戦災孤児

 どうやら周囲に悪魔はいないらしく、納屋を出ると霧は薄くなっていた。


「じゃあさっきの悲鳴はエディスだったんだな? ……ったく、『霧の悪魔』を知っているなら霧の中を出歩いではダメなことぐらい子供でもわかるだろうに」

「えへへ。ごめんなさい。でもたぶん、あたしは大丈夫かなって思って」


 エディスは大して悪びれもせずに首の後ろで手を組んだ。

 右手が白い手袋に覆われていて、それだけが活発な印象の彼女からは不似合いだなとクロは思う。


「それにちょっと気になることもあったから」

「気になること?」

「なーいしょ。神父様に秘密にしなさいって言われてるから」


 だったら口にしなければいいのに、とクロは鼻から長い息を吐き出す。


 クロと足並みを揃える少女の一方で、後ろのリアはいまだ不機嫌に口を尖らせていた。

 首だけ向けては、エディスの耳元に近寄ってささやく。


「――ところで、さっきのはなんの冗談なんだ?」

「お嫁さんの話? 冗談なんかじゃないわ、本気も本気。神父様が『良い人でもできないと村を出ることなんてできない』なんて言うのだもの」

「だからなエディス。冗談はやめて――」

『……自然界に――』

「こうなるから! 今の聞こえたのかよ地獄耳だな! 詠唱止めろ! 話が進まん!」


 クロはこめかみを揉みながらエディスの先を促すよう一瞥した。


「うーん……そうね。あたし、この村を出たいの。――ここには誰もいないから」


 クロは相槌を打ちかけ、それを中途で止める。

 含みのある言い方――事情があることは想像に難くない。ゆっくりとエディスの顔色を伺った。


「お父さんもお母さんも、それにお兄ちゃんも、今はいないから」

「……」

「お兄ちゃんとはたまに喧嘩もしたけど、優しいお兄ちゃんだったな。あたしのことを大切にしてくれたもの」


 背後のリアが息を呑む。普段の彼女なら言葉が先に滑り出しそうなものだが、今回ばかりは何かを察したよう。


「戦災孤児か」


 寂しそうに口元を緩めて頷くエディス。

 残念ながらこのアストリアでは一年前からこの手の話に事欠かない。


「悪かったな」

「ううん、いいの。今お世話になっている神父様は優しいし、住む家があるだけまだマシなんだと思う。神父様の言う幸せっていうのが何かは、あたしにはまだわからないけど」

「今向かっているのは、その神父様のところかしら?」

「そう。だけどあたし、ちょっと村には居づらくなっちゃって……えへへ、お嫁さんにしてくれたら教えてあげるよ? 似ているのよね、あたしのお兄ちゃんに。お嫁さんがダメなら、まずはお兄ちゃんから始めてみない?」


 「まずはお友達から」とそんな気さくさで、エディスは乾いた口を冗談で糊塗した。


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