再会を願う別れ

「王から正式に依頼があった」


 リアと、そしてクロは城のテラスにいた。

 城は小高い丘の上にあり、眼下の都市を一望できる。


「そう」


 リアは白い手すりに手を掛けその絶景を眺めたまま、背後のクロへは短い吐息のような相槌を打つだけだった。ここからの風景が沈鬱に見えるのは、つい先刻にエリゴスが討伐した暴竜による爪痕が残っているためか、それとも自身の胸のうちから来るものなのか、そのどちらかはわからなかった。


「だからリア、その……」


 リアはクロへと振り向く。薄いクロの唇が頼りなく動かされ、色味がなくなるほど噛み締められた。何かを言おうとして躊躇っていることは明白で、最後には柔和な笑みを口元に浮かべながら、眉だけが困ったように曲がっている。


 ――ずるい、とリアは思う。

 そんな顔をされると、嫌とは言えない。それに今は自分の我儘が通せる状況でもない。


「いいわよ。わたしが預かっている魔力が必要なんでしょ?」

「……いいのか?」

「いいも何も、元々クロから預かっている魔力だもの。わたしはそれを、還すだけだわ」

「でも、そんなことをしたら……」


 わかっていたことだ。クロの魔力の許容量キャパシティは召喚術師の家系として大変に優れたものだが、それでも限界がある。

 仮に街を襲った召喚獣の撃退に魔力を注がなくとも、これから彼が本来の力を発揮するためには普段の魔力では到底足らず、閾値ぎりぎりまでに量を戻さなければならない。おまけに、そんな危ない橋は、非常に脆く、長くは持たないだろう。

 だからこそ自身がいて、その意味で必要とされていることはリアもわかっている。いつかこんな事態になることも予想はしていた。魔力を渡してしまった直後、自分の居場所である人間界を離れて、異界へと逆召喚されてしまうことも覚悟できている。


 ――だけど。


「――だったら、約束して?」

「約束?」

「わかるでしょ?」


 クロは黙考した。


「……今度こそ黒焦げになってもリアの料理は全部食べます」

「そんなんじゃないわよ! ばかっ!」


 リアは苦笑した。

 やっぱりあの料理は、クロが食べてくれていたようだ。


「またいつか、クロがわたしを喚び戻して」


 わずかに俯き顎に手を当てるクロは、また眉を曲げていた。

 それは困惑しているというよりも、現実という物差しを未来に当てつけているようなもので、それが容易ならざることを理解した顔つきだ。


「でも、リア……」

「わかってる!」


 何がわかっているのか。口にしたあと、リアのほうがわからなくなる。

 唯一はっきりしていることは、そもそもの始まりが二人にとって運命のようなもので、宿命に縛られた二人にとっては僥倖だったことだけだ。

 広大な人間の世界でひとひとりと出会うことさえ奇跡なのに、異界などという隔絶された世界同士ではそれからさらに分が悪くなってしまう。


 リアは古参の悪魔ではない。その名は魔導原書ゴエティエにも記されておらず、クロが異界に行くことも、リアが自らの意思で人間界に身を移すこともできない。

 前回はクロの父が仲介を果たしてくれたため一時的に人間界へと来ることが叶ったが、今その当人は行方知れずだ。クロの立場からすれば、リアを召喚する最初の段取りは、数年音沙汰のない父親を探すことになる。それが最も確実で最短の手段といえば手段になるものの――。


「……いったい、いつになるんだろうな。あーぁ、クソ親父が失くした魔導原書ゴエティエも探さなきゃならんのに、その本人も加えるとなると探し物が二つになるな」

「二つじゃないわ。三つよ」

 

 クロは首を捻る。


「わたしを見つけて」

「――わかってるよ」

「そのときは『言葉の綾』なんて言わせないから」

「それ、根に持つな。というか、よく覚えてるなそんなこと」

「そうよ? 男のことを忘れないのが、良い女になるための秘訣なの」


 ついアデレードの言葉を模倣してしまう。

 リアにとって厄介な女性で、そして負けられない女性だ。


「ついでに言うなら『召喚術師と被召喚者』の関係なんてことも言わせないから」


 クロがうっと目を丸くした。


「なんだ、聞いてたのか」

「ショックのあまり今まで忘れていたわ」

「……悪い」

「謝られると本音っぽいから否定して」

「ごめん」

「もう! そうじゃなくて! ……今度は、わかってるわよね? それっぽっちの関係だなんて言わせないんだから。……必死にわたしを助けに来てくれたクロ、かっこよかったもの」


