ロード・イフリート

 背筋に、冷たいものが走る。この光芒 はエディスの頭上にいる悪魔に反応しているものではない。

 クロは首を巡らせる。周囲は人が連れた機械人形オートマタだらけだ。もしグレムリンがまだ街に残っていたとすると、人の多い広場で暴走をする危険がある。


 すると、壇上からの怒号が届いた。


「何してんだっ! 段取りが違うだろうっ!」


 魔人型ゴーレム機械兵器オートマタが、胸の前に抱いていた車両を頭上に持ち上げていた。

 それだけならパフォーマンスの一環と思われたが、進行を務める人間からの叫喚と相まってそれは最悪のシナリオに直結していると誰もが直感する。


 ――ゴーレムが車両を投げようとしている?


 誰ともなしに悲鳴があがると、堰を切ったように人が後方へとなだれ込む。椅子に足をとられる者や転がって強かに顔を打つものなど様々ながら、いつ背後から車両が投げつけられるかという恐怖と比べれば、気にも止めていられないとばかりの狂騒だ。


 クロも魔導書レメトゲンへと手を伸ばす。思考の海にいくつかの候補が浮かびあがり、何者を喚び寄せるかを刹那に思案していた。


 ――壇上に目を向け、おそらくあの白衣の男がゴーレムへお指示を出している事態の元凶と考えられる。一瞬グレムリンがゴーレムを故障たらしめたことも考えたが、白衣の技師の瞳が血走るほどに爛熟しているのを見てそんな考えは否定した。


 白衣の男は、不敵な笑みを浮かべながら周りが絡めとろうとするその手を、人間離れした身のこなしでかいくぐっていく。あれを取り押さえなければ元を断つことはできない。ただ、車両を投げる寸前のゴーレムに対して、何の手も打たずにいてもいいものか――。


 その間わずか一秒ほど。

 おそらくクロが魔導書を手に取るより早く、そんな逡巡さえも惜しいとわずかに離れた人波が紫に光り、クロは自身ではない詠唱を聞いた。


『貴殿の名を示せ。ロード・イフリート!』


 アデレードの頭上に、赤紫の魔法陣が展開する。地面と垂直に現れたそれはゴーレムに向けられた銃口にも似ていた。

 そこから茶褐色の巨影が弾丸のごとき飛び出すと、紫の焔を纏いながらゴーレムへと突撃した。


 勢いに負け、突進されたゴーレムの手からは車両がこぼれ落ちた。

 逃げ惑う民衆が落下の音を聞きつけ、一瞬だけ歓声があがる。


 クロは、久方ぶりの彼女の被召喚者へ目を見張った。


 イフリート族――ロード・イフリート。

 天使や悪魔とは一線を画し、異界では珍しく一族としての集落を形成する種族。係累を辿れば悪魔由来とも言われる彼らだが、定説はない。

 便宜上聖獣と分類されているが、獣と呼ぶには男型か女型かで大きく異なる。


 アデレードが召喚したのはロードの名を冠する男型だった。牡鹿のような下半身を有し、上半身は屈強な人間のような筋肉の隆盛を見せ、頭部には羊に似た丸い角が二本備わっている。


 ちなみにこの場にいない女型は限りなく人に近い姿をしている。同じく額の一角のみが異界の存在らしい格好を誇示しており、クロも一度ならず美しい尊顔を拝したことがあった。


 武の男型。魔の女型。


 共通しては、赤い焔を纏うこと。アデレードは男女一対と契約をしていた。その意味でアデレードがゴーレムを押さえつけるために男型のイフリート族を呼び寄せたのはベターな選択とも言える。


 ただしー、


「クロ、あっちの悪魔憑きのほうをお願い! こいつは、私たちで止めるからっ……!」


 アデレードは人馬一体の姿勢で魔力をイフリートへと傾けていた。イフリート族は、その強さからして魔力の消費が激しい。


 クロが特殊なため比べられないが、それでも一国の召喚術師に相応しい魔力を有しているアデレードでさえ、イフリートの召喚を維持し続けることは並大抵のことではない。

 本来は一撃粉砕を主とする使役方法に、ゴーレムを抑え込むためロードの膂力が必要だったとはいえ、だ。アデレードの優美さは一分も損なわれることはないものの、その顔貌には苦悶と大量の汗が張り付いていた。

 おまけに、イフリート族はゴーレムと比肩してしまうと一回りは小さい。車両を取り落として動きが止まってくれればいいものを、白衣の男が新たな命令を下したのかロードと取っ組み合いの体を成している。


 悠長に考えている暇もなく、クロはゴアを召喚すべく詠唱した。クロの魔導書が光芒に煌めく中、内の魔力を増大させたリアがその手に魔槍マイムールを携え飛び上がる。


 その槍先は、白衣の男の手に収まる機械を貫こうとして――、


 がきぃぃんっ! 


 槍先と機械。その二つの間を、別の何かが遮った。


「ゴアっ⁈」


 それは、もうひとりのゴアの姿だった――。

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