悪魔の騎士

 目を覆いたくなるほどの光。眩いばかりの魔法陣から、黒い影が現れた。


 茫漠と黒の粒子を漂わせた影は、やがて実体を結ぶように収束しては人型を形作っていく。人間よりもひと回り大きい輪郭で、やがて黒い粒が弾けるように霧散していくと、代わりに現れたのは漆黒の鎧だった。


 クロの呼びかけに応じた者。静かに一歩を引き、構えの体勢に入る。

 直後、腰元の剣に手をかけたかと思えば、目にも止まらぬ速さで抜剣した。


 目にも止まらぬ速さで、軌道からは剣圧が弾き出た。当人の威圧とも相まって村人たちが突き飛ばされたように地面へと尻をついた。


「あらためて一兵卒と比べると魔力量は桁違いだな。騎士団長を召喚するのには。先日の山賊退治の比じゃないし、ある意味さすがって感じか。なぁ、ゴア」


 召喚を被る者、すなわち被召喚者として現れた者の名は、『ゴア』。


 悪魔の大公爵エリゴスの側近にして、中位クラスの魔力を保持する悪魔騎士。

 全身鎧プレートアーマーに身を包み、クロよりもふた回りは大きい巨躯を誇っている。常人離れしたなりを除けば人間の騎士としか見えない。凛然とした立ち姿の一方で、面構えを覆い隠したフルフェイス式の兜のスリットからは悪魔の特徴たる赤い瞳が爛と輝いている。


 そんなゴアが、命令を仰ぐように背中越しに首を向けていた。


「何をしている! 躊躇するな! 相手は騎士風情とはいえたかだか一人だ。全員で飛びかかれば押さえ込むのも不可能じゃない! 行け、早く!」

「ゴア。殺さない程度にしてくれよ。ただでさえ悪魔は評判が悪いんだ。これ以上、俺たち自らで評判を下げる必要はないからな」


 ゴアの、向けられていた兜の頭角が静かに前を向く。それが彼にとっての「承知」の合図であることをクロは知っていた。


 正眼に剣を構えるゴアへと、村の男どもが飛びかかってきた――。


 横一閃。

 

 黒曜石の剣は、人間の身体であれば背骨もろとも真っ二つにできるほど一級の切れ味で、それがゴアの技量と魔力とが相まって強烈な剣戟を放つ。


 先ほどの威圧を凌ぐ威力。圧倒された村人は、悪魔の魔力と合わさった衝撃波にさらされ泡を吹きながらばたばたと倒れていった。


「――なぁ、気を失っただけだよな?」


 ゴアは首を縦にも横にも振らない。死んでなければいいけど、とクロはぽつりと呟く。ゴアの仕事ぶりは信じてはいるが、白目を剥いて倒れている村人の姿は結構危うい。


「悪魔がっ……!」 

「まぁね」


 青筋の神父に、クロはあえて軽薄に口を曲げた。悟られない程度にエディスへと一瞥を送る。


(……もう少し掛かりそうか?)


 村人たちに目をくれると誰もがゴアを見ている。恐怖の眼差しが集中し、誰一人としてクロと視線が交錯する者はいない。

 思惑は叶ったが、どこか置いてけぼりの感を拭えずクロは苦笑した。


 術師は魔力の提供によって精霊や魔獣、ときとして悪魔の力を借りる。生命力は魔力に直結し、許容量を超えての魔力行使はときとして自らの死を招く。それだけのリスクを負っているのも確かながら、結局他人任せな職柄はときとしてクロは釈然としない気持ちにさせた。


 召喚術師の性であり宿運だと自身に言い聞かせる一方、いったい自分には何ができるのだろうかと度々思い悩むことさえある。

 せめてもこの魔力と、いささかでも自身の知恵が、誰かの役に立てばと願う。だからこそ、ゴアに壁役を買ってもらう代わりにクロは舌を動かすことにした。


「村の人! 聞いてくれ!」


 説得が難しいことは百も承知ながら、クロは柄にもなく声を張り上げた。村人の視線が、佇む悪魔に対する警戒を怠らぬ程度にクロを訝る。


「たしかに俺は悪魔を使役する召喚術師だ。この・・通り、国からも認められている。そしてエディスの手に刻まれた魔法陣も確かに悪魔に類する魔法陣だ」


 村人は動揺からに互いの顔を見合わせた。

 クロが公認の術師たることへの驚愕よりも、なぜ庇いだてするはずのエディスの魔法陣についてわざわざ悪魔であることを証言するのか、という様子だ。


「――だけど、霧の悪魔を呼び出しているのはエディスじゃない! 彼女の手が光るのは、別の理由があってのことだ」


 クロには確信があった。宿屋で目撃した聖書に描かれた魔法陣・・・が何を意味するのか。エディスがわざわざ宿まで持って理由も、リアの悪魔に対する嗅覚に頼るまでもなく得心していた。


