あの夜のこと


 先日のサンクトラークでのアデレード邸。

 彼女との夜はもう少し続いていた――。


「さぁ、興が乗ってきたわ。お待ちかね、アデレードの館へようこそぉ!」


 クロは、アデレードにも伝わるようにわざとらしく息を吐いた。クロのなかで彼女の才色兼備が音を立てて崩れるが、これが初見というわけでもないのでひび割れ程度の被害で済んでいる。


「さぁさぁお立ち合い。ここにあなたの運勢を一手に引き受けたタロットがございますぅ」


 お立ち合いって……。


「あんまり騒ぎすぎるとリアが起きるぞ? 今日の酒、そんなに強かったか?」


 クロは手元のグラスを飲むともなしに弄ぶ。最初の一杯さえ乾いておらず、一方のアデレードは二瓶を空にしていた。常人からすれば酔って当たり前の量だが、一体どこに収められているのだろうと訝るほどに普段の彼女はザルだ。


 ちらりとリアのほうを見るが、変化はない。ソファの背もたれ越しに彼女の肩が緩やかに上下するのを見て、クロはほっと胸を撫でおろす。


「酒は量に酔うんじゃないわ。杯を交わす相手に酔うのよ。私がこんな姿を見せるのはクロ、あ・な・た・だ・けっ!」

「はいはい」

「何よその素っ気ない返事はー! 占ってあげないぞー!」


 綺麗な八重歯を覗かせながら噛みつくように振る舞うアデレード。クロとしては悪魔よりも酔狂な人間を相手にするほうが経験に乏しく、対処方法が不明だ。


 彼女はテーブルの皿やグラスを乱暴に脇へと寄せると、仰々しい装飾の箱からひと束のタロットを取り出し千鳥手で切り始めた。


 アデレードの占いはそれなりに――どころか、本来はかなり頼りになる。

 彼女の占いは精霊の導きと魔力が付加されることによりフィフティフィフティの確率をはるかに凌ぐし、クロの探し求めるものの所在を占ってくれるだけでも十分な手がかりとなった。


 ――ふと、カードを繰る手がぴたりと止まる。見るとアデレードが俯いていた。


「最近はこっちの仕事ばかりなのよ。私にだって、酔いたいときぐらいあるわ」


 蝋燭の火が消えたようなアデレードの表情。気のせいでなければ肩が震えている。


「あ、アデレード?」

「――ぷっ! 引っ掛かった引っ掛かったーっ! クロはこうでもしてくれないと私のことなんて気にも掛けてくれないんだものー!」

「……一瞬ゴアでも召喚してやろうかと思った」

「嫌よあんな仏頂面。相手に飲んだって面白くないでしょー。お酒が不味くなるわー」

「面も何もあの中身を見たことなんてないだろ」


 いじられるゴアへ内心で手を合わせながら、クロもあの全身鎧の中身が気になる。顔を拝した記憶はないが、リアのような存在はかなり珍しい分類とはいえ、人間の姿自体はリアの専売特許というわけではない。

