召喚術発動

「正気の沙汰じゃない。悪魔を非難する前にまず、人間の固定観念ステレオタイプを見つめ直すべきだな」

「講釈はいいから! 今はこの状況でエディスを助け出すことを考えないと」


 リアに一蹴され、クロは憮然としながら眼前の光景に思案を巡らせる。


 牢屋を抜け出した二人は、昼日中に訪れた広場にいた。

 エディスの行き先に心当たりはなかったものの、二人がここにたどり着けたのは、脱出直後に遠くからでもわかるほどの松明の明かりが空を焼く光景が目に見えたからだった。


 「まさか」と肝を冷やして駆けつけてみれば、村中の人間が広場へと集まっているうえ、農具を掲げ凄絶な雰囲気を漂わせていた。

 村人たちの衆目は高台へ集まっている。

 その先にあるのはエディスの姿だった。立てられた丸太に、乱暴に固定された身体を固定されている。食い込む縄が痛々しいが、首を垂れて気を失っているよう。

 足元には、一度火が着けば瞬く間に燃え上がりそうな柴が鳥の巣のように盛られていた。


 「魔女に天罰を」、「悪魔へ協力する者は命で償え」と、耳を塞ぎたくなるような怒号が飛び交っている。暴発寸前で、それでも免れているのはおそらく台の手前で大仰に手をかざす老齢の男のせいだろう。

 それは民衆を抑えるように見せかけて、畏怖と反感が最大値になったときにエディスをその解消の手立てとするよう。もはやクロにはそうとしか見えなかった。


「あの野郎、演出ばかりがうまいな。世の中うまく立ち回ったやつが得をする典型かよ」


 他方で純粋無垢な者が搾取される典型とも言える。

 クロは歯噛みし、リアを一瞥した。次いでエディスのほうへと顎を向けては器用に首を回してみせる。


 リアはそれで理解をしてくれたようで、暗闇の中へと姿を消していった。リアがうまくやってくれる間、自分には他の役目がある。


「おーい、神父さんよぉ! そこにいるんだろう?」


 クロは表に出ると同時に声を張り上げた。エディスが磔になっている下で、踏み台に乗っている頭一つ出た存在へと向けて。


 聖職者然とした司教冠ミトラが揺れ、振り返る。左手には祈りを捧げるための聖書――少なくとも住民はそう信じている――が開かれていた。


「――悪魔の仔か。どうやって抜け出した? いや、それよりも、この村を立ち去れと言ったであろう。親切心からの忠告を無視するとは、背教者の心理とはいかに度し難いか」

「さてね。生憎と俺が信じているのはあんたと同じ神じゃない。それにあんたも本当は神なぞ信じちゃいないんだろう? いつの時代だって世界を回しているのはこれさ」


 クロが親指と人差指を擦る。神父は鼻に寄せた皺を隠そうともしない。


「下賎な輩め」


 落ち着きを払う神父の一方、周囲の村人が警戒を強める。敵意がそのまま構えられる農具に代弁されていた。


「さて、下賎なのはどちらかな? 何しろ霧の悪魔は――」

「エディスのことはわたしにとっても痛恨事だ。孤児として身寄りがなかった少女を引き取ったまではよかったが、まさかこの村に悪魔を呼び込んでいたとはな。見たまえ」


 神父が緩慢な手つきで促した先で、エディスの右手の甲がまたしても淡い光を帯びた。

 あたりには薄い霧が立ち込め、村人は「悪魔だ」と口々に囁き合う。


「落ち着くのだ皆の衆。我がここにいる限り、これ以上の危険が及ぶことはないと約束しよう。そのため我は祈りを捧げ、今日この日、悪魔の眷属を断罪しようとしているのだ。だからこそ――」


 双眸の眦がきつく上がり、神父は指示をくだす。


「そいつは悪魔に与するものだ、もう一度捕らえよ! 我らの平穏な生活を阻害するというのなら今度は痛めつけても構わん。女も近くにいるはずだ。探し出して我の元に連れてこい!」


 クロは舌打ちする。もう少し注意を逸らしたかったが、口先だけではここまでのようだ。リアなのでうまくやるだろうが、まだもう少し人目を引きつけておく必要がある。


 神父の指示に住民は凶器をむき出ししてにじり寄ってきていた。


 残念ながら、クロは体力からして一般人のそれと変わりない。多勢に囲まれれば不利どころか抵抗することも叶わないだろう。

 痛めつけられる程度で済めばいいが、村人の爛熟とした瞳にはそんな酌量の余地はなさそうで、下手をすればエディスの共犯者として死は免れない。


(結局、召喚術師なんて大層なのは肩書きだけで、最終的には他力本願な性分なんだよな……)


 クロは、自身の業にため息をこぼす。

 やれやれと首を振りながらローブの裾を払い、腰に下げていた魔導書レメトゲンを取り出した。

 ぱらぱらと捲られていった紙はやがて糊で張り付いたようにぴたりと止まり、エディスの魔法陣と同じような淡い発光を見せた。


『異界に存在せし悪魔よ。今汝らの世界へと通ずる扉を叩かん』

「……悪魔を呼ぶ気だ! やめさせろ!」


 神父の声が怒号に変わる。村人衆も目をいからせ、凶器を振りあげた。クロの詠唱はリアの槍ほどに早くはないが、それでも襲い掛かられるまでの距離は十分に保っていた。 


『黒き扉は悪魔の大公爵にして騎士に通じる者の扉か。そなたの名は、かつてての始祖王が定めたる第十三位の悪魔、エリゴス。第三軍団長の身を借り受けたし。許しを請う』


 喉を枯らすような神父の命令が遠くのことのように聞こえた。

 呼応して村人がクロへと迫るが、詠唱に合わせて出現した円陣が地面に現れると人々はクロへと飛びかかるのを躊躇った。


『来たれ! 騎士団長ゴアよ!』

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