多勢に無勢のなか、召喚術師はひとり草原に立つ

 一万対五万――。


 軍隊の数はそのまま勝敗に結びつく。傑物なら五人を相手にひとりで喧嘩もできようが当然兵士にそれを期待するのは無体だ。つまり戦略の時点でアストリアは負けていると言わざるを得ない。

 奇策を用いて少数が多数を撃破した例は歴史上も無くはないものの、それはむしろ例外中の例外だ。この広大な土地では少数を生かした戦術など取り得ないことも明白だ。


 アストリアの市民が、他国の軍に蹂躙される姿は見たくはない。

 だからこそ――。


 ふと、クロは妙な気配を感じ取って振り返る。そこは今しがた通ってきた外壁門があり、城門はすでに閉じられていた。巨大な門に阻まれた格好で、ある種の背水の陣といえる。

 そのさらに上を見ると、外壁上で兵士達がせわしなく動き回っていた。携える装備から弓兵で、各自の身長ほどの長弓と、背負った矢羽が揺れているのが確認できる。


「……?」


 クロは呆然と眺めた。いつの間にか見慣れたようで、それでいてそこにあるはずもないもの。そんな矛盾した存在は、ただの幻影でしかない。戸惑い、視野がぼやけたかとクロは目元を揉んだ。もう一度見上げて、ヴァンへと呟く。


「なぁ、ヴァン。――天使っていると思うか?」

「天使? ……召喚術師のお前が一介の騎士でしかない俺に聞くのかよ。――たしか他国で唯一契約を結んだ者がいて、他ほとんどが文献上の存在でしかないって話じゃなかったか? いずれにしても天使が見守ってくれているならぜひ勝利の微笑みを向けて欲しいものだ」

「それを言うなら女神だろ」

「そうか、女神様だな。ただ俺が指摘するのも妙だが、神と契約した術師は歴史上でも皆無なんだろ? つまり、女神様のご加護も俺たちは望むべくもないわけだ。であれば――」

「であれば?」

「俺たちには悪魔がついている。そうじゃないか?」


 「はっ」と笑みを零すクロ。いつもなら鼻で笑うようなヴァンの答えだが、今は悪くないとも思う。

 ヴァンへの視線をもう一度だけ城壁へと移し、再び兵士たちへと向き直る。


 個々に組まれた隊列。防塁に潜む姿は敵軍の矢や魔術などの飛び道具に有効であると同時に、消極戦法と見せかけて敵を油断させる効果も見込んでいる。この戦法を提案したのはクロだ。ヴァンも、その案を後押ししてくれている。アルフレッドなどの好戦派はこの提案に反抗心を滲ませたが、最終的な方針を聞いたうえで粛々と態勢を整えてくれた。

 

 戦術方針は、アストリアの力を見せつけて相手を撤退に持ち込むこと。


 たかだか一万の軍事力しかいないと知っているからこそ、敵は付け入ろうとするに違いない。「下手に手出しができない」と理解させれば、簡単に侵攻して来ることもなくなるだろう。


「来たか」


 ヴァンからそう言われたのは、太陽がてっぺんを超えてからだった。


 広大な景色には草原と、その向こうには森、さらには山々の稜線が描かれている。さすがに山間部は視認できるほどの距離ではないが、森からは敵行軍の一端が見え始めた。

 敵が隊列を横に広げなかったのは、敵にもこちらの情報が入っており、森での奇襲がないだろうと踏んでのこと。思えば森で奇襲を仕掛けることもできただろうが、そもそもそこまでの兵数を割く余裕も時間の猶予もアストリア側には残されていなかった。

 何より少人数での撹乱は、敵への損害もさることながら、味方の犠牲の無視できない。甘いかもしれないが、クロは極力犠牲者を出したくはないと考えていた。


 やがて森を抜けた敵軍が悠然と軍列を整える。アストリアのほうは一切動かず静けさに沈んでいる。誰もが口を開かず、たまに聞こえるのは衣擦れのような鎧同士がぶつかる音と、馬の鳴き声ぐらい。

 遠方で徐々に膨張していく影を皆が固唾を飲んで見守っていた。


 ――さすがに、数が違い過ぎる。


 敵前逃亡をしなかった兵士を褒めてあげたい。とはいっても、遁走したところで現在都市には帰りつけないのだ。覚悟と称するには消極的な心情で、誰もが神の息吹を祈る。


 敵は森の手前、地平線にも似た平地の起伏を埋め尽くしつつある。

 ヴァンが「五倍か……」と独語した。恐れを抱いたわけではないものの、やはりその数には圧倒されるし正面からぶつかってもこの軍だけでは勝ち目はないとの思案が巡っていたようだ。


