村の少女

「クロっ⁉︎」


 背後からリアの叫声。


 クロにとっても突然のことで、踏鞴たたらを踏みながらなんとか体勢を立て直す。


 腕が何者かに引っ張られていた。

 牧草地に転がっていた死骸が脳裏に浮かび、悪魔の手に絡め取られたと身を固くした。


 ――同時に、理性が否定する。覚束ない視界とはいえ周囲への警戒は怠っていなかったし、本当に悪魔に引かれるなら手はこんなに華奢じゃはない・・・・・・・・・・・・・


 引かれる力に抗ってみようかと考えて、内心で首を振る。むしろ歩調を合わせるように身体の力を抜いて脚を動かした。

 向かう先は、先ほどぼんやりと見えた納屋だ。


 開かれたその扉を潜り、後続のリアの通過が確認されてから扉が閉じられる。


「はぁ、はぁ、はぁ――――――――はぁぁっ、怖かったぁあっ!」


 肺の空気を吐き出すような声。

 クロではなく、リアでもなかった。


 声の主はずるずると膝を折り、閉めたばかりの扉に背を預けるように座り込む。未だ手を掴まれているクロとしてはそれに合わせて腰を曲げるしかなく、伴って視線を下げるとそこには険しい双眸が備わっていた。


「お兄さんたち危ないよ! こんな霧の中にいたら悪魔が迎えに来ちゃうんだから!」


 悪魔などとは程遠い、ごく普通の少女だった。へたり込みながらも上目にクロたちに説教をしては、部屋をきょろきょろと見渡し「しーっ!」と唇に指を当てる。


 少女は扉へと向き直ると、備え付けの真新しい覗き蓋を開け、穴から外を見回す。背伸びで全身がぷるぷると震えていた。


 安全を確認したのか、安堵の吐息でまたもヘタリ込む。


「はぁ。お姉さんもお姉さんだよ! いきなり大声出したらびっくりするじゃない!」

「驚いたのはこっちよ! いきなりクロを引っ張っていって。悪魔かと思ったじゃない!」


 リアは初見にも関わらず少女に剣幕を向け、少女も一歩も引かないように眉の角度をきつくする。数秒の間毛を逆立てた犬と猫のように睨み合う二人――。


「はぁ……まったく。だいたいクロもクロよ。途中からこの子に引っ張られるがままにされていたでしょ? 全然抵抗しなかったのを後ろで見てたんだから――」

「…………あ、この馬鹿っ」


 リアはため息とともにフードを取った。それは安堵感からのもので、室内に入れば誰もが帽子を取るような気軽からだ。


 だからこそクロも制止が半歩遅れる。


「…………」


 その様を無言で見つめてくる少女。リアも自身の迂闊さをやっと自覚して「あっ」と声を漏らした。

 村の人間は警戒心が強い。だからこそリアはローブでその姿を曖昧にしていたというのに、今少女にはリアの絢爛な赤い瞳と豪奢な赤い髪が晒されている。


 過去の経験上、リアに相対した人間がわずかに瞠目して受け流すのはかなり良いほうだ。反応はときに冷淡で、ときに眉根が畏怖に歪む。

 様々だが総じてネガティブな反応を想起するクロとリア。


「あ、あの、これはね……」

「……きれい」

「「へっ?」」


 慮外の言葉に、クロまでもが声を漏らした。


「き、きれいってその、怖くないの? この赤い目とか」 

「全然! とても素敵よ。 ……なんで?」


 子供らしいストレートな物言い。リアも斟酌しようと射抜いてくる少女を見返すが、その瞳はむしろ好奇な光に揺れていた。二人して「ほぅっ」と胸を撫で下ろす。


 ニコニコと人好きのする顔立ちを浮かべる少女――。

 歳は十を超えていそうで、明るい褐色の髪が肩の長さに切り揃えられている。整った顔立ちには実が弾けたような胡桃色の瞳。服装もシンプルな短裾のワンピース。室内よりも草原を走り回っている姿のほうが似合いそうだ、というのがクロの第一印象で、有り体に言えば可愛らしい女の子だった。


「ううん、なんでもないわ。怖くないならいいの。……それよりももっと重要なことがあるわ。そうよねぇ? クロヴィス・・・・・


 ――悪寒。呼ばれたのはクロで間違いないはずだが、孕む冷気に反応が遅れる。 


「一体、いつまでそうしているつもりなのかしら?」


 リアの目元と口元が曲がる。一応笑顔のはずなのに、薄く開いた瞳は全く笑ってはいない。その原因が視線の先にありそうで、クロも辿るように顔を下へ向ける。


「あっ」


 頓狂な声を自覚しながら、そこにあったのは少女と結ばれたままの自身の右手だった。


「ちょ、お前、いつまで――」

「……似てる」


 「は?」とクロは漏らしながら引き剥がそうと腕を振る。解けない。

 少女は乾いた無表情のまま、何かを見出そうとクロの顔をまじまじと眺めてきた。


「……ううん、なんでもない。ところでお兄さんはこのお姉さんの彼氏?」

「違う!」


 彼氏という単語にクロが脊髄反射で否定し、リアの頬がさらに引きつった。


「じゃあ手を繋いでも問題ないじゃない? さっきは霧でよく見えなかったけど、そうね…………お兄さん、割とあたしの好みかも!」


 頬が濃すぎるチークのようにピンクに染まり、はにかんだような笑顔を浮かべる。


『……自然界に存在せし精霊よ』


 そしてリアの詠唱。


「待て待て! こんなところで術が暴走したらどうする⁈ 納屋ごと吹き飛ばす気か⁈」


 クロは制止しようと慌てて手を振る。少女から引き離そうと片方の手も動かしては、水面に落ちた虫みたいにバタバタとさせた。


「大丈夫よ、今日は調子がいいもの・・・・・・・。問題なく暴走させられる……」

「暴走前提⁈ それのどこが大丈夫なんだよ! つーかお前も手を離せ! えーっと……」

「あたしの名前? エディス・アイスガルド! 気軽にエディスって呼んでね? ところでお兄さん、あたしをお嫁さんにする気はない?」

『……赤き扉は万物を燃焼させる――』

「燃やすなっ! 詠唱やめろっ! 嫁になんかするかーっ!」

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