美花の棘

「こいつはまいったな……いくら召喚術に長けていても、こんな状態じゃ何もできやしない」


 腰を痛めつける冷たい石畳と壁に文句を言うように、クロはわざとらしくぼやいた。


「こんな村にも牢屋ってあるのね。それにしてもあの神父、臭かったわ」

「……やっぱり? 体臭とか、怪しいとか、そういう類じゃないことは今さら聞かないからな」


 リアのいう臭いとは、先に見た牛の死骸に染み付いたような、悪魔絡みものだろう。村の牢屋に繋がれていたクロは、手首を固定されたままに肩を竦める。


 石が天井までに積まれ、壁には申し訳程度の窓が見える。月の位置からしてすでに夜半は過ぎているよう。

 先だって連れ出されたエディスが今どんな状況に置かれているか――。


 想像に難くないというよりは、想像したくもなかった。


「エディスが心配だ」


 何気ない独語にリアが「そうね」と呟く。

 あまりに自然に応えてしまった自覚からなのか、相槌を打ったリアのほうが口を曲げ、困惑したように眉を持ち上げた。


「――随分とあの子にご執心なのね? それとも今になって正義感のほうがあなたに寄り添ってきたのかしら?」


 言葉には棘があったが、不快さまでは感じられなかった。

 リアの張りぼての剣呑さの意味するところをクロは咀嚼し正しく理解する。

 

 これはたぶん、確認だ。


 クロは言外にエディスを助けたいと告げた。出会いたての少女に救いの手を差し伸べるのか――。リアはそう問うている。


 神父に集まる信望の一方で、意図的に集約されるエディスへの憎悪が思い出される。

 その差はすなわちエディスの身の危険を表すものと同時に、エディスの味方をすればそのまま村人全員を敵に回す可能性を示唆している。


 想定される労苦を思えばリアの気遣いは当然とも思えるし、このまま村を出てしまったほうが面倒事に巻き込まれる心配もないとも思えた。


 だけど――。


 空を仰ぐと、暗く冷たい石の天井がある。

 ふとクロは思い出し、顧みた。


 炎に焼かれた街と、死にかけた自身の姿。召喚術師の家系に生まれたエディスと、自分とが重なる。

 ただそんなことは理由の一端でしかなく、何より浮かぶのはリアの瞳を「綺麗」と言ってくれた、家族を失くした少女の笑顔だった。


 罪過にまみれたクロを救ってくれたのは祖父の言葉。当時のクロは民衆からの弾劾を受けることはなかったが、だからと言って失われた血の量が還ってくることわけではない。

 脳裏に浮かぶのは自身を救ってくれた偉大な祖父の背中だった――。


「やっぱりじいちゃんには敵わないな。俺が受け継いだのはじいちゃんの命だけじゃない。後は、俺が継がないと」

「エドワードさん? 立派な人だったわね」

「長いし、険しい道のりだよ。じいちゃんの功績や人となりを顧みると、どうにも茨の道としか思えないからな」

「いいじゃない。美しい花には棘があるのよ。つまり、棘のそばには綺麗な花があるわ」

「棘のある花が言うと説得力が違うよ」

「そうよ。だから、わたしはクロのそばにいるの」


 得意げに胸を逸らすリア。


『そばにいる』


 そう言われたのはこれが初めてではない。

 クロは口を綻ばせ、覚悟を決めた。


「……まずは、ここを出ないとな」


 微笑を残したリアを横目に首を巡らせる。


 牢屋の前面は鉄格子だ。力付くで開くなら牢の意味を成さないので、その類の脱出方法は考えるだけ無駄だろう。その先には看守が申し訳程度の机と椅子に座っている。頼りとなるはずのクロの魔道書はそこにあった。