 他にもあえて人に近い容姿を取る悪魔も存在するのだ。


 理由のひとつは人間に近づくのに都合がいいから。必ずしも歓迎されたものとはいえないものの、ある程度高位にならないと不可能な芸当であることも事実だ。


 ゴアの姿をあれこれ想像していると、いつの間にかカードはテーブルの上に並べられており、アデレードは片手で指を鳴らしながらペロリと唇を舐めた。


「何について占いたい?」

「じゃあ行方不明の魔導原書ゴエティエの行方を――」

「わかったわ、リアのことね」

「聞いてねぇし聞けよ。ってかそれってただの恋占いだろうが」

「お? お? 誰も恋占いなんて言ってないわよ? 私はただ、リアのこととしか言っていないもの」

「酔っ払いホントめんどくせぇー」


 アデレードは意に介さないように「んふふ」と笑いを漏らしながら、手元のカードを左回りに混ぜ始める。 


 がさがさと回し続け、流れる手つきで三つの山へ――最後に一つにまとめる。


「細かい手順は、まぁいいっか。二枚でカタをつけるわよぉ」


 的中率のあまり、再会のたびに占いを願い出るクロだが、この様子では期待はできなさそうだ。手順もざっくりとしたもので、今回だけは半信半疑に止めようと誓う。


 アデレードはカードを二枚選ぶと、裏返しのまま上下の向きだけははっきりさせ、クロの前に突き出した。


「さて。これには若人わこうどたちの運命が描かれているわけだ」

「とうとう自分で言っちゃったよ、このひと」

「何言ってるの? クロに対するリアのことを占うのは、私にも関わる重大事項よ。その意味では結果が芳しくないことを祈るだけね」


 榛色の瞳――視点の定まらなかったアデレードの両目がピタリとクロを正眼する。占いの結果以前に何かを見抜かれたような心地になりクロは思わず視線を逸らした。


「そんな急にシラフみたいな目で見られても――」

「酔いたい時を選べるのが、大人の飲み方ってものなのよ」


 明後日の方向を見ながら手で促すと、アデレードは相も変わらず「んふふ」という微笑みを浮かべた。かと思えば今度も目つきだけは険しいものする。緩やかな手つきで二枚のカードに触れ、捲るためにカードの端へと指をかけた。


 いくら酔っているとはいえ、そこは召喚術師として一角ひとかどの人物だ。いざというときは酒などには惑わされず、平静を保っては然るべき成果を齎すように――、


「そおぉれいっ!」


 ――やっぱり勘違いだったらしい。

 アデレードはとことん楽しげな声を上げながらカードを裏返す。クロとしてもそんな彼女に苦笑を漏らし、次いで移り変わった彼女の表情に眉根を寄せた。


「……どうした?」


 真面目な顔に愁眉が浮かぶ。アデレードの目元の泣きぼくろが妙に気になった。息を呑む姿につられてクロも視線を落とす。二枚のカードをまじまじと眺めた。


「――こっちのカードはよくわからないけど、こっちは明らかに良くなさそうだな」

「いいえ。カードに良いも悪いもないわ。でも……」

「とりあえずこっちは、男か? 逆さ吊りになっている」


 右手のカードに触れる。一瞬逆さまとも思われたタロットは、クロから見ての正位置であったようで、それを下半分に書かれた文字が教えてくれた。

 記されていたのは『吊られた男』――木の枝に足を固定されたような男の姿だった。


「これ正直解釈が難しいのよね。自己犠牲の意味があって、何かを得る代わりに何かを失う、なんて意味があるわ。試練とか、決断のとき、っていう意味もあるの」

「……それはあまり良くなさそうだ」

「必ずしも悪いって意味ではないけど、苦労が伴うし、場合によっては望むものをあえて望まないことで手に入れる、っていう側面もあるわ」

「わかりづらい」


 クロは場の空気を和ませようと率直な意見を口にしてみたが、アデレードの口の端はピクリともしなかった。それよりも彼女の視線はもうひとつのカードへと注がれている。


「こっちは? 骸骨が描かれているから、想像はつくけど」 

「正位置の『死神』――といっても直接的な死を意味しているわけじゃないわ。そういう意味もないこともないのだけれど……あぁ、何を言っているのかしら。そういうことじゃなくて、とにかくいろいろな意味があるのよ」


 占った当人が解釈に迷うようで、だからこそ困惑ぶりに潜む不穏当さをありありと感じてしまう。


「とりあえずお守り……あれ、用意しなきゃ。どこだっけ、持って行って」

「ちょっと待てって。これって、どういう意味――」

「きゃっ!」


 慌てて席を立ったアデレードが、酔ったように足を取られて豪快にすっ転ぶ。顔をぶつけたのか「いてて」と擦った表情からはすでに酒精の赤みが引いていた。

 普段見られない動揺っぷりはむしろクロのほうを冷静にさせる。華麗なドレスをだらしなく肌蹴る珍しいアデレードが見れた、などとどうでもいい感想までもが漏れた。


 自身を落ち着けようと、アデレードがそのままの姿勢で長く息を吸い、吐いた。


「死神のカードが表すのは、変化と……あとは別れよ」


 クロは顎に手を当てながら、「酔ったままのほうがよかったな」と呟いた。

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