可哀想な料理とリアの想い
「おかえり」
「おかえりなさい!」
「おかえり……」
ボトルを片手に下げたクロは、玄関扉を潜って三人に迎えられる。
異口同音の声は三者三様で、だからこそ一様ではないテンションをクロは訝った。
同時に。
馥郁な香りの中に潜む、ほのかでは済まないほどの苦い瘴気が鼻をつく。ひとり俯いた顔貌と相まって、クロはおおよその状況を察した。
とりあえずにローブを脱ぎ、三人が座するテーブルへ。クロスがひかれ、一見豪華だがマナーに配慮しなくていいような気楽さを、大皿に盛られた料理と小さな取り皿が物語っていた。
大皿に盛られたうち、黒々とした物体はたして料理と呼べるのだろうか――?
「――で、いったいこれはなんなんだ?」
まずは満面の笑みのエディスが出迎える。
次に、微笑を口元に、気遣わしげに眉を八の字にと、器用な表情をするアデレード。
そして最後に俯いているのが、他でもないリアだ。
そんなリアが、膝の上で握り込んだ自身の拳を見ながらポツリと呟く。
「――オムレツだったもの」
「――こっちは?」
「ポワレ――魚だったもの」
「…………」
俺は絶句する。
「違うの! こんなはずじゃなかったよ! 本当はクロを喜ばせようとわたし頑張ったんだよ! だけど――」
「『だったもの』じゃねぇよ! 悪魔みたいに真っ黒じゃねぇか⁈ ――可哀想に、完全にご臨終になってるだろっ!」
「リ、リアも頑張ったのよね? ほら! たぶん、普段と勝手が違うからで……」
言い訳がましく喚き立てるリアを、アデレードが困惑顔で慰める。普段余裕を見せるアデレードがこうも気を使っている様子は珍しく、それがむしろリアには痛々しかった。
意気消沈を象ったようにリアが、額をテーブルにぶつけて再度撃沈した。一方エディスの頭には、いつの間にやらグレムリンが前足を揃えて乗っかっている。甘い匂いに惹かれたのか頭上から短い腕を伸ばすが、エディスが嗜めるとそそくさと腕を引っ込めた。
――少し見ない間にエディスがグレムリンを手懐けたようにも見える。
「マスター、これあたしが用意したんだよ?」
エディスが差し出してきたのは、どうやらプディングだ。本来特別なときに出されるデザートで、こちらは焦げではなく料理本来の浅黒さ見せており、周りには綺麗にカットされたフルーツが盛られてコントラストが目に映える。
クロも簡単なものなら料理をするほうで、プティングはたしか下拵えの材料を一晩寝かせる料理だと記憶している。エディスに盛り付けさせたのはたまたまだろうが、あらかじめアデレードが準備する姿を想像するとなんだか心がくすぐられるような気持ちになった
「エディスも手伝ったんだな。偉いぞー」
「本当? 嬉しい! なら召喚術教えて!」
「それとこれとは話は別」
「えー」
称揚されるにかこつけてそんなことを言ってくるエディス。だからこそ良い機会だと思いクロは腹案を口にした。
「教わるならほら、料理と同じでアデレードに請うほうがいいぞ。なにせ彼女は聖獣の召喚術師だ。俺を師と仰ぐよりはよっぽどエディスのためになるさ」
「……。いやよ、こんなおばさんに」
「おば……っ」
リアを慰められていたアデレードが心外な言葉に片眉を吊り上げた。
「失礼ね! わたしはまだ二十代も……前半よっ」
珍しく声を荒げるアデレード。エディスのためにも薦める好機と悟ったが、残念ながら作戦は失敗に終わってしまった。
ふと、リアが消沈のあまり額を擦り付けていたテーブルからわずかに顔を上げ、伏し目がちなままに呟いた。
「……そうよ、アデレードさんのせいだわ」
「へっ?」
アデレードは理解が追いつかないように瞠目する。
「アデレードさんが横からやいのやいの老婆心なんか働かすから気が取られて喧嘩になって……それがなければこんな間違えにはならなかったのに!」
と、そんな濡れ衣も甚だしいことをリアが口にし始める。
「な、なんですって⁈ 言うに事欠いてあなたって人は! だいたい、もっと簡単なものにすればいいのに『せっかくだから新たな料理に挑戦して……』とかいいだしたのはどこの誰よ! 私が口を出したら『わたしはわたしの自己流で行く!』とか――」
麗しの女性たちが姦しくキッチンに立つ様は本来微笑ましい光景のはずだが、魔力を持ち合わせた二人がとっくみ合いになる寸前だったかと想像すると果たして牧歌的光景だったかははなはだ疑問が残る。
「違うもん、クロの家だったらもっとうまくいったから! っていうかアデレードさん、二十代前半だったんだ? 二十五だとしたら前半と後半のどっちに入るのかしらねぇ? あれ、図星? もしかして図星? 大きなお胸だと大変よねー。将来垂れてこないか心配だわー」
おそらく内心での料理勝負に負けたリアが腹いせにそんなことを言い募った。
「――胸。ねぇマスター。マスターはやっぱり大きいほうが好きなの?」
エディスが自身の胸に両手を当て、薄っぺらな何かを掴もうとわずかに指先を動かしている。
「だぁもう、うるさい! いい加減飯食うぞ!」
どん、と買って来たばかりのボトルをテーブルに置くクロ。話はこれで終わり、とばかりに栓抜きを手にし、コルクを抜いて音を鳴らす。
――と、すかさずリアがテーブル越しにそれを奪い取り、口をつけては一気に煽った。
「なにすんだ、リア! っていうかそんなに飲んだら……」
「……ぷはっ! いいもんいいもん! どうせわたしはアデレードさんほどの色気はないし料理でも負けるんだもの! いつ異界に帰らされるとも知れないならお酒ぐらい飲まないとやってらんないわ!」
「帰らされる?」とクロは疑問を口にしてはリアを止めようとしたが、もうすでに遅かった。こう眺めると惨憺たる料理の結果もどうやらリアの意気込みが空回りした結果のように思われてくる。
普段は大雑把な料理――よく言えば食材を生かす料理――を好むリアとは言え、ここまでの失敗は珍しいほうだ。
――と、わずかな逡巡な間にリアの体内に取り込まれたアルコールが猛威をふるったようで、みるみるうちにその頬を紅潮させていった。
「……ひっく」
胡乱げな瞳に、長く吐いた息にはかなりの酒精が混じっていた。
「それなのに他の女の人にばっかうつつを抜かして……クロの、ばかぁ」
リアはそうとだけ言って、バタンと倒れた。
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