 お目付役を押し付けられた若者が一人、かったるそうに欠伸をしながら椅子のバランスを取りながら揺すっている。鉄格子の隙間から腕を届かせるにはクロの腕はだいぶ短い。


 クロが無策に眉を顰めていると、隣のリアは視線で格子を捉え、その先の若者を観察するようにまじまじと眺める。一度頷くと、クロへと向き直した。


「…………ところでクロ。さっきの続きがまだじゃなかったかしら?」


 リアの意図するところがわからず、クロは首を曲げる。


 リアの穏やかな声色に滲む、場違いな艶を感じ取る。唇からは濡れたような吐息が織り交ざっていた。


「ご飯にする? そ・れ・と・も」

「いや、こんな状況で何言ってるんだよ」


 リアの声は牢内によく響いたうえ、クロも声をあげてしまい看守の眉が訝しげに上がっていた。


「こんな状況だからよ。最高に雰囲気が良いと思わない? 月明かりに照らされた暗がりの個室に、男がひとりと女がひとり閉じ込められているのよ」

「もう一度言う。何言ってんだ。状況もだが、こんな状態なんだぞ」


 クロは縛られたままの手首を持ち上げて、胸の前に突き出した。


「お馬鹿さんね。だからいいんじゃない。自由を奪われながらにするのが、また堪らないのよ。いいえ、溜まっているのはクロのほうかしら?」

「……馬鹿なのはお前だ」


 興奮からかリアの声が徐々に膨らんでいく。不自由な手を地面につきながら器用にクロへと擦り寄ってきた。


 赤い瞳は暗がりではなお美しく、蠱惑的な光が瞳の中で揺蕩っている。


「お前たち、何をやっているんだ!」


 四つん這いになっていたリアの肩越しに、異変に気づいた看守の姿があった。

 リアはクロのほうを向いたまま一度目線を横へ逸らすと、今度は表情を変えずに看守へと向き立ち上がる。


「どうせなら、あなたも混ざるかしら? わたしはふたりを相手にしてもよくってよ。お楽しみが増えるだけだもの。こう見えてもわたし、体力には自信があるのよ」


 長い吐息が聞こえる。リアからであり、看守からでもあった。

 両手で下腹部を撫でるように見せつけるリアに、呆然と立ち尽くした看守の若者は生唾をのむ。


 リアが牢内ながらに二歩を詰める間、溜まりかねているように若者が三歩近づく。 

 釘付けになっているだろうその先には露わになっていたリアの谷間と、水が溜まりそうなほどの綺麗な鎖骨が映っていることだろう。


「ほら、もっとこっちにおいで……痛くしないから……」


 巧みに腕を鉄格子に擦り抜けさせては指で招く。つられるように幽鬼の足取りを見せていた若者は――だがリアの手前でぴたりと足を止めた。


「……ふんっ、そんな手に乗るものか。おおかた、これを奪うつもりなんだろう」


 ――もう少し。


 今になってリアの思惑を読み取り、クロは内心だけで舌打ちする。わずかに手の届かぬ距離で、看守は得意げな笑みを浮かべながらに何かを指にぶら下げていた。

 それは鉄製の輪に通された、牢屋の鍵だった。


「お見通しなんだよ。そんなに鍵が欲しいなら、ほれ」


 看守は腰をひねって鍵を放り投げた。雑な音を立てて鍵は手の届かない机のうえに落ちる。


「さて、これで俺から鍵を取り上げることはできなくなったわけだ」


 愉悦と下卑た笑みを貼り付けた看守が、不用意にリアへと摑みかかる。

 鉄格子で文字通り手も足も出ないと高を括っているのか、看守は乱暴にリアの両肩を鷲掴みにし、リアも思わず短い悲鳴をあげた。

 

 ――クロは、気づいていた。

 リアの大腿部あたりが、ドレス越しでもわかるほどに淡く光るのを。クロは看守に悟られない程度に視線を走らせた後、頭の後ろで手を組み平静を装っていた。


 何せそれは、リアの身体に刻まれた魔法陣の輝きだったからだ。


「ちょっと、乱暴にしないで――」

「体には自信があるんだろ? おっと、体力のほうだったか。さて、お楽しみといこうか」

「そうね、お楽しみは――」


 先ほどの光が力強い赤へと変化し、周囲を染め上げた。


 その瞬間。リアが大仰に一歩を引いて看守の手から逃れると、開かれた手には長い輪郭が顕現する。


 無詠唱による、特殊召喚――。


 召喚方法はこの世に数多存在するが、クロもこれほど瞬時に成立する召喚術を他に知らない。

 リアの身長をも軽く凌駕する長い槍。彼女が唯一得意とする術式によって召喚されしだった。

 リアがそれを真一文字に構えると、本来敵に向ける槍先とは逆の石突で看守の腹を突き飛ばした。


「ぐぃえっ!」


 看守は強かにみぞおちを打たれ、背後の扉にまで弾き飛ばされ激突する。

 ずるずると座り込むように落ちると首を垂れた。気を失ったよう。


「まったく……そいつの召喚の早さにはさすがの俺も舌を巻くな。確か槍の名前は――」


 肩を竦めると、リアはステッキのようにくるくると槍を回転させる。

 練達の腕前らしく、クロの結ばれた両腕の隙間を通すように縄を切り落とした。


「魔槍『マイムール』よ。ありがとう、助かったわ」


 リアが、二股に割れた穂先の根元へと軽くキスをする。柄から槍先にかけては血のように赤く、棘を生やした蔓が幾重にも絡み合ったような装飾をしていた。

 リアの接吻に呼応したかのように、当てられた箇所が上下に割れ、それが瞼だったと気付かされる。ギョロリとした三白眼は、リアの唇に照れたのでもなしに血走っていた。


「――勝手に拝借しているなんて知ったらお前の親父さん、何て言うかな」

「あの人も昔の仲間からくすねたらしいから問題ないわよ。マイムールも父親あいつに振り回されるよりはわたしに使われたほうがきっと本望だわ。ねぇっ?」

「それもそう、なのか? 相変わらず何を考えているのかわからない目をしているけど。 ……ところで。あの看守を突き飛ばしてどうやってここを出るつもりだい?」


 槍を可愛がるように頬を寄せていたリアは、気づいたように「あっ」と声を上げた。


無計画ノープランかよ。――まぁいいや。その愛しのマイムールが使えるだろ? 長いし、好都合だ」


 クロは呆れ半分に机へと顎を向ける。心なしか槍の目がぎょろりと睥睨してきたが、クロは見なかったことにした。


 リアも察したのか、軽く眉間を寄せながら再度石突を鉄格子に通し、腕と槍を器用に目一杯に伸ばしながら、ぷるぷると背中を震わせていた。


「………………わたしの、マイムールは、本来、こんな使い方じゃ、ないんだけど、なっと!」


 先を巧みに鍵の輪へ引っ掛ける姿を見て、クロはくつくつと笑いを堪えたのだった。

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