ヴァルファーレの眷属

 クロは机上の本に挟まれた栞の箇所を両開きにした。

 右に魔法陣、左には紋様が描かれているページだ。クロは限られた記憶を頼りに、紋様にあたりをつけ、魔法陣に描かれた文字で記憶の正しさを確認する。


 外見はまるで見窄らしい日記のようだが、これは歴とした魔導書だ。カモフラージュされたようでもあり、これを探し当てた騎士団の苦労が慮られるというもの。


 騎士が、ちらちらと横目でクロの様子を伺ってくる。おそらく「何が描かれているのだ」ということを質問したいのだろう。意地悪く黙っていてもいいが、そこに描かれた魔法陣の不穏当さを鑑みれば、今は個人的な感情は脇に置いておくべきだとクロは思うことにした。


「これは、ヴァルファーレの紋章だ」

「ゔぁる……なんだと?」

「ヴァルファーレ。魔導原書ゴエティエの七十二の悪魔のうち第六位に位置する者で、地位は公爵だ」

「七十二中の六位とは、おおよそ強そうな悪魔だな」

「序列に強さは関係ない。魔導原書ゴエティエに記された序列はあくまで付番に過ぎないからな。例えば悪魔の中でも最強と名高い大王ベレスはヴァルファーレよりも後ろの十三位で、最大規模の軍団を保有していると言われている」

「ふん……なるほど」


 門外漢とはいえ自身の解釈が間違っていたことにいささかの不快感を示しながらも、アルフレッドは黙々とクロの話を聞いた。


「ただ、この魔法陣はヴァルファーレ自身を呼び出すものじゃないな。そもそも七十二の悪魔自体、上位クラスのため一介の召喚術師ですら生半可な魔力じゃ呼び出せない」

「……もう少しわかりやすく説明してくれないか?」

「おそらくヴァルファーレの部下か、あるいは眷属。しかも悪魔を人間に憑依させる陣形が取られている。並みの魔力じゃないが多少腕に覚えのある召喚術師なら可能だ。加えてこのクラスならヴァルファーレが得意とする権能までを行使させることもできる」


 七十二もの悪魔の長がいることはすなわち、七十二もの能力が存在することを意味する。だがその実彼らに備わる権能は一個体にひとつどころではなく、おそらくその倍でも足らない。


「お主のいわんとしているところはわかった。で、なんなのだ? その悪魔の権能は」

「――窃盗」

「……っ⁉︎」


 アルフレッドがぎりっと歯噛みし、豪快に舌を鳴らした。


「ヴァルファーレは盗みの名手で、本来獅子のような姿をしていると言われている。一方で文献によってその姿が異なるのも特徴で、それは本人に変身能力があるからだ。人間の姿をして盗賊団の頭目を務めたことがあるとも言われている。おそらく直属の部下でない限りその変身の力までは得ていないと思われるが……」


 クロは考えを纏めるようにしながら言葉を選んだ。


「その盗みのテクニックと強靭な脚力は受け継いでいる可能性が高いな。おそらく、常人の足では到底追いつけないほどに」


 クロの説明に、アルフレッドが「なるほど……」と口周りの髭を雑に撫で回していた。口ぶりからして何か思い当たることがありそうで、同時にクロの中でも点と点が単純な線で結びつけられる。

 眼前のアルフレッドは盗まれた国宝の調査にあたっており、この魔導書に記された悪魔の権能は盗みと身体強化に長けたものという点だ。


「いったい何が盗まれたんだ? それに、ここにいないヴァンはどこに行った?」


 クロがヴァンの名で呼ばれた限り、ここにヴァンいたと考えるのがまず自然だ。彼がいないのは事態に急変があったからで、それは割れた窓ガラスが物語っている。

 今思えば、ここまで先導してきた騎士が一度家の前で立ち止まったのも、そんな変化が理由だったのかもしれない。


 アルフレッドの名だとクロが応じないことを考慮してとも考えられたが――事実クロも応じないだろうが――目の前の居丈高な男がそのような小細工をするとも思えなかった。


「盗まれたのは、『シャムシール・エ・ゾモロドネガル』だ」

「……っ!」


 弱くもしっかりとした口の動きで告げられた宝物の名にクロの心臓が跳ねあがる。


 シャムシール・エ・ゾモロドネガル――。シャムシールの名を冠するそれは、東方を起源とする剣。先端に向かうにつれ孤を描くように湾曲した刃は通常の片手剣よりは短く扱いやすいうえ、殺傷能力向上にも寄与している。

