巷の事件

 クロは国王への謁見を終え、王城を後にしようとしていた。


 いくらか晴れ間を見せた空模様だが、その分の時間経過は著しく昼時分をとうに過ぎている。アストリアの召喚術師は、いくらかの制約で縛られる代わりに特権も与えられている。簡単にいえば優遇措置で、国王への謁見もそのうちのひとつだが、常にそれが一番に叶うとは限らない。

 特に昨今は西の国との情勢が不安定だ。こと軍事力に関してはアストリアが巻き返しを図らなければならない国政であり、どうしても他に優先される。


「はぁ……」


 クロはとある不満をため息に代えた。クロとて国家トップへの謁見が軽いものではないことぐらい承知している。むしろ朝一から数えて正午を大幅に過ぎても、まだ幸いと言えるのかもしれない。

 とはいえそれは理性からの慰めでしかない。空になった腹の虫のほうは、問答無用で不平を告げてきた。


「腹、減った……」

「よう、クロ。戻ったんだってな」


 クロの背後から軽々しい声が掛けられる。人付き合いがマメではないクロにとって知り合いは多くないが、こんな場所で挨拶してくる奴はひとりしかいないとすぐにわかる。


 アストリア国の第三騎士団長、ヴァンことヴァンフリートだった。


 クロはたっぷりと騎士団長殿を睨めつけると、かつかつと足音を立てて近づき、そのままヴァンの顔へと無言の拳を突き出した。


「――っと。おいおい、いきなりご挨拶じゃないか」


 ヴァンの白銀の鎧はかなりの重量のはずだが、その割に軽やかに躱される。


「お前のせいで散々苦労させられたんだ。拳のひとつで済むならありがたいと思

え。お釣りが来るぐらいだと思ってな」

「俺の気持ちだ、釣り銭は大事に取っておいてくれ。それに、美女たち・・に会えたんだろう? むしろお礼を言われてもいいぐらいだ」

「ふん。やっぱり俺の動きはお見通しってわけか」


 美女たちということは、依頼元のアデレードはもとい、エディスがクロの家に身を寄せていることも筒抜けなのだろう。


「あぁ、そうだ。年端もいかない少女を連れ回しているって報告が入っている」

「そういうのは報告じゃなくってゴシップっていうんだよ。騎士団の情報網を無駄遣いするな。他人の生活を覗き見る暇があるなら仕事しろ、仕事」

「騎士団が戦いに出向かず暇なのはいいことだろう。そうは思わないか?」

「……ふん」

「ところで――」

「断る!」


 食い気味のクロの返事に、ヴァンが目を丸くした。


「……まだ何も言ってないだろ」

「お前が口を開くと俺が碌な目に遭わないからな。機先を制するのは兵法の基本だ」


 クロは鼻を鳴らしながら背を向ける。やれやれとため息まじりが聞こえるが、それすらも無視する。やがて取り付く島もないと悟ったのか、ヴァンが「少し待っててくれ」と告げてどこかへと行ってしまった。

 さっさと帰ってもよいが、さすがに一国の騎士団長を無下にするのもどうかと思い、靴の裏で地面を叩き続けながらしばし待った。


 やがて戻ってきたヴァンの手には包み紙と、短いボトルが下げられていた。


「昼飯、まだなんだろ?」

「……それまでもお見通しってわけか。どうして俺はこう、わかりやすい性格をしているんだろうな」


 アデレードとのやり取りを思い出しながら包みを奪う。中身は、サンドイッチだった。


「食べている間ぐらいは話を聞いてくれないか?」

「――言っておくが俺は早食いだぞ」


 クロはばくりとかぶりつきながら、聞く姿勢を示す。

 頬張ったのはライ麦パン。間にはレタスにトマト、甘辛く焼かれたチキンに、酸味の効いたソースもかかっていた。具材としてはオーソドックスなものだがしっかりしていて豪奢だ。意固地に早食いとは言ってはみたものの、国王御用達の調理なら少しでも味わいたいところでもあった。


