悪魔の所業
「『悪魔の街』ねぇ……」
「人口からすれば村らしいけどな。近代化が進んで街並みが良いからそう呼ばれているとのことだ。それにしても――」
家出のリアと街中で激しい鬼ごっこを演じ、やっとのことで捕まえて
正確には村の一歩手前で、訳あって今足元を眺めている。
「――どうやら本格的に面倒事だったみたいだな。ヴァンの野郎、うまいこと誘導して厄介毎を押し付けやがって」
「あとで締める」とクロは呟きフードを後ろへと送った。
愛用する漆黒のローブは召喚術師然としていた祖父の遺品であったが、愛用しているのは服装に対する無頓着さの表れでもあった。
一方のリアはというと普段着の赤いドレスに彼女も同じく頭の先からのローブを纏っている。
理由はクロとは異なり、警戒心の強い田舎の視線を避けるためだった。
リアの豊かな赤髪と赤瞳は都市でもそれなりに珍しいが村社会では殊更に目立つ。これから調査をする村民の心象をわざわざ損なう必要もないとの理由で、リアは自身の輪郭を服装の中に収めていた。
「仕方ないでしょ。これはどう見ても人間業じゃないもの。それに彼だって忙しいのよ。西国とのじょ……じょせいふあん? で、騎士としては国を離れづらいんだから」
「それを言うなら俺も同じだと思うんだけどなぁ。……あと正しくは『情勢不安』な。それだと女性問題で街を離れられないことになるだろ」
「あら? ヴァンならそれもありそうね」
クロたちがいるのは村から外れた牧草地だった。
昼過ぎで、本来なら牧歌的な光景が拝めるはずが今は濃霧が立ち込めている。数歩先も危うく生きた家畜は見当たらない。せいぜい首を巡らせて確認できるのは、納屋らしい霧に浮かぶ曖昧な黒影だけだった。
「――人間は業が深い生き物だな。欲深いうえに、責任転嫁の激しい生き物でもある」
「出たわ、クロの持論」
クロは睨むわけでもなしにリアに一瞥をくれると、もう一度足元へと視線を戻す。
「犯罪が起これば『悪魔のせい』だという。奇矯な行動をする者がいれば『悪魔に取り憑かれた』という。本来悪魔なんて自然発生するわけでもなしに、使役するにも憑依させるにもそれなりの魔力と契約を必要とするにも関わらず、人間はすぐに悪魔のせいにしたがる」
「結局、罪深い行いは人間に帰するって言いたいんでしょ? それともどこかの誰かを庇っているのかしら?」
「ともかく、世の大半の犯罪は人間の仕業だったりするわけだ。だけど――」
クロはリアに目もくれずに屈んだ。
湿った空気に、露の滴る若草――地面に膝を着けるわけにもいかず、中途半端な姿勢と思考のままに足元に転がっているそれ《・・》に触れる。
毛皮越しの肉にはまだ弾力があり、命が抜け落ちた直後の生暖かさが残っていた。
「残念ながらこれは悪魔か、少なくとも魔獣の類にしかできない芸当だな」
指先に触れたのは、雄牛の凄惨な死骸だ。
ばっくりと裂かれた腹からは内臓が飛び出し、時間が浅いのかわずかに上気している。早くも腐肉を漁りにきたのか蝿が数匹集っていた。
見るに耐えないが、「こっちの傷はまぁまだ想定内だ」とクロは独り言ちながら、別の違和感を辿るように腹から前足のその先へと顔を向ける。
雄牛の首が胴体から綺麗に切断されていた。
痛々しくもその切り口は見事なものだ。死因がこちらであれば息をつく間もなく絶命したことだろう。こんな平場で、しかも人間ができる芸当ではない。
クロの眉がぎちっと歪む。同時に心を平素に戻そうとして一度手を合わせた。
「本当に悪魔の可能性があったとはな。……リア、どうだ?」
「臭うわね」
「この死骸の臭いじゃない、ってことでいいんだよな?」
「えぇ、もちろん。悪魔の残り香がプンプンするもの」
「悪魔の行方は、追えそうか?」
「――ダメみたい。匂いが途切れているから」
犬みたいな奴だなと、クロは内心だけで苦笑した。
そもそもこの死骸へと至ったのは村への到着間際に聞こえた女性の悲鳴によるものだ。急いで駆けつけようにもこの濃霧――到底声音だけでは辿り着けず、リアの超人的な嗅覚に頼った結果この骸に辿り着いた。
「別名『霧の悪魔』か」
「……ちょっと! そんな通り名があるなら先に言ってよ。ここまで無警戒で来ちゃったじゃない!」
リアがぎくりと肩を持ち上げ両腕を抱きながら首を巡らせた。
二人の周囲にはもうもうと立ち込める濃い霧。
通り名に偽りがなければいつ悪魔と邂逅してもおかしくない状況だ。
「悪い悪い。リアなら悪魔がいればすぐ気付くかなって思って」
冷ややかに向けられた瞳に、クロは慣れたようにひらひらと手を振る。
「それにしても――」と、思案。
悪魔が喉から手が出るほど欲するのは――悪魔によっては比喩ではなく本当に喉から手が出る輩もいるが――人間に備わる魔力だ。
本来こちらの世界に存在しない
残虐性ばかりが際立つが彼らはとかく契約には忠実で、しかも一定の矜持も持ち合わせている。実益主義の気色も色濃く、人間で言えば怜悧な金主か鷹揚な貴族のイメージに近い。
「――悪魔が享楽で家畜を殺すのは考えづらいな」
「被害が牛じゃなくて人間ならまだ理解できるかしら。……いえ、それも違うわね」
自らの発言を否定して顎に手を当てるリア。
「悪魔は人の魔力が好物ですもの。命を奪うぐらいなら取り付いて延々魔力を吸い続けるほうがまだ理に適っているわ。実際そんな話がないわけではないし」
「『三十六番街ストリートの悪魔』か? ……っていうかリア。そんなことを言ってるからいつまでも世間のイメージが損なわれたままなんだろ。悪魔の召喚術師たる俺の身にもなってくれよ。どんどん俺が孤立していく」
「クロから人が離れればわたしがクロを独り占めできるもの。それも理に適ってるわね」
「なにお前、まだ怒ってるの? それとも新手の駆け引きのつもり?」
プイッと顔を背けるリアに、クロは大仰なため息と共に肩を落とした。
「とにかく、こんな事態になっているなら村人に話を聞きたいな。もっとも、『霧の悪魔』と呼ばれているなら、こんな状況で外をのこのこ歩いているやつなんて――うわっ!」
瞬間、クロは何者かによって急激に腕を引かれた。
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