いずれ来るそのとき
「ところで……あなたたちってどこまでいったのかしら?」
「ど、ど、ど、どこまでって⁈」
「随分な慌てぶりね。ま、進展がないのは聞いていたからわかってはいたけど」
くすりと微笑むアデレードは実に嬉しそうだ。そんな口ぶりからして、おそらくリアにも同じようなことを聞いたのだろう。
――それよりも。
「そんなことを聞くために俺にワインを買いに行かせたのかよ……」
「そんな大切なことを聞きたくてあなたにワインを買いに行ってもらったのよ」
「わたしにとっては朗報だったわ」という呟きは吐息のような酒精に混ぜられ、クロの思考に溶け込む前に泡と消えた。それよりも、一体リアはどんなことを言ったのだろうかと、そんなことが気になり首筋を撫でる。
「料理のときは――」
慣れない酒のせいで、クロは聞くまいとしていた疑問が図らずもすべり出てしまう。それでも理性がすんでのところで制止にかかり、酔ったふりをして言葉を切った。
そんなことはアデレードにはお見通しのようで、彼女は短く笑みを浮かべると長い脚を組み替える。ゆらゆらと揺れる頼りない蝋燭の灯りに、スリットから覗く彼女の肌が艶やかに照らされ、今度のクロは実際にも息を呑んだ。
「……別に、大した話じゃないわよ。『クロとは最近どう?』って聞いただけ」
「それで、リアはなんて?」
「なんの進展もないって嘆いていたわ。積極的にアプローチしてもすげなく躱されるし、好きと言っても困ったような表情をされるだけ。結局、相手を想っているのはこっちだけなのかなって、そんなことを包丁で皮を剥きながらぼやいていたわ」
何かに集中しているとつい本音が出る。普段に似合わず素直に応えるリアは、意外と想像に難くなかった。――いや。リアはもともと隠し事をするタイプではないし、クロにも、そしてアデレードにさえいつも真っ直ぐだ。
「本当に何もなさそうで、からかいがいもないわ。むしろリアに同情したくなるもの。なんだか可哀想」
「――仲が良いのか悪いのわからない関係だな、二人は」
「仲の良し悪しでしか人間関係を仕切れないなら、たぶん世の中には敵か味方かしかいなくなるわね。それに関係性で言うならあなたたち二人のほうよ。今更だけどどういう関係と、わたしは思っていればいいのかしら?」
「……召喚術師と被召喚者」
それは、リアとの関係をもっとも端的に表す言葉で、事実だ。
クロとリアは、契約で結ばれている。契約といえば、人間なら主として金銭のやり取りが発生するわけだが、悪魔との関係ではそれは魔力に当たる。
エディスなどかして普段の二人は到底そんな関係に見えないだろうが、二人は連綿と続く過去からの盟約と現在の魔法陣という名の契約に縛られた関係性であり、その間には明確な魔力のやり取りが行われている。
魔力を渡す対価に、被召喚者に一定の働きを求めるのが召喚術師という存在だ。特に魔導原書(ゴエティエ)に記された悪魔はそれぞれに特殊な力を持っており、人間に力を貸してくれる。
『ゴア』などはその中の大公爵『エリゴス』の配下に過ぎないが、それでも主君の権能によって、『誰と戦うべきかを悟らせてくれる』という少々変わった能力を持ち合わせている。彼の巨躯とそこから繰り出される剣舞は強力だが、それは軍団長たる彼自身の努力の賜物であって、本来の悪魔としての能力からすればおまけ程度に分類されるものだ。
だからこそ、クロがリアに何も求めていないことは、他人からみればひどく不自然な関係ともいえるだろう。誰彼に色眼鏡で見られれば、見目麗しい女性をはべらされているだけと誤認されてもおかしくないほどに。
「あっきれた。そんなこと言っているから今日の料理みたいなことになるのよ。見習い時代からの付き合いだけど、そんなところは相変わらずクールというか、朴念仁というか」
「お褒めに預かり光栄です」
「あのね、褒めてないからね? 全然褒めてないからね? ――まったく、ここまで来ると重症だわ。やっぱりリアに同情しちゃう」
アデレードが、残りのワインを一気に煽る。手持ち無沙汰になったのか、キッチンへ行くと隠しもせずにワインを一本下げて戻ってきた。「やっぱりあったのかよ」と鼻から息が抜ける思いながら、かろうじて言葉には出さなかった。
「――そういえば、吸ってないのな」
話題の向き先を変えたくて、クロが口元で指を束ねた。アデレードはグラスに黄金色の液体を注ぎながら「あぁ」と得心した笑みを見せる。
「だって、クロが嫌そうな顔してたんだもの」
