思っているよりも簡単なこと
背後から別の男の声が聞こえた。こちらの声色は比較的若く感じられ、そしてリアにとっては幼い頃から片手で数えるほどだが、聞き覚えのある声だった。
「あら、
「
『心外なのはこっちのほうだ……』
男は父アスモデウスに親指を向ける。一方の父の声は弱々しい。
「類友が嫌なら同じ穴のむじなよね。女の敵には変わりないわ」
「やっぱり類友でお願いします……」
男までもが弱々しく声を細めた。
現れた男は年が四十前半といったところ。彼女の父と違って短めに切り揃えられた髪は黒く清潔感があり、所々に白いものも混じっている。
リアが思うところ、雰囲気に漂う軽薄さが精神年齢の若さに拍車をかけている。ローブをまとっているため肉付きは分かりづらいが長身痩躯といった印象を受けた。
隣にいる父と並ぶと先輩後輩ほどの乖離があり、かつてはそれで夜の街を遊びまわったそうだと、憎々しげに母から聞いたことがある。
男はクロの父だった。その名は、ジョン・リー・サリマン。
「なんであなたがこんなところにいるのかしら?」
「なんでとはご挨拶だなぁ、リアちゃん」
「
「……リアさんのためにはるばる馳せ参じた次第でございます」
「軽薄」
大仰にお辞儀をするジョンに、リアは瞑目しながらまたもグラスに口をつけた。
『リア、そんな言い方はなかろう? ジョンはお前のためにここまで来てくれたのだから』
ちゃらちゃらした外見に相反するような父の低い声がリアを宥める。
「普通の人間は簡単に異界には来られないわよ。一体どんな裏があるか気になるとこ――」
「ろ」と紡ごうとし、そこでリアは椅子を蹴って立ち上がった。
「――っていうか、なんであなたがこんなところにいるのよっ‼︎」
慮外の再会に、リアは周回遅れで訪れた理解に声を荒げる。
「連れないなー。さっきアスモが言った通り、リアちゃんのために俺はここに来たのさ」
「
「はい……」
旧知の間柄とはいえ大王を愛称で呼ぶジョンもジョンだが、それよりも女のような子供のような扱いをされるほうがリアの癪に障る。
「あなたいったい今までどこに……しかも今になって!」
「そうは言うけどさ、いまさらってこともないだろ? アストリアの――クロの一大事を聞きつけてね。居てもたってもいられなくなったわけだ。ま、愚息のことはともかく、リアちゃ……さんのことを思えば、男として駆けつけないわけにはいかないよ。おっと、どうやって異界に来ているかは聞かないでくれよ? 表立って人には言えないような秘密ってやつだ。俺も少々、危ない橋を渡っていてね」
以前、ジョンはリアを召喚したことがある。だがそれはクロに受け継がれてから、彼との契約は解消されてしまっていた。リアのような新参の悪魔は直接相手と契約を結ぶ必要があるが、異界に来てきている状態ではそれもままならないと諦めていたところ。
だが眼前には他でもない、召喚術師たるそのジョンがいる。父アスモデウスとクロの父であるジョンとの関係があったからこそ、リアとクロは出会うことができたのだ。
怒気とも取れたジョンに対するリア自身の感情は、別種の感情と綯い交ぜになって膨れ上がり、当人でさえ持て余した。
「あれっ⁈ え、でも……ちょっと待って、えっ⁈」
思考に酒を混ぜたことを後悔する。突然の出来事を目の前にして思考がまとまらない。
クロとリアの出会いは、偶然に偶然が重なったものだ。
軌跡を辿れば、まずはリアの特質性に寄与する。リアは古来の悪魔と違って魔導原書をはじめとした書物に記されていない
おまけに、仮にリアを知る召喚術師がいたとして、リアは彼らに必要とされている力を持ち得ない。
アスモデウスの権能は今のところリアに引き継がれてはおらず、せいぜい魔力による身体強化と槍の扱いぐらいが長所であって、それは他の悪魔に比べれば無能に等しい。一方で膨大に必要とする魔力を天秤にかけると彼女を使役したい人間は皆無なのだ。
せいぜい垂れ流しされる魔力の引き取り手となるぐらいなもの。その点クロの立場からしてリアは打って付けの存在といえ、だからこそそれぞれが負った枷はパズルのピースのように整合したわけだ。
リアはそれを、運命だと考えていた。
そんな偶然を再構築するためには、結局のところ最初のひとつに立ち戻る他はない。
ごくごく単純なこと。結論に至ったリアは図らずも齎された幸運へと顔を向ける。
「……気づいてくれたかな?」
唯一リアに懸念があるとすれば、クロと交わした約束だ。クロとの約束を一部違うことは、彼に会いたい気持ちと天秤に掛ければ――そこから来る羞恥心やクロの反応は気になるものの――大きな問題ではない。一方その約束がどういった帰結を結ぶかを考えると、そちらはいささか腰が引けるし、ともすれば恐怖さえ覚える。
ジョンはそんなリアの内心を推し量ったわけでもなしに、軽量化された笑みを浮かべた。
「そう。人生はつい難しく考えすぎてしまうが、その実とてもシンプルなんだ。人は過去という呪縛に縛られがちだが、そんなものは本来皆無で、今を生きる限りは自由なのさ」
「あなたが口にすると自由という言葉がひどく胡散臭く聞こえるわ」
「……呼ばれるならおじさまのほうがいいな。ところで――」
ジョンはリアに向かって跪き、一度頭を下げるとリアへと手を差し出す。
「私と一緒に向こうの世界へ戻ってはくれまいか? もちろん相応の条件はあるが、あなたが大切に預かってくれた魔力の――俺の息子のその先の物語を知りたくはないかい?」
リアはジョンをひと睨みするが、それは冗談のようなものですぐに崩れた。ひとつため息を吐く。
「隠れて聞いていたのね。まったく、気障な人だわ……」
リアは困ったような笑みに変え、誰かを思い出すようにその手を取った。
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