 その最大の特徴は刀身よりも持ち柄にあり多くのエメラルドが散りばめられていた。

 そんな宝剣を何故クロが知っていて、しかも驚きを隠せないのか。

 それは正式名ではなく異名のほうが問題だったからだ。


「なんで……なんでそんなものがこの国にあるんだっ⁈」


 大声にアルフレッドは目を開く。クロはその剣の特質だけでこの事態に隠された重要事を理解していた。


「シャムシール・エ・ゾモロドネガルは他人の魔力を吸い取る魔剣だ! このところ女性を狙う強盗が増えたのは術師でなくとも女性のほうが魔力を保有しているからだ! しかも別名は『悪魔殺しの剣』! 一連の事件の犯人が人間というなら、おそらくこの悪魔が人間に憑依しているか、憑依させられている《・・・・・・・》かの可能性が高いだろっ!」


 王城でのヴァンは、犯人は男であるといったのみで悪魔の姿であるとは言わなかった。ただ魔法陣は悪魔の精神を呼び寄せるものだ。

 先日のサンクトラークの件が思い出される。悪魔を人間に憑依させその力を振るっていると考えるのが妥当だ。目的は不明ながら、城から宝剣を盗んだうえ女性を襲い、魔力を集めているのだろう。

 事実、未だ打ち震える女性は一見して致命傷は追っていないようだが、常人が微笑でも内包する魔力のその一切が感じられない。


「――ヴァンのことだが」


 これまで姿勢を崩さなかったアルフレッドが腕組みを解いてはじめてクロを正視する。


「国宝が悪魔に関するものと聞いてヴァンが同行を願い出てくれた。ちょうど踏み込むタイミングだったのだ。念のためお前さんを呼んだわけだが、その前に露見してこの様だ。今奴が犯人を追いかけている」

「――っ、それを先に言え!」


 言うと同時に、クロは部屋を飛び出した。


 魔剣は人間の魔力も吸い取るが、特に悪魔への殺傷能力が著しく高い。一方で街には膨大な魔力を内包した、悪魔の血が流れる彼女・・がいる。偶然がどこまで必然に変わるかは別として、どう贔屓目に見ても巡り合わせは最悪だ。


 階段を駆け下りながらクロは魔導書へと手を掛け、焦慮のあまり、時間が惜しいとジュニアの略式召喚が頭を過ぎる。


「ダメだ、焦って召喚しても何の意味もない!」


 リアを常時召喚状態にしているクロは、魔法陣による繋がりでおおよそリアのいる方角と距離を測り知ることができる。

 それはジュニアが大いに翼を振るってくれても秒単位で到達できる範囲ではなかった。


『異界に存在せし魔竜よ。今汝らの世界へと通ずる扉を叩かん――』


 内心の焦慮と実際の詠唱に乖離があるが、それでもなんとか噛み合わせるようクロは努める。


『黒き扉は黒竜族の住処へと通じる者の扉か。黒き翼は飛翔能う者の証、リンド

ブルムの一族よ。其処もとの仔を借受ける――』


 口からの言葉が上滑りしそうになるのを理性で押さえつけた。


『……来たれ! ジュニア・リンドブルム!』


 家屋の前、クロの眼前に暗紅色の魔法陣が現れる。ゴアなどよりもふた回りは大きい円陣から黒い煙があがり、そこからは黄色の眼光が瞬いた。


「ぎゅぅぅいっ!」


 竜の仔とはいえ翼は立派なものだ。ひとひとりを優に運び得るそれをジュニアは鷹揚に広げる。


「ジュニア、頼む!」


 短く請い、クロは竜の首にベルトを回した。背中に飛び乗り、髀肉で胴体を挟み込む。


「無事でいてくれよ、リア!」


 ジュニアが羽ばたくと、足が地面から離れた。

 次の瞬間、風とともに一気に上空へと飛びあがった。

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