才能ある仮弟子
サンクトラークの晩を思い起こし、クロは足早に帰宅した。
「リア!」
玄関扉を勢いよく開け、見慣れた簡素な玄関と地続きのリビングを視界に収める。気づけば肩が上下するほどの息遣いをしていて、吐息が溶け込むほどに空間は森閑としていた。
室内からはあるべき熱量が奪われたよう。クロは思わず身震いをする。
「あ、おかえりマスター!」
太陽のような声が聞こえ、クロは顔をあげた。
そこにあったのはエディスの姿だ。二階へと続く階段上、一階天井から下を覗き込むようにしている。声の主がクロだと判断してか軽快なステップでリビングへと下りてきた。
「あ、うん……ただいま。二階にいたのか?」
「うん! どうしたの? 寒いのに汗かいて。しかも大きな声まで」
「ううん、なんでもない。――雨だよ、雨」
額を拭うと汗がべたりと張り付く。誤魔化してみたがエディスは首を傾げるのみだった。
「ところでリアは?」
「買い物ー。それよりも、ね、ね、ちょっと来て、マスター!」
早く早くという様子でクロの手を取るエディス。力強く引かれるままに二階へと足を運ぶ。階段を上ってすぐが、エディスにあてがった部屋だ。
「なにを、やっているんだ?」
「見ての通りだよ? 召喚術の練習っ!」
クロはあえて確認の弁を口にしたくなり、エディスは座りながら心外だと言わんばかりに床を叩いた。
床にあったのは魔法陣。木板に、白い文字で描かれている。まだ途中だったのか、白墨を手に取り続きを描くエディス。彼女の見た目と相まって、傍から見れば子供が落書きに励んでいるようにしか見えない。
――それはともかくとして。
「もしかして、何も見ないで書いているのか?」
「ん? うん、覚えたから」
「覚えたって――」
夢中で書きかけの魔法陣と睨めっこしながらエディスはなんてことのないように答える。
一方でクロが驚きに目を剥いたのも無理からぬこと。確かにクロは、グレムリンを異界へと還す逆召喚のときに、戯れにエディスへ再召喚の術式を教えて伝えたはいた。といっても一度書いて見せただけのうえ、模写もさせていない。クロの部屋から書物を引っ張り出してきたならともかく、彼女が現時点そら《・・》で書いていることは間違いなく驚くべきことだった。
円陣は、外円と中の六芒星こそ一見シンプルなものの、細部には古代からの文字が連綿と記されている。見る人が見なければせいぜいミミズが踊っているような形状を、エディスは迷う素振りもなく書き続けていた。
血筋か、才能か。
クロも召喚術師の家系だが、覚えることは必ずしも得意ではなく、特に文字を覚えさせられることに関しては苦労したほうだ。エディスの親が召喚術師だったことを勘案すると――子供らしい振る舞いで隠れてしまっているものの――彼女は確かに才媛なのだとあらためて思い知らされる。
『本当に弟子にしてもいいんじゃないかしら?』
アデレードの言葉を思い出し、クロは首を横に振るとも縦にふるともせず、とりあえず肩からのため息を吐いた。ゆっくりと腰をおろし、脇にあった朱色のチョークへと手を伸ばす。
「……ここの言葉は、こう結んだほうがいいな。発動の時間を明確にすることで、異界への逆召喚も省けるし不必要に魔力の消費をしなくて済む」
かつかつと答案を直す教師のように書き加えると、エディスがぱぁっとした笑顔を浮かべる。
「召喚術を教えてくれるの、マスターっ⁈」
「――教えない。でも、まぁこれくらいなら……よしっと。ほら、完成。召喚してみたらいい。詠唱のメモかなんかいるか?」
「ううん、いらない」
一瞬躊躇いを自覚し舌の動きが鈍る。次いでまたも彼女の記憶力に舌を巻きながら、クロは魔法陣から距離を取った。
エディスが祈りを捧げるように手を絡め瞑目する。本来召喚に必要な行為でもないが、本人が詠唱しやすいなら止めるほどのことでもない。
エディスは小さく呟くように詠唱する。やがて白とピンクで彩られた魔法陣に光の帯が揺蕩い、程なくして淡い赤みへと変化していく。
そして――、
『いでよ! グレちゃん!』
「ぐれちゃんっ⁈」
エディスがぱっと両手を掲げ、一方クロの両肩は不随意に跳ねあがった。
いくらか召喚術師と交流のあるクロの記憶に、被召喚者を「ちゃん」づけした者はひとりとしていない。ましてや、呼び出しに成功した例も。
常軌を逸した召喚に「失敗か……」と思った矢先、魔法陣が「ぽんっ」と軽やかな音と煙を立てる。晴れると、そこには緑色の体毛をしたグレムリンが顕現している。遠吠えのような仕草で甲高い鳴き声をひとつあげた。
「どう?」
両手を腰に当て、得意げにするエディス。彼女がグレムリンへと手を伸ばすと、するするとエディスを這い上がり、収まりがいいのか変わらずの頭上へと腰を落ち着けた。
召喚術は、確かに契約だ。ある程度決まりはあるわけで、誰もが常道から外れないようにしている。
ただ、エディスの才能は細かな約定など歯牙にもかけないようだ。主人になる前からグレムリンと親睦を深められるあたり、彼女の召喚術師としての才覚が伺えるというもの。
クロは口の端が自然と持ち上がるのを自覚しながら、困り顔も浮かべた。
「それにしても、リア遅いな」
そんなクロの杞憂に呼応したわけでもなしに玄関扉を叩く音が響く。
弟子ぶって迎えようとするエディスを制し、クロは階段へと向かった。
思考と相まってリアの顔が浮かぶが、すぐに否定した。彼女が帰ってくるのに扉を叩いたりする必要はないし、なんだったら勢いよく開け放つぐらいがむしろリアらしい。
城で会ったヴァンも、おそらく違う。先ほど会ったばかりだからということではなく、そもそもヴァンはノックをする前に図々しく入ってくるのだ。
来客。妙に忙しなく、少々乱暴とも思えるほどに扉は叩き続けられている。不躾というよりは、明確にこの家の主人に要件がある、そんな様子だ。
「どちら様で」とクロが階段から声を掛けると、「城の者です」とだけの返事に眉を顰めた。一応の警戒を怠らずに扉を開けると、そこには騎士らしい人物が立っており、ただクロの知らない顔つきだった。クロほどに若い男は敬礼すると早口で要件を告げる。
「突然の訪問失礼致します。ヴァンフリート様からの緊急の要件です。ご出立の準備を」
クロは首を傾げたが、わずかな逡巡の結果、拒否することなくただ頷くことにする。
ヴァンはクロには軽佻浮薄な態度だが、騎士としての位は低くないうえ部下からも慕われている。にも関わらずふらりと街中に現れてはクロの邸宅を訪問するものだから、ときに民衆をぎょっとさせたりするが、とにもかくにも用があれば自分で赴くのが彼の性分だ。
それが、今は部下らしき人物を送ってきている。それだけ彼が来られない状態にあり、かつクロの力を必要とする事案だということは明白だ。
まだわずかばかり湿ったローブを手に取り袖を通しながら、目端では不安そうにしているエディスが見えた。
あえて微笑を取り繕ってみる
「ちょっと行ってくる。――ただ、面倒にならないといいけど」
後半は呟き程度にとどめ、魔導書とアデレードからお守り《・・・》として託されたものを手にする。
準備が整うと、騎士はクロを先導するように歩き始めた。
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