「それもバレてたのか。気にすることないのに」
「んふふ、お見通しよ。さすがにこれだけ近いとね、我慢ぐらいするわ。――どう? こんないい女、なかなか優良物件だと思わない?」
ぐるりと首を回すクロ。
「たしかに良い家――すみません」
前のめりなったアデレートからペシリと頬を叩かれる。薄く開いた瞳は据わっていた
「まったく、こんな男に惚れるなんて、苦労する女ばかりね」
クロとリアは魔法陣という絆でつながっているが、その契約はかなり特殊な部類だ。クロがリアに魔力を渡すのは、何もリアの働きや奉仕に対する対価ではない。
クロが一方通行でリアへと魔力を渡し続けている。
過去に悪魔王の召喚の贄にされそうになったクロは、異常な形で異界と繋がり尋常ならざる魔力が体内には溢れている。強力な魔力であることは事実だが、それが許容量を超えた時にクロ自身を滅ぼす呪いにさえ似ていた。
リアの魔法音痴は、何も彼女のせいだけではない。大王アスモデウスの血脈に当たる彼女の魔力保有量は桁違いだ。一方でほぼ人間の肉体である彼女が、一定量以上の魔力を操ることは容易ではなく、許容量と一度に行使可能な魔力量が乖離しているという不幸な宿命を彼女は背負っている。
それでも、リアに害が無いのは彼女の血が成せる技で、リアはクロからの一方的な魔力の供給を受け続け結果としてクロを守っていた。
――ふと。そういえば村での一悶着のせいでご無沙汰(・・・・)になってしまっていたことを思い出す。アストリアに戻ったら近々取り込んでもらう必要があるだろうなとクロは思う。
魔力を、召喚術師(クロ)から被召喚者(リア)へ。それは過去からの盟約により一方通行で許容されており、不可逆だ。仮にその魔力をリアからクロへと還すとき、リアは盟約に従って自動的に逆召喚されてしまう。すなわち、異界へ。
『ただ、そばにいてほしい』
偶然に偶然が重なった出会いと、一年前に死にかけた自分の悄然とした言葉。
そう、それだけの関係のはず。
――本当に、それだけなのだろうか――?
「長考は、終わりかしら? ――それにしても、西国のほうは、だいぶ慌ただしくなっているみたいね」
クロが考えに身を沈めている間、ワインを進めていたアデレードがそんな話題を振ってくる。その内容事態が一見ちぐはぐに見えて、クロが最も危惧するところを的確に突いてくるようでもあった。やっぱり、敵わないなとクロは弱々しく笑みを浮かべる。
「リアが言っていたのか?」
「わたしだって風聞にぐらいは耳を傾けるのよ。ただ、リアがそれを気にしていたのも事実みたいね」
「だから、か。ただの風聞で済めば、それに越したことはないんだけどな」
「現実は――そうね、そうさせないでね、クロ」
テーブルの脇に避けられた、真っ黒焦げに成れ果てた料理を思い出す。クロはフォークを手に取り、皿を寄せては焦げた部分を器用に除こうとした。
割と中まで焦げていて苦笑。それでもマシなところを選りすぐり、口へと放り込む。
「……苦い」
アデレードが滑らかに席を立つ。寝息を立てながらその実耳だけをピクつかせるグレムリンの脇を通り、ローテーブルのほうに置かれた金平糖へと手を伸ばす。ガラスに残った数粒がカランと音を立て、戻ってきては一粒をクロの唇に触れるように押し込んできた。
「――ほら、今度は甘いでしょ?」
「失敗した料理の口直しをさせるなんてなんて残酷な追い討ち」
「――人の好意を返して⁈」
リアが寝返りながら「んぅ」と声をあげる。忘れていて、思わず苦笑を潜めた。
「リアが、前にも増して私に牙を向けてくるわけだ。……『どういうこと?』って顔しているわね。そういうところよ。――必死なのよ彼女は。全部空回りしているみたいだけど」
「……」
「クロのそばにいたい、クロの役に立ちたい、クロに褒めて欲しい」
「なんで――」
「きっかけなんてどこから湧いてくるかわからないものよ。それこそ勘違いからでもね。……ちょっと敵に塩を送り過ぎたかしら。今日はこれくらいにしておきましょ」
眠気とほろ酔いを綯い交ぜにした思考で「どういう意味?」とクロが首をかしげると、アデレードは深々とため息をこぼした。
「そういうところよ。ほんと、朴念仁なんだから……」
呆れるに呆れられないといった表情を見ながら、アデレードも金平糖を口にする。そんな四方山話とも言い切れない話題に花を咲かせ、夜はもう少しだけ更けていった。
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