「いくつか忠告したいことがあるんだが……そうだな。まずは西との情勢だ」


 クロの口がピタリと止まる。様々に一考してはゆっくりと咀嚼を再開させ、飲み込んだ。


「その様子だと、何か聞いているみたいだな」

「聞いているも何も、俺がわかるのは良いか悪いかぐらいだ」

「なら話が早い。はっきり言って悪いんだ」

「悔しいが、確かにヴァンが暇なほうがマシだったな」

「俺はまだいいさ。それよりもクロ、お前のほうだ。準備だけはしておいてくれよ?」

「ちなみに……あひらはんも、そのひゅんびにいほがひいのは?」


 クロは行儀が悪いのを承知で、パンを頬張りながら目と顎で話の向け先を示す。

 その先には小隊規模の兵士たちが騎士からの指令を受けており、ヴァンが顔を向けたときは街へと散開する間際だった。


「あれは違う。――いや、正確には俺たちと同じ部隊ではあるが、今は別の指令を受けていてな。…………なんでも、国庫に保管さえていた国宝が行方不明になっているらしい。国の名誉に関わることだから詳しくは必要最低限の者にしか知らされていないが、どうやらその調査に出ようとしているみたいだ」


 ヴァンは一度口ごもったが、クロだからか話しても問題ないと判断したよう。


「国宝ね……」


 言っては、またも食事に齧り付くクロ。

 国庫から盗みを働くのは大罪で、捕まった際の量刑などは想像したくもない。ただクロは犯人の捕縛後の処遇よりも、警備が厳重な国庫から物を盗み出すその手腕のほうが気になった。


 ちょうどそのとき、指令を発したばかりの先ほどの騎士が、数人の部下を連れてクロたちの前を横切る。黒髪短髪に、黒い口ひげを蓄えた屈強そうな男。クロからして、調査よりは戦闘に向いていそうな風格の騎士団長だ。


 一瞬、眼前を通り過ぎようとする男と目が合う。クロのほうは何気なく向けた視線でしかなかったが、相手はわずか鼻に皺を寄せながら侮蔑の色を混ぜてきた。それが城外とはいえ王城前でむしゃむしゃと飯を食らっているものに対する不快感なのか、それともクロのことを知る故の視線なのか、通り過ぎた後もクロには判断がつかなかった。


「なんか嫌な感じ」


 慣れたもので、言葉ほどの不快感は滲ませずに漏らす。


「ま、何が盗まれたかぐらいは後でこっそり聞いておくか」

「――ごくん。ごちそうさん。またな」


 クロは最後の一口を飲み込み、紙をまるめてヴァンに突き返す。


「あ、まだ話の途中だぞ」

「飯食い終わるまでって言っただろ。またな」

「せめて水で喉を潤していったらどうだ? それに大事な話なんだよ。リア殿にも関わる」


 クロは離れかけの体をピタリと止める。ぎしっと骨の軋む音が聞こえたような気がした。


「……ならそっちを先に話せよ」

「いや、結局どちらもリア殿と関係があるから、どっちから話しても同じだったさ」

「……ほら、早く。俺はこう見えても忙しいんだ」


 半身だけヴァンに向け、クロはボトルを受け取り口をつける。


「サンクトラークから帰ってきたばかりでまだ聞いてないかもしれないが、ここ数日、巷で不可解な傷害事件が増えている。その傾向が少し妙というか――いや悪い、結論を先に話すか。被害者は女性ばかりなんだ」

「……物盗りの線は?」

「わからない。金銭などには目もくれないからな。目撃情報からして犯人は男みたいだが、異様に身のこなしが軽いらしく、手を焼いている。人員を割いて調査に当たっているが捕まえることはおろか犯人の特定もできていない状況だ」

「それとリアに何の関係が?」

「同じ女性だろう? おまけに見目麗しい」

「馬鹿! そんな風にかこつけてまで俺を呼び止めるなよ」

「確かにその意見はもっともか。リア殿は泉のほとりに咲く花のように可憐で美しいが、彼女の強さは俺も知るところだからな。心配はないだろ――っと」


 クロはボトルをヴァンの顔へと突き返す。意図的にヴァンの言葉を掣肘した形だ。


「いや……それはわかってる」

「ま、まぁ、実際に心配なのはリア殿ではなく、エディス、と言ったかな? 彼女の身の回りのほうを警戒してあげるべきだろう」

「……わかってるって言ってるだろ!」


 クロの突然の激昂に、ヴァンが目を丸くする。言った方も驚いたように、クロは咳払いをして取り繕った。


「……悪い。忠告ありがとな。じゃ、俺は行くから」


 クロの豹変ぶりにはさして気にした様子も見せず、ヴァンは肩を竦める。クロは半ば顔を背けるように家路へ足を向けながらひらりと手を振った。


『わかってる』


 歩きながら、クロは反芻する。


「……お前は、なんもわかってねぇよ」


 呟きながら、クロは数日前の夜のことを思い出していた。

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