ひと部屋

「はぁ……一時は泊めてくれないかと心配したが、杞憂だったな」


 クロとリアは村の宿屋の一室へと足を運んでいた。


「本当よ。さっきのクソ神父、偉そうなわりに村の人からの信頼は厚そうだったもの。あいつの一言で宿泊を拒否されてもおかしくなかったわ」


 さきほどのクロへの態度に腹わたが煮えくりかえっていたのかリアが臆面もなく悪態をつく。普段であれば彼女の美貌に不似合いな口汚さを咎めるところだが、クロも多少の不愉快は否めず、何より疲れも溜まっていたので言わせるがままにしておいた。


「まぁ、夜更けまで時間もないしな。こんな暗がりのなか聖職者が旅人を追い出したと知れたら何かと評判もよろしくないんだろう。それに――」


 庇いだてするどころか皮肉を口にしながら、クロはベッドへと腰掛ける。


「俺たちよりも心配なのは、エディスのほうだ」


 無自覚だった疲れは潮騒のように身体を這い上がってくる。クロは背中からベッドへ倒れ込むと、額に手を当てながら日中の出来事を思い出した。


 ――若者の先導でクロとリアが辿り着いたのは村の広場だった。ふたりが見たものは血に染まった噴水と、そこに浮かぶ変わり果てた村人の姿。

 すでに村人が取り囲んでいたため遠巻きでしかないが、おびただしい出血の寮から失血からの死は確実と思われた。


 クロは必然、村人からの誰何の視線を向けられる。ただそれ以上に剣呑な――それすらも通り越した民衆からの憎悪が込められた――視線は、クロでもリアでもない、エディスへと向けられていたのだった。

 クロの裾を震えながら掴み続けエディス。最後にクロへ何かを告げようとしながらも、結局神父に遮られ去っていく。その後ろ姿をクロは呼び止めることができなかった――。


「――明らかに、何か隠しているな」

「クソ神父が?」


 どうやら未だご立腹中らしいリアにクロも苦笑する。

 クロはベットから背中を引き剥がした。


「神父と、それにエディスもな」


 リアは扉の前でローブを脱ぐ。普段の格好からしてよほど着心地が合わなかったのか、不慣れな首輪を外す犬みたいに無理やり外套を持ちあげていた。


 そのせいで余計に強調された胸元は、厚着に汗が浮かんでいる。


「……ふた部屋を借りられてよかったな」


 クロは思わず一度目を逸らしたが、抗い難いように泳がせながらにそんなことを呟く。


「あら。わたしは別に、同じ部屋でもよくてよ?」

「年頃の男女が同衾したらマズイだろ」

「幼気な少女に手を出すほうがマズいわよ。それとも召喚術師様は実はロリコンなのに、制欲を持て余して肉感的なわたし従者にまで手をつけるのかしら?」


 ぷいっと顔を背けるリア。

 

 まずい、まだ根に持っている。――と思いきや。


「もっとも女としては見てくれているみたいだし、わたしとしてはそこに満足すべきかしら?」


 艶やかな光沢の唇は嗜虐的な笑みに曲がる。わざとらしくしなを作って見せつけるリアだった。


「どう? そそられるてくれるかしら?」

「はいはい。馬鹿なことやってないで早く部屋に戻れよ」

「お風呂にする? ご飯にする? そ・れ・と・も……あれ・・にする?」

「……馬鹿なこと言ってないで早く部屋に戻れよ」


 頬が熱さを自覚する一方、リアの申し出に己の体調を省みる。居住まいの悪さから誤魔化すように部屋を見渡した。


 部屋は二階で、質素なものだったが寝泊まりするには十分の広さだ。

 窓の外はすっかり夜気の根が下ろされいまだ霧が立ち込めている。街灯が薄雲を纏った満月のように朧げな光を宿していた。


 近代的な街並みを認め、クロはため息をつく。

 この村は国の外れにありがちな廃れたイメージからはかけ離れている。産業発展に寄与するグラシア鉱物が村の発展を支えており、村人の生活を豊かにしているそうだ。

 であればこそ、精神性もそれに伴うものであってほしいと思うのは避けられない。子供然としたエディスの笑顔と、それをかき消すような嫌悪に満ちた村人の衆目とをクロは思い出してしまった。


「まったく、どっちがあく、ま、か……」 

 