 リアは先日手当てした手首の包帯を解く。布が風に運ばれていくのを眺め、視線を落とすと傷跡はまだわずかに残っていた。


「クロにとって、わたしは何?」

「お前は――」

「ストップ!」


 リアの指が、肉つきの少ないクロの唇を押さえた。


「やっぱり、今はいいわ。聞いたら答えが良くても悪くても引きずるもの。人間・・ってそういうものでしょ? どうせ引きずるなら、良い感情のまま引きずりたい。希望として」

「……リアらしいよ」

「再会までとっておくわ。……早くしないと、鮮度が落ちちゃうわよ? わたしは今が食べ頃なんだから」


 クロがぼっと顔を赤くし、それを見てリアもぽっと頬が熱くなる。


「――ほんと、色欲の血なんて引くものじゃないわね」


 リアは顔を隠すように袖で口元を覆った。

 心を落ち着けるように一度息を吸って、吐いた。


「それじゃあ、行くわね」


 クロがゆっくりと頷き、リアはクロへと一歩を近づく。互いに一度目が合い、どちらも俯いた。

 リアは、クロの見えない胸の魔法陣に触れるように手を伸ばし――、


「えいっ!」


 勢いでクロを抱きしめた。か細い腕を、クロの背中へと回す。


「っ‼︎ お、おい!」

「『こんなことしなくたって魔力は渡せるだろ』なんて無粋なことは言わないでね? せっかくこんな美人に抱かれているのだから、むしろ喜んでくれてもよくてよ?」


 リアの腕の中でもぞもぞと動くクロ。往生際が悪いと言いたげにリアが力を込めると、徐々に抵抗がなくなっていく。

 早くクロの腕が背中に回ってこないかと待っていると、その手は散々迷った挙句にリアの二の腕を掴んだ。


 リアはむすっとしてクロを凝視する。クロの優柔不断さにもそうだが、そんなところばかり肉つきのよい箇所をしっかりと掴まないでほしい。


 そんなことをしている間、リアは少々手を加えながらクロに魔力を注ぎ込む。互いの胸元から光の粒子となった魔力が渡っていき、やがてクロの体全体を包み込んでいった。


 ひと睨みしてやろうと顔を上げたリアだったが、その視線は交錯しない。クロが恍惚とした表情で瞼を閉じている。

 順調にクロの中で渇き続けていた魔力が満たされているようだ。


 同時に心配もする。クロの首元からは服に隠れていた例の呪いの魔法陣がじわりと見え始め、さらには黒く変色していったからだ。二人を包む光芒の中でおもむろに開かれたクロの瞳は、黒と、リアのそれに近づいたような赤とを混ぜたマーブル模様を描いていた。


 そろそろ魔力は満杯。限界に近いはずだ。数日は問題ないと思われるが、長くこの状態が続けばクロの命は危険に晒されてしまう。


「――はいおしまい。変な感じね。魔力を吸い取るんじゃなくて、逆に渡すのって」

「受け取るほうも同じく。でも、おかしいな。あれだけ気分が悪くなっていたのに、思ったより悪い気はしないかも」


 リアは少々意地悪そうに笑った。


「当たり前でしょ。おまじないでわたしの魔力も混ぜたのだもの。――しまった、愛情って言えばよかった!」

「コーヒーに混ざったミルクみたいか?」

「そうそう」


 二人で笑い声をあげる。その声に驚いたように、そばの梢から小鳥が飛び去った。


 ――リアの足元に、久しく見なかった赤い魔法陣が現れる。その淡い赤がいく筋も立体的に地面から伸び上がり、リアの頭上で交錯するように閉じた。全身を包む、檻のようだった。


「お別れね」

「リア、約束だ。……必ず、迎えに行くから」

「――っ。――うん、待ってる」


 堪えていた水粒がリアの眦で膨張し、笑うと一筋だけ頬を流れた。やがて、リア自身が淡く白い光の粒に変わっていく。


「それじゃあ、ばいばい、クロ――」


 魔法陣のうえで弾けるように、リアは異界へ喚び戻された。

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