召喚術師の業

「さて、どうやって落とし前をつけてもらおうか」


 クロは声の剣呑さを自覚しながら、それでも収まりがつかないと男を睨みつける。背後のリアに意識を向けながら、ゴアと二人で彼女の壁となった。


「血が、血がぁ! もったいないぃ、失われるぅ! ぎゃぁぁぁああ!」


 クロの言葉が全く届いていないようで、クロは眉間の皺を濃くした。

 その間、ゴアが一度姿を消す。略式召喚の継続時間が切れたのだ。

 一度思案し、やや躊躇いを覚えながらもクロは詠唱。今度は通常の召喚でゴアを呼び戻した。


「ひゃ、ひゃっひゃっひゃ! これが痛み! これが、死の恐怖!」


 目玉を剥いて笑い続ける男に、ゴアの召喚。冷静さを取り戻すのに十分な時間があった。


「気色悪……」


 緩く呟いたクロだが、つい先ほどまでは言葉ほどの余裕はなかった。


 ――魔導書からの方角を頼りにジュニア・リンドブルムを駆るクロ。リアの元へ直行したクロは、程なくして目下にリアを認め、同時に心胆を寒からしめた。

 吊られるようになったリアの首に向けられていたのは、男が持つ湾曲した刀剣。 

 ――明らかな窮地だった。

 ゴアを、略式召喚で呼び出すクロ。


『ゴア、下だ!』


 わずかそれだけの指示で、空中に召喚されたゴアは理解し、鍛え抜かれた体幹で腰元の剣を抜いては、落下に合わせて剣を上段に構える。

 不穏当な状況と不安定な体勢。それでも見事に男の腕を落としたゴアは、リアを助けるうえでの最たる功労者だった。


「け、けっつはっつはあぁ! は、はっつ! ……はぁ……」


 男は徐々に平静を取り戻しつつある。心情的には即座に斬り伏せたいところだが、相手の意に反して悪魔が宿されているなら無闇に殺すことはできない。

 それに男の目的も気になるところ。締め上げて吐かせたいが、一方でゴアではこの男に叶わないかもしれないとの危機感もある。


 ゴアは体格にも膂力に秀でているが、素早い敵には応しきれない。リアのため壁役に呼び戻したが、冷静に省みてヴァルファーレの眷属に相対しては明らかに不利だった。


「仕方ない」と呟きながら、クロはアデレードからのお守り・・・を手にする。


「おい、お前」


 男は笑い疲れたとでも言いたげに、ぜぇぜぇと長い舌を出していた。瞳には未だ敵対の意思が宿っており、血走った眼がクロを睨めつけてきた。


「さっきも聞いたが、お前は取り憑くように命令された側だろう? であれば、その身体は本来別の精神の持ち物だ。できれば殺したくはない」


 クロは、相手の油断を誘うためにあえてそう口にした。目論見通り男は笑みを浮かべる。

 クロの手にはお守りとして渡された一本のスクロールがあった。


「――手加減してやるつもりだが、とはいえこれを使えば宿主の肉体は死ぬかもしれない。――まぁその出血だ。放っておいてもその身体は遠からず命を失うだろう。その前にどうだ、その身体から離れてはくれないか?」


 憑依した悪魔を他人が引き剥がすのは並大抵のことではない。まずは対話に持ち込むことが最初の策だが、だからといって相手が恭順を示してくれる可能性は著しく低い。


「俺が、言う通りにするとでも?」


 返事は不気味な笑みと、残ったほうの手で拾われた魔剣だった。


「忠告はしたからな」

「……黙れよ。俺は男が嫌いなんだ」


 トカゲ男が涎を振りまくように舌が揺らしながら迫る。ゴアは間に入り、繰り出される攻撃を防いだ。初太刀は的確に剣で受け、二撃目は腕の装甲で、三撃目は胴体の鎧に刃が通らず、結果として辛うじて防いだ形だ。


「けっけっけ、遅い、遅いなぁ! よくまぁそんな余裕ブッこいたことが言えたもん……」


 「だ」と、男の声が曖昧に萎んでいく。沈む声色に反し顎は上がっていき、最終的にその視線はクロの頭上で止まる。

 クロの手に下げられたスクロールは、すでにその役目を終えていた。

 そこに描かれた魔法陣によってひとりの被召喚者が頭上に顕現している。


「紹介してやる。『アナンシヤ・イフリート』だ」


 イフリート族の女型で、アデレードが使役するもう一体の聖獣――。


 小さな流れ星のような火球がアナンシヤの周囲を舞っていた。アデレードの魔力であれば炎は紫だが、今はクロの魔力のためオレンジよりも朱に近い色味をしている。


 どことなく、アデレードに似ているなとクロは思う。双子に当たるロードとは似ても似つかぬ風貌だが、むしろアデレードとであれば姉妹のような組み合わせに見えるかもしれない。