「そしてこの霧の悪魔を呼び出しているのは他でもない、そこにいる神父だ。――そいつの持つ聖書に、悪魔に関わる魔法陣が描かれていたのを俺は見た。エディスではないのなら、霧が立ち込めたときに魔法陣を手にし得たのは誰か? 村のみんなにもわかるだろ」


 村人の顔が神父へと輻輳する。人心掌握までの過度な期待はしていないが、いくらか不安心はくすぐれたように見え――、


「はっ……! ふは、ふはははっ!」


 一笑に付すというにはあまりある神父の哄笑に、周囲の人間も困惑を隠せずにいた。


「濡れ衣を着せるのはやめてもらおう。これは歴とした聖書であり、ここに描かれたものは聖なる魔獣を操るものである」


 ――なるほど。クロは奥歯を噛んだ。

 円陣による契約表記は精霊も悪魔も似たり寄ったりで一般人には判別困難だ。神父の面の皮の厚さには呆れもするが、その返し自体は悪手ではない。


「その証拠に我が聖なる神の遣いをここに呼び寄せようではないか!」


 神父が短い詠唱をするや、手元の聖書が光に瞬いた。


 霧の悪魔の召喚――。


 そう身を固くしたクロだったものの、召喚された存在は別の形で顕現の兆しを示す。それは遠来の破砕音で、崩れた岩が地面にぱらぱらと石を降らせるような音がした。


 程なくして現れたのは空からの使者だ。教会の彫刻で、その輪郭を真っ黒に染めた三体の化身。


「ガーゴイル」


 召喚されたそれは、長年の硬直に翼を広げては伸ばし、赤黒い瞳で周囲をひと睨みしながら奇声をあげた。


 種族に寄るが、ガーゴイルは基本的に悪魔に属する。

 それを、村人は歓喜で迎えた。


「くそっ……。絶対にあいつの正体を明かしてやる!」


 クロは、様々な感情にまとめて舌を打つ。

 ひとつは教会の装飾だったとは言え悪魔を神の遣いと蒙昧に信じる村人に――。

 もうひとつ聖職者を気取るあれが、皮を被った異端の召喚術師であることに――。

 そして何より、霧の悪魔の力を借りながら、ガーゴイルをまとめて三体も呼び出した奴の魔力量に対しても感嘆を禁じ得なかった。 


(それにしては魔力の配分が不明瞭だな。大した魔力の持ち合わせていないように見えたのに。――いや、三下とはいえ三匹も同時に操ってこれだけの魔力量。本来必要な魔力に比べればひどく少ない)


 ――と、クロが一考する間。蝙蝠のような翼をはためかせ、三体のガーゴイルがゴアとクロへと襲いかかる。


 ゴアは自身にふりかかる悪魔の爪を避け、クロに及ぼうとした魔手までも剣の腹で防いだ。


「助かったよ、ゴア」


 主人に対する義理を果たすが、敵もさることながら薙いだ剣は中空を切るのみで、ガーゴイルへは当たらなかった。

 その間、他のガーゴイルは入れ替わりゴアへと襲いかかり、だが三日月状に砥がれた爪は幸いにしてその鎧に弾かれていった。

 一体ごとの攻撃は脅威ではないものの、素早さと個体数にものを言わせての手数は敵のほうが圧倒的だ。一振りの黒曜石と全身鎧でクロの盾となろうとするが、このままでは反撃の機運は見込めず膠着状態の様相を呈する。


「――だけど、終わったみたいだな」

「……っ! お前、何をしている⁉︎」


 誰ともなしに壇上に向かって叫ばれる。召喚に集中を傾けていた神父もさすがに反応しては身を翻していた。


「――しまった!」


 そこにはすでに縄を解いてエディスを横に抱くリアの姿があった。

 月を背負った昂然とした立ち姿で、冷然と人民を見おろしている。エディスやクロへの悪意に激昂しているようだった。


「あとはガーゴイルたちを適当にあしらってこの場を離れれば…………っ!」


 その瞬間。乾いた音が空気に木霊する。


 霧の空気を粛然とさせるような響きは、つい数刻前に聞いたそれと同じだった。


 一発の銃声の音に、目を覚ましたのは他でもないエディスだ。

 幸い彼女自身は無傷のようながら、朦朧とした意識はまだことの重大さを捉えることはできないままでいた。

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