 津波のような軍隊が迫ってくる。堂々たる布陣で、非の打ち所がない。それだけに率いる大将も武人のなかの武人なのだろうと、半ばある種の期待を込めてそんな想像をするクロ。

 案の定、先頭で馬に跨り闊歩させる人物がそれだ。遠目にも関わらず周囲の兵士と比べてひとまわり大きく見えるのは豪奢な鎧のせいか、それとも威風のものか。


 その輪郭が、隣の軽装備の男に声を掛けている。おそらく参謀と会話でもしているのだろう。その表情は脆弱なこちらの勢力を笑うでもなく、冷静に作戦を確認しているようでもない。吊り上がった眉が、訝しげとも怒色とも取れ、口が大仰に動かされている。


 隣のヴァンが、肩を竦めながら細めた声を出した。


「『どういうことだ。敵軍が控えているではないか。敵国を内外から打ち崩すなどと偉そうなことを抜かしておきがなら、内についてはこの通り失敗しておる。これだから召喚術師という人種は信用に置けない』――といったところか?」


 ヴァンの真似た言い様に、クロは笑いを堪えて肩を震わせた。ここでいう召喚術師というのは先日都市で暴竜を暴れさせた奴のことだろう。


「――はぁ。当たらずも遠からずかもな。武人からして術師は信頼に値するものではないんだろ」

「心配するな。誰がなんと言おうと俺はお前を信頼している。アストリアの召喚術師殿」


 クロのほうも肩を竦め、居並ぶ兵士たちの間を抜ける。ひとり何も無い草原へと馬を進めた。その右後背にヴァンが続く。冷ややかな風が優しく頬を撫でた。


 国家の機密上、今回の作戦は下級兵士までには知らされていない。敵に向かってひとり、クロが立ち向かうような格好で、味方からは疑心の声が囁かれる。疑心だけならまだしも、そこにはわずかに忌々しそうな険も滲み、そんな二言目はすでに聞き慣れたものだった。


「悪魔の仔め」


 誰ともなしの響きがクロの耳朶を打つ。明確に侮蔑を含んでおり、クロは聞かなかったようにただただ馬を歩かせた。アルフレッドが「私語を慎め!」と号令している。


 そう、自分はこの一年散々蔑まれてきた。一年前の争乱はクロを犠牲にした者の計略であることは告げられたが、焼かれた街も犠牲となった兵士もいたわけで、誰もがその現実に目を向けてしまう。何事にも事実と異なる尾ひれはつきもので、クロは謂れのない悪態を受け続けた。


「……それでも」


 クロは意趣返しをする気はなかったし、する気さえ起きなかった。クロと同様に彼らも犠牲者側だ。だからこそ兵士を、街を、みんなを守らなければならない。


(――違う。『守りたい』だよな。じいちゃん)


 背後にアストリアと兵士を負いながら、クロはひとり大地に立ちはだかる。敵の大将の眉が怪訝さでさらに吊り上げられていた。


 敵は遠巻きに――といっても火蓋が切られる前のためまだまだかなりの距離はある――クロとヴァンと兵士達を半包囲するように拡大していく。

 絶望的なまでの力の差。軍靴と鎧の音が、順次停止していき、奇妙なほどの静寂が到来した。


 先頭の人馬がクロのほうへと歩み出る。馬の地肌よりも装飾の面積の方が多そうな白馬に跨り、人間のほうは戦局を把握するためかそれとも顔を売るためか、兜を脱いで脇に抱えている。屈強な男ほど髭を蓄えたがるのかと益体のないことを考えるが、事実大将らしき人物の顔半分は赤毛に覆われていた。


「我はザルダスハイムの国、東方方面軍司令官、ブロッケン・ロングフットである! 戦火を交えるにあたり貴国にひとつ忠告しておこう! 戦闘は無駄である! できれば降伏されたし! でなければ――」


 敵の口上を待たずして、ヴァンがクロの名を呼ぶ。

 クロは魔導書を胸の前に掲げた。


『異界に存在せし悪魔よ。今汝らの世界へと通ずる扉を叩かん――』

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