 そう想像したからか無駄に意識してしまう。アナンシヤは裸体も同然で炎が衣服代わりだ。ちらちらと揺れる様は大変に危うく、ただただ妖艶だ。クロは羞恥でわずかに俯く。

 ――が、思い直して顔をあげては彼女に指示を出した。


「アナンシヤ、頼む。さっき言った通りにやってくれれば、おそらく大丈夫なはずだ」

『はい』


 アナンシヤが両腕を突き出し、天空に向ける。瞬く間に巨大な炎の球体が現れた。

 強靭な肉体を自負する兄に対し、妹は魔術――炎の操作そのものに長けている。この程度の炎を巻き起こすのは道端の小石を拾うように造作もない。


 球体から炎の柱がほとばしり、男の四方を炎の壁で取り囲んだ。男の逃げ場を完全に失わせる。

 だが、炎の壁は周囲を閉ざすのみ。最初の一撃で男の体の一部分だけを焼いた・・・・・・・・・ものの、以降炎は男に襲いかかろうとはしなかった。

 炎の牢獄となったその隙間から、男は挙動不審のように炎を見つめ、逃げ場を探すように首を左右に振っている。


 やがて。

 不意に男の目がくるりと白くなった。


「アナンシヤ、もういい」


 炎の壁が消えると、男はその場に倒れ込む。切られた腕の先、そこだけが火に焼かれて出血が止まっていたが、それ以外に火傷らしい熱傷は見られない。


「人間が失うと命を落とすのは血だけじゃない。……酸素も同じだ」


 彼女が放った炎は、空気中の酸素を焼きつくし男は酸欠で気を失っていた。


「それにしても、俺は女に助けられてばかりだな。――さて」


 クロはアナンシアに礼を告げると、彼女は恭しくお辞儀をしては消えていく。しばらく留めていてもいいようなものだが、やはりアデレードも一介の錬金術師に相応しい魔力の持ち主で、クロとしてもアナンシヤを維持し続けるのはそれなりに骨が折れる。


 クロは踵を返すと、リアの元に歩み寄ろうと男に背を向けた。


 カランッ……。


 気を失った男のほうから音が鳴る。まさか意識を取り戻したかと振り返ると、クロの知らない存在がそこに立っていた。

 

 ――いや、よくよく見ればその姿には見覚えがある。


「お前は、サンクトラークの……」


 広場での祭典。その際に技師に悪魔を取り憑かせ、事件を引き起こした張本人である黒のローブ姿があった。影そのもののような輪郭で、その手には魔剣――『シャムシール・エ・ゾモロドネガル』が握られている。


「――少々魔力が足らないな。残りの分は、やむを得まい」


 クロは、初めてその者の声を聞いた。男だろうが、妙に中性的な声音をしていた。


「だが、お前も魔力をだいぶ浪費させられたはずだ。まずはこれで良しとして本国には連絡するとしようか」

「お前が、リアを襲わせたのか? ――待てっ!」


 クロは叫ぶが、質問に答えることなくローブの男は姿を消した。人間技じゃない消え方と、おおよそ人間とは思えない赤い双眸だけが残滓としてクロの網膜に残る。


 クロは行方を探ろうと魔力感知を尖らせるも、もはや近くにいなかった。


(また逃したか。だけど――)


 後味の悪さは拭いがたいが、回避できた事態もある。

 クロの到着が今一歩でも遅れれば、リアを、永久に失っていたかもしれない。


 ジュニアに、ゴア、アナンシヤ――。クロがここに至り彼女を助け出られたのは、すべて皆のおかげだった。


(召喚術師の業、か。難儀な役目だよ、じいちゃん)


 自分がどれだけの存在に支えられているか。召喚術師としても、人間としても。その意味で最も誰に支えられているかは言うまでもない。


 クロはリアに近づき、彼女の体を優しく抱き上げる。まだ気を失っているが、閉じられた瞳と表情は意外なほどに穏やかなものだった。


「リアが起きたら、ちゃんと礼を言わないとな」


 クロはため息をつき、笑みを浮かべる。ただの召喚術師と被召喚者の関係だけなら、こんなに彼女の身を心配することもなかったのだ。


 クロがリアの体温を腕に感じ、ゴアに男を捕縛させようとした、そのときだった。


 アストリアの首都上空に、赤く巨大な魔法陣が現出した――。

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