嫌われ者

「ところで、この村に召喚術師はいないか? それか魔法陣でもいい」


 霧はまだ晴れてはおらず、水分は空気に薄く溶け込んでいた。相変わらず人の姿は見当たらないが、村の家屋や石造の塀が霧を纏いながらも姿を現し始めている。


 そんな茫洋な視界が、クロに本来の目的を思い出させたのだった。


「俺たち悪魔を調査しに来たんだ。もし何か手かがりになるようなことがあれば教えて欲しい」


 質問の内容はともかく、クロの口調はいたって平素なものだった。


「えっ」


 意外だったのはエディスの表情で、クロは目を眇める。せいぜい首を傾げた彼女の姿を想像していたので、息を呑むような反応は想定の斜め上のものだった。


「――あ、ううん、召喚術師の人はいないよ。えっと、最近みんなあたしに冷たいけど、それでも悪いことをするような人はこの村にはいないし――」

「冷たい?」


 失策を取り繕うようにエディスは言葉を上滑りさせた。


 ――これは何かある。

 ともすれば隠しもしている。思わぬところで端緒が見つかったようで、さらに疑問を投げかけようとクロは口を開こうとした。


「エディス」


 が、耳朶を叩いたのはクロの声音ではなかった。


「神父様!」


 渡りに舟を得たようにエディスが駆け出す。クロから離れていった彼女の身体は、霧に佇む影へと吸い込まれていった。


「霧が出ているときは外に出てはダメだとあれほど言ったであろう。よもや、悪魔を見たのではあるまいな?」

「ごめんなさーい! ううん、見なかったわ!」


 影は、神父と呼ばれた男だった。声からの印象は初老だが、それよりは年齢を重ねている。

 「白いものが混じる」という表現はいくらか過去のもので、髪と蓄えられた口髭は完全に白く染まっており、清潔に整えられていた。身ぎれいな格好は聖職者の模範のよう。


「この方たちは?」

「あたしの将来のお婿さんのクロと、美人のリアさん」


 子供らしい雑な紹介。クロは呼び捨てに眉をぴくりと動かすも恭しく会釈した。


「どうも。術師・・のクロヴィスと申します。こちらはえぇっと……従者のリア――痛っ!」


 リアに脇腹を小突かれながら顔を上げるクロ。神父の背後の立派な教会が留まる。この規模の村にしては豪奢で雨樋の一部に優美な彫像までが設えられていた姿が妙に気に掛かる。


「では都市から来られたのですかな。それはそれは遠路はるばるこのホルンまで…………はて、クロヴィス? …………もしかして、召喚術師の?」


 何かに気づいたような神父に、クロは「はい」と端的に答えた。


「黒髪に、漆黒のローブ。腰に下げられた魔導書。そして……そこの婦女子は、フードを被っているが赤い瞳の女か。お主、『悪魔の仔』じゃな?」


 明らかに侮蔑の色が滲むのを知覚しながらクロは無言のままに頷く。今更隠し立ての必要もない、という心境だった。


「……『悪魔の仔』?」


 エディスが神父の腰元で首を傾げた。


「悪魔に精通し、悪魔を使役する術師。簡単に言えばそうだな……この国の嫌われ者だ」


 「世界の」と評されなかっただけマシかなとクロは自嘲気味に薄い笑みを浮かべる。


「悪魔…………嫌われ者…………」


 エディスが何かを確かめるように言葉を吟味している。

 『召喚術師クロヴィス』が忌み嫌われることは今に始まったことではなく、それは己のせいなので仕方がないが、エディスに忌避されることを想像するとどうにも居心地が悪かった。


 だがエディスの表情は最悪を極めるのとは対照的に淡白だった。リアのときもそうだったが畏怖よりも興味のほうが優っているような、そんな揺らめきが瞳に見て取れる。


「悪魔の召喚術師殿。まさか旅人ということもあるまい? 目的は知らぬがおおかたこの村の悪魔についてであろう。お帰り頂こうか。それはこの村の問題なのでな」


 優しい神父様というエディスの評に偽りは無いだろうが、だからといって聖職者が悪魔の使役者にまで慈悲を与えてくれるかというとそうではないらしい。

 神父の剣呑さをこの場で最も意外に感じているのは他でもないエディスらしく、見上げる瞳には不安の色が宿っている。


 リアがすんと鼻を鳴らす。

 反駁しようと一歩を踏み出した彼女を、クロは手で制した。


「聖職者は皆に平等と聞いている。俺の懺悔を聞いてはくれないものだろうか?」

「悪魔に与する者に傾ける耳などない。悪魔を甘やかして良かった試しなどないからな」

「ま、確かに。随分と嫌われたもんだ」


 傲然と言い放つ神父を受け流すように、クロはやれやれと首を振る。


 エディスが何かを言いたそうに身じろぎをした。不穏な報が届いたのは、神父がそんな彼女を肩から抑えつけたときだった。


「た、大変だ!」


 険しい視線が交錯する中、割って飛び込んで来たのはひとりの若者。慌ててきたのか息を荒げ、住人以外のクロたちの存在が意外だったのか首を往復させながら目を泳がせている。


 報告を口にしてよいものかと躊躇している若者を察し、神父は敵意の表情を緩めて若者へと向けた。


「どうしたのだ?」

「…………つ、ついに、出ちまったんだ!」

「霧の悪魔か?」


 今度はクロの質問だった。若者は一度神父を見て、クロへと畏怖に歪んだ顔を向ける。


「ち、ちがう……死体が広場に…………人死にが出たんだ!」

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