 立ち上がろうとして、頭の芯が急激に不安定になる。

 思わずクロは膝をついた。


「…………? クロ! ねぇ、ちょっと、大丈夫っ⁈」

「……大丈夫、ちょっと目眩がしただけ」

「きっと疲れが出たのよ。無理は良くないわ、やっぱりあれ・・にしましょう?」

「いや、まだ間隔的には大丈夫な、は、ず」

「はいはい、そういうのはいいから。とっととベッドで横になって。十秒以内よ。……きゅーう、はーち――」


 笑みを浮かべようとして、息苦しさに顔が歪む。言われるがまま、引きずられるようにベッドへと這い上がり仰向けになった。


「……横になったらマシになった。やっぱり問題ない。たぶん疲れただけ……って、おい。何あかりを落としてんだよ⁈」

「我慢は良くないわ、溜まってるんだもの。それにこのほうがわたしの気分が乗るのよ」


 絞られたランプの光に、リアの影が壁にゆらゆらと揺れている。クロは自身のシャツのボタンへと手を伸ばしたが、それをリアにぺしっと叩かれた。


「そういうのはわたしの仕事よ」

「いや関係ないだろ。……もしかしてリア、楽しんでるな?」

「なにをいまさら。クロとのことは大概が楽しいわよ? 他の女に目移りしない限りわね。 ……そういえばこのところ立て込んでいて随分とご無沙汰だったわ。ごめんね、待たせて」

「言い方っ!」


 リアはペロリと舌を出し、不敵な笑みをこぼしながら一個ずつボタンを外す。

 心なしか彼女の胸元が緩く開いており、覆い被さられた体勢からでは目が釘付けになってしまいそうだ。

 羞恥に頬が熱くなるのを自覚しながらどうにか視線を引き剥がす。どうやらクロだけではないようで、リアの肌にもうっすらとした赤みが差していた。


 そのとき――。


 コンコンと扉を叩く音が聞こえた。控えめなノックながらクロはびくりと肩を跳ねさせる。

 リアを見ると、最初こそ瞠目した彼女の顔はみるみるうちに不機嫌を色濃くしていった。


「こんな時間になにっ⁈ せっかくのお楽しみ中なのよ! 誰よっ⁈」


 頑なに体勢だけは維持し、首だけを後背へ。荒げた声はいっそ清々しいほどによく通ってしまった。


「馬鹿! そんな言い方をしたら……」


 遠慮するように、ゆっくりと手前へと開かれる扉。リアの怒号にも臆さないのはそれだけの用件があることの裏返しだが、だからといって他人に見られていい状況ではない。


 せめても宿屋の主人あたりであれば、あられもないクロたちに詫び言のひとつもいって退去してくれるだろうに――、


「あっちゃー……」


 クロは期待を裏切られ声をあげた。現れた人影は、大人の背丈とは程遠いものだった。


「あら、エディスじゃない。こんな時間に何の用かしら? 今取り込み中なのだけれど」

「……っ!」


 慌てる様子が微塵もないリアに、エディスのほうは見てはいけないものを見たと目を開く。喉からは出て来るのは引き攣った空気だけで、声にならないといった様子だ。


「何平然と対応してんだよ! 少しは慌てろ!」 

「二人だけの時間を邪魔するほうが悪いのよ。わたしたち、何もやましいことはしてないもの」

「やましくなくてもやらしく見えてんだよ! いいから、ちょっとそこどけっ!」


 リアの肩を乱暴にどかし、クロはベットからはね起きる。


「エディス、驚かせてごめんな? ほら、違うから。別にそういうわけじゃなくて……」


 何が違う? 何がそういうわけじゃない?

 滑り出したのは浮気が露呈した男の言い訳のようでしかなく、クロはエディスを怯えさせないようゆっくりと一歩一歩近づいた。側から見れば幼女に近づくただの変態だが、誤解を解くためには仕方がない。


 エディスの震える手には本が抱かれている。クロへと向けられた瞠目が、無言のまま徐々に下げられていく。つられてクロも見下ろすと、露わになった自身の腹部を目の当たりにした。


 ――少女に迫っていい格好ではなかったと自覚。

 「あっ」と間抜けな声がすべり出ていた。


「……っ! お、お兄ちゃんのばか! 変態不潔!」


 罵声とともに放たれたのはエディスが抱えていた分厚い本だった。

 装丁はしっかりしたもので、光沢を浮かべた優美さに反して暴力的な硬質さを内包し、クロの頬をえぐった。

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