頭に血が上り、敵の中の敵を射竦めた。敵大将は当然怯んだ様子もなく、高みから見下しているようにさえクロには見えた。
「ゴア!」
馬上の騎士、黒いフルフェイスの兜は呼ばれる前からクロへと向けられていた。
「あのクソ野郎の首だけを狙う! 権能を……力を、貸して欲しい!」
端的に頷くゴア。クロの命令に顎を引いた姿は意外にも珍しい。
正面へと向きなおり、ゴアは腰元の剣を抜く。暗い空へと掲げた刀身は次いで敵を刺すように真っ直ぐと前へ。その剣尖は大将へと一度向けられ、わずかに右へと移動する。
ゴアの能力は『誰と戦うべきかを悟らせてくれる』というものだ。最初に示した先はクロの思惑を後押ししてくれた結果で、次ぐ動きは切り崩すべき箇所の彼なりの示唆だろう。
ゴアが、大仰に剣で中空を斬り伏せる。号令も無く静かに背後の軍馬が動き出した。無音の下知に、彼の率いる第三軍団が一斉に突撃を開始したのだった。
「俺も行く!」
叫ぶとなしに手綱を引いたのはヴァンだった。彼も、ゴアとともに先陣を切る。
通常であれば敵軍全体数に対してゴアの部隊だけでは数が不足だ。とはいえ敵は半包囲を見せ、その一部を薄くしている。そこを見極め、かつ今は敵の戦意低下も著しい。黒色に彩られたゴアの軍団は、敵から見てさぞ恐怖の一団に見えたことだろう。
ゴアの見極めは、的確だった。まさか正面切って自分たちの隊列を直撃してくるとは敵も思ってはみなかったよう。
敵の左翼に、動揺が走る。
「ひ、引くな! 戦えっ!」
大将の声が響くが、悲鳴か命令かもわからない声色に耳を貸す兵士はいなかった。突撃してくる敵を前に、我先にと潰走を始める。クロたちから見て右敵陣が崩れ始めた。
ゴアが率いる第三軍団は、ゴア自身が鋭い剣尖のようだった。馬の向け先が、わずかに左へと変わり、その先は隙をさらけ出した敵大将へと向けられる。
中央の敵布陣も自陣の左が崩れたのを視認。今度はその刃が自分たちへと向けられるのを目撃しては、喉が詰まったような声をあげながらに逃走し始めた。
「逃げるな! 大将を置いて……ひっ!」
周囲から味方が失せつつある中、大将ロングフットの双眸がゴアと、ヴァンを認める。黒と白。敵から見て大将クラスの騎士二人が大軍を率いて自身へと突っ込んでくる姿は、さぞ命の危機を悟らせただろう。
ゴアが、敵大将を真っ二つする勢いで薙ぎにかかる。が、敵大将もさることながらそれを剣で受け止めると、次いでヴァンの長剣がその首元へと差し迫った。それすらも、ロングフットは辛々に逃れるが、防いだというよりは半ば避けたような体たらくだ。防いだこと自体にはクロも関心するが、とはいえ戦争は大将一人だけではなし得ない。二人を躱したところで、続くのは二万もの暗黒の一団だった。
「た、退却だ! 我が行く手を阻む者は後日軍法会議に掛けるぞ!」
最後まで威勢だけは残しながら、敵大将は撤退を告げた。
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