紫焔の召喚術師
「暴走だ!」
誰ともなしの叫び声が講堂に響いた。
旅行者の間に目を走らせると、一体だけ不自然な速さで移動する人形がいた。器用に人の間を縫って移動しているというよりは、行く手の人々が慌てて道を開けている。
おまけに輪郭は人形だけではない。その手には乳母車が押されており、まるで赤子が攫われでもしたかのように泣き声が聞こえる。
「あぶない!」
クロが叫んだのは、その行く手、通路に差し掛かる手前でもうひとりの人間を確認したからだ。逃げようとした際に足を挫いたらしく、老婆が蹲っていた。
クロはとっさに
「俺の簡易召喚でもおそらく――」
間に合わない。一瞥したリアも魔槍召喚のために大腿部の円陣が光らせてはいたが、それでも無理だろう。
そうクロが絶望したときだった。
『――エクスプロージョン』
瞬間、オートマタの頭部が爆発する。
顔から黒い煙を上げた人形は、仮面を紫の火で燃やされていた。
人形はやがて足を、崩れ落ちるように膝を折る。
老婆の前で、乳母車諸共停止した。
静まりかえった空間に、赤ん坊の泣く声――。
次いであがったのは、小さな快哉だった。
「ふぅ。……危なかったわね」
通路の奥からそんな声が聞こえ、暗がりからはふわふわと紫煙が立ち昇っていた。現れたのは、広い鍔の帽子を被る華奢な女性で、今更ながらにクロには見覚えがある人物だった。
「――久しぶりだなアデレード。半年ぶりぐらいか?」
手紙の主は、どうやら迎えに来てくれていたらしい。
サンクトラーク公認の召喚術師、アデレード・リー・サラマンドルだった。
彼女はトレードマークである紫のドレスに肢体を包み、帽子からは艶やかな黒髪が流れている。目元にある泣きぼくろが印象的で、やや下がる眦と相まって柔和ながらに妖艶な魅力を帯びていた。リアとはまた別種の華麗さを纏う、そんな女性と久方ぶりの対面を果たした。
「おあいにくさま。四ヶ月と十日ぶりよ。こんないい女を放っておくなんてクロも罪な男ね」
彼女の
アデレードは老婆の手を取り抱き起こし、次いで赤ん坊を取り上げた。クロよりもわずかに年上とはいえ、あやす姿は赤子を抱くには若すぎると思わせる妙齢さだ。
慌てて近づいてきた男女にその子を返すと、お礼に何度も頭をさげられていた。
歩み寄ってきた彼女はクロへ朗らかな笑みを浮かべ、クロのローブに縋りつくようにした少女に瞠目した。
さっきまで蜜を求める蝶のようにふらふらと離れていたエディスだ。
「クロ、まさか本当に罪作りな男だったなんて……。私というものがありながら隠し子を……」
「誤解だ! こいつはエディス! 身寄りを失って一時的に預かっているだけだ! そもそも年齢が合わないだろっ!」
雑に、ことさら「一時的」の部分を強調して紹介すると、エディスの頬が赤みを帯びてみるみる膨らんだ。
アデレードは「冗談よ」といいながらエディスへ手を伸ばすと、エディスのほうも珍しくおずおずとした手つきで握手する。
「アデレードよ。よろしくね、エディスちゃん」
「よ、よろしく」
「――エディス、アデレードは俺と違って聖獣を扱う召喚術師だ。紫焔の召喚術師アデレード。詠唱に入ってから術の顕現までの間が著しく早いことから疾風のアデレードとも呼ばれている」
「こんなちっちゃな子供にまで手を出すなんて、クロも人が悪いわ」
「はいはい、そういう話はもういいから。いい加減適当な冗談で煙に巻くような態度はやめろよな。……って、なにひっついてんだよ!」
絡みとるようにクロの右腕へとくっつくアデレード。
「あら、ハグよハグ。挨拶の基本でしょ?」
「ハグは普通、前からだろう! 冗談も大概にしないと――」
「冗談で済まされなくなりますよ。アデレードさん」
背後から殺気を感じてクロは振り向く。魔槍を解除したはずのリアだが、その声音には鞘から剣を抜くような不穏当さが滲み出ている。
「あら。ごきげんよう、リア」
そんな機微はアデレードの関知するところではないよう。細長のクレイパイプを手に預けると、肺に溜まっていた煙を漫然と吐く。
鼻先をかすれ、クロは思わず息を止めた。
「……! ……わたしのクロに、随分と馴れ馴れしいんじゃないかしら?」
一応リアの父親は異界で貴族の位にあり、その血筋のせいかは不確かながらリアも淑女を貫こうとしている。ただ、口元はあきらかに痙攣していた。
「あら、この手のスキンシップぐらいは挨拶の基本じゃなくて? それにいつあなたのクロになったのかしら?」
「挨拶の度を超えてるわよ! クロも困っているじゃない⁈ いいから、離れなさいよ!」
リアの淑女たる仮面は薄っぺらだったようで、簡単に剥がれ落ちる。
傍にいたエディスがいつの間にかいなくなっていて、あたりを見回すと駅案内板の下で隠れるようにびくびくしている。
クロの右にアデレードがいたからか、空いた左腕をリアが摑むようにすがる。柔らかな感触が両腕に当たって……という思惑は瞬間的なもので、すぐさまそんなことも忘れるほどに強烈に締め上げられた。
「少々下品ではなくて、アデレードさん。そんな姿で街に出て恥ずかしくはないのかしら?」
「あら、下品に見えるのは見る側の品性が欠けているからよ。女性らしさをスマートに体現できて初めて大人の女なの。リアさんには、少々早い話かしら?」
「リア、痛い。……痛いっつうの! アデレードも! お前ら、いい加減に離れろ!」
痛みに耐えかねてクロは大仰に腕を払う。
「まったく、会う度にこんな調子かよ。……アデレードも、まさかリアと喧嘩するために俺たちを呼び出したわけじゃないんだろ。とはいえ、手紙から大方の予想はつくけどな」
「さすがはクロね。察しが良くて助かるわ。答え合わせは……そう、必要なさそうね」
クロが崩れたローブの前を直しながら無言で何かを指し示す姿を見て、アデレードは得心したように頷く。
示す先にはふたりの駅員の姿。――ではなく、彼らが回収する機械人形の成れの果てがあった。
「おおよそクロの予想通りだと思うけど、依頼の説明ぐらいは必要よね。とりあえず立ち話もなんだし、私のアトリエに行きましょう」
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