二章:機械人形の街

旅は道連れ少女と共に

『わたしが……わたしがそばにいるよ。だから、そんな顔しないで。……安心して。あなたは、ひとりじゃないわ』


 暗澹たる世界。抜け殻となった自らの心臓は奈落の底で闇に囚われていた。

 単純な比喩ではなく、半分は事実として悪魔の王に握られていた。


 ――そういえば。

 そばにいると言ってくれたのは、何もあの一度だけではない。

 寄り添ってくれたのは、他でもない彼女の――。



 夢現ゆめうつつを漂っていたクロは、刹那の睡魔に囚われていたことを自覚する。

 今の映像が脳裏に焼き付いた記憶だったのか、それともただの夢だったのか判断に困り、どちらもさして変わらないなと内心で首を振った。


 たしかなのは、今が旅程にあるということ。身体が凝り固まっていたので、黒はとりあえず伸びをする。あくびと共に、玉のような涙が滲み出た。


 びゅうっと強い風が頬を撫でる。

 微睡んだ頭のまま外の景色を眺めると、目の前には青々とした草原が広がっていた――。


 天気は快晴。どこかの濃い霧の覆われた村の住人なら羨むほど景色で、クロは眩いばかりの太陽光に目を瞬かせた。


 空は雲ひとつない青。じっと眺めれば一様に見える蒼天にわずかな濃淡が見て取れるほどに、遠くまでがきれいに晴れ渡っている。

 地上に視線を戻せばそこは草の海だった。ところどころに緑葉豊かな木々が屹立しており、それすら一幅の絵画がアクセントを添えるいるように見える。


 そんな景色を、クロは近代発展の賜物――蒸気機関車の車窓から眺めていた。

 向かう先は隣国『サンクトラーク』。元々は『召喚術師の国』と呼ばれていた国だ。


 顔を撫でる薫風が心地よく、クロは思わずもう一度惰眠を貪りたくなった。

 だが、目の前の人物がそれを許さなかった。


「『親愛なるクロヴィス・リー・サリマン様。時節の挨拶は置いておきまして、この度はあなた様にお願いがありこの手紙を書かせて頂きました』」


 進行方向とは逆の対面座席。何やらぶつぶつと念仏を唱えるような声がクロの耳朶を打つ。

 他でもない、リアこと、リリモア・エス・ブレーメル――悪魔の王アスモデウスと人間との間に生まれし半人半妖ハーフ・デーモンの女性だ。


「『召喚術によって栄えてきた我が国ですが、近年オートマタによる目覚ましい発展を遂げております――』」


 リアが読んでいるのは手紙で、今にも破れそうなほど強く握り締められている。それは窓からの風で飛ばされないよう抗っているようにも、または何やら怒りに燃えているようにもクロには見えた。

 窓を開けたのは汗が滲んできたからだったが、それは何も季節外れの暖かさのせいだけではなかったのかもしれない。


「『一方で、最近巷間を騒がせる、とある事件が多発しておりまして……』」


 当然クロが代読を頼んだわけでもなく、むしろ午睡の前に手紙を引っ手繰ったのはリアのほうだった。当初は押し黙っていたものの、クロの寝起きにあわせて険を滲ませながら音読している。ようは当てつけだ。


「『つきましては貴国アストリアとサンクトラークとをつなぐ機関車の乗車券を進呈します。どうぞおふたりでお越しください。アデレード・リー・サラマンドル』……ですって」


 くしゃっ、と空疎な音がした。手紙の上部から覗いた彼女の眉間には、より一層深いものが刻まれている。さすがにだんまりを決め込むわけにはいかず、クロはため息をついた。


「わかってるよ。俺も読んだんだから。今回は隣の国からの依頼ってわけだ。一両日ならってことで、国を離れる許可も王様から貰っている。戻ったら即報告だけどな」

「辞退するか無視するか知らなかったことにするか仮病を使えばいいじゃない」

「受けない選択肢だけは豊富だな。ただ俺も国を離れることには反対したんだが、アストリアとしては東の国とは仲良くしておきたい魂胆なんだろう」

「――それにしてもあのひと、チケットを二人分も寄越してくるなんて余裕たっぷりね」


 畢竟、言いたいことはそれなんだろう。何かを継ごうと口を開きかけたが、結局何も言えずに首を往復させた。


「――だけど、そうなんだよ。チケットはあくまで二人分だ。それなのに――」


 眉間に寄った皺を一度揉む。クロはジト目をリアへ――ではなく、そのさらに隣でしれっと座っている者に向けた。


「なんでお前がここにいるんだよ‼︎」


 思わず立ち上がっては指を差す。当人は意に介さないように猫なで声で言い放った。


「そんなつれないこと言わないでよー、マスターっ!」

「だあぁぁあれがマスターだっ!」


 そこあったのは、行儀よく膝を並べて座るエディスの姿だ。


「じゃあお兄ちゃんのほうがいい?」

「そういう問題じゃねぇっ!」

「じゃあやっぱりマスターね!」

「だぁあかぁらぁっ!」

「まぁまぁクロ、そう言わずに。旅は道連れ世は情けってことで」


 リアがクロの激昂を見兼ねて最近覚えたようなことを言ってきた。


「リアは悪魔王の血が流れているっていうのに俗世間的過ぎるだろ。……はぁ、面倒だ」


 肺の底から空気を出すと、先日の村での一件を思い出す。

 エディスが村からここにいる顛末の一端は次のような流れだ。

 

 ――クロの働きもあって、悪魔の霧に関するエディスへの疑いは晴れた。

 だが戦災孤児で身寄りのないエディスを引き取ったのは他でもない神父であり、その神父自身が悪魔との契約違反で亡き者となってしまった今、残念ながら村人の中でエディスを引き取ろうという者はいなかった。

 クロもクロで、一度は幼いエディスをまさかの血祭りにあげようとした村人へ、彼女の身を託す気にもなれず、仕方なく自身の住む街へと連れ帰る。

 都であれば孤児院なり教会なり、引き取り手を探すこともできるだろうとの思惑からだったが、現実はそう簡単にゆかなかった。

 一年前の戦乱のせいで、各施設の収容人数はすでにいっぱいとなっていたのだ。

 クロは自身の目論見の甘さに忸怩たる思いを抱えながら、エディスを路上に放り出すわけにもいかず、その身を一時預かることにする。

 青年とはいえ大の男であるクロがエディスを囲えば人攫いの疑いを掛けられないが、幸いにしてリアの存在がそんな嫌疑からは無縁にした。


 そして、クロはもうひとつの依頼のため国を離れることになる。仕事は仕事、幼いエディスを連れ回すつもりもなく、家の留守を言いつけたつもりだったのだが――。


「と・に・か・く! 家に置くのは後見人が見つかるまでだ。お前を召喚術師にするためじゃない」

「そんなこと言わないで弟子にしてよぉ! まぁすたぁあー!」

「だからマスターって呼ぶな! 弟子を取るぐらいなら悪魔を魂を売ったほうがマシだ!」

「え、クロ! それってどういう……?」

 

 悪魔に魂を売る――。リアの解釈は常人の斜め上のようで、例えばクロがリアに自身の心を渡すようなことを想像しているのだろう。どうやら相違なく、それはリアの赤く染まった頬が如実に語っていた。


「あ、え、あー……? あ、違う! 今のはつい売り言葉に買い言葉でそれ以上の深い意味は……」

「そっか。じゃあマスターじゃなくて……だんな様、とか?」

「いろんな意味でややこしいわ! ……ってややこしくないだろ俺!」


 頬を染め合うリアとエディス。クロは頭を抱えて問答していたが、やがて疲れては糸の切れた人形みたいに椅子へと崩れ落ちた。


「こうなったらアデレードに押し付けてバックレるか……」


 何をよ、という非難するような細めがエディスから向けられる。

 誤魔化すようにクロが景色に耽ると、それ以上の追求は断念したようにリアと談笑を始めた。

 クロもぶつぶつと内心での愚痴を吐き終わってから、それにしてもと二人を横目に見る。


「――いくら椅子が硬いからってリアさん、腰が痛いってなんだかおばさんくさいー」

「なっ……! 誰がおばさんよ誰が! わたしはまだぴちぴちの十六よ!」


 ――きょうび聞かない表現は異界で流行っていたのだろうか? 言葉の使い回しが微妙に古いのは彼の父親が長生きだからだろうかとそんな益体のないことを考える。


 リアは召喚という契約を通さなければ異界に身を置かなければならない性質をその血に帯びていた。逆を言えば、なんらかの形で契約が終わるか効力を失えば彼女は異界へと戻らなければならないことを意味している。


『わたしがそばにいるよ』


 辛い記憶と温かな言葉。クロは鼻を鳴らして、じゃれ合っている二人を眺める。


「……。仲良きことは美しきかな。それにしても随分と関係が修復したもんだ。リアなんて最初、エディスを目の敵にしていたぐらいなのに」


 この年の差でリアのほうから敵視するのもどうかと思うが、年下のエディスが何処吹く風という感じで大人な対応だったことを思い出す。


「まぁね。エディスがクロをマスターと呼ぶうちはいいわよ。今となっては妹みたいなものだしね。それに――」


 口にしながら、リアはエディスの頭に手を乗せる。


「戦地に赴くなら、仲間は多い方がいいじゃない?」

「戦地?」


 リアが不穏当な発言をしながら、手を置いたエディスの頭からぎりとした音が鳴った。


「あの、リアさん? なんだかちょっと頭に痛みが……それに急に寒く……」


 万力のごとくエディスの頭を締め上げていたが、やがて「あら、ごめんなさい」と淑女のような笑顔を貼り付ける。

 どうやら先程の手紙の送り主に対する敵意だったよう。目元が全く笑っていないリアの表情を、エディスのほうは涙目で眺めていた。


 いろいろ面倒なことになりそうだ。クロが逡巡していると、割り込むように汽笛が鳴り響いた。到着間近の合図で、静かだった周囲も下車する準備に切り替わる。

 

 クロは一度身震いして、とりあえず窓を閉めることにした。


「さて……もうすぐ到着だ。エディス、降りる準備をしとけよ」


 さっきまでの随伴云々の議論を脇に置き、クロは逃れるようにそんなことを口